第三話『君の瞳に映るものは』

「ねえ、由機! 聞いたよー! クラスに外国のが転校して来たんだって?」

 麻衣子が生徒会室に入って来るなり、由機に向かって突進して来た。

「ま、まいちゃん……顔、近いよ」

 椅子に腰かけて書き物をしていた由機はのけ反るようにして目の前に迫る麻衣子の顔から逃れる。

「すっごい美人だって聞いたよー! いいなー! うちのクラスだったらよかったのにぃ!」

 瞳を輝かせながら身をもむ麻衣子の姿に由機は苦笑しながら言葉を紡いだ。

「見た目は確かに欧米人みたいだけど、名前は日本風だったわ。日本語も普通に話していたし。帰国子女とか、日本生まれのハーフとかじゃないのかな」

「何て名前なの? 教えて!」

 由機は麻衣子に見えるように、ノートの端にシャープペンシルを走らせる。

「……さんぽうこうじんかえで。すごい名前だね」

「すごいね、まいちゃん。私はこの苗字、読めなかったのに」

 麻衣子は賞賛の言葉に胸を張った。

「こう見えても雑学にはちょっと自信がありますからねぇ。ちなみに三宝荒神っていうのは密教の守護神でね。仏教でいう『三宝』、『仏法僧ぶっぽうそう』って聞いたことあるでしょ?」

「うん」

「要するに『三宝を守る荒神あらがみ様』ってわけ」

 麻衣子は活き活きとした表情で由機に説明した。

「あらがみ、さま……」

 言葉の響きから思い浮かんだのは、両手を顔の前でクロスさせ憤怒の表情に変貌する巨大な武人像の姿だった。

「でさ、由機はその三宝荒神さんと話したの?」

「うん……まあね」

 由機は戸惑いがちに答えた。

「ホント? どんな子なの?」

「えーと……変わった人だよ。女子なのに男子用のスラックス履いて、刀袋みたいなのを持ってるし。先生達には許可をもらってるみたいなんだけど」

 麻衣子が胸の前で両手を合わせ、瞳を更に輝かせる。

「何それ、かっこいい! 男装の麗人なんて、宝坂たからざかの男役スターみたい!」

「男装の麗人……かぁ」

 由機はシャープペンシルを記録帳の上に置いて顎に手をやった。

「ねぇねぇ、それで三宝荒神さんと、どんな話したの?」

「……会話らしい会話はしてないわ。その……取りつく島がないっていうか」

 由機は一呼吸置いてから答えた。

「そういうの、ミステリアス……っていうのかな。私も会ってみたいなぁ!」

 麻衣子はますます興味をそそられたようだった。

「ミステリアス……」

 由機は麻衣子の言葉を繰り返して、しばし思案に耽った。

 初めて彼女と目を合わせた時の、あの妙な感覚は何だったのだろう。

 恐怖や緊張とも違う。もっと別の何か……。それは『ミステリアス』といった言葉で表現してよいものだろうか。


「三宝荒神さん。私、宮坂由機っていうの。よろしくね」

「よろしく頼む」

 由機の隣に座った金髪碧眼の美しい少女はにこりともせずに答えた。

「教科書は全部揃ってる? もし――」

「ある。心配はいらない」

 楓と名乗る少女は目を合わせようともせずに言い放った。

「何か分からないことがあったら、遠慮しないで聞いて」

 由機は少々気分を害しながらも、微笑みを崩すことなく言った。

「その必要があれば、そうさせてもらう」

「う、うん……」

 由機と楓の会話らしい会話はこれだけだった。

 その後、休み時間になると楓は他の生徒達の質問攻めに遭ったが、まるで興味なさそうにそれらをあしらっていた。

 昼休みになるといつの間にか彼女は刀袋と共に姿を消していた。周りを鬱陶しいといわんばかりだった。

 由機が理解に苦しんだのは、自分以外の生徒がそんな楓の態度を一様に『かっこいい』と評していたことだった。


 ――あんなに無愛想でも、みんなに好かれるなんて。

 由機は不快感を覚えていた。目の前にいる麻衣子もまた、楓に接すれば他の生徒達と同じ反応を示すだろう。

 そのことを考えると、誰に対しても人当たりよく接している自分が莫迦らしく思えてきた。

 ――そりゃ、確かに綺麗な人だけど……。

 そう考えて、由機は隣に座る楓の横顔を思い浮かべた。

 窓辺から差し込む光にきらきらと輝く、長い金色の髪。文字通り透けるような白く美しい肌。

 目は大きく鼻筋も通っているが、決して大づくりではない繊細な面立ち。

 身長は一六五センチほどだろうか、それに見合って手足も長く、身体にはほどよく肉付きがあるのが服の上からでもわかる。

 ――やっぱり、綺麗だよね。

 文芸部員だけにもっと気の利いた言葉で表現したい由機だったが、彼女の容姿を表現するにはこの言葉しか思い浮かばなかった。

 由機も自らの容姿を褒められることは多いが、それでも楓と比較すれば自信を失ってしまう。

「私も話してみたいなぁ、三宝荒神さんと。明日、生徒会室に連れて来てよぉっ」

 麻衣子は由機の肩を揺すりながら、甘えた声でねだった。

「……ごめん、無理だと思う……」

 由機は苦笑しながら答えた。

 ちょうどその時、生徒会室のドアを開けて生徒会書記の丸山英嗣まるやま えいじが入って来た。

「あっ、宮坂! クラスに外国人の女の子が転校して来たって本当?」

 由機は心の中でため息をついた。


「先輩、そろそろ帰りませんか?」

 眼鏡をかけたボブカットの少女が控えめに語りかけた。

「……そうだね、園原そのはらさん」

 由機は微笑みながら返事をした。

「もぉっ。『初美はつみ』でいいって言ってるじゃないですか、先輩」

「ふふっ、ごめんね。初美ちゃん」

 文芸部の後輩、園原初美そのはら はつみが満足そうに微笑むのを認めると、由機は両手を組んで前に伸ばし、大きく伸びをした。

「先輩、見てください。夕陽が綺麗ですよ」

 初美に促され、由機も窓に目を向けた。

「わぁ……!」

 由機は思わず感嘆の声を漏らした。

 薄く広がった雲が夕陽に照らされ、太陽から遠ざかるにつれてオレンジ色から紫色へと変化する見事なグラデーションを描き出している。

「綺麗な夕陽も見れたことだし、暗くならないうちに帰りましょ。先輩」

「そうだね」

 由機は筆記用具を鞄にしまうと、机の消しゴムかすを傍らのゴミ箱に捨て、原稿用紙を折りたたんでファイルに挟んだ。

「遅くなっちゃったわね。早く鍵を返しに行かなきゃ」

「はい!」

 初美は屈託のない笑顔で返事をしてから、自らも机の上を整理し始めた。

「初美ちゃん。どう? 筆は進んでるかしら?」

 机の上を整理し終わった由機が初美に尋ねた。

「えへへ。ぼちぼち……ですかね」

 初美は頭に手をやりながら、小さく舌を出した。

「文化祭までは時間があるから、余裕を持って仕上げましょうね」

「はい。先輩も生徒会の仕事があるんですから、無理しないでくださいね」

 筆記用具と原稿用紙を全て鞄に納めて、初美が言った。

「ありがとう。初美ちゃん」

 由機はにっこりと微笑んでみせた。


「初美ちゃん。また明日ね」

「はい!」

 校門の前にあるバス停で初美と短い言葉を交わし、由機は学校のすぐ近くにあるスーパーへと向かった。

 疲れてはいるが、その足取りは軽い。由機にとって生徒会活動を『仕事』とするならば、文芸部での活動は数少ない『趣味』だった。

 由機は初美が好きだった。

 自分のことを姉のように慕い、屈託のない笑顔を見せてくれる優しい少女。

 初美は四月に入部して以来、部員の少ない文芸部の中でも特に熱心に活動に取り組んでいる。最近は由機と二人で最後まで部室に残り、共に下校することが多くなっていた。

 初美が自分のことを苗字ではなく名前で呼ぶように求めたことも嬉しかった。まだ、その呼び方に慣れているとは言えないが……。

 電柱に設置されたスピーカーから、郷愁を誘う童謡のメロディが流れる。午後六時を知らせる時報だ。

 日本人なら皆が知っているであろう、夕暮れに子供達を家路へと導く歌。

 懐かしくもどこか物悲しい調べに小さな胸の痛みを感じながら、由機はスーパーの自動ドアをくぐり、店内に足を踏み入れた。

 買い物客で賑わうスーパーの店内は昼間と変わらぬ明るさで、お買い得商品の案内をする店内放送が流れている。

 店内放送によれば、今日は国産の焼き肉用牛肩ロース肉が安いようだ。

 ――焼き肉……!

 一瞬だけ心がはやったが、すぐに落ち着きを取り戻す。

 焼き肉は由機の好物だったが、ここ二年ほどは食べていない。

 夕食時に両親が揃うことが少ない為、焼き肉や鍋料理といったものを食卓に供することが難しいからだ。

 以前、両親と三人で焼き肉店へ食べに行ったこともあるが、服に焦げ臭いニオイがつく為、それ以降行きたいとは思わなくなってしまった。

 由機がため息交じりに入り口の買い物かごを手に取った時のことだった。

「あ……」

 視線のすぐ先に、金髪の少女がいた。

 それぞれの目と目が合い、二人はそのまま動きを止めた。

「……さ、三宝荒神……さん。お買い物?」

 しばしの沈黙の後で、由機が恐る恐る口を開いた。

「そうだ」

 金髪の少女――楓は相変わらず、にこりともせずに答えた。革製の刀袋を左肩にかけ、左手には食品が詰まったビニール袋の入った買い物かごを持っている。

 制服を着て、右手に通学鞄を手にしているところからすると、彼女も下校途中に立ち寄ったのだろう。

 由機はただ驚いた。学校で見た楓の姿からは、生活感というものが何一つとして感じられなかったからだ。

「……私が買い物をしていることが、そんなにおかしいか」

 楓は表情を全く変えることなく言葉を発した。

「えっ……! そんなことな――」

「嘘をつくな」

 楓は由機の言葉を遮ると、足を踏み出して由機の前へと歩み出た。

「……ご、ごめんなさい」

 楓は無言で、身をこわばらせる由機の目を覗きこんだ。

 由機は背中に冷たいものが流れるのを感じた。

 宝石のように澄みきった青い瞳が怖かった。目の前の少女が何を考えているのか分からなかった。

 金髪碧眼の美しい少女が、異世界からやって来た人間のように思えてならなかった。

「……何故、謝る」

 楓の表情には全く変化がなかった。いや、本当は細かく表情を変えているのかもしれないが、由機には彼女が全く同じ表情をしているようにしか思えなかった。

「え……怒ったんじゃ、ないの」

 恐る恐る尋ねると、楓は小さく首を横に振った。

「買い物かごを返したい」

「あ……」

 ようやく、自分が買い物かご置き場の前に立ち塞がっていることに気づいた。

「ご、ごめんなさい」

 一言添えて、由機はそっと身をけた。楓は買い物かごを静かに置くと、再び由機の目を見た。

「悪意がないなら謝る必要はない」

 由機はびくん、と小さく身体を震わせた。

「では」

 それだけ声をかけて、楓は由機の横を通り過ぎて行った。

「……さようなら」

 由機は背を向けたまま、楓に声を送った。


「ふわぁ……」

 教室へと続く廊下を歩きながら、由機は大きくあくびをした。

「だらしなーい!」

 すかさず、横を歩く麻衣子が由機を嗜める。

「寝不足ー? 昨日、何時に寝たの?」

 口に手を当てて苦笑する由機を麻衣子が追及する。

「……十二時前に寝たんだけど、なんだか昨日は寝つけなくて」

「十二時前? 六時間も寝れてないじゃない。由機、そんなんじゃお肌にもよくないよ」

 麻衣子は眉をひそめ、幾分声のトーンを低くした。

「そう……だね。気をつけるわ」

「そうそう。由機はせっかく綺麗な肌してるんだから。勿体ないよ」

「やだ、茶化さないで」

 由機が頬を赤らめて顔を背けると、そのブラウスの袖を麻衣子が引っ張った。

「どうしたの……まいちゃん」

「しっ。あれ……」

 声をひそめて、麻衣子が小さく顎をしゃくる。

 視線の先には、廊下を歩く一人の男子生徒がいた。

 周囲の生徒達が遠巻きに彼の様子を窺っているのが分かった。

 中肉中背で、黒い髪を無造作に逆立てた鋭い目の少年。

 歌舞伎の女形おやまを思わせる中性的な顔立ちの美男子だが、その目は不快なまでの暴力的な光を放っていた。

「……長谷川はせがわ……停学終わったんだね」

 麻衣子は忌々しげに呟いた。来なければいいのに、と言わんばかりの口ぶりだった。

「うん……そうだね」

 視線に気づいたのか、少年が二人の方を向いた。

 麻衣子は思わず肩をすくめたが、由機は毅然とした表情でその視線を跳ね返した。

 少年は小さく舌打ちして、教室に入って行った。

「……また、喧嘩したって聞いたけど。何で退学にならないんだろうね」

「……そうだね」

 由機は小さくため息をついてから、短く答えた。


「は……長谷川君」

 だらしなく椅子に腰かけ、窓の外を眺めていた少年に、一人の少女が声をかけた。

「ん……何」

 少年――長谷川亮介はせがわ りょうすけは振り向いて面倒臭そうに返事をした。

「あ、あのね……この間の、お礼……まだ言えてなかったから、その……」

 ややカールした栗色の髪を肩までのセミロングに切り揃えた、小柄な少女。亮介はこの少女と一度だけ言葉を交わしたことがある。

「いいよ、そんなの」

 ため息交じりに少女の言葉を遮ると、亮介は再び窓の外に目を向けた。

「よくないよ! あ、あの時は助けてくれて……ありがとう。ごめんなさい、私を助ける為だったのに、停学なんて……」

 亮介を再び自分の方へ振り向かせようと、少女は必死に声を振り絞った。

「……いいって、別に」

 亮介は背中を見せたままで返事をした。明らかに苛立ちを含んだ声だった。

 それを感じ取ってか、他の生徒達の会話が止まる。

 途端に、教室内に気まずい雰囲気が立ちこめ始めた。

「あ、あの……それでね。長谷川君、いつもお昼にはパン食べてるよね」

 少女は勇気を振り絞って、再び亮介に語りかけた。

「昼前には弁当食っちまうからな」

 興味なさそうに答える亮介に、少女は精一杯の明るい声で、本題を切り出した。

「あ、あの。それでね! よかったらなんだけど、お弁当作って来たから――」

「いらねえ」

 亮介は低い声で少女の言葉を遮った。再び、教室内に沈黙が訪れる。

「……え……」

「悪りいけど、いらねえ」

 幾分落ち着いた声で、亮介は少女に念を押した。

 決して、少女の方を振り向こうとはしなかった。

「う、うん……わかった」

 少女は寂しげに微笑むと、とぼとぼと自分の席に戻っていった。

 やがて、何事もなかったかのように周囲の生徒達がおしゃべりを始めた。

 それらの中からは「かわいそう」「最低」など、自分をなじる言葉も聞き取れたが、亮介はまるで関心を示すことなく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

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