第六夜 出会い

 瓊子たまこを抱いたつねは、いそいそと町を歩いていた。勇から寝付いている惣次郎の為に、何か精のつくものを買ってくるよう言われていたのだ。当の勇は、出稽古で家を空けており、今日には戻ってくるはず。

 買物は済ませたが母乳を求めてむずかる瓊子に挺子摺りつつ、さてどうしたものかと考えあぐねていたときだった。

「そこの女、待て」

 男の声に驚いてそちらを見ると、怒鳴られているのは夏であった。

「お夏。一体どうしました」

 どうも乳母の持っていた荷物が男に当ったらしい。無礼だと怒鳴りつける男に、つねも謝ってはいるのだが怒りが解けない。終いにつねは腹が立ってきた。

「お怪我は無いのでしょう。こんなに謝っているのだから、もう良いではありませんか」

 娘を抱いた夏を背に庇うようにして、つねは言った。

「なんだと。女子おなごの癖に生意気な」

 相手の男はいきり立った。勝気な性格のつね、負けてはいない。

「あなたこそ、武士の癖に女子相手にいつまでいちゃもんをつければ気が済むのですか」

「なにを」

 男は柄に手をかけた。流石のつねも少し怯んで、瓊子を庇いながら無意識に数歩後ろへ下がった。

 そこへ、若い男が割って入った。

「おぬしら、何をしている」

 背の高い、細身の男だった。柔らかい声音で凛と言い放つ。つねは自分の目の前の男の背と、庇うように出された左手に見入っていた。中指の腹に小さな黒子がある。なぜだかそんなどうでもいいようなことにばかり目がいく。動転しているのだ。

「なんだおまえは」

 男は明らかに年下の相手を頭から舐めた調子で、煩い蝿を追い払うような仕草をした。

「邪魔をするな」

 青年の存在を無視したように、男はつねににじり寄った。つねは思わず悲鳴をあげる。青年が体を入れて止める。

「邪魔をするなと言っているだろう。聞こえないのか」

 男がだみ声を張り上げる。青年は右腰に差した刀の柄に手をかけた。

「やる気か」

 男の目の色が変わる。青年は背後に庇ったつねを僅かに振り返って、小声で言った。

「早くお行きなさい。ここは私が引き受ける」

 つねはその声に現実に引き戻され、頭を振った。

「し、しかし」

 見ず知らずの若者を、自分たちのせいで窮地にひとり陥れて去ることに迷いを覚えた。つねは言いよどんだ。が、男も刀を鞘から抜く。

「お早く!」

 刀を引き抜きながら、今度は少し殺気を含んだ青年の声がかかる。瓊子が、火がついたように泣き出した。これ以上ここに自分たちがいても、却って青年の邪魔になるだけだ。つねは弾かれるように、夏の手を引いてその場から逃げ出した。


 出稽古から戻ってきた勇は、真っ青な顔の妻を見て驚いた。

「おつね。なにがあった」

 話を聞いた勇は、おつねの肩を抱いてやり、

「それはひどい目にあったな。おれが使いを頼んだばかりに、申し訳ない」

「いえ、それは」つねは首を振る。「でも、あの若いお侍がどうなったかと私心配で」

「分かった。それはおれに任せておけ」

 そう答えて勇はつねから聞いた場所へ戻り、近くのお茶屋の主人らに話を聞いてみた。やはり斬り合いになったようだ。

「それで、どちらが勝ちましたか」

「若いお武家さんの方ですよ。それはもう強くてね」

「そうですか」

 勇は内心ほっとした。話を聞く分ではつねを助けてくれた男は無事のようだ。しかし問題は、茶屋の主人から聞いた、殺された男の身分だった。

「なんでも旗本の旦那だったらしいですよ。血眼になって下手人を探してるらしい。すぐに捕まっちまうでしょうね」

 自分の妻を助けたばかりに、罪人として追われる羽目になるとは。勇は青年の身の上が案じられて仕方なかった。

 勇は青年の行方を探そうと、一端家へ戻り歳三も呼んで相談した。

「分かった。みんなで探すよ」

  歳三はすぐに食客を集めて相談し、手分けして探して回りはしたが、青年の行方は杳として知れなかった。 日も暮れて勇が家に戻り、それをつねに報告しているところに、来客が訪れた。

「勇様」

「なんだ。誰だ?」

「それが、昼間私を助けてくださったお侍様が訪ねておいでなのです」

 つねからそれを聞かされて、勇はすぐさま座敷にあげるよう言った。青年は右肩を血に染めて破れた着物を身につけて、左腕で傷を押さえたまま、ぎこちなく頭を下げた。

「申し訳ありません。恩に着せるようなつもりはなかったのですが、他に頼れる人もなく……」

「構いません。こちらこそ、奥が世話になった。兎に角座ってください。傷の手当てを。つね」

「はい」

 青年は申し訳なさそうにまた頭を下げる。

「拙者、山口はじめと申す者です」

「近藤勇です。家内を助けていただき、礼を言います」

「いいえ。私が勝手にしたことです。却ってご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 つねの持ってきた焼酎で、勇が一の傷を洗い流す。一は痛みにくっと顔を肇めた。それを見て、つねが懸命に平常心を保とうとする。

「傷が深い。医者に見せた方が」

 と勇は言いよどんだ。町中は一を探す追っ手の者たちでいっぱいなのだ。とても堂々と診療所まで連れ出せる状態ではない。一自身、それは分かっているからこそ、手当てもせずにこうして身を隠していたのだろう。

「実は、私のことを訪ね歩いている近藤さんを見て、もしやこの方がご主人なのかと思い、失礼ながら後をつけて参りました」

 勇はそれを聞いて首を振る。

「構いません。後をつける気配には気付いていました。それがあなただとは思いも寄りませんでしたが、丁度良かった。お探しして力になりたかったので」

禿かたじけない」

 勇は話ながら手早く卵白で傷を固め、布で一の肩をきつく巻いた。が、これは応急処置に過ぎない。

「奥様方にお怪我はありませんでしたか」

「ええ。みな無事です」

 勇の言葉に合わせるように、つねが頭を下げた。

「ああ、良かった」

 彼は心底嬉しそうに、屈託の無い笑顔を見せた。

「して、これからどうされるおつもりで。……私が、家内を助けてくれたのだと奉行所へ出頭しようかと思っていたのですが」

「いえ」

 慌てて一は左手を振った。

「そんなことをなされては、こちらのお家に迷惑がかかります。京へ逃げようと考えておりました」

「京へ。大丈夫なのですか」

「はい。つてはあります。一度父に連絡を取れれば」

 勇は頷いた。

「では私がお送りするか、ふみをお届けするかいたしましょう。他にできることは」

「いえ。充分です」

 つねを振り向いて目配せをすると、言う。

「これから塾頭の見舞いに行くつもりでした。駕籠を呼びますから、一緒に参りましょう。少しは目くらましにもなる」

「ありがとうございます」

 つねが用意した名刺と路銀を、一に手渡す。

「何かの足しにしてください」

 断ろうとする一に、無理に収めさせる。

「何から何まで申し訳ございません。金は必ずお返しします」

「その必要はありませんよ。なにか困ったことがあればいつでも便りを出してきてください」


 その後一は父の友人のつてを辿り、京都へ身を隠すことにした。

 しばらくたって勇の元へも、京へ無事着いたとの便りが届き、近藤夫妻はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 ふたりの身にも、なんの災厄も降りかかってこずに済んだ。

 勇はその後も、折を見ては度々文や心付けを送ってやった。一の方では勿論いらないと言うのだが、江戸での生活を全て捨てて京へ行ったのだ。何かと物入りに違いない。一からはその度に、丁寧な礼状が届いた。そんな手紙のやり取りから、十歳離れた若い斎藤一と近藤勇との、奇妙な友情が生まれたのだった。

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