第五夜 夕暮れ

 厨房は暖房と熱気で頭がくらくらするほど暑いが、勝手口から外へ出ると一気に冷たい風が流れてきて、あ、冬だったんだっけと思い出すような感じだった。確かに寒いけれど、この冷たさが火照った体には却って気持ち良い。気分転換にもなるから、別に良い恰好したいとかは関係なくて、普通に実はゴミ出しを買って出るのおは結構好きだったりする。ゴミ捨て場はちょっと離れた駐車場の片隅にあるから、重たいし臭いけど少し歩ける。息もつける。

 ゴミ回収の日は明日の朝なんで、ゴミ捨て場には山盛りにビニール袋が積んである。今夜一晩はここで保管しておかないといけない。集積所に出すのは明日の早番の奴らの仕事だ。申し訳ばかりに明日回収されるゴミを手前に、そうじゃないのを奥に仕分けしてやる。段ボールは既に恐ろしい量が積みあがっていた。バランスが崩れて滑り落ちてきたら、確実に怪我くらいは出来る量だ。大体、でかいホチキスみたいな金具を面倒でとらずに畳んで捨ててる奴もいるし。取っておいた方がいいだろうなあ。おれは早番には滅多にならないけど、出す奴が可哀想だし。ゴミ回収の人だって困るだろうし。

 おれは取りあえず後回しにして、うんと伸びをした。そろそろ風が本当に冷たく感じ始めていた。今日は中番だから、あと二時間で勤務が終わる。もう一息だ。戻らないと。そう思って振り返った。

「うわ」

 夕焼けだった。目も覚めるような。心のどっかがぎゅっと掴まれたみたいな。空は上から濃紺色に、段々と薄くなって一番太陽に近いところまで徐々にオレンジ色に締麗なグラデーションに塗り潰されていた。夕焼けなのにあまりに暗くて、そして鮮やかだった。明星が一粒きらっと光っていた。冬は気温が低いから、爽雑物の少ない、膨張していない水分が浮かんでいるから、光は綺麗に透き通って見える。夏の夕焼けだって好きだけれど、こんなにも冷たく暗く、明るくて、透明ではない。

 いや、違うな。

 空の色は、いつだって都会と田舎じゃ色が違う。もっと空気の綺麗な場所の夕焼けは、いつだってこれくらい美しい。

 そうだ。オレが見た夕焼けも、これくらい綺麗だった。きらきら光っていた。


「徳永くん、何してるの?」

 振り返ったら、横田だった。おれが答えようとする間も無く、おれが左手にペンチを握って、軍手代わりに手袋をしたままの右手で段ボールを持って足をかけて押さえているのを見て、判断がついたらしい。

「まめだねえ。時間外勤務つかないよ?」

「まあねえ。でも気になっちまったもんはしょうがないかなと思ってさ」

「じゃあ、見ちゃったものはしょうがないよね」

 横田は笑って、肩に掛けていた鞄を斜めに掛け直した。

「え? いいよ、汚れっぞ」

「徳永くんだって」

 着替えたときにはずして手首につけていたヘアゴムで、また髪を後ろでひとつに束ねる。

「あたしホチキスついた段ボール探して出すから、徳永くんはずしてくれる?」

「あ、うん」

 その時には一端ある程度おれが山をいくつかに崩していたんで、横田の力でも段ボールを引き出せるだろう。頼むことにした。

 駐車場脇の暗い街灯の頼りない明かりのところに、横田はばっさばっさと手際良く段ボールを投げてよこす。おれはお蔭様でサクサク足で押し付けて金具を引き抜くだけで良かったんで、予想していたよりかなり楽になった。

「これは外して燃やせないゴミに捨ててって言ってあるのに、もう」

 小声でぼやいてる声が聞こえたんで、おれは思わず笑ってしまった。

「なに? 徳永くん」

 白い息をつきながら、彼女が振り返る。耳が真っ赤だった。

「んや別に」

 おれは笑いを噛み殺した。

 バイト先でタメだったり歳が近い奴らは、仲良くなったらみんな敬語を使わなくなった。女の子たちも、クラスの女子らとおんなじように、おれらのことを苗字で呼び捨てにした。そんな中で、横田だけがくん付けで呼んでくるのだ。それが良い、という奴もいれば、ぶりっこだと敬遠する奴もいたんだけど、訊いてみたらなんのことは無い。女子校なんで、男子生徒との接し方に慣れていないだけなのだった。それで、邪魔なガキ扱いする女子に比べて丁寧に扱ってくれるわけだ。じゃあ男慣れしていないかと言えば、そういうわけでもないし、女であることを嵩に着てなんでも男にやらそうとしてるところもない。おれはおれで、六年間女子校で、更に大学までエスカレーターなお嬢様で優等生な箱入り娘に会った事もないんで接し方も分からないから、案外普通に接してたりする。

「これで終わりだよ」

 選別を終えた彼女が、こっちに最後の一枚を置きにくる。

「ありがと。あとおれやっとくよ?」

「あともうちょっとだし」

 横田はそのまま、おれが横に避けて溜めておいた処理済みの段ボールを数枚手にとって、元の山に積上げに行く。ピアスが、反射してきらっと光ったのに気がつく。勤務中は外してるんだろう。

 おれも残りを片付けて、一緒にゴミの山へ段ボールを戻し終わった。 引き抜いた金具は、用意してきた小さいビニール袋に溜めておいた。燃えないゴミで縛り口が緩んでいるのがあったんで、そこからつっこんで口を縛り直した。

「ありがとな。助かったよ」

「ううん。っていうか、ありがとうってなんか違うくない?」

「そっか?」

「だって徳永くんの仕事をあたしが手伝ったわけじゃないもん」

 おれはうまく言葉を返せなかったんで、へらへらと笑って誤魔化した。取ってつけたように、「これ返してくるわ」とペンチを振った。走っていって、勝手口から入って、私服で厨房に入るのはまずいので近くにいた田代に声をかけた。

「悪い、これ戻しておいて」

「はいはい」

 ペンチなんて何に使ってたんだとか言うかと思ったけど、普通に受け取った。

「じゃお先」

「お疲れ」

 おれが何やってたのか見当ついてるんだろうか。それとも興味ないんだろうか。まあ、どうでもいいか。

 横田が勝手口から見えない位置で待ってた。多分、ふたりで何やってんだとか余計なこと言われるのが面倒だったんだろう。なりゆきで一緒に駅まで行くことになる。ゴムはまた手首に戻っていて、髪が暗がりでもつやつやして見えた。あんな何時間も髪を縛っていたのにあとひとつ残ってないんだから、よっぽどキューティクルとやらがしっかりした綺麗な髪なんだろう。

 ……なんかどうも、クラスの女連中といるより緊張するな。なんてこんなことあいつらが聞いたら物凄い騒ぎそうだけど。

「帰るか」

「うん」

「駅だよな?」

「うん。駅前からバス」

 取りあえず歩き出す。街灯と月明かりのせいで、あたりが青白く浮き立って見える。

 横田が指先をちょっと気にしてる。

「マニキュア剥げたんだろ」

「うん。ひっかけたみたい」

「だから言わんこっちゃない」

 折角綺麗に塗ってあるのに。

「別に身だしなみで塗ってるだけだし。爪が剥げるよりマニキュアが剥げる方が、実害は少ないじゃない?」

「ああ、うん。そうだな」

「厚めに塗っておくとね、意外にちゃんと爪を守ってくれるんだよね。だから塗ってるだけだから全然平気」

「ふうん」

 ある種の防具なわけだ。なるほど。「マニキュアが剥げた」「枝毛があった」のと騒いでるクラスの女子を見ているおれからしたら、なんとなく違う世界を見るようなおかしな気持ちだった。

「徳永くんもバスなんだっけ?」

「あ、おれ自転車」

「自転車駅の方に止めてるの?」

 きょとんとしておれを見上げる。店にも一応駐輪場はあるわけで。まあ客用なんだけど。

「お客さん用だし狭いからさ。スポーツジムの駐輪場に止めてあるんだ」

「ジムに通ってるの?」

「ああ、うん」

「え。なんか凄い」

 横田は驚いた顔で言った。

「会費とか高いんじゃないの? 徳永くんて一人暮らしなんでしょ?」

「うん」おれはつい笑って、説明する。「会費が月八千円なんだけどさ、おれのアパート風呂無いわけよ」

「うん」

「近所の銭湯って一回三〇〇円なの」

「うん」律儀に相槌を打って、真剣に聞いている。

「出来れば毎日でも風呂行きたいとなると、月に八千円越えるんだよね」

「だからジムの会費を払ったほうが、施設も使えるしシャワーも浴びられる」

「ご名答」

「なるほどねー」横田はくすくすと笑った。「なんかそれ面白いね。でもお得だね」

「そそそ」

 と言いつつも、ジムへ行って本気でトレーニングとかはしていなくて、最初は気が向いた時だけプールで泳いで、シャワーを浴びて帰るだけだった。今までは。

 なんとなく最近は体を鍛えるのが面白い。体が資本だっていう感覚が身に付いてきているのだ。

「じゃあ今日もこれから行くの?」

「うん。そのつもり」

「徳永くんてすごいね。あたしバイトだけでもうくたくただよ」

「おれもそうだったけど、いい加減慣れて、逆に体力ついてきたから今バイト楽だよ」

「えー。そうなの? あたしもジム行ってみようかな」

 冗談めかして言いながら、指先に息を吹きかけている。

「手袋してきてないんだ」

「うん。今日はうっかりしちゃって。こんなに気温下がると思ってなかった」

「だな。寒いな」

 横田は、兄貴でもいるのかな。おれはふと思った。むしろ彼氏がいるのかもな。とてもそんな突拍子もない誤解を受けそうな質問をすることが出来なかったけど。

「じゃあお疲れ様」

「おう。気を付けてな」

「ありがと。トレーニング頑張って! また明日ね」

 ひらひらと真っ赤に凍えた指先を振って、彼女は駅へと階段を上っていった。手袋貸そうかと言えなかったのが、ちょっと心残りだった。いや、うまく誤解の無いように言う自信は無かったから、いいんだけど。

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