第四夜 地震

 何か音がする。ぐらぐらと地面が揺れだした。

「地震だ」

 勝太は足を止めて呟いた。

「最近多いな」

 近頃地震が多い。地震が起き始めた頃は、一体どうなってしまうんだろうと不安げな声が多かったが、ここまで続くと慣れてしまうから人間というのは恐ろしい。

「また地震だよ。嫌だねえ」 とぼやきながら、揺れが収まると足早に道を行く。そんな人々を見遣りながら、勝太はふうっと溜め込んでいた息を短く吐き出した。

 勝太は、慣れてなどいなかった。揺れが起こる度、いや起こらない合間も常に不安を抱いていた。そしてまた不安と同時に、奇妙な昂揚に似た心持ちも浮かんでくるのも事実だった。

 確実に何かが揺れ動いている。地を揺るがすような一大事が、知らぬ間に近づいてきているに違いない。

 そう勝太は心の底で思っていた。

 肩にかけた剣術道具を持ち直すと、気を取り直して歩き出した。足が少し震えている。勿論、恐怖からくる震えではなかった。


       ***


 目が覚めた。右手にスマホを握ったままだった。部屋の電気も消していない。まだ寝ぼけているのか、視界が歪んでいる。目眩でもしているのかと思ったが、違った。

 地震だ。結構大きい。

 窓も開けてないのにカーテンが揺れてる。 おれは起き上がった。揺れはだんだん大きくなってくる。

 取りあえずスリッパを履いて窓とドアを開ける。退路を確保だ。

 まだ揺れている。外へ出るべきか。

 もうちょっと様子を見た方がいいだろうけど。一応昨日着ていて床に放り投げたままだったパーカーを拾い上げて羽織った。

 ぐらぐらと揺れ続けたが、段々と収まった。 ちょっとだけほっとして、おれは窓とドアを閉めてスマホを見た。設定しているアプリで地震速報が入る。ここは震度四だった。結構揺れたな。津波の心配は無いようだ。震源地は海の方で、大きな被害がどこかに発生しているというわけでもないみたいだった。

 そこまで確認したら現金なもので、急に眠たくなってくる。今度こそ電気を消して、もう一度ベッドに潜り込む。まだ二時間は眠れる。チャットアプリに誰かからメッセージが入っていたようだったが、もう瞼が重くて開けられない。

 それにしても、最近地震が多いな。大きい地震でも来るのだろうかと不安に思いながら、意識が遠のいていった。


       ■


「惣次。歳を見なかったか」

「土方さんなら、さっきまでここにいましたけどね」

「そうか」

 残念そうな顔つきになる勝太は今年で十九歳。惣次と呼ばれた沖田惣次郎は、すっかりその呼び名に馴染んでいる。試衛館に内弟子に入ったばかりの頃は、自分の名前を縮めて呼ばれることに反感を覚えて、その度に「惣次郎です」と訂正していたものだったが。今ではすっかり勝太に根負けして、何の抵抗もなく振り返るようになっている。

「土方さんに何か用だったんですか」

「いやな。庭の梅が、もう散ってしまいそうだったから」

「ああ」 惣次は合点がいき、にこりと笑った。「土方さん、梅が好きですもんね」

「うん。だからな」

 そう言って寒そうに腕を組んだ。惣次はうんと伸びをして冷えた空気を吸い込んだ。

「また春がくるんですね」

 それを聞いて、勝太はまじまじと惣次郎を見た。視線に気付いて、惣次郎が「なんです?」 と問い返す。

「いや。おまえが来てもう一年もたつのかと思ってな。早いものだな」

 惣次郎は十二歳だ。ほっそりとした体は筋肉がつき、出来上がりつつある。浅黒い肌。少し目が離れて垂れ目気味で、愛橋がある。勝太は惣次を、自分の弟のように可愛がっていた。また惣次も、勝太を兄のように慕っていた。今も勝太の視線を受けて、少し照れたように笑みを浮かべている。

「もっと稽古をして、きっと先生のお役に立ちますよ」

 それを聞いて、勝太は苦笑いで答えた。

「今だって強いのに、これ以上強くなられるのは痛し痒しだな。そのうち真剣に立ち合っても負かされそうだ」

「見ててください。僕が理心流五代目を継いで見せますから」

「おいおい。まだ四代目にもなっていないのに、おれを隠居させる気か」

「あとは若い者に任せてくださいよ」

「言ったな、こいつ」

 勝太は惣次郎の軽口に、のんびりと笑窪を両頬に浮かばせて応じた。

「へぇ。もう隠居かよ、勝ちゃん」

 おどけた声を割り込ませたのは、いつの間にか戻ってきていた歳三だった。

「おまえまでおれをじじい扱いか」くそうと冗談まじりにひとりごち、「いやだから。勝太はやめるんだよ。歳」と気付いて釘をさす。

「あ、そうか。いさみ先生、だったな。……まだ馴染まねぇなあ。」

 歳三は人差し指で額を掻いた。

「まあな。おれもなんだけどな」

 相も変わらず人の良い笑みを浮かべて、勝太改め勇は笑った。


       ***


 センター試験当日。当然のことながらおれは休みである。そこで、午後からバイトを入れていたのだが、圭司からチャットアプリで呼び出しがかかった。

『おまえ午後からバイト? ってことは朝は暇だな?』

  久しぶりにちょっと朝寝坊でもして、起きられたら図書館で調べたいこともあるし、と答えたら、

『つまり暇だな?』

 と言われてしまった。いやあの、人の話聞いてますかー?

『そんなに暇ならおれたちのセンター試験を見送りに来い。万歳三唱で合格してくるように送り出せ。それが戦線離脱したおまえのせめてもの罪滅ぼしだ!』

 だそうだ。戦線離脱じゃなくて、一足先に凱旋したのでは、と思ったが、そんなおれの言葉は気にも留めてもらえなかった。まあ、おれの見送りがないと心細くて仕方ないと頭下げてくるなら考えてやらんでもないぞとか言いつつ、それなりに自分だけ自由の身であることが申し訳ない気分もあったわけで。しゃあねえなあときちんと久しぶりに早起きをし、指定された時刻の電車に先頭車両に乗り込んだ。

「おはようっす」

「うっす」

  圭司と祥太が反対側の出入り口の扉のところに立っていた。手には勿論参考書や単語帳。

「いやはや、無駄な努力ご苦労様です」

 おれが近づいて行って満面の笑みで投げかけてやったら、両側から膝蹴りが飛んできた。

「いってーな」

「うるさい。天誅じゃ」

 参考書を両手で開いたまま圭司が言い捨てる。絶対集中して読んでなんてないのは丸分かりなんだけど、それでも手になにか受験ぽいものを持っておかないと落ち着かない。そういう気持ちは勿論分かる。ちょっと前までおれだって受験生だったからな。喋ったり黙ったり、本に目を落としたまま喋ったり。緊張しているのか、ふたり人のテンションが可笑しいのは手に取るように分かった。

「あーもー、江戸時代って何時代だっけ」

「おれの淡い青春時代じゃね」

「あー。つっこむ気力さえ無ぇよ」

「っつーかそもそもおまえのボケがなっとらん」

 おれがつっこむまでも無く、ふたりでぐだぐだとつまらんことを喋っている。困ったもんだ。

「おれの存在意義はあるのか?」

 ぼそっと言ってみたら、

「おまえの存在意義なんてどうでもいいんだ。おれらが苦しんでるときにおまえが惰眠を貪っていると思うと腸煮え繰り返るだけだ」

「そうそう。せめて早起きして寒い中交通費払って往復ぐらいの義理は果たしてもらわないと」

 とふたりそろってそんなことを言う。

「はいはい、そうですか」

 そんなことをやっている間に、いくつか駅を通過して将斗が乗ってきた。

「おまえある意味律儀だなあ」

 将斗がおれの顔を見て笑う。

 ぎゅうぎゅうに込み合った車内で、殆どの人はしんと静まり返っている。誰かヘッドホンから音漏れしているシャカシャカ言う音と、おれたちの喋り声だけが響いてる。勿論遠慮して小声で話しているつもりではいるのだが、如何せんテンションが高いのでどうしても上ずり気味になる。

「どこ触ってんだよ!」

「しょうがないだろ、混んでるんだから!」

 押されて祥太の尻に鞄を激突させたらしい圭司は、不本意そうに言い返した。

「きゃー痴漢。きゃー。助けてこの人痴漢ですよ!」

 きゃいきゃい揉めているふたりに、将斗が苦笑いで 「おまえら、落ち着け」 と窘める。おれはと言えば、こんな恥ずかしい奴らと連れだと思われることも果たさなければならない義理の中に含まれるのだろうか、などと考える。


 結局万歳三唱まではしなかったものの、きっちり試験会場である地元の大学の正門前まで送り届けてやった。早起きしたので時間がたっぷりあったので、のんびり自宅へ戻り、昼飯を食べてから出かけたバイトは、心に余裕があるせいかあっという間に時間が過ぎていく。 バックヤードのゴミ箱がいっぱいになったんで、おれは箱からたんまりゴミの入った袋を破らないように引っ張り出して、息を止めて空気を外へ追い出しながら袋の口を縛った。

「ゴミ出してきます」と声を投げたら、「お願いします」と条件反射的にばらばらと声が返って来た。

 横田鮎美が、「あたし新しい袋入れとくから」と近寄ってきて言ってくれた。

「いいよ。生ゴミだし汚ねえから」

 厨房の奴らが雑多に使っていて、気も遣わずにぽいぽい捨てる。袋が歪んでようがはずれてようがお構いなしだから、ゴミ箱の中はゴミ袋の中身に劣らず違わずすごい異臭を発してる。女の子には辛かろう。

「ううん。やっとくよ。ありがとね」

 横田は締麗にマニキュアを塗った細い指を顔の前でぶんぶんと振った。

「そっか? わり。よろしくな」

 おれは笑ってみせた。脇に溜めてあった、潰した段ボールも脇に抱えて、ドアを押し開けて勝手口を出た。

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