第三夜 出稽古

 将斗たちは授業のあともサテライトだの予備校だのと忙しい。おれはアルバイトが始まるのもまだ先なので、今日は暇である。

(ちょっと勉強してみようかな。思い立ったが吉日だ)

 そう思って、帰る前に図書室へ寄った。どれが良いのかも分からないから、取り敢えずパソコンで“新選組”で検索して、出てきたリストの上二冊を棚から引き抜いて借りてきた。小説と、史料集みたいなやつ、一冊ずつ。


 それにしても、一体なんだってあんな夢を見たんだろう。

 そう思ってはいたけど、でもこの時は別に、夢は夢だとしか思っていなかった。

 体育館にちょっと顔を出して、後輩に捕まって練習試合に出場させられる羽目になり。ブレザーを脱いでワイシャツになっただけの恰好にビブスを着せられて上履きで走り回らされた。こちとら体なまりまくってるというのに1時間付き合ったところで、

「広告の品が売り切れるからもう帰る」という我ながらすごい理由で(でも早く帰りたい方便で言ったのではなくて、全くの本気だ)切り上げてスーパーへ向かい、食

材を買ってからようやく帰宅した。

 簡単に飯を作って食い終わった頃には、思いの外久しぶりのバスケが堪えて睡魔に襲われた。眠い目を擦りつつ、早く読みたくて仕方なかったんで、早速借りてきた本を読み始めることにする。

「そう言えば大福があったんだっけ」

 鞄の底でなんとか形を保っていた豆大福を取り出し、ひとつ頬張る。確かに旨くて、柔らかく薄めで豆がたっぷり練りこまれた皮に、たっぷりの粒あんが包まれている。

 ひとつだけにしようと思ったのについついふたつ食べ、その後は貪るように読書を続けた。中程まで来た所でどうにも眠気が抑えられなくなって、晩飯の食器も片付けていないのだけれど諦めることにして、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。


       ■


 嶋﨑勝太しまざき かつたは、荷物を手に坂を降りた。師であり義父である近藤周助の代わりに、出稽古を任されている。

 これも義父ちちの自分への信頼の証と思えば、自然足取りも軽い。思わず頬が緩む。笑うと、両頬に笑窪が出来る。

 勝太が近藤家に養子に来たのは一年前。十六歳の時だ。天然理心流に入門したのは、更にその一年前の十一月のことである。


「御免」

 元気良く訪ねたのは、佐藤彦五郎の家だ。日野宿寄場名主の彼は、天然理心流に入門し、自宅に道場を開いている。今日はそこへの出稽古のために来たのだ。

「あら、いらっしゃい」

 いそいそと出迎えてくれたのは、彦五郎の妻の、のぶだった。

「どうぞ、あがってくださいな」

 のぶはいつものように、勝太を迎え入れてくれる。

「さあさ、座って。お茶でも飲みなさいな。豆大福もあるのよ」

 勝太の返事を聞かずに、さっさとお茶の支度を始める。勝太は笑いを堪えたが、見つかってしまった。

「なあに。なにが可笑しいの」

「いえ。御新造さんは相変わらず、気立てが良いなと思って」

「やあねえ、この子ったら」

 お茶を勝太の前に置いて、ついでに額を叩く真似事をする。勝太も笑いながら大袈裟に避ける真似をした。

「頂き物だけど、美味しいのよ」

 とんと目の前に豆大福を載せた小皿が置かれる。勝太が頭を下げたところへ、

「なんだよ姉さん、またこんなところで油売らせてるのか」

 と声が降って来た。庭を振り返ると、木刀を肩にのせて立っている少年がいる。

「あら、あんたも食べる? 豆大福」

 弟の言った台詞の内容には頓着せずに言う。

「お。旨そう」

 彼は勝太の皿から大福を指で摘み上げて口に放り込んだ。

「こら」

 すかさずのぶが手をはたいた。

「あいて。なにすんだよ」

 歳三はもごもごと大福を口に入れたままで文句を言った。

「何言ってんの。人様のものを食べるなんて、意地汚い」

 のぶは歳三をきっと睨むと、勝太の前に大福を二つ載せた皿を

持ってきた。

「どうぞ、先生」

 澄ました顔で、しなを作って言う。

「これはこれは。いただきます」

 勝太も合わせてかしこまって、皿を手に取った。

「なんだよー。おれにももう一つくれよ」

 勝太は手が伸ばされるより早く豆大福を取り、二個とも口に詰め込んでしまった。

「かっちゃん! せめて半分くれたっていいだろ。子供みたいなことしやがって」

 それを聞いて、のぶは飲んでいた茶を溢さんばかりに笑った。

 勝太はもちもちと噛み下して、悠々と茶をすする。不貞腐れて腕組みをしながら、こっちを軽く睨んでいる相手に笑いかけた。

「おまえにだけは言われたくないぞ、歳」

「なんだよ。ちぇ」

 のぶは大笑いをしながら大福をもう一つ持ってきた。

「私の分。あげるわ。まったく意地汚いったらありゃしない」

ぴしゃりと言われて、照れたように鼻の頭を掻きながら、それでも嬉しそうに歳三は皿に手を伸ばした。


       ***


 冬休みも二週間が過ぎた。おれはフリーターばりにシフトを詰め込んで働いた。

 おれの持ち場はホール業務だ。高校生がさせてもらえるようなのは、これくらいしかない。厨房とホールが選べたので、ホールを希望した。遅番でホールに入ったおれが最初にオーダーに呼ばれたテーブルにいたのは、奴らだった。

「よぅ。やってるなー」

 将斗と圭司と祥太、三人とも学校の制服だった。

「何、講習行ってたのか?」

「そう。今まで学校で講習で、これから予備校」

「もう来週には学校始まるし、その次の日曜はセンター試験だからな」

「あ、そっか」

 こいつら受験の追い込み組は、クリスマスも正月もないのだ。まぁ、そう言うおれだってバイト尽くめで、クリスマスも正月もなかったのだが。

「いいよな~。おれもバイトしたいよ。っていうか、合格通知欲しー」

 圭司は大袈裟にテーブルに突っ伏した。こういう話題になると、おれはちょっと後ろめたい気分になる。別になんの努力もしてないってわけじゃないけど、やっぱりこいつらに比べたら楽に受験を渡り終えている気がするからだ。

「はいはい。って言うか、おまえあそこの医大なんか一発で無理だって」

「おまえ縁起でもないこと言うなよー」

 ぽんぽんと頭を祥太に叩かれて、圭司はずれた眼鏡を中指で直しながら呻く。そんな二人に、向かいに座っている将斗が

「で、注文決まったのか?」と頬杖をついたまま苦笑いで声をかけた。「おれはサイコロステーキ、セットな」

「あいよ」

 将斗の注文から、ハンディターミナルに入力していく。入ったばかりの頃はどの商品がどの位置にあるかボタンを探すのに手間がかかってこいつらに笑われたもんだけど、結構打てるようになっていた。

 圭司と祥太も「じゃあおれは、」とか言いながらメニューをひっくり返して慌てて注文を決めだした。

「おれはジャンバラヤと、ドリンクとサラダバー付き」

「ハヤシライスで、オニオンスープつけて」

「サイコロステーキのセットと、ジャンバラヤドリンク・サラダバー付き、ハヤシライスにオニオンスープな。了解」

 一応オーダーを繰り返して、オーダーを厨房へ送信する。いつまでも遊んではいられないから、そこでおれは退散した。キッチンへ引っ込むと、まだ暇な時間帯だから、ホールのバイトがだらけて喋りこんでいた。

「徳永さぁ、それどこで染めたの?」

 同い年だというバイトの田代が訊いてきた。

「ああ、これ?」

 おれは自分の茶色い髪を摘んで応えた。ここの店が特に煩くなかったもので、学校に怒られない程度に微妙に染めてみたのだ。

「金無いし、自分で買ってきてやっただけだよ」

「へぇ。綺麗に色出てんじゃん。どこのやつ?」

 しばらく喋っている内に、入店を知らせるチャイムが鳴って田代が案内に出ていく。

 おれはまた、キッチンから将斗たちの席を見た。その時には既に参考書やなんかでテーブルは遠目から見てもかなり賑やかなことになっていた。

 将斗が受けるのは東京の大学なので、めでたく受かればあいつとは東京でも遊べる算段になる。圭司の方は札幌の医大。かなり頭は良いんだけど、どうなるだろう。祥太は大阪の大学だ。高二の頃から大阪へ行くって決めていて、夏休みも大学の下見行ったりして本気になっていたから、執念で合格しそうな気がする。やっぱ人間気合いでしょう。

 三十分くらいしてからまた様子を窺うと、既に食い物は食べ終わって、テーブルの上はドリンクバーとサラダバーのコップと、食い終わった皿が載っているばかりになっている。会話しながらだけど、目はお互い本に落としていてそれなりに集中してる雰囲気だ。

 なんだか、おれにとっては受験勉強が既に遠い過去になってる。早い内に親戚のおじさんに頼んで、部屋を見つけて貰える手はずになっているし。あとは卒業して引っ越すばかり。参考書なんて古本屋に売り払うか、後輩にあげてしまおうかと考えるくらいだ。

 あいつらを見てると、懐かしいような申し訳ないような、変な気持ちになる。

 おれは将斗たちのテーブルに皿を下げに行った。ついでに、何度も色んな種類の飲み物を入れて縁がべたべたになったコップを、新しいのに変えてやる。ホットドリンク用のカップも置いてやった。

「コーヒーでも飲んでけよ。眠気覚ましにさ」

「お、ありがと」

 将斗が顔をあげて笑う。男前じゃないけど、愛嬌のある顔立ちだから結構女にモテる奴なんだ。良い奴だし。卒業式には色々大変なんだろうな、こいつは。

「な、おまえ髪染めたんだな」祥太にも言われた。

「ああ、うん」

「いいなー。おれもそういうこと早くしてぇよ」

 自分でもまだ受験地獄から抜けられるのが何年か先かもと思っているせいか、圭司は悲観的な台詞が多い。

「茶髪の医者かよ。ヤブっぽいな」

 おれが混ぜっ返すと圭司が苦笑いで、かもなと言った。


 時間になったのか、それからしばらくしてあいつらは寒い中塾へと自転車で向かっていった。おれのバイトは十時前にはあがるけど、あいつらが帰るのは多分それより遅いと思う。家に帰ったって勉強は続くわけで。よくもつよなと思う。

 生活パターンが変わってしまって、あんまりあいつらと話す機会もなくなってきて(冬休みでおれはバイト、あいつらは学校に塾じゃ当たり前だ)結構つまらなかったりもする。それだけにバイトのシフトをかなり入れて、働いてばかりいるわけだ。

 今日は朝からフルに入ってたんで、もうくたくただ。将斗にメールを入れようと思ったけれど、部屋に帰って着替えてベッドに転がったら、スマホを握ったところから記憶がない。すっかり眠り込んでしまった。

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