第七夜 過渡期

 東京のお台場という地名は知っていた。有名な観光地として知っていたその名前が、史料本で出てきた時には驚いた。でも冷静に考えたら当たり前のことなのだ。歴史というのはそういうことだ。ずっと続いてきて、続いていくことだ。台場というのは、砲台を整備した場所のことだ。黒船に備えて造られた台場には、勇の義父も寄付金を出して協力をしたらしい。とても金が有り余っているわけではない食客の多い道場だが、この国を夷狄なんぞに渡してたまるか、という思いはみんな抱いていた。外国人どもが軍事力を傘に着て、徳川家のお膝元に乗り込んで脅そうとは言語道断だ。金を集めて作られた台場には、大砲が備えられた。

 若者たちは、寄ると触るとこの国の未来を論じ合った。試衛館の面々も例外ではない。稽古そっちのけで論じ合うことも、飯屋に河岸を変えて議論を続けることも屡だった。

「あいつらが来てからろくなことがないんだ」

 既にすっかり酔っばらっている調子で、永倉が熱弁を揮う。

「ころりで人は死ぬし、強盗は増えるし、このままじゃおれたちはやられちまうぞ」

 何に、どうやられるのかという具体的なことは示さずに、原田も不安を綴る。

「だから若先生が剣術の指導に出向いていらっしゃるのではないか」

 横から子どもに説き伏せるような柔らかい口調で山南が口を出した。

「自分の身は自分で守る。だろ?」

 開国することによって、多摩地域は活性化した。生糸の輸出に伴って、商いに成功する人が出て、俄成金が増えた。反面、それを狙っての強盗も増えて治安は悪化した。生糸の値が上がり、国内の需要にも問題が出た。海外から入ってきたコレラも流行した。

 情勢が変わっていく中で、実用的な防衛の力として、また心身鍛錬として武芸が持て囃されたというのは、なんとなくわかる。農民は仕事柄地元を離れにくいので、庄屋に道場として場所を貸してもらう。そこへ、頼まれて嶋崎勇などが出稽古へ行くようになった。他にも土方歳三や山南敬助が、剣術に不慣れな農民相手に丁寧に教えた。沖田惣次郎は教え方が乱暴で恐れられたと言う。

 当時の勇たちが住んでいた天然理心流試衛館道場は今の新宿区市ヶ谷あたりにあったと言われている。日野の辺りまで30キロメートル以上の道のりを、徒歩で往復移動していたというのがそもそも、現代人のおれには驚きしか無い。実を言えば市のイベントで40キロメートル程の距離を歩いたことがあるのだが、歩き終えた頃には足はがくがくだった。一度立ち止まるともう無理。足が棒になるというのはこういうことかと思ったものだ。勿論のこと、帰りはバスで帰った。あれをやって稽古をつけてまた歩いて帰るなんて、一体何日かけてやっていたのか知らないけれど流石としか言いようが無い。

 おれは今まで教科書で一行や一言で済まされていた出来事を学ぶことが楽しくなってきていた。そこには、おれたちと変わらない『人』がいて、生きていた。感情があって、迷いもあった。繋がっている。それが、少しずつ実感出来ていた。次から次へと、図書室から本を借りてきて読み漁った。それでは飽きたらず、近くの市立図書館にも通って家に居る時には殆どずっと本を読んでいた。

 将斗からメールで呼び出されたのは、そんなバイトを入れていなかった土曜日のことだった。おれは駅前まで出かけて行った。

『もうかなり限界! 今日は勉強しね-ぞ。付き合ってくれ』

 という内容だったので。あいつの気が済むまでとことん付き合ってやるつもりだった。

 人間、いつの間にか通る道って決まっているもんだと思う。意識してるしてないに関わらず。おれも下宿先からバイト先や学校、駅へ行く道、今は大体決まっている。通いだした頃はどの道がいいのか分からないから色々な道を通ってみたものだけど、慣れて来たら寒いからこのアーケードの中を通って、時間があったらこのコンビニで雑誌を立ち読みして、この病院の角を曲がって、と段々決まってきて、今ではすっかり毎度同じ道を歩いている。

 だけどそれが、最近変わってきた。いつも同じ道を歩いていたら、それを相手に覚えられて待ち伏せされることもあるらしい。新徴組の清河だって、用心していつも通る道を変えていても一カ所だけいつも通る地点があったばっかりにそこで待ち伏せされていたじゃないか。

 昨日とは違う道を敢えて通りながら待ち合わせ場所に着く。

「うっす」

 黒いダウンジャケットを着た将斗が、駅前のベンチに足を組んで座って待っていた。こいつ、今日は勉強しないとか言いながら、おれが来るまで読んでいたのは英単語の暗記帳だった。

「おいおい」

 おれが近寄りながら呆れてその単語集に視線を送ると、

「いや、なんか持ってないと不安でさ」

 と苦笑いをして本を閉じて、背負っていたボディバッグの中に放り込んだ。

「まあ別にどっちでもおれはいいんですけど。で? どうする?」

「ん~……」

「考えてないのかよ」

「うん。もうマジ限界で逃げたかっただけ」

 素直に認めて、ブラックジーンズの尻のポケットからちらしを取り出す。

「これさっきそこでもらったんだよ。割引クーポン。とりあえず腹ごしらえいかねえ?」

「あいよ」

 おれはコートのポケットに突っ込んでいた手を出してそのクーポンを貰い受けて、どのハンバーガーセットにするべきか考えながら店の方へふたりで歩き出した。


 結局、腹ごしらえをしてから向かったのは映画館だった。前売りも買ってない定価だし、給料日前でちょっと痛かったけど、映画は面白かった。将斗の好きなSF映画で、感動的なシーンもあって、エンディングテロップが流れ出してから将斗の方を振り向いたらしきりに目を拭っていた。おれはこいつの、こういうところ結構好きだ。普段は全然女々しいところなんかなくて頼れるやつなんだけど、こういう映画なんかだと素直に感動して涙ぐんだりする。その割には恥ずかしいみたいで一生懸命泣いていないふりをしようとするから、おれも気づいていないふりでスクリーンに視線を戻した。

 エンドロールが全部流れ終わって、客席の明かりがついた。将斗が鼻をぐずぐず言わせながらおれの顔を見て、

「行くか」

 と言った。

「おう」

 おれは答えて、横のあいていた席においてあったジャケットとバッグを取って渡してやった。

「サンキュ」

 真っ赤な目をしながら、でもいつも通りを装って将斗が受け取って身につけだす。おれはおれで自分のコートをとって羽織って、マフラーを首にかけて立ち上がった。

 案の定、出口で将斗はおれを待たせてパンフレットを買い込んでいた。将斗の気に入りそうな映画だと思ったから、おれは驚かない。

「おまえ親になんて言って出てきてんの」

「図書館で勉強」

 だからこそ、わざわざボディバッグまで背負ってきているのだ。因みにおれは手ぶらだ。

「図書館で勉強してるやつが、そんなもん持って帰るのってどうなのよ」

「鞄入るから平気」

 片膝をあげて支えにしながら、バッグにぎゅうぎゅうと押し込んでいる。A4判ならいざ知らず、B4判くらいのサイズのパンフレットはきちんとは入らない。

「将斗さん? 曲がってますけど?」

「背に腹は変えられん。こんなことでバレて親と揉めてる暇なんかねえもん」

 と冗談っぽく言って、無理矢理鞄に押し込んでしまった。

「次はどうされますか」

 おれが言うと、

「えーっとね。じゃあ、カラオケ」

 と返ってくる。その後晩飯を食って、本当ならオールで遊びたいんだろうけど。図書館って一体何時まで開いてるものだとおまえの親は思ってるんだろうな? まあ、おれは別にいいんだけどさ。将斗が付き合えって言うなら、付き合うまでだ。

 一時間だけカラオケへ行った後、駅前で解散した。

 将斗の背中を見送りながら、おれはなんとなく燻ったような気持ちを抱えていた。焦燥感と言うのだろうか。受験というイベントを前に必死で戦っている親友の気持ちに沿っているのか、何もしていない自分に焦っているのか、それとも夢に引き摺られているのかは、よくわからなかった。

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