第八夜 不安

 文久三年。勇たち試衛館の面々は二〇〇余名の浪士たちと共に、将軍の上洛に先駆けて京都へ向かった。

 昨年江戸幕府が、将軍徳川家茂いえもちの上洛に際して、将軍警護をする浪士を募集していた。国の為に、上様の為に、何かできないかと常日頃話し合っていた勇たちは、絶好の好機とばかりに応募したのだった。

 勇は上洛前に交わした便りで、訳あって単身京へ行っている斎藤はじめにも浪士組のことを話した。一からは、是非自分も参加したい、と熱心な返事が来た。京都に着いてから、一は勇たちと落ち合い、出身地は江戸ということにして、近藤一派として浪士組に潜り込んだ。

 しかし、浪士組の発案者である清河八郎は、実は将軍の為ではなく天皇の為に浪士たちを集めていたのだった。生麦事件の賠償問題で不穏な空気の漂う江戸を守るようにと、京に着いて早々の帰還命令が出る。

 勇らは、飽く迄も将軍警護の為に来たのだからと京都残留を主張。芹沢鴨ら同意見の者たちと共に会津藩へ提出した嘆願書が認められ、勇たちは会津藩の預かりとなった。その三日後には正式に会津藩の配下に組み入れられ、壬生浪士と名乗り出した。四月には会津藩夜間警備に配置され、仲間を見分けやすくするための合印として黒い合羽が支給された。彼らが新選組の名を貰うのは、まだ先の話である。


 今は情報化社会だから、素早く遠い国の情報もインターネットで割かし簡単に手にはいる。だから黒船が来て一体なんだ? ってことにはならないし、地震や彗星を見て天変地異で神様の罰が当ったんだ、という発想にもならない。それでも、暗いニュースを見る度この先どうなってしまうのだろう、と不安にはなる。

 これは勇たちの不安と、そんなに変わらないのではないだろうか。

 この世界がこの先どうなってしまうのか。なにか大きな事が起こるかもしれない。それはどんなことなのか、そのために自分はなにができるのか。不安と、前向きな考えとが交錯する。

 おれには、なにが出来るんだろう。

 一体なにを? 全然ぴんとこないんだけど。今は大学合格っていう目的も果たして燃え尽きちゃってるし。あとはバイトして、稼いで、楽しく高校生活を終えることくらいが当面の目標。それが悪いわけではないはずだ。近藤勇だって要はそういう、自分の身の丈に合った夢なのだろうけれど。なんだかおれの方が、負けている気がする。 それは、「この国の未来のためには」とみんなで集まって話をしないからだろうか? そんな単純な話ではないのだが、やはり負けている気がする。仮に学校でおれが真剣に「この国はどうなるんだろう」なんてて話し出したら、きっと変な奴だと思われるだろう。「なにマジになってんの、かっこわりー」みたいな。そういう雰囲気が、駄目っぽい気がする。

 うまく言えないけれど。


       ■


 柄元壮治郎が入隊した頃は、既に壬生浪士隊は新選組の名を名乗ることが許されていた。八月十八日の政変のあと、正式に市中見回りの任についた頃だ。新選組の名も轟きつつあり、段だら染めの隊服は京の町中で見られるようになった。

 壮治郎は、幕府を掌を返したように裏切ろうとする輩が許せず、公武合体による攘夷を説く局長近藤勇の話に興味を抱いていた折、新選組に欠員が出たと聞き急ぎ入隊を申し込んだところ、武芸を嗜んでいたことが功を奏したか仮入隊を認められた。

 数日後の夜。屯所で寝ていた壮治郎たちの元へ、真剣を手にした数人が乗り込んできた。

 闇夜に煌めく白刃に、壮治郎は咄嗟に己の刀を取り立ち会った。一緒に入隊した者達には、気付かず寝ている者もあれば一目散に逃げてそのまま戻ってこない者も多くあった。

「あなたは合格ですね。柄元さん」

 敵のひとりに声をかけられてよくよく顔を見ると、それは沖田だった。

 新選組は来る物は拒まず、剣の心得があれば募集しているときならば余程でなければ仮隊士として入隊を認められた。が、給金目当ての者も多く紛れ込んでいたため、こうしてこっそりと仮隊士の試験が行われていたのだ。芝居とは言え、真剣を持って躍り込んでくるなど正気の沙汰ではない。況して仮隊士が自分のように立ち合えば斬り合いになる。流石新選組と、壮治郎は肝を冷やした。

 この日合格したのは、壮治郎を含めてたったふたりであった。


「やっ」

 沖田の素早い掛け声が響く。得意の突きは動きが早くてうっかりしていると全く見えないほどだ。可哀想に相手の隊士は避けきれずに喉に食らってしまい、正気は保っていたものの喉を抑えてげほげほと咳込みながらうずくまってしまった。取り落とした木刀がばたんと音を立てて転がる。

「………」

 見ていた隊士たちは、声にならない悲鳴をあげた。いつもは冗談ばかり言って人一倍明るく親切な沖田も、剣となれば話は別。笑顔でも刀捌きは鋭く、教え方も荒かった。勿論、ここはただの剣術道場ではない。弱さは死を招く。甘いことを言ってはいられないのも事実ではあるのだが、しかし。

「大丈夫か? 河合」

 見かねて他の隊士が木刀を拾い上げ、傍へ寄る。沖田の突きを喰らっては、しばらく喋ることもできない。河合は身振り手振りで謝って、肩を借りながら外へ出て行った。恐らく水でも飲みに行ったのだろう。あの状況で飲み下せるかは疑問が残るが。

「あれでは今夜の飯は喉を通らないかもな」

 呟いたのは山南やまなみだった。壮治郎と目が合うと、誤魔化すように笑った。

「河合君は剣術が得意ではないのだし、もう少し手加減してあげたらいいのに」

 と言う。あからさまに同意もできないが、河合が気の毒とは思っていたので無言でにっと笑って見せた。正に、明日は我が身というやつだ。このまま黙っていても仕方ないので、当り障りのないことを、と口に出す。

「何度見ても沖田さんの突きは凄まじいですね」

「そうですねぇ」

「山南先生の突きは、沖田先生とはまた違いますよね」

「ええ、そうですね」

 そう言って木刀を構えた。

「私のやり方は、まず右篭手を狙います」

 と刀を傾ける。反射的に自分も木刀を構えて、打たれた篭手を払おうとした。そうして右に刀を向けて空いた左篭手に、素早く刀がくる。すぐに応じて左へ刀を戻すが、そこへ面が降って来た。

 カンと音がして、危ういところで刀を受けた。山南は何時の間にか真剣になっていた表情を破顔させ、

「こうして、相手が防御しようとした隙を突くこともできます」

「なるほど」

 己の木刀を引き寄せて、指で触れた。

「普通は突きと言えば、刀の刃は上か下に向けますよね」

「そうそう。脆いから、すぐに折れちゃいますからね」

 会話に割って入ったのは、張本人の沖田だった。

「だから実戦では、こうやって」

 すっと壮治郎の首に向かって、木刀を平にして構えた。

「内側に刃がくるようにして首を狙って突くんです」

 やっと声をあげて、軽く突く真似をした。慌てて身を引いて木刀を構える。

「こうすれば、切っ先で突いて刀が折れてしまうことも避けられるし、相手の急所を切り裂けるでしょ」

 と言って笑った。


 剣術の稽古の後、

「沖田さん」

 隊士の一人に声をかけられ、沖田は振り向いた。

「今晩また、飲みに行きませんか?」

「ええ。いいですよ。行きましょうか。柄本さんもどうです?」

「え、いえ……」

 壮治郎が口ごもると、沖田は

「また後で声をかけますよ」

 と屈託ない笑顔で言い、手ぬぐいで汗を拭きながら立ち去っていった。そこへ脇から、三鷹が口を出してくる。

「思案することはない。行ってくればいいさ。きっと沖田さんの奢りだよ」

「奢り?」

 さっき床に擦った肘の痛みを思い出してさすりながら、反問した。

「沖田さんはひらのおれたちより給金がいいからな。誘われると絶対断らないのさ。そればかりか、多めに金を払ってくれたり、良い時は全部出してくれたりするんだ」

「へぇ」

 壮治郎は沖田の背中をなんとなく見返りながら、少し意外な思いを抱いていた。確かに近藤や土方に比べ、平隊士と親しくしているような雰囲気はあったが。郷里の姉に金を送っているという話も聞くのに、隊士にまで気を回しているのか。

 新選組の隊士にとって、市中見回りは命がけだった。憂さ晴らしに酒と女は欠かせないものとなっていたが、そんなことにまで付き合いがいいとはお人好しだ。

 さっき自分の首に木剣を突きつけた沖田の目を思い出すと、同じ人物とは思えない壮治郎であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る