第九夜 池田屋

「っ」

 壮治郎は痛みで目を覚ました。

 先だっての剣術の稽古で、刃引きをした真剣で利き腕をかすった。その傷が膿んでしまってまだ治らない。しかし彼は立って部屋を出た。寝ている気分ではなかったからだ。

 この日の屯所は、外に漏らさないよう注意を払いながらも内情は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。

 京の町は祇園祭の宵宮。

 だがそんな華やいだ雰囲気とは裏腹に、隊内はぴりぴりしている。古高がひっとらえられてきたのだ。

 過日、木津町で火事があった。新選組は捕縛した不審者を拷問にかけた末、禁門の政変により京を追放された長州系浪士が京都に潜伏するという情報を得た。それを聞いて新選組が黙って呑気に構えているはずもなく探索方はそれから、より必死に動向を探り続けた。その結果、西木屋町の割木屋、桝屋喜右衛門の所へ尊攘派の志士らしき者たちがしきりと出入りしていることが突き止められた。以前から、商売熱心ではなく方々に出かけているのに家作が広く、時には帯刀しているという不審な行動をとる桝屋は、前から疑っていた相手であった。こうなれば迷う新選組ではない。早朝隊士二十余名で桝屋へ乗り込んだ。

 京の町人は尊攘派贔屓の者もあり、中には志士たちを匿う家もあった。そのような家には忍者屋敷のように隠れ場所や隠し通路が造られており、要事にはそれを使って志士を逃した。桝屋も例外ではなく、裏表から一気に攻め込んだ新選組を抜け道からすり抜けて逃走してしまった。唯一、脱走の前に書類を処分しようと火に投じていて逃げ遅れた主人、喜右衛門だけが捕縛された。家捜しでは大量の武器も見つかり、喜右衛門が燃やし損ねた書類は志士たちの手によるものも多く発見された。割木屋の主人は問答無用で屯所まで連れてこられたのだ。

 土蔵の二階に押し込められた喜右衛門は、局長の近藤に対してやっと自分の名前が古高俊太郎であり、同志が四十名ほど京の町にいると告げただけで、それ以上は頑として口を割らなかった。だが古高と言えば近江出身の尊攘派の名の知れた武士。

 壮治郎は腕を痛めていたので呼ばれなかったが、古高への拷問はそれは凄まじいものだったらしい。何しろこちらには押収した書類がある。それを元に副長の土方が自ら責め立てるが、覚悟を決めた古高はどんな酷い目に遭わされても決して何も言おうとはしない。

 土方は苛々と竹刀を床に叩きつけた。

「五寸釘を持って来い」

「それでなにをする気だ」

「当たり前だろう。こいつの足に打ち付けてやるのさ」

 逆さに吊り下げられ、足に打ち付けた釘に蝋燭を立てて火を点けるという拷問には、さしもの古高も耐えられなかった。遂に古高から引き出しだ情報は、予想以上の大それたものだった。なんと御所に火を点け、中川宮と会津侯が参内するところを襲撃。その混乱に乗じて帝を連れ出そうというのだ。

 局長は京都守護職へ次第を報告し、隊士を呼び集めた。事は急を要する。古高が捕まったことはすぐに尊攘派の者にも知れ渡る。そうすれば計画を早めようと考えるやもしれない。こちらもぼやぼやしてはいられないのだ。

 報告を受けた守護職は、桝屋から出てきた者が会津藩の印をつけた提灯を持っていたという事実を合わせ聞いた。御所への焼き討ちが会津藩の仕業であるよう見せかけようとしているのではあるまいか。そうなれば公武合体は露と消えてしまうだろう。

 翌日、会津や彦根などの藩兵と京都町奉行所東西組 与力・同心らが京都守護職と京都所司代からの指示で要所を固めることとなった。新選組は会津藩兵と共に行動をすることとなっていた。

 隊士たちには慣れない京の暑さで病にやられ寝込んでいる者もおり、動ける隊士は三十四名。この僅かな隊士を連れて長州浪人と戦わなければならない。しかし彼らが集まり今後の相談をするであろう場所は、はっきりとは掴めていなかった。浮浪の潜伏場所ではないかと探索方が掴んできた場所だけで二十箇所余り。近藤勇は隊を分けて虱潰しに京の町を探すこととした。

 壮治郎が出てみると、隊士たちは支度を整えていざ出陣、というところだった。

「どうした、柄元」

 初めに壮治郎と目を合わせ、声をかけてきたのは近藤だった。

「会津の兵は、待たないのですか?」

 土方が鼻で笑うように答えた。

「まだ出る様子がねぇんだ。もたもたしていたらこっちが危ねぇよ」

「しかし」

 これだけの人数で大丈夫なのか? 二十箇所も探索している内に、それこそ返り討ちにあうのではないだろうか。

「なんならおまえも来るか?」

 原田さんが土方の傍らからいい、張りつめていた空気が苦笑いで少し弛む。

「柄元さんは屯所で待っていて下さい。ここを空にするわけにもいかないし」

 沖田が言い、壮治郎はこんな時に怪我で十分に刀を振るえない自分を面目なく感じた。そんな彼に、土方が

「おまえはおれの自慢の薬でも飲んで寝ていろ」

 と笑いながら言ってくる。

「はっ」

 軽く頭を下げると、近藤が皆に声を掛けた。

「ではそろそろ出るぞ」

 よく響く局長の声に、一同は身の引き締まる思いで応えた。


一体なんだってこんな大切な日に、自分は怪我などして動けずにいるのか。壮治郎は我が身が恨めしくてならなかった。溜息をつきながら部屋へ戻ろうとすると、山南と目が合った。総長である山南は、留守居役を任されていた。もし今この隙を狙われれば、屯所は怪我人と病人ばかり。さしもの新選組もひとたまりも無いだろう。

 そんな大役への緊張なのか、山南は強張らせた顔を歪めていた。


       ***


 右手首が痛い。腱鞘炎みたいなものだろうか。ホール仲間の横田が、左肘が炎症を起こして痛めたことがあるとか言ってた。トレイに何品も料理載せたりして運ぶからだろう。

「病院行った方がいいよ。甘く見ちゃ駄目だよ。放っておくと腱鞘炎って範囲が広がったりするんだから」

 と彼女は忠告してくれた。

 甘く見ているつもりはなかったけど、おれは大の病院嫌いだし第一金もない。このへんでどこの病院がいいのかもよく分からないし、取り敢えず薬局で湿布とテーピングを買ってきた。

 このへんの発想が体育会系というか。つばつけときゃ治る、みたいな。自分に金使うのがもったいないんだよな。

 体育会系ってのは、おれは中高サッカー部にいたんだ。とか言っても進学校なうちの学校じゃ受験の方が大事、という風潮が強かったから、高校3年の最初のうちで引退してるし大してサッカーが強い学校でもなかったわけだけど。

 それは置いておいて、そんなわけでテーピングはしたことがあった。けどそれは飽く迄足の話で、手は怪我したことがなかったから。キーパーじゃなくてディフェンダーだったし。手にテーピングなんてするのは初めてだった。

 まぁ利き腕にでもテーピングくらいは簡単にできるだろうと思っていたら、ところがどっこいそうはいかない。何ができないって、意外にもテープを鋏で切ることができなかったのだ。右利き用の鋏だってのもあるのかもしれないけど、左手ではうまく持てない。持てないから上手く切れる角度に刃先を傾けることができなくて、いくらやってもテープを刃先で挟むだけで切ることができなかった。

「マジかよ」

 思わずひとりでぼやいたけど、切れないものは切れない。途中で、長さだけ手にあてて測ってから持ち替えて右手で鋏を持ってきればいい、ということに気づくまで、おれは結構な時間四苦八苦していた。

 利き手じゃないというだけで、結構難しくなるもんだ。

 わからないなりに一応固定はできたけど、見た目はぐずぐずで恰好の悪いテーピングだった。

 おれはそこで思い出した。

 沖田さんが新人の隊士に言っていた。刃先の角度が大事なのだと。切る相手にこの角度で入らなければ、刃先がささるだけで切れはしない。下手をすればこちらの刀が刃こぼれをしたり折れてしまう、と。

 夢の中のオレは、沖田さんに言われるまでもなく普通に刀を振るっていたけど。

 このおれには、その角度がどんなもんなんだかさっぱり分かっていない。でも、この鋏の角度がそれと似た話なのかもしれない。

 右手では普通に分かっていて、分かりすぎているからなんの疑問もなく切れる角度を分かって、鋏を傾けて切っていたけど、左手では全然分からなかった。これがそういう“刃先の角度”ってことなのかもしれない。

 そこまで考えて、ふと思いついた。

おれのこの手が痛いのは、本当にバイトのせいなんだろうか? 慣れないこと、ならアルバイト以外にもやっている。勿論、夢の中でだけど。

 何の気なしに、夢の中のオレを思いながら刀を構える真似をしてみた。途端に手首にずきんときた。

「いてっ」

 何やってんだかな、おれは。

 我に返って、まだ緩いのかもなと、フィギュアエイトっていう八の字型にぐるぐる巻いて固定する仕上げのテーピングをもう何周か上から追加して巻いてみた。効くと評判の土方さんの薬、おれも飲んでみたいななんて思いながら。それにしてもあの人が薬売りしていたなんて想像できないけど、おれには。


 最近気付いたんだけど、夢で見ていないのか夢をおれが覚えていないのか、どっちなのかは分からないけど、夢と夢の間に壮治郎に起きたこともおれはいつの間にか知っている。この前池田屋騒動の直前壮治郎がみんなを見送りに出た後、みんなが屯所に帰ってきた時のことも覚えているのだ。

 結局、全面に出て長州浪人を捉えてはのちのち問題だと考えた会津は、池田屋を取り囲むだけに終わった。多勢に無勢であったにも関わらず、近藤さんの率いていた隊は見事に池田屋を制圧することに成功した。相手が酔って討論に集中していたこともあるけど、そこはやっぱり近藤先生や沖田さんを初め、隊士のみんなの実力が凄かったんだと思う。相手だって何せ長州の実力者だったんだから。

 人数の少なかった初めは兎に角相手を斬るよう指示していたけど、残りのメンバーが敵は池田屋だと伝令役から聞いて駆けつけてからは、形勢逆転と見るや捕まえろ、と命令を切り替えたというから、流石は近藤先生だと思う。

 怪我人を出しながらも味方の倍はいた敵相手に善戦して揚々と戻ってきたみんなは、近藤先生の好きな赤穂浪士のように勇ましく見えた。

 沖田さんまでぐったりして戻ってきたときには肝を冷やしたけど、戦いで負傷したわけではなかったようだ。暑さにやられたらしい。

 テレビや小説で見ているだけではその怖さは全然分からなかったけど、今のおれには段々わかってきていた。京都なんて実は修学旅行で行っただけでぼんやりとしか覚えてないけれど、夢の中のオレは京の町を毎日のように仕事やプライベートで歩いている。京都はちょっと裏に入れば狭い道が入り組んでいて、死角だらけだった。そんな道を、敵を見つけたからと言って簡単に追いつけはしない。相手の方が地理に詳しければいくらでも目を眩ませて逃げおおせてしまうし、下手をすれば裏をかかれて突然後ろから襲撃されるかもしれない。そうなっても道が行き止まりになっていればもう逃げ道はない。袋の鼠なわけだ。

 市中見回りには、死番というのがあった。先頭を歩く担当が持ち回りで決まっていたのだ。先頭を歩けば突然気付いていなかった角から長州浪人に斬りつけられたりして死ぬ確率が高い、危険な任務だ。それだけに平等にその任務が行くように当番制だったわけだ。オレも死番を何度かやった。死番の日は本当に、死と隣り合わせだと思った。いつもより感覚を研ぎ澄ませて歩いた。見回りに行く前に見上げる空は、いつも「これで見納めかもしれない」と思った。

 そんな京の町で、況して長州側に味方もいる状態で、潜伏している浮浪がどこにいるか、いつ向かってくるかも分からない中で、彼らが武器を手にいつ暴挙に出るかもしれないと思いながらその溜まり場を探す作業はさぞかし辛かったろうと思う。気は焦るが、浮き足だっては本末転倒だし、早く確実に見つけて相手をたたき伏せなくちゃならない。

 もしオレが池田屋のとき、刀を握れる状態だったら、オレは誰の隊に配属されてただろう? もし近藤先生の隊だったら、オレは生き残れただろうか?

 早く手を治さなくちゃ。

 おれはテーピングで固めた手を見て思った。

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