第廿三夜 護衛

 三月下旬、土方副長と伊東先生、斎藤先生が江戸へ向けて出発した。第二次長州征伐があると言うので、それに備えて隊士を募集する為だ。

 四月七日、元号が元治から慶応に変わる。禁門の変や色々な嫌な出来事があったからだ。

 近藤先生たちが大坂にも隊士募集に出掛けて、屯所は落ち着かない雰囲気だった。五月の初めにやっと土方先生たちが帰って来で、一気に隊士が五十人強も増えた。そこで編成も改めることになり、五人の平隊士を伍長が束ね、その二隊を組長が束ねることになった。おれは一番組の伍長になった。

 大坂での尊攘運動家の儒者、藤井藍田の捕物、京都松ヶ崎で長州人捕縛、坂や近江路などでび膳所(ぜぜ)藩尊王派の川瀬太宰、阿閉権之丞(あべ ごんのじょう)、増田仁右衛門。水戸藩の鯉沼伊織、大洲藩の巣内式部(すのうちしきぶ)らの捕縛などが続く。

 京橋両詰に検問所を設置することになり、北詰は新選組の受持になった。市中見廻りもより警戒が強められ、東は西洞院、西は千本通り、南は九条通り、北は五条通りまでを担当することになった。

 先に捕縛された川瀬太宰は、膳所藩の家老、戸田護左衛門の息子である。五月中旬に江戸を出発した将軍は陸路を京へ向かっているので、膳所城にも立ち寄る予定だった。その日に爆弾を仕掛けて暗殺しようという企みだった。川瀬の同士十一人も捕らえられたが、念のため将軍の進路は、膳所を通らず大津に泊まるよう変更されている。

 捕縛した浪士たちを新選組で預り取調べをすることもあり、毎日が緊張の連続だった。だがなんとか何事も大きな問題はなく、閏五月二十二日。将軍家一行が京へ到着した。

 おれたちは将軍を三条蹴上まで出迎え、二条城入城までの警護を務めた。

「おれがお殿様の警護に駆り出されるやなんて信じられへん」

 大力は始終そう言って興奮気味だった。

 家茂公を出迎えた容保公は一緒に帝の所へ言って、明け方まで滞在した後家茂公に付き従って二条城へ戻った。

 翌日、容保公と、桑名少将こと京都所司代を務める容保の弟定敬さだあきと慶喜が老中らと会い、長門と周防をどうするかという話合いに入る。藩主毛利父子に切腹させて所領も取り上げるべきという意見に、それはやり過ぎだと反論したのが容保公だ。肥後や土佐、久留米などでは長州に同情しているところもあって、できるだけ穏便にという意見なのだ。それを押し切って厳罰に処し、それが引き金となって諸藩が長州に味方し蜂起してしまっては、今の幕府の兵力でそれを抑えきれないのではという考えだった。

 二百年以上も平和が続いてきた状態で、実戦経験がある人間の方が少ない。それに、長州内部でもいくつもの隊が結成されていて、藩政も鎮派と激派で争っていて方針が決まっていない状態なのだ。

 実は幕府の老中たちは、容保公のことを帝に心酔する余り朝廷だけが大事で、幕府のことはどうでも良いと思っているのではないか、と疑っていたのだが、この辺りでその疑いはすっかりなくなって容保公に色々と相談するようになったのだが、その辺りの詳細までは少なくともこの時点でのオレたちの預かり知らないところだ。

 更に次の日の家茂公一行が二条城から大坂城へ向かう道中の警護も、途中まで新選組が任された。

 伏見で一泊した後任務を終えて屯所に帰って来た夜、おれは眠りが浅くて起きてしまい、序に用を足してこようと起き上がった。そこで、大力の布団が空なことに気がついた。あいつも用足しかと思ったが、かわやにはいなかった。夜中とは言えもう肌寒さはなく、春というよりは夏の陽気が感じられる温度になってきた。

 なんとはなしにこっちの方かと歩いてみて、階段のところに腰掛けている人影を見つけて、おれは声をかける。

「りき。眠れないのか」

 大力は目を丸くして応えた。

「あれ。どうしはったんです」

「ちょっと厠にな。そしたら、おまえの姿が見えなかったもんだから」

「探してくれたはったんですか。えらいすんません」

「いや。ちょっといいか」

「はい」

 おれは大力の隣に座って、言ってみた。

「おれたちが大樹公の警備だなんてな。藤ノ森までお送りできて、嬉しかったな」

「そりゃあもう。ほんまに。ほんまに夢のようですわ」

 緊張と興奮で酔ったようになっている大力が、中々寝付けない気持ちも分かる。少し前まで夢物語や噂話の登場人物でしかなかった将軍の警備を任され、護衛をしたり町中を見まわったりしているのだ。とても考えれないことだ。顔も見られなければ声も聞くこともないとは言え、末端でも関われるということに感激する。

 ふっと息をついて、呟くように大力が言う。

「これで、はよう長門と周防とのことが決まったらええんやけど」

「そうだな」

 決まるというか、なんというか。おれとしては、複雑にならざるを得ない。今頃薩摩はきっと……。

「せや。柄元さん」

 大力があっと声をあげるので、おれの思考が吹っ飛ぶ。

「そう言えば、ご一行の幕府のご典医に、近藤局長のお知り合いがいたはるとか」

「あぁ、耳が早いな。そうだ。松本良順先生だよ」

「御殿医とお知り合いやなんて、流石近藤先生や」

 うきうきと嬉しそうに言うのが面白くて、おれも思わず笑ってしまった。

「知り合いというか、元はと言えば先生が押しかけたんだよ」

「押しかけた」

 後ろに両手をついて体重を移しながら、おれは続ける。

「去年の十月の話だよ。江戸へ近藤先生たちが隊士の募集に行った時があったろう。あの時近藤先生が、松本先生の家を訪ねたんだそうだよ」

「へぇ。なんでまた」

「近藤先生は、日本国内のことは勿論だが、今最も注意しなければならないのは異国のことだと考えておられたんだ。松本先生は、長崎で和蘭陀海軍軍医から蘭学と医術を学ばれた優秀な蘭医だ。異国のことにも通じておられる。医学所頭取も務められ、法眼に叙せられた立派なお医者様だ。それで、異国の話を教えて欲しいと頼みに行ったそうだよ」

松本先生の家族は、これは売国奴と切り捨てられるに違いないと怯えたらしいが、松本先生が家にあげてしまったのだ。

「近藤先生が自ら頭を下げてですか。それで、松本先生は教えてくれはったんですか」

「懇切丁寧に教えてくれたそうだよ。おふたりはそれからの知己なんだ。前々から京での再会を約していたそうだが、遂にそれが此度叶ったという訳さ」

「局長も局長なら、法眼も法眼や」

「全くだ」

 おれたちはぷっと吹き出して笑ってしまう。池田屋での騒動は江戸にも伝わっており、新選組の名は知れている。それに尊皇攘夷として、過激派によるイギリス公使館の焼き討ちや異人斬りなどの事件が江戸近辺でも多発していた。異国について学がある者をも恨みの対象になり、金品を強奪されたり、時には斬りつけられたりすることすらあった世情だ。そんな最中で正面切って誰の仲介も無く自分で新選組の局長ですと名乗って行く近藤先生も近藤先生。思い切りの良さと謙虚に教えを請う姿勢がなんとも局長らしい。そしてそれを、家族や周囲の人が震え上がって止めるのにも拘らず、正々堂々受けて立ってしまうところが松本先生の人柄を物語っている。二人が意気投合してしまうというのもなんとなく分かる話だ。

 尊皇攘夷志士と相対したおれたち新選組は佐幕派と扱われることが多いが、実のところそういう訳でもない。尊王で攘夷なのは同じで、だからこそ尊攘派の取り締まりが主な仕事になっていることに苦痛を感じて近藤先生自らが新選組解散を言い出したこともあるくらいだ。この時松本先生に質問したのも、「幕府の医者なのに異国の技術を奉ずるのはどういうことか、開国と攘夷についてどう考えるか」という内容だった。

 ポンペから直々に医術を習った松本先生は、如何に異国の技術が優れているかを説明し、近藤先生も攘夷の非現実さを悟るのだ。

「それにしても、詳しゅう知ってはりますね、柄元さん」

 おれは思い出し笑いをかみ殺しつつ言う。

「昨日おれ、他行に行っただろう」

「はい。近藤先生のお供で」

「先生、法眼に会いに行かれたんだよ。それでちょっと話を聞いてね」

「そうでしたか。えぇなぁ、柄元さん。おれも松本法眼に会ってみたいわ」

「その内叶うかもしれんぞ」

「なんでですの」

「それはまだ内緒だ。ほら、いいからもう寝るぞ。眠れなくても、横になって体を少しでも休めないと、明日の隊務に触りが出る 」

 おれは殺生なーと騒ぐ大力を追い立てて部屋に戻った。

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