第十七夜 孤恋

「あのさ、横田って、高校卒業した後どうする人?」

 おれが話しかけると、彼女は屈託無く答えた。

「私は推薦入試組でもう決まってて、東京の大学に行くよ」

「えっ。そうなんだ」

「えってなぁに?」

 小首を傾げて訊いてくる。小柄でおれの肩に満たない身長だ。今日も綺麗にヌードカラーに爪を塗っている。

 シフトが同じでたまたま外で会ったので、成り行きで駅まで一緒に帰っているところだ。

「おれも推薦なんだよね。で、東京の大学」

「そうなんだ!」

 驚きに、少し嬉しそうな響きが混じっていると思うのは、おれの自信過剰なんだろうか。

「えっと、あのさ、横田」

「なに?」

 おれの言葉の雰囲気を感じ取ったのか、さっと真顔になった。

「変なこと訊くけど」駅に向かって歩きながら、おれは言う。「バレンタインにチョコレートもらったじゃない」

「……うん」

「あれって、義理、かな」

「えっと……」彼女の頬がさっと真っ赤に染まった。意を決した様に言う。「言いそびれちゃったから、そのままになってしまってごめんね。徳永君のこと前からいい人だなって思ってて。こないだは聡ちゃんに影響されたっていうか対抗心っていうか、それで勢いで渡しちゃったんだけど」

 髪を止めている髪飾りについているビーズが。街灯の光できらきら反射している。

「好きです」

 予想外にストレートにきたので、おれは戸惑う。

「あのな。横田の気持ちはすごく嬉しい。おまえのことすごくいいやつだって思ってる。でも、そういう風に見ることはできない」喉がからからに貼りつくような気がする。「ごめん」

 今のおれには、若かりし頃の沖田さんの気持ちがすごくよく分かる。本当に相手の気持ちは嬉しいし、いい人だと心底思ってる。でも付き合うっていうのとは違う。今はそういう気持ちになれない。ありがたいからこそ真摯に対応したいと思った。

 横田は、大分間があってから笑顔で頷いた。

「ありがとう。真剣に答えてくれて。わかった」

 駅について、おれたちは立ち止まる。横田の対応は、非常に大人だったと思う。冷静というか。

「じゃ、明日も遅番で一緒だからよろしくです」と言って右手を差し出してきた。「握手」

 和解というか今までどおりいこうみたいな、最初で最後のふれいあみたいな、そういうことなのかなと思った。おれははめていた手袋を外して、横田の手を握った。

「ありがとな」

 言うと、ちょっと彼女の顔が歪んだ気がしたが、すぐにふわりと笑った。

「こちらこそ。また明日」

 ぱっと離した手をばいばいと小さく振って、横田はバス停へ歩いて行った。おれはそれを見送る。

 ここで自殺未遂なんて起こされた沖田さんも、起こした女の人も、とても気の毒だし、どれだけ傷ついただろうと改めて思う。それから、よくそれを乗り越えて新しい恋が出来るなとも思う。女が怖いなんて思うようになってからそこに到るまでに、どれだけの葛藤があったろう。

 そんなことを考えて、なんだかそれも横田に申し訳ないような気がして。


       ■


「綺麗な水滴ですね」

 沖田は見事な雪花模様の近藤の水滴を見て、感嘆の声を漏らした。

「おう。そうだろう。歳が土産だと言ってな。おれが毎晩習字をしているから、使えとさ」

 近藤は照れたような嬉しそうな顔を浮かべて沖田に水滴を見せた。雪の結晶を象った雪花模様の形に、美しい蒔絵が描かれたものだった。

「綺麗だなあ。一体どこで買ったんだろ」

「さあ。それはおれも聞いていない。歳に訊いてみるといい」

「はい。そうします」

 沖田は言って、すぐ土方を探した。

「土方さん!」

 縁側で刀の手入れをしていた土方を見つけるやいなや、こう訊いた。

「近藤先生の水滴は、どこで買われたんですか?」

 土方は咥えていた懐紙を口から外して、刀を寝かせて振り向いた。

「ああ、なんでも雪輪や雪花模様やら、雪に纏わるもんばかり集めた古道具屋があってさ。そこでな。局長に丁度いいかなと思って」

「へえ。古道具屋。他にもいろいろあるんですか?」

「ああ。あったよ」

 沖田があまりに熱心なので、土方は不思議そうな顔をする。

「場所を教えてもらえませんか?」

 土方は刀を片付けながら言った。

「今連れて行ってやるよ」

「本当ですか? ありがとうございます」

 言った後で、沖田は内心しまったと思った。土方に買物をするところまで見られては、何を言われるか分からないと気付いたのだ。が、心配には及ばなかった。というより、その心配は既に遅かった。

「綺麗な簪や櫛もあったぜ? …… 総司。女への贈り物だろ」

 嬉しそうな顔で覗き込んでくる土方に、沖田は苦笑いを返すしかなかった。

 案内されて向かった古道具屋は、なるほど美しい業物が多かった。さっき言われた通り、細かい細工のされた懐剣や簪、櫛など、雪音への贈り物にするのにぴったりなものもいくつかあった。

「ほら総司。これなんかどうだよ」

 まるで自分のことのようにはしゃぎながら、土方は次から次へと目にとまった物を沖田へ渡してくる。その中で桜色の簪に目がとまった。

「これも綺麗ですね」

 沖田は簪を手にとって繁々と見つめた。桜色に、白く雪花模様が描かれている。総司の脳裏に、桜色の着物を着て、血相を変えてこちらへ走ってきた雪音の顔が思い浮かんだ。

「ああ、これはぴったりだ。土方さん、これにします」

「そうか。良かったな、いいのがあって」

「はい。ありがとうございます」

 雪音が喜んでくれる顔が今から目に浮かぶようで、沖田はうきうきと歳三に礼を言った。

 店を出ると、土方は満面の笑みで沖田の耳元へ顔を寄せてくる。

「な。どんな女なんだよ?」

「! 土方さん」

 声を上げる沖田から大袈裟に逃げる真似をして、土方はにやにや言った。

「お。赤くなりやがった。相当の美人だな」

「土方さんっ」

「しかも桜と雪に関係があると見た!」

「―――」

 絶句する沖田を見て、土方はおおはしゃぎだ。

「春に会ったのか? 冬に会ったのか? 雪のように白い肌の女かよ?」

「もう。なんだっていいじゃないですか」

 平静を装って、沖田はささやかな反撃にでようとする。しかし土方は、そんな沖田を冷やかすこと自体が楽しいらしく、いつまでもしつこくにやにやと笑っていた。

「新選組の沖田も遂に色恋に目覚めたとはなあ。これは局長に報告だな」

「やめて下さいよ土方さん。みんなに言いふらすのは」

「じゃあおれにだけ教えろよ」

「いやですよ。教えたって結局みんなに言いふらすんでしょ?」

「ふうん」

 少し笑いをひっこめて、土方は腕組みをした。

「言いふらされたらまずいってことは、堅気の女か。総司おまえもやるなあ」

「もう、勝手なことばかり言わないで下さいよ」

 言いながらも、どうせ真面目に聞き入れてもらえないことも分かっていた沖田は、良い物が買えたとは言え代償は高くついたなと内心溜息をついた。

「まぁ、良かったじゃねぇか」

 ぽんと背中を叩いてきた土方の声音が存外真面目な響きをもっていたので、沖田はふと真顔で振り仰いだ。兄のような顔つきで、土方は優しい眼差しで微笑んでいた。

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