第十六夜 世界

 教室の中は二年生の頃なら考えられない静けさだ。誰もが真面目に自習している。おれはと言えば、勉強もしたくないし、かと言って寝ていたら受験を控えた奴らの癇に障るだろうと思って、まるで授業中の内職のような状態でこっそり教科書に隠して相変わらず本を読んでいた。

 作家がみんな頭が良くて何でも知っていて、書いていることが全部本当というわけでは無い。中にはろくに調べもせず、自分の偏った知識だけで間違いを平気で書き綴る人だっている。小説は飽く迄小説で、書いてあること全てが事実とは限らない。フィクションだったら作り事だ。時代物を扱っていても、例え史実に沿っていても、実際に見てきたことを書き並べているわけではないんだからフィクションだ。そしてその中には作者が意図的に作り出した人物や出来事が織り込まれていて、それは全くの創作だ。

 そういうことが分からないで、書物を鵜呑みにする読者が多いんだということを、おれは最近まで知らなかった。ちょっと意外だった。オレという人物が本当に存在していたのかが気になって、インターネットで調べだしたことがきっかけだったんだけど、当然オレは存在していなくて、どんなホームページにも掲示板にもヒットしなかった。その代わり、新選組についてはプロアマ、歴史家からコミケ系までいろんなサイトが見つかった。

 それにしても、小説である、というのを差しひいて考えても、本によってというより作者によって、随分と書き草が違うのには驚いた。事件ひとつとっても新選組が起こしただの濡れ衣だの、近藤先生が関っていたとしてあったり、土方先生が先頭にたったとしてあったりマチマチだった。まぁいろんな資料が残っているだけに、いろんな説が出ていろんな話に発展してしまうんだろうけど。

 休み時間に、将斗が話し掛けてきた。

「おまえ、険しい顔して何読んでるわけ?」

 おれは意表をつかれた。

「別に険しい顔なんてしてないよ」

「いやいや。親の仇みたいに読んでますよ」

 祥太が言いながら、開いて持っていた本をおれの手ごとひっくり返して背表紙を検めた。

「また時代ものッスか」

「おまえ、最近新選組に嵌ってるのか? この前も確かそんなこと訊いてただろう」

「へぇ。これ新選組の本なの?」

 祥太が反問する。流石は好きだというだけあって、将斗は詳しい。

「有名な奴だぜ。土方が主人公の話だよ」

「ふ~ん」

 興味が無いなりに、一応という感じで祥太が相槌を打っている。祥太はあんまり本を読まない奴だ。読むとしても漫画だし、SFとか学園ものが好きだからこういう関係は全くと言っていいほど知らない。

「でなに。なんかまた嵌ってんだ」

「うん。まぁ」

 おれは理由を説明しづらいので、なんとなく誤魔化すような適当な言い方をした。

「そんな不愉快そうな顔してるなら読まなきゃいいのに。なんか鬼のように最近ずっと本読んでるよな」

 と祥太も続けて言う。そんなつもりはないのだが、よっぽど不機嫌な顔をしていたのだろう。

「なんかさ、別にこの本が、っていうんじゃなくて、今まで読んだ本とかでさ、やっぱ事実通りじゃないんだなと思ってさ」

 おれがこの気分をちょっと説明してみようと、ぼそぼそ言い出すと、将斗は黙ったまま聞いている。祥太の方はきょとんとした顔だ。

「そりゃあそうだろ。小説だもん」

「いや、それはそうなんだけどさ。小説だけじゃなくて、定説って信じられてることが全然嘘だったりするのがなんかすごい悔しくて」

「悔しくて?」

「たとえば内山の暗殺の時だって近藤先生は」

 そこまで話して、おれは我に返って黙った。

「聞いた? 近藤『先生』だって」

 途端に祥太が笑い出した。でもおれはしまった、と思うばかりでむかつくとか一緒に笑うとかいう余裕がなかった。

「おまえ、ほんと嵌りすぎ。笑わせてくれるなー」

 背中を力いっぱいたたかれて、おれはやっと苦笑いを返すことができた。

 将斗は相変わらず黙ったままだった。


「壮」

 放課後ひとりで玄関を出で歩いていたら、後ろから呼び止められた。将斗だった。

「将斗」

 何か訊かれるのかもしれないと思った。こいつは頭が良いから、何か察したのかもしれない。逃げたいような、全部話したいような、複雑な気持ちになっておれは立ち止まって将斗が追いついてくるのを待った。

「おまえ今日、バイト?」

「いや。今日は入れてない。学校始まってからシフト減らしてる」

「そっか。でもまた来月から増やすのか?」

「うん。そのつもり」

 将斗が明らかに、言い出すタイミングを計っているのが分かった。

「で、なに? 何か訊きたいんだろ」

 待つのが落ち着かなくなって、自分からそんな風に切り出してしまった。我ながら思い切ったことするなと他人事のように驚いていたら、将斗の方がもっと驚いていたようだ。

「あ、うん。……どっか店でも入らねぇ?」

「おぅ」

 どっか、と言ってもお決まりなのは学校の近くのファーストフードで、示し合わせたように真っ直ぐそこへ行って、適当にセットを注文して、女子高生なんかでごった返してる中をできるだけ隅の席に落ち着いた。その間、おれたちは殆ど喋らなかった。

 席に着いてコートを脱いで一息ついたら、ちょっと思考回路が戻ってきた。

「おまえ、勉強いいのか?」

 ん? と顔をあげて、将斗はいつものような笑顔に戻った。

「平気平気。受験勉強なんて今更やるようじゃ駄目だって」

「お。余裕じゃん」

 確かに全国模試でトップクラスに入るような奴だから、嫌みでも強がりでもない。とは言えそれでも机に囓り付いていたい時期だろうに。

「悪いな。おれのこと気にしてくれてんだろ」

 素直に口から出た。将斗はまた少し、動きをとめた。

「別にそんなこといいんだ。……お前、変わったよな最近」

「え?」

「バイトとかして世界が広がったからかなとか思ってたけど、それだけじゃないみたいだな」

「………」

 世界が広がった。それは事実だ。やっぱ将斗は鋭いとこついてくる。

「なんか最近さ、目つきとか違うじゃん。動作とか。ヤバいこと巻き込まれてんのかなとか、悪い、おれちょっと疑ってたっていうか、心配してた」

「………」

 何を言っていいか分からなかったんで、取り敢えずおれはセットについてきたコーヒーの蓋を開けてミルクを流し込んだ。

「でも悪い影響受けてるっていうよりか、真っ直ぐっていうか、さばさばしたっていうか。そんな感じなんだよな」

 やっぱり何を言っていいかわからないから、とっくに溶けているミルクをプラスチックの棒でしつこく掻き混ぜ続けた。

「だから駄目とか言う話じゃねぇんだけど、やっぱ最近ちょっと違うのが、気になってさ。小説とかの影響でも受けてんのか? なんでまた新選組なわけ」

「………」

 おれが警戒をといて素直に礼を言ったせいなのか、将斗もいつも通りに近い感じでさくさく話しながら、ハンバーガーの包みをバリバリ捲りだした。その紙の音が、おれの耳には大きく響いた。

 どうしようか。

「毎晩新選組の夢を見るんだ」

 そう話すのは簡単だ。でも、今のおれのこの気持ちまで伝えるのは難しい気がする。夢と現実の区別が付かなくなっているとか思われるのがオチだろう。

「さっき、何言おうとしたんだ? 近藤勇がなんとか、って」

「え」

「休み時間にさ。祥太に混ぜっ返されてたけど。内山の暗殺って。……与力の内山彦次郎の暗殺のことだろ?」

「………」

 チキンフィレオに思い切り食いつきながらさらりと言ってくる。

 その通りだった。

「うん。やっぱお前知ってんだな」

「そりゃあまぁ。新選組が自分らの身を守るために暗殺したってことになってる説もあるけど。おれは違うと思ってるんだ」

「!」

 意外に思っておれはまともに将斗の目を見た。

「悔しいとかって。おまえもそう思ってるってことだろ?」

「うん」

 おれはどういう立場で話し出したらいいのか分からないまま、取り敢えず出てくる言葉を口に出した。

「近藤勇が先頭に立って内山を殺したことになってるけど、あの時局長は京都にいたんだ」

「うん。手紙が残っているっていうよな」

「あ、そうなんだ」

 また口を滑らせた。おれは事実として知っているだけで、そんな近藤先生の手紙が残っているなんて知らない。でもそれを言ってしまったら、

「おまえ、その説知らないのかよ。じゃあ、なんで近藤勇が京都にいたのに疑われて悔しいとかいう発想になるわけ?」

「…………」

「…………」

 おれが黙ると、将斗も黙っておれの顔を窺うようにしてポテトを囓りだした。おれも、冷めかけたコーヒーに手を伸ばす。

「……ごめん。上手く言えない」

 取り敢えず言ってみて、おれはコーヒーを飲んだ。

「……うん」

「なんか、最近ちょっときっかけがあって。嵌ってんだよ。確かにおれは、祥太の言う通り」

「うん」

 やっぱり、おれ自身が今の状態がなんなのか分かっていないのにうまく説明なんてできない。

「ん。別にそれだけならいいんだ。なんかあったら言えよな」

 受験生が何余計な心配してんだよ、とかいう台詞も頭に浮かんだけど、真剣におれのこと気にしてくれていたのが分かっているので、嬉しいような恥ずかしいような気持ちが先立って何も言葉が思い浮かばなかった。おれは黙って頷いた。

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