第十五夜 鍛錬

「もう首の傷は癒えたか」

 沖田が問うと、雪音はにこりと笑う。

「ええ。元々大した傷やないし、大丈夫ですよ」

「そうか。なら出かけよう、桜太おうた

 桜太と名づけたのは、最初に出会ったときの雪音の美しい桜色の着物姿が、沖田の心に残っていたからだった。勿論そんなことは雪音には言っていない。

 桜太はわんわんと鳴いてその場でくるくると回っては尻尾を振った。

「雪音さんも来るかい?」

「どこへです?」

「鴨川」

 沖田はいたずらっこのようににやりと笑った。

 診療所や近くへ来ていた子供たちまで誘って、沖田は川遊びへ出かけた。

 流石に雪音の前なので着物を脱ぐことはしなかったが、濡れるのも構わずに川へ入って子供たちと水のかけあいっこになる。ついでとばかり汚れた桜太の体も擦りたてて綺麗にしてやる。桜太は川の流れの中でぶるぶると体を振って水飛沫を飛ばした。

「きゃー」

 子供たちが嬉しそうな悲鳴をあげる。沖田に預けられた刀を、直に触れぬよう袖越しに支えて膝に抱え、雪音はそれを見守った。初めは刀を見るのも恐かった。これが一体何人の血を吸ってきたのかと思うと手が震えた。それと同時に、武士の魂である刀を女である自分に持たせる沖田の、自分に対する好意を感じた。信頼されている。

「ほら、桜太。こっちへ来い」

 子供たちの歓声にまじって沖田の声が聞こえていた。股立ももだちをとった着物はそれでもすっかりずぶ濡れになっている。楽しそうに子供と犬に笑顔を向けている。

 一体この人は、どんな顔で、どんな気持ちで人を斬ってきたのだろう。泣く子も黙る、新選組の沖田総司。それが今はこんなに楽しそうに、まるで自分自身幼い子どものように遊んでいる。雪音には、不思議でならなかった。人斬り、壬生狼みぶろ。しかし沖田を恐れる気持ちは自分の中にはないのだった。

「ほら。おふねちゃん、危ない」

 川の中で鬼ごっこを始めた彼らに声援を飛ばしながら、雪音はいつしか沖田の刀をしっかりと握っていた。これまで刀とは、命をるものだと思ってきた。しかし今の雪音には、命を守るものだという気がしてならないのだった。

「そら」

 沖田が飛んでいる蜻蛉とんぼを指で摘むようにして捕まえたので、子供たちはわっと歓声をあげる。

「凄い! どうやらはったん?」

 驚く雪音だが、子供たちは純粋に自分たちにも教えてよ、と騒ぎ立てている。

「どうって、腹の場所を摘むだけだよ」

「えー」

「よく見るんだよ。それしかうまく教えられないよ」

「えー?」

 言われたとおりじっと飛んでいる蜻蛉を見つめ、手を出す子供もいる。蜻蛉はついと手から逃れて飛んでいく。

 飛んでいる蜻蛉を捕まえられるほどの動体視力の良さと、集中力の高さ。しかし彼は、屈託無く子供たちと笑い、遊んでいる。雪音には新鮮で不思議で、まるで泡沫の夢のように見えるのだった。


       ■


「おぅ、柄元」

 土方先生が、やたら嬉しそうな顔でおれを見付けると手招きした。

「どうしたんです? こんなところで」

 なんだか腕組みをして塀に身を隠すように背中を丸めている。訊いてみるとまるで子供のようなにやけた顔で、

「あそこ。見てみろよ」

 少し離れた先を指差した。よく見知った背中が角を曲がるところだった。

「な? 総司だ」

「沖田さんがどうかしたんですか?」

「鈍い野郎だな。あいつは女に会いに行くとこなんだよ」

 おれは素っ頓狂な声をあげた。

「沖田さんが?!」

 町の女どもが勝手に隊の美青年番付なんて決めて騒いでいるのはおれも知ってたけど、その中に沖田さんは入っていない。まぁおれもなんだけど。新選組髄一の人斬り狼と恐れられて、女なんて寄り付きそうにない。子供には好かれても、年頃の娘に言い寄られているところなんか見たことがない。近藤先生や土方先生は夜な夜な派手に遊んでいたりもするけど、沖田さんの浮いた話は今まで聞いたこともなかった。女性恐怖症という話を聞いて納得するものもあったわけだし。意外以外の何物でもない。

「な? 驚いたろ」

 何故だか得意げに土方先生が胸を張る。

「そんな様子ちっとも無かったのに」

 おれは仮にも一番隊。沖田さんの隊に所属しているのだ。組頭のそんな変化も気付かないとは。

 驚いているおれの様子に満足なのか、土方先生はおれを促して歩き出しながら少し声をひそめてこう言った。

「しかも相手は堅気の女だ。医者の娘だぜ」

「えぇっ?!」

「しっ。馬鹿。総司に聞こえちまう」

 怒られておれも小声になりながら、興味津々で

「どんな女なんですか?」

 と訊いてみた。土方先生は腕組みしながらあっけらかんと言い放った。

「それはおれもわからねぇ。だからこうして後を着けてるんじゃねぇか」

「えっ!」

 おれはまたデカい声を出してしまって、胸をどつかれて咳き込んだ。遠くに小さくなっていく沖田さんの姿が見えた。

「や、やめましょうよ出歯亀なんて」

 おれは袂を引いて止めようとした。が、土方先生はなんでだよ、と気にも留めない。どんどん遠ざかっていく沖田さんを見遣り、

「ぼやぼやしてたらまた撒かれちまう。行くぜ」

 逆におれの腕を引いた。

「ま、またって一体何度目なんです?」

「んなものいちいち勘定なんかしてねぇよ。来るのか来ねぇのか、どっちだ」

「お、おれは行きませんよ」

「そうか? じゃあな」

 おれの非難の目なんか一向に気にならない様子で、土方さんは素早く沖田さんの後を追っていってしまった。止められなかったことをおれは心の中で沖田さんに詫びた。このくそ忙しいときにあの人は何をやっているんだろうと呆れもしたが、土方さんらしい話だ。

 後で聞いた話だと、沖田さんは土方さんに気づいていて、それが嫌で結局ひとりで茶屋で団子を食って帰ってきたのだそうだ。満足に女とも会えない沖田さんも可哀想だけれど、必死で後を追ってこっそり団子を食う沖田さんを物陰から見ている土方先生を思うと可笑しくて仕方なかった。


       ***


 家を出たら、凄く寒かった。雲は切れて日差しは見えているんだけど、風がなんと言っても冷たい。冬なのだ。なんだかおかしな気分だ。最近夢の中では暑くて死にそうになってるもんだから、そのギャップが、余計に。

 ギャップと言えば昔、テレビで昔の二十歳と今の二十歳の人の写真の比較ってのを見たことがある。確か成人式の頃の特集みたいなやつだった。二十年くらい前の二十歳の人の写真は、今のおれの目から見たらすっげーフケて見えた。どう若く見ても三十代じゃないのか、みたいな。でもそれは、裏を返したら今のやつらがガキなだけなんだと思う。

 それがいいことか悪いことかは、おれにはよくわかんないけどさ。でも、夢の中で接する人たちは、まぁ外見も確かにしっかりしてるんだけど、兎に角考え方がしっかりしてる人が多かった。勿論、死にたくねぇ、恐い、ってふらふら生きてる人がいないわけじゃなかったけど。

 新選組だけじゃない。会津の人や長州の人らだって、みんなそれぞれに自分の信じる道があって、それは自分勝手な論理も含まれているとしても最後には国のために、って考えて動いてる。少なくともおれは、今まで十八年間生きてきてそういうこと考えたことがなかった。友達のこと、学校のこと、受験のこと、彼女のこと。そういうことは考えていたし、テレビのニュース見て思うこともなかったわけじゃない。それでもそういうニュースを見てアクション起こしたことはただの一度もない。なんだよこいつまた馬鹿なこと言ってさ、って政治家見て思っても、それっきりだった。なんか上手く言えないけど、やっぱりオレとかに比べたら、気持ちが足りないって思う。ただ見て文句言ってたって何も始まらない。おれ一人がなんかやったって何も変わらないからって、何もしなかったら絶対なんにも変わらない。

 考えるようになった。最近。ちょっとずつ。

 思ったことは、はっきり意見するようになった。相手が先生とかでも構わなかった。少しでも声をあげたかった。不思議に思うことは自分で調べるようにもなったし、物事を前よりはちゃんと考えるようになった気がする。

 近藤先生がいろんなお偉いさんに引き合わされて、意見を求められることもあって、それに応える為に毎日勉強している姿を見た。いろんな人に手紙を書き送ってそれだけでも忙しいのに、毎晩毎晩、書の練習も欠かさなかった。勿論刀も振ったし、捕縛術や柔術やいろんな稽古もしていた。

 おれは、自分の先祖とか、血がつながっていなくてもこの国を作ってきた人たちのことを考えるようになった。今まで教科書やテレビドラマの中だけの存在としか認識してなかった人たちの、真摯な思いとか、流してきた涙とか。

 別になんか建物が残ってなくても、碑が建って無くても、この場所に彼らはいたんだ。

 普通の学校へ行くのに通るだけの道だったこの道も、なんだか最近のおれには、急に感慨深いものに思えてくるのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る