第十三夜 焦り

「じゃ私、次で降りるから」

 横田がこっちを振り返ってそう言った。

「あ、うん」

 おれは慌てて立ち上がる。おれが座ったままだと、狭くて横田が立てないからな。ごめんね、ありがとう、と言いながら横田が立ち上がって、

「じゃあまたね。お疲れ様」

 って手を振って去っていった。

「お疲れ」

 って投げ返したけど、妙な違和感は同じだった。……。なにがいけなかったんだろう。

 取り敢えずおれは、席をつめて窓際に座った。どうせおれは終点の一個手前まで乗っていくし。椅子が横田の体温でほんのりあったかかった。のが、なんか困った。

 そしたら横にどかんと座り込んできたやつがいる。なんだよ。振動がくるじゃねえか。もっと静かに座れよ。と思って振り向いたら、

「よっ、色男。受験生の親友放っておいて、青春を謳歌してますか?」

 なんて言って来た。

「将斗なにやってんだこんなとこで」

「なにって、駅前の予備校の帰りですが何か」

「げっ」

「げっとは」

「つまり駅前から乗っていた、と」

「ええそれはもう」

 はあ……。いやでもまあ、圭司じゃなかっただけマシかもしれない。そう思うことにする。

「二人の女の子に待ち伏せされて、チョコレート貰って、しかもどっちも本命で、片方はかなり本気の手作りとくればこれはまあ悩むわなあ」

「はい?」

 おれはもう、将斗の顔に釘付けになった。

「気付いてないってことないよな? 最初の子ははっきり本命って言ってたし」

「え、いやあの」

「なんでも聞きますが? クランケ徳永くん」

 将斗は尤もらしく腕組みをした。あほかとつっこみたいところだが、生憎おれはそんな心境じゃなかった。将斗がプロファイラーかカウンセラー並に頼りがいがあるように見えるほどには混乱していたわけで。

「冗談じゃ、ないのか?」

「なにが? 本命ってのが?」

 将斗は憎たらしく鼻で笑ってくれた。

「おまえなあ。あの子たちが可哀想だぞ? おまえなんぞに惚れてくれたと言うのに」

「いや、だからさ。なんでおれに? 義理だろ?」

「あのなあ。義理で寒い中待ち伏せて、そんな立派なチョコくれるほど義理の深い女の子は滅多にいないと思うぞ」

 そりゃあ確かに。バイト先で適当なチョコ配れば充分だ。それだって結構な出費になるだろうし。バイト先でチョコやりとりしてた様子も無かったしな……。

「でも、横田のは、あの、こっちの子は別に本命とか何も言ってなかったぞ?」

「はいそうですねえ。しかし、ならなぜノリ良く最初の子と一緒にわーきゃーおまえに渡さず、彼女が降りてからこっそり渡すと思うよ」

「………」

「しかもこれを見なさい。ちょっと失礼」

 おれの膝の上の紙袋に手をつっこんで、将斗は横田がくれた包みを取り出した。

「この包みのサイズに対して、この紙袋は大きすぎる。ということは、横田女史はわざわざ別に用意しているわけだ。なぜこんな二つ分入る袋を? 最初の彼女がおまえにチョコをやるのを知っていたからだ。そしておまえがそんなでかいラッピングの入る鞄で来ていない可能性が高いと考えて、念のため用意してくれたってことだ」

「……うん」

 それはさっきの横田の言い様からも分かる。

「事前に同じやつにチョコを渡すと分かっていて、敢えて一緒に渡さないのは、友達への気遣い若しくはおまえによっぽど本気、若しくはその両方ってとこだよな」

「……うーん………」

 そうなのか?

「更に、そのわざわざ用意した、プレゼントとは不釣合いの紙袋と同じ包み紙ということは、彼女はふたつを自分で選んで買った。となれば、この包装は彼女が自分でやったってことだろう」

 と頭の上に箱を持ち上げた。

「ほら。シールで止めてるだろ」

「うん」

 おれは包みの下を覗き込んだ。

「市販品だったら大抵は店の名前が入ったシールだったり、セロテープなこともあるけど、これはよくあるラッピング用のシールと見た。自分で包んだ可能性が高い」

「はあ」

「となると、さらには中身まで手作りの可能性が出てくるわけだ」

「そうかぁ?」

「十中八九そうだと見た。なんなら開けてみる?」

「………」

 おれはなんか気持ち悪かったので、包装紙を破らないようにできるだけ丁寧にシールを剥がしながら開けてみた。中身は透明なエンビのケースに入ったトリュフだった。明らかに形がまん丸ではなくて、いちいちカラーのアルミカップに入って、きらきら光る細い糸みたいなパッキンの間に行儀良く埋まっている。

「確かに、手作りらしいな」

「ほらみろ」

 将斗は殆ど嬉しそうに言った。

「おまえは少年探偵か」

「じっちゃんの名にかけて!」

 とかけてもいない眼鏡の位置を直すふりをする。いや、まじってるまじってる。

「なんでそんなテンション高いかなあ」

「そりゃあ自己採点は良好、あとは滑り止め受験のみですから、テンションもあがりますわ」

「ああ、成る程」

 そりゃそうか。いや、そうじゃなくてさ。

「それに引き換え推薦合格者の徳永くんはお困りのようですね」

「んー。まあ」

「二人の女に言い寄られるのが驚き?」

「まあなあ。告白されるって経験が無いからさあ」

「へぇ。意外」

「そうかな」

 おれもそれなりに、付き合った経験が無いとは言わない。けど、こっちから言ってオーケーしてもらって、っていうパターンばかりだし、後輩の女の子からチョコレートとかなんやかんやお義理で貰うことはあったけど。

「それも本命だったかもよ」

「嘘」

「お返しはしたのか?」

「そりゃ一応したけど」

「うーむ。そりゃあ向こうはがっくりきてるだろうなあ。お返しはあるけど返事は無い、つまり可能性皆無ってことだもんなあ」

「待て待て待て」

 そうなのか?

「で、おまえどうするの」

「どうって」

 どうしよう。

 五十嵐はまだ、あっけらかんといらないとか言ってるからまだ対処のしようもある気がするんだけど。横田の場合はどうしていいかわからない。

「あの、先生?」

「なんだね徳永くん」

「なんで横田さんは、不機嫌そうだったんでしょうか」

「そりゃあ他の女からチョコ貰って鼻の下伸ばしてるから、焼き餅焼いたんでしょう」

「鼻の下って」

「どぎまぎしてるようには見えたもんよ。したら横田さんにしてみたら、気分良くは無いんじゃない?」

「………」

 おれの手からひったくって、将斗はがさごそと箱を包み直して元通り紙袋の中に入れてくれる。

「あの、それって、結構本気ってこと?」

「あのなあ」

 将斗は苦笑した。

「横田さん可哀想だぞ?」

 どうしたもんだろう…。

 そりゃあふたりとも可愛いし、いい子たちだと思ってるけど、それ以上なんとも思っていなかったし、今おれは誰とも付き合う気が無いんだ。単純に、上京する前のうわついた時期で、今更短期間に彼女、というよりも、もう滅多に会えなくなるクラスの奴とかとの時間を大切にしたいっていうのもある。それとは別に、おれは今『変』だっていうこともある。

「兎に角今は、誰とも付き合う気は無いんだよ」

「じゃあ正直にそういうしか無いけど、まあおまえの性格じゃ言いづらいわな」

 振った後も同じ職場でバイトする勇気はおれにはない。相手の子たちの態度次第ってところもあるけど、なんだか申し訳なくて。

 さて、どうしたものだろう。嫌いな訳じゃじゃない。寧ろ、五十嵐には悪いけど横田には正直興味があった。が、今のおれは付き合えない。どうしたら傷つけないでそれが伝えられるんだろう。傷つけずに言えると思うことがまず間違いだとは思うけど。

 ……そりゃあこんな心境だったとして、これくらいの歳で、振った女が絶望して自殺未遂なんか起こされた日には、それは女性恐怖症にもなるだろうな。と、おれはこの前聞いた沖田さんの過去話を思い出していた。

 沖田さんはその過去がトラウマになって、女性全般が苦手になってしまったそうだ。

 攻撃は最大の防御という言葉を、沖田さんを見ていると実感する。沖田さんは、そうだと知っていなければとても女を苦手にしているとは思えないほど女の前ではよく喋る。いつ息継ぎをしているのかと思うくらい間断無く喋る。冗談ばかり言ってやたらとテンションが高いように見える。だから、見る人が見れば寧ろ逆で、女が好きで嬉しくてハイテンションになって、やたらと面白いことを言って気を引こうとしているように見えなくもない。けど、事情が分かってしまえば沖田さんの必死さ加減が分かって、見ていて苦笑いどころか痛々しくなる。何を喋っていいか分からない。会話が途切れるのが恐い。ただひたすら何かを喋っていなければ落ち着かない。沈黙に耐え切れずに喋り続ける。女の方から見れば、面白い人か、変な人と思われるだけなんだと思う。

 おれは事情が分かってからは、少しでも和らげようと思い、沖田さんが女と話さなければならなくなりそうなときは、その役を自分から買って出た。やむを得ず沖田さんが話しているときでも、さりげなく傍に行って話題をふり、自分が会話の主導権を握るようにした。沖田さんの方でもそれに気付いていて、すっとその場を離れては後から苦笑いで謝ってくるのだ。手にはびっしょりと汗をかいて。

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