3.早とちり
息せき切って門前に辿り着くと、脇に門番が立っていた。厳つい顔をしたその男はアデレードの姿を認め、おやという顔をした。
「クラムのお嬢さま、お忘れ物ですか?」
「え、ええ、そう。入って、いい……?」
肩で息をする合間に声を絞り出す。門番はさして不審に思う事なくアデレードを通してくれた。礼もそこそこにまっすぐエントランスへ走れば真正面に馬車が停まっているのが見えた。
丁度中から誰かが出てきた。遠目に見て男性が二人。アデレードが他にわかるのはそれがウィルトールでもセイルでもないことくらいだ。
そのうちに相手もアデレードに気付いた。
「アデレードさま! どうかされましたか」
声を上げた方の顔は見覚えがあった。ここの執事だ。アデレードは彼の元に駆け寄るとできるだけ息を整えた。
「あの、ウィルトール、は!?」
「ウィルトールさまはお部屋にいらっしゃると思いますが……今、お取り次ぎを──」
「大丈夫です! 自分で、行きます」
所在さえわかれば充分だった。執事の返事を待たずに脇をすり抜けた。広いエントランスホールはいつもお茶をする客間とは反対の方向に走り抜ける。ウィルトールの部屋は北側の棟の一階、一番奥。そちらへは数えるほどしか行っていないが行き方はしっかり覚えている。
「ウィルトール! ねえ、いたら開けて!」
部屋に着くなり扉を力任せに叩いた。扉はすぐに開かれ、部屋の主が驚いた顔でアデレードを出迎えた。
「アディ……!? どうしたんだ、ラドルフさんのところに行ったんじゃ」
「ウィルトール、縁談、するの!?」
「えっ?」
「アッシュが、縁談が、来てるって……。ファーライルさまじゃないって聞いて、わたし……」
中に入れてもらいながらアデレードは俯いた。また視界がじんわりとぼやけてくる。
聞いてどうしようというのだろう。
勢いでここまで来てしまったけれど、肯定されたところでアデレードには何の権限もない。何か言える立場でもない。ただ幼馴染というだけの間柄。
零れる吐息は思いのほか熱かった。唇を噛み、胸元を両手で押さえた。走った直後であること以上に胸が苦しくて悲しくて、息ができない。
だから、返ってきたウィルトールの言葉ははじめ聞き間違いかと思った。
「俺じゃないよ」
たっぷりと数拍おいてアデレードは顔を上げた。目を見張る少女の様子に、ウィルトールは再度言葉を重ねる。
「縁談。俺じゃなくて、セイル」
「……セイル?」
「そう。アッシュに聞かなかった?」
昨日話したときは勘違いしてるようには見えなかったけど、とウィルトールは首を捻る。アデレードは告げられた名前を何度か呟き、そこでやっと自分がとんでもない失敗を仕出かしたことに気付いた。
「……聞いてない……」
呆然と呟き立ち竦む。
縁談はセイルの話だなんて、確かアッシュは言わなかった。と言うより、彼が言う前に飛び出してきてしまったのか。ジルヴェンドのものとはまた別の縁談だと言われ驚いて、何も考えられなくなって、あとは勝手にウィルトールに来たものと思いこんだ──。
アデレードはその場にへたりこんだ。気が抜けた途端に足の力も抜けた。
「俺が縁談を受けると思って、それで戻ってきたの?」
近づく声の気配でウィルトールも膝をついたのだとわかった。間近から顔を覗き込まれているのもわかるけれど、とても彼を直視できそうにない。小さく頷くだけで精一杯。穴があったら入りたい。
(ウィルトール、絶対呆れてる……)
顔から火が出そうだった。勝手に勘違いして突撃するなど、どう考えても淑女の振る舞いではない。さっきまでは気が強いことばかり気にしていたけれど、短所はどうやらそれだけではないらしい。
沈黙の流れる中、観念したアデレードがそっと様子を窺ってみればウィルトールは顔を僅かに背けていた。片手で口許を覆っているので表情は判然としない。ただ、薄明かりに照らされたその頬はどことなく紅潮して見える。
アデレードはハッと息を呑んだ。
「──笑ってるの!? ウィルトール酷い!」
「いや……うん」
「だって、だってビックリしたんだもの! ちゃんと聞かなくちゃって思ったんだもの!」
恥ずかしさを通り越し、さっきとはまた別の意味で泣きそうになった。穴があったら、なんて消極的なことは言わずに思い切り穴を掘って頭から飛び込みたい。
「早とちりはアディの十八番だな」と苦笑を漏らすウィルトールには情けないことにその通りですとしか言いようがない。上目遣いに睨んで抗議に代えると彼はひとしきり笑って、それからようやく笑顔を引っ込めた。
「アディの行動力には賛辞を贈るけど、人の話は最後まで聞くこと。いいね? ……今頃アッシュとラドルフさん、アディのこと心配してるんじゃないか?」
ウィルトールの注意にしおらしく返事をしたアデレードだったが、その後「送るよ」と差し出された手は丁重に断った。
「とても、顔合わせられないわ。お説教されるのが目に見えるもの。……家に、帰る」
「じゃあ、ラドルフさんには使いを出しておくから」
それで問題はないだろうとウィルトールは笑みを崩さず少女の顔を覗きこむ。アデレードはやや考えを巡らせて不承不承に頷いた。
結局は叱られる日を先延ばしにしただけである。今度父に会ったときには長い長い説教を受けなければならないだろう。だけど今日はもう何も聞きたくないし何も考えたくない。それならば母に予定が変わったと言い訳する方がまだましだ。
腰を上げたウィルトールに倣いアデレードも立ち上がった。これから処罰が待っていると思うと何をするにも億劫だった。ただいつまでも座り込んでいてはウィルトールに迷惑がかかるのがわかるから惰性で動いているに過ぎない。そうしてのろのろと姿勢を正したところで不意に名を呼ばれた。
「アディ。こっち向いて」
素直に振り向くとウィルトールの手が目前に伸びてきていた。
(えっ!?)
アデレードが身構える間もなく彼の指先が頬に触れた。
突然のことに頭が真っ白になる。思わず身を竦め、ぎゅっと目を瞑った。
アデレードにとっては永遠に続くかとも思えるような長いひとときが流れた。実際はほんの一瞬のことだったのかもしれない。頬に触れたと思った青年の手はさらりとそこを掠めただけで、そのまま耳のあたりの髪を掬い離れていった。
今度こそ長い時が過ぎた。彼自身はその場に留まっているのが気配でわかるのに再度触れてくる様子はない。何がどうなっているのかさっぱりわからない。
そうっと目を開けてみれば訝しげな表情で己の手をじっと見つめるウィルトールの姿があった。手を、というより手にした何かを凝視していた。
「あの……何?」
恐る恐る尋ねると青年は眉を顰めたまま、指で摘んだそれをアデレードに示して見せた。
「……小枝。髪についてた」
「えっ!? 小枝……? あっ──!」
大声を上げかけ、慌てて両手で口を押さえた。
──あれは父の邸の植木だ。
勘のいいウィルトールのことだからもしかしたら気付いているかもしれない。けれども自分の口からは決して言うわけにいかなかった。だってもし植木の間を掻き分けてきたなんて白状したら、芋蔓式に生け垣を飛び越えてきたことまでばれる。そうなれば今すぐにでもここで説教大会が始まってしまう。
父の説教は、まだ耐えられる。けれどウィルトールの説教は絶対絶対受けたくない。お小言を貰うこと以上に幻滅されるのが怖いし耐えられない。
「一体どこを通ってきたんだ?」と渋い顔の青年には笑顔を返して
「まあいいよ、俺も昼間に話しておけばアディを驚かせずに済んだんだろうしね」
ふ、と空気が和らいだ気がした。振り仰げば少し呆れ気味に、だが穏やかに笑む顔がそこにあった。薄明かりに照らされた金色の髪が、光をきらきら反射してとても綺麗だった。
「……そうよ。先にウィルトールが教えてくれてたらよかったのよ」
ぷいと顔を背けてぼやく。直後にアデレードは激しく後悔した。気が強いと嫌われると聞いたばかりなのにまたやってしまった。つい顔を覆って座り込みたい衝動に駆られる。
「そうだ、さっき母さんが来たんだ。アディに悪いことしたってすごく気にしてた。これから忙しくなるけどお菓子作りはいい気分転換になるから、気にせず来てって」
「……ほんと!? 来ていいの?」
パッと振り返った。少女の声色が明るく変わったことにウィルトールは目を細め、勿論と頷いた。いつもと変わらない笑顔に勇気を貰ったアデレードは深く安堵の息をついた。
(そうよね)
ウィルトールに想いを寄せていることは今まで一度も言ったことがない。マリーの方から勘繰られたことだって一度もない。お菓子作りは息子に近づくためだなんて
定期的に通うことになったのも元はと言えば母が「もっと女の子らしく振る舞ってほしいんだけど」と話に出したのが発端だ。その件に関しては一言も二言も物申したいところだけれど、お陰でマリーから「わたくしと一緒にお料理してみない?」と提案してもらえたのだからあまり文句も言えない。
そうして試食係にはウィルトールに白羽の矢が立った。……本当に、何の文句があろうか。
どこからか花の香りがした。何の花かわからないが、とても甘く優しい香りが。
「遅くならないうちに行こうか」
ウィルトールが手を差し伸べていた。間違いなく自分一人に向けられている微笑にアデレードの胸が高鳴った。
うん、と微笑み返す。少女は足取りも軽く傍に駆け寄った。
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