「一体どんな成分なんだ……身体が小さくなるなんて聞いたことがない」
甘いワナには御用心!? ①
――
アデレードが始めに思ったのはそれだった。
目を開けるとそこに少年がいた。いたというか、寝ていた。歳は多分、初等科の学生くらい。優しそうに弧を描く眉にスッと通った鼻筋、薔薇色の頬。一文字に引き結ばれた唇からは理知的な印象を受ける。とても整った顔立ちの子だ。
何よりお日さまの光を弾く蜂蜜色の髪がさらさらと風に吹かれていてすごく素敵だった。見ているだけで胸がドキドキしてくる。
そんな男の子が自分の隣で寝ている。野の花が咲き乱れる原っぱで。
――この子、誰かしら。
横になったままアデレードは首を傾げた。なぜこんなところで寝ているのか。しかもどうやら自分も一緒に寝ていたらしい。どうして?
少しだけ近づいてその寝顔をまじまじと覗きこむ。髪と同じ色の睫毛が少年の肌に淡い影を落としていた。
――影のせいで余計に長そうに見えるんだわ。
気づきを得ると今度は少年の瞳の色が気になってきた。果たしてどんな色をしているのだろう。起きて喋っているところを見てみたい。
「ん……」
少年の眉根が僅かに寄ってアデレードは慌てて離れた。睫毛が震え、その双眸がゆっくり開かれた。現れたのは薄明の空。アデレードの大好きな藍の色――。
「――え? ウィルトールとおんなじ……? ……えっ、なに!?」
眉を顰めた次の瞬間、アデレードは跳ね起きた。そうして自身の口と喉をパッと押さえた。
自分の口から出てきた声が想像以上に高かった。「あー」と発声するのと咳払いを何度も繰り返す。だが耳に届く声の高さは変わらない。
急に風邪をひいたのだろうか。それにしては喉になんの不調もないのがおかしい。大体風邪のときの声って低くなるものではないかしら――。
「……アディ、か? えっ」
耳触りの良いボーイソプラノが後頭部を撫でた。喉を押さえたままアデレードが振り向けば少年も半身を起こしたところだった。目は驚きに見開かれ、アデレードと同じように口許を押さえている。と思うとその手をゆるゆる離し、両手のひらを凝視した。そこから自身の胸、腹、
そのまま固まることたっぷり数十秒。誰が見ても愛らしい面立ちをした男の子はやがてアデレードをまっすぐ見つめた。
「……どういうことだ? 何が起こった」
その年頃には似つかわしくない表情と子どもらしからぬ言葉。だけどとてもとても馴染みのあるそれらのおかげで彼が一体何者なのか、アデレードははっきりと確信することができた。
そのうえで今のアデレードにできたのはへの字口で首を横に勢いよく振ることだけだった。
状況を整理しよう、澄んだ声音で告げられアデレードはこっくりと頷いた。
対するアデレードも同じように子どもになっていた。彼ほど小さくはなっていないようで、身体の大きさからおそらく中等部に通うくらいの年頃だろうと推測する。
「普通に考えればこうなったのは食べたものに何かが混ぜられていたか、どこかで何かの術をかけられたかになると思う。今日のこれって、アディが母さんと作ったやつなんだよね?」
柔らかくて小さな指が、そばに置かれた菓子類を指す。アデレードが再び頷くと少年は思案げに腕組みをした。
今ふたりは一面の花畑にいた。
今日もいつものように
ウィンザール邸の門を出て
「いつもと違うことってあった?」
「え?」
「例えば材料が違うとか、手順とか。このお菓子自体は前にも食べたことがある気がするけど」
「特に違うものは入れてないと思うけれど……。あ、そういえば」
困ったように寄せていた眉根をぱっと解いた。身を乗り出してバスケットを引っ張り寄せると蓋を開けた。中身を引っ掻き回し、目当ての品――口の広い小瓶を取り出してウィルトールに差し出した。
瓶には小指の爪ほどの大きさの白い塊が半量ほど詰められていた。四角いものに丸いもの、中には星やハートの形をしたものもあって実に可愛らしい。
「これは、角砂糖?」
「ファーライルさまから頂いたの。今からウィルトールとお茶をするって言ったら、ちょうどいいから使ってほしいって」
「ファル兄さんが?」
ウィルトールが怪訝な目を寄越す。
菓子が出来上がり、さあ客間へ運ぼうかというときになってファーライルがやってきた。彼はいつものごとく歯の浮く台詞を並べ立てたあと「見てたらアディちゃんが浮かんだからさぁ」と笑顔で小瓶を出してきた。前日の外出時に見つけたものらしい。「お茶に入れたりお菓子の飾り付けに使うといいよ」と言われれば特に断る選択肢はなかった。
「兄さん、昨日は魔術道具の店に行くって言ってた気が……」
ラベルも何もない小瓶を
「アディ、これ」
「なぁに? ……『効果は一昼夜。ご安心を』? ……えっどういうこと!?」
「やられたな。ただの砂糖じゃないってことだ」
少年が疲れたように溜息をつく。走り書きを訝しげに見つめていたアデレードは、やがて理解が追いつくと両手で口許を押さえた。
もうお茶どころではなかった。身体が縮んだ原因と効き目の持続時間、ついでに犯人が誰かははっきりした。意図はわからなかったがそこはもはやどうでもいい。どうせ大した理由じゃない。
広げていた荷物を元のようにバスケットに詰め、ふたりは
ぶかぶかになってしまった服の袖や裾はできる範囲でまくり上げた。まくり切れなかった分はたくし上げながら歩いた。当然靴のサイズも合ってなくて至極歩きにくい。
ふと隣を振り返ったアデレードはあっと声をあげた。彼が抱えていたバスケットを慌てて取り上げる。
「わたしが持つわ」
「え、いやいいよ」
「持つったら。だってわたしの方が大きいもの。ウィルトールは大変でしょ」
今のウィルトールはアデレードよりも背が低い。揃って子どもになったわりにはなぜかアデレードの方がふたつみっつほど歳が上のようだった。おかげでふたり並ぶとまるで姉弟に見える。ウィルトールは不満げにむっと口をへの字に曲げた。
「なんで俺の方が小さいんだろう」
「うーん、食べた砂糖の量とか……?」
「一体どんな成分なんだ……身体が小さくなるなんて聞いたことがない」
頭を抱えるウィルトールには同意しかない。頬を膨らませ、こくこく頷いてみせれば彼は困ったような顔で「さすがに命に関わるものじゃないと思うけど」と一応のフォローを入れた。
歩を進めながらアデレードは使った角砂糖の量を思い返した。確かそれぞれのお茶にみっつずつ浮かべ、あとはカップケーキの飾りにパラパラふりかけた。だから効果の差があるとすれば〝ウィルトールの方がケーキを多く食べた〟ことくらいしか心当たりがない。それにしたって誤差の範囲内ではと思うけれど。
行きは楽しく歩いた道を帰りは口数少なく登っていった。重いバスケットを抱え、肩で息をしながらやっとのことで邸の門に戻ってきたふたりだったがそこで門番に止められた。ウィルトールが彼らを睨みつける。
「どういうつもりだ」
「それはこっちの台詞だぞ坊主。子どもが一体なんの用だ」
「子どもじゃないわ、ウィルトールよ! ピクニックはやめて帰ってきたの。早く通して!」
「はははひどい冗談だな。うちの若さまはおまえたちのような砂利じゃないんだ」
「ほら、お子ちゃまは帰った帰った」
「オコチャマじゃないったら! さっきはすぐ通してくれたのに!」
しっしっと手で追い払われる仕草をされ、アデレードの頬がぷーっと膨らんだ。
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