こうなったらいいなと願った未来が本当に現実になるなんて

夏至のおまじない

 ――いい? 今からとっておきのおまじないを言うね。

 夏至の日限定のおまじないなんだよ。


 まず新しい服を用意する。

 用意できたら川へ行って、思いきり服を濡らすんだ。

 そしたら裏返しにして椅子にかけておくだけ。

 正午か真夜中、未来の恋人が服を元に戻しに来るのが見えるんだって――。




「恋人がわかるの!?」


 大きな音を立て、勢いよく立ち上がった。あたりがしんと静まり返り、皆の視線が一斉に自分に向いた。教卓の向こうで教師がきょとんとした顔をしている。


「どうしましたかアデレードさん?」

「あっ、あの、えっと……なんでもありません。すみません……」


 アデレードはそそくさと腰を下ろすと身を小さく縮めた。顔から火が出そう。

 けれど幸いそれ以上問い詰められることはなく、教師は何事もなかったように朗々と文章問題を読み始めた。アデレードは開いたテキストに隠れてそうっと隣を覗き見た。


「夏至限定って花を集めるやつでしょ? 毎年枕の下に置いて寝るけど、恋人なんて一度も出てきたことないわよ」

「これは別格。すごいおまじないなんだから。上級生はみんな知ってるっていうし、実際に当たった人もいたって」

「……それ本当なの、シェアラ?」

「ほんとほんと。お姉ちゃんに頼みこんでようやく聞き出したんだよ。お姉ちゃんは先輩から聞いて、先輩は先輩の先輩から聞いたって」

「ふぅん……」


 シェアラはにやりと口角を上げた。テキストの陰でスススと近づいてきたのを見てアデレードも耳を寄せる。


「ね、やってみない?」

「う……ん……そうね。やってみよう、かな」

「やった! アデルなら乗ってくれるって思ってた」


 破顔したシェアラにアデレードも控えめな笑顔を返す。

 シェアラは指をピッと二本立てた。アデレードを仲間に引き入れた勝利宣言かと思えば、彼女の話は「チャンスは二回」と続いた。


「でも夜中に川に行くのはさすがに無理でしょ、私もアデルも」

「試すならお昼しかないわ」

「新しい服を忘れないでね」

「服……一番新しい服だったら今着てるのがそうなんだけど」


 小首を傾げ、今着ているワンピースを摘まむ。裾にレースをあしらった向日葵色のワンピースだ。腰の両サイドから垂れる絹リボンとふんわりしたパフスリーブが可愛くてすっかりお気に入りの一着になっている。だけど、


「川まで持っていくのよね? それなら運びやすい服の方がいいのかしら……ブラウスみたいな」


 着ていくのではなく家から持ち運ぶとなると嵩のあるワンピースはさすがに厳しい。

 シェアラは「そうだね……」とアデレードのワンピースを思案げに見つめていたが、


「なんでもいいんじゃない? そこそこ新しい服なら」


 軽い調子で頷いた。





  * *





 当日は日の出とともに目が覚めた。カーテンを開けると雲ひとつない晴天が広がっていた。アデレードはわくわく胸を弾ませて窓辺を離れた。

 だがそこからが問題だった。時計の針が全く動かない。本を読んでも内容が頭に入ってこないし刺繍をすれば指を刺す始末だ。

 ――時間が経つのってこんなに遅かったかしら。

 太陽の位置を確認するたびアデレードは溜息をついた。


 お昼のひとつめの鐘が鳴った。触っていた物を光の速さで片付けたアデレードは、お気に入りのフリルブラウスをできるだけ小さく畳んで抱えた。母に見咎められる前に家を出るとあとは一目散に駆け出した。

 川縁は思ったより混んでいた。水際で固まっているのはおそらく上級生の女子たちだ。少し離れたベンチにもきゃあきゃあ盛り上がっている集団が見える。


「アデル! こっち!」


 大きく手を振るシェアラと合流し、ふたりは上流の方へと足を向けた。


「本当に効き目のあるおまじないなのね。人がいっぱいでびっくりしちゃった」

「去年見かけたときは一体なんだろうって思ってたんだよ。これは期待しちゃうね」

「早く行きましょ!」


 空いたベンチに辿り着いたふたりは大事に抱えてきた服をウキウキと裏返し、川の水に漬けた。ぐっしょり重くなった服を軽く絞るとベンチに戻って綺麗に広げる。


 達成感に溢れていたのはそれからしばらくの間だけだった。手持ち無沙汰になったふたりはその場を離れ、ベンチからそう遠くない距離にある大岩に腰を下ろした。

 角の取れた岩はさらさらすべすべしていて座り心地はそれほど悪くない。足を伸ばして座ったアデレードは膝を軽く立てると頬杖をついた。

 木陰から見ているせいだろうか、ベンチに並んだふたりの服は陽光に照らされ眩しく輝いている。


「あっという間に乾いちゃいそうね」

「乾いて大丈夫なのかな? っていうかさ、アデルは未来の恋人ってどんなふうに見えると思う?」

「うーん、もやもやした幽霊みたいな感じかしら?」

「幽霊! こんな真っ昼間にぃ?」

「じゃあシェアラはどう思うの」

「さあ。わかんない」


 シェアラはコテンと仰向けに倒れた。アデレードも同じように寝転がる。岩の温もりを背中に感じながら、降り注ぐ木漏れ日を遮るように手をかざした。

 聞こえるのは川のせせらぎと梢のざわめき。他の女子たちのお喋りはまるで聞こえず、代わりに鳥の甲高いさえずりが時折風に乗ってくる。

 ――なんだか眠くなってきた。そういえば今朝は早起きしたんだっけ。

 とろんとした頭で木々を眺めていると「ねえ、」とシェアラの声が耳朶をなでた。


「アデルはウィルトールさまのどこが好きなの?」

「えっっ」

「私には雲の上の人だからさ。どんな人かもわかんないし、どういうところが好きなのかなって」


 一瞬で目が覚めた。飛び起きて振り返ればシェアラはきょとんと目を丸くした。そのまっすぐな眼差しからして冗談や冷やかしなどではなさそうだ。

 だけどどこが好きかなんて聞かれても困ってしまう。優しくて、カッコよくて、真面目で責任感があって、お喋りしたら楽しくて――。素敵なところを挙げ出したらキリがないし、いちいち説明するわけにもいかない。恥ずかしすぎる。

 口をパクパクさせていたアデレードはやっとのことで声を絞り出した。


「ぜ、ぜんぶ……」

「ええー、答えになってない」

「だってひとつなんて決めきれないわ! 全部ったら全部!」 

「そうなの? そっかあ。いいなぁアデルは。カッコいい幼馴染がいて」

「何言ってるの、シェアラだって素敵な幼馴染がいるじゃない。ローディアさんはみんなの憧れの的よ」

「まあ、それはそう」


 見つめ合っていた少女たちはどちらからともなく笑い出した。

 昼の鐘が遠く響いてきた。正午だ。どくんと心臓が跳ねる。

 そろりと上半身を起こしたシェアラとともに、アデレードはじっとベンチを見つめた。





  * *





 秀眉しゅうびがじわじわと寄っていく。その怪訝そうな面持ちについ、ぷっと頬を膨らませた。


「ほらやっぱり! だから言いたくなかったのよ。ウィルトールはそういう顔すると思ってたもの」

「いや、夏至のおまじないがいろいろあるのは知ってるよ。でもは聞いたことないなと思って」

「男の人はあまり興味なさそうだものね。もしセイルがやってたら、わたし驚きすぎて腰を抜かすかも」


 肩を竦めるアデレードの隣でウィルトールは「確かに」と苦笑いをこぼした。

 数日間の婚約披露会は盛大に幕を閉じた。そしてアデレードがクラレットの街を離れる日も迫っていた。

 帰途につけばウィルトールともしばらく会えなくなる。帰りたくないな、そう思っていた矢先に彼が少し散策しないかと誘ってくれた。二つ返事で了承するとアデレードは大急ぎで身支度を整えた。

 ついに念願が叶った。ふたりは思い出話に花を咲かせつつ、昔足繁あししげく通った街路やお店を楽しくまわった。

 そのうち川沿いの道に差し掛かった。耳に心地よい川のせせらぎや水辺の風景はアデレードが覚えていた姿そのままだ。当時の思い出が鮮やかに蘇り、曰く付きのベンチまで自然と探し出してしまった。はしゃいだところで当然のように説明を乞われ、躊躇ためらいつつも正直に告白したというわけだ。


 遠いあの日シェアラとともに服を干したベンチに、今はウィルトールと並んで座っている。こうなったらいいなと願った未来が本当に現実になるなんて、まだ少し信じられないし夢を見ているみたい。


「それで?」

「え?」

「恋人。アディは誰が見えたの」


 下ろしていた手にウィルトールのそれが重なった。瞬きをするほどの間に優しく絡め取られる。弾かれたように振り仰げば待ち構えていたのは熱っぽい瞳と意味深な笑み。

 アデレードの頬がほんのり熱を帯びた。


「あの、見えなかったの……」

「ふうん?」

「ほ、本当よ! 夏至のおまじないはうまくいった試しがないんだもの」

「じゃあ、夏至以外はうまくいったことあるんだ?」


 うっと言葉に詰まる。彼の視線から逃げるように俯くと唇を引き結んだ。

 脳裏によぎったのはいつか見た夢。背後から抱きしめられて迫られた――。


「……ないしょ」


 言えるわけがなかった。アデレードが誰を想って試してきたかなんて、ウィルトールにはきっとバレバレだ。だから言った瞬間それは告白と同義になってしまう。


「ないしょ?」


 ウィルトールが覗きこんできた。声にうっすら楽しそうな気配が滲んでいる。

 ――言っても言わなくてももはや同じことなのでは?

 アデレードは勢いよく立ち上がった。


「ないしょったらないしょ! もうっこの話はおしまいよ。行きましょ」


 彼を見ずに、繋いだ手をぐいぐい引っ張り歩き出せば背後から可笑おかしそうな笑い声が届いた。全身からあっという間に汗が吹き出す。ああ、手汗に気づかれちゃったらどうしよう。


「アディ、待って」

「きゃっ」


 後ろから手を引かれてよろめく。その手が離れたと思ったときにはもう彼の両腕が前に回されアデレードは捕らえられていた。

 抱きしめられ、耳元に気配が近寄った。


「来年は俺が戻しに行こうか」

「ら、らいねん……?」

「今年の夏至は過ぎたからね」


 左の頬が彼の手指に包みこまれた。思わず身を竦めたアデレードを宥めるように撫でてくる彼の手付きは温かい。そうして「こっちを向いて」と囁かれてしまうとアデレードに抗う術はなかった。

 このうえなく優しい一瞬に身を委ねる。

 やがてアデレードは夢見るようにゆるりと目を開けた。視線を絡ませたのはほんの数秒。それからすぐに俯くと目を伏せた。


「……もうしないわ」

「え?」

「夏至の……。あれは恋人がわかるおまじないだもの。する必要ない、でしょ」

「ああ、それもそうか」


 くすくす微苦笑が降ってくる。

 すでに耳まで熱かった。きっと今自分は真っ赤な顔をしているのだろう。恥ずかしい。でも嫌な恥ずかしさではない。

 そうっと上目遣いに見上げれば、薄明の色をした瞳は柔らかく綻んだ。まっすぐ向けられた笑顔にアデレードの胸が震えた。


 ――ああ、好きだわ。ウィルトールのことが、こんなにも。


 好きなところをひとつになんて絞れるわけがない。彼の全てが素敵で、全てを好きなのだ。一緒にいるだけでアデレードに幸せを運んでくれる。

 あらためて湧き上がった想いに泣きそうになる。それを胸にひた隠しアデレードも会心の笑みを返した。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る