Encore(おまけ)

あらたまって手を取ると恭しく唇を落とした。

麗しき姫に捧ぐ誓い

 黄昏に染まる庭園に明かりが灯された。

 何気なく見下ろした先に想い人を見つけ、アデレードはこっそり喜びを噛み締める。我ながら素晴らしい探知能力だ。

 二度目の夜、ウィルトールはクリーム色の長衣に身を包んでいた。明るい色の衣装だといつも以上に貴公子然とする。彼がいま話している相手もかっちりした身なりをしているけれど、輝いて見えるのは断然ウィルトールの方だ。

 対するアデレードのドレスの色はアプリコット。肩が出たデザインで胸元と袖口、裾にクリーム色のレースがあしらわれている。

 つい、口許が緩んだ。お互いにかけ離れた色味ではないし雰囲気もなんとなく似ている気がする。これなら隣に並んでも遜色ないのではないかしら、なんて。

 ──そこまでは確かにうきうきと楽しい気持ちだったのだ。


 話を終え歩いていくウィルトールを真っ赤なドレスを着た女性が呼び止めた。

 そこに桃色のドレスの可愛らしい女性が加わり、間をおかずに黒髪の女性もやってきた。この人は雰囲気がすごく大人っぽい。

 きっと〝あわよくば〟を狙う人たちだ。

 特に赤ドレスの人なんてずっとウィルトールから離れない。身振り手振りを交えて話すたび、金の巻き毛に結ばれた赤い天鵞絨ビロードのリボンが楽しそうに揺れる。おかげで後頭部しか見えてないのに彼女が今どんな顔をしているのか簡単に想像がついてしまう。




 庭園の隅から隅まで、〝暁の間ここ〟からだと本当によく見えた。遠巻きに窺う目がひとりやふたりではないのも、その中からまたひとり近づいていく女性がいることも。窓枠に添えたアデレードの手に力がこもっていく。


「おー。ウィルのやつ囲まれてるなぁ」

「きゃあ!」


 背後、それもごく近い場所から聞こえた声にアデレードは絵に描いたように飛び上がった。その後を踏んで足がもつれ、流れるように転倒した──この間およそ三秒。アデレードを驚かせた張本人ファーライルは目を丸くしたあと「そんなに驚く?」と可笑おかしそうに口角を吊り上げた。


「何を一生懸命見てるのかなーって思ったんだよ。なるほどね」

「う、ファーライル、さま……?」

「ファルくんでいいよ。今日の装いも可愛いねアディちゃん。どうかな、今夜こそおれと一曲──」

「踊りません!」

「えー。つれないなあ」


 残念がる言葉を口にしながら、アデレードを見下ろす藍色の瞳は朗らかに優しい。とはいえこの優しさに惑わされてはいけないのだ。どうぞと差し伸べられた手にだって素直に掴まっていいものかどうか。


「あんまりからかうんじゃないよファル」


 部屋の中央からアネッサの声が飛んできた。


「アデレードが困ってるだろ」

「からかってないって。可愛いと思ったから可愛いねって言ったんじゃん。おれ、いいなと思ったことはちゃんと伝える主義」

「それは間違ってないけどね」


 ふたりのやりとりを眺めているとディートがやってきた。彼女の手にはありがたく甘えることにする。


「怪我しなかった?」

「大丈夫、です……」

「そっちの手も見せて」


 立ち上がると同時に催促され、もう片方の手も遠慮がちに差し出した。両手をじっと見つめられているとそれだけでなんだかどきどきしてしまう。昨日よりは少しましというだけで、佳人に対する緊張はまだ取れない。


「うん、大したことなさそうだね」


 両手のひらをさらりと撫でてディートはアデレードを解放した。その自由になった手をアデレードはまじまじと見つめる。


「うそ……」

「どうしたの、変な顔して」

「治っちゃったみたい。ちょっとひりひりしてたのに」


 ふたりに向けて「ほら」と両手を見せる。倒れた際についた手のひらには軽いひりつきと仄かな赤みがついていたのだけれど。

 ディートは微苦笑を浮かべた。


「昨日も言ったでしょう。おまじないみたいなものだよって」

「おまじないというより魔法だわ。ディートさんが触ったら一瞬で痛くなくなったもの」

「いいこと教えてあげようかアディちゃん。ディートのひみつ」

「ディートさんの、ひみつ?」


 にやりと片頬を緩めたファーライルにアデレードは身構えた。この顔は絶対信用してはいけない類いの笑みだ。彼が「実はね」と一歩踏み出したので間合いを取るように一歩下がる。


「ディートはなんと、竜族なんだよ。精霊の王さまだよ。わあすごい!」


 ファーライルの鳴らす拍手の音が小気味よく響いた。


「りゅっ……!」


 思わず口許を押さえふたりの顔を交互に見やった。だがファーライルがお得意の爽やかスマイルであること、件の彼女は何とも言えない微妙な顔をしていることに気づくと「もう!」と彼に向き直った。


「冗談はやめてくださいっ。いきなりそんなこと言って、ディートさんにも失礼よ」

「いやいやほんとのことだって。普通の人とはちょっと違うなあって思うことなかった?」

「騙されないんだから! どうせわたしが精霊探しに夢中になってた話を聞いたんでしょう? だからそんなことを」

「アディちゃん精霊を探したことあるの?」

「そっ、それは子どものときの話ですっ!」

「アデレード落ち着いて」


 ディートが割りこんだ。彼女の肩越しにファーライルを睨めば全く悪びれないにこやかな笑顔でひらひら手を振られた。この〝遊ばれている感じ〟がとてつもなく悔しい。




 くるんと方向転換させられたアデレードは、ディートに押されるままテーブルに着いた。後からやってきたファーライルが当然のように隣に腰を下ろし、アネッサは溜息混じりに「ファル」と口を開いた。


「あんた、ここにいていいのかい? あっちも始まってるんじゃないの」

「あー、いいのいいの。今のおれ、大好きなお兄ちゃんを取られて傷心なの。それに下にいたら可愛いご令嬢がみんな集まってきておれを取り合いになっちゃうからさ。ちょっと隠れさせて」

「あたしは別に構わないけど……」


 ちら、とアネッサに一瞥されたがアデレードが異を唱えられるはずもない。場の決定権を持つのはアネッサだ。

 それにファーライルの言はあながち嘘とも思えなかった。こうみえてウィンザール家の次男だ。玉の輿を狙う女性は多いだろう。

 とはいえ当人が好色家なのは本当に問題だと思う。どこまでふざけていてどこからが本気なのかよくわからないところも。


「アディちゃんこそ、ウィルのところに行かなくていいの?」

「ウィルトールですか?」

「結構囲まれてたからなあ。おれがここにいるせいもありそうだけど」


 何食わぬ顔で窓の方を眺める彼に倣い、アデレードも視線を投げた。ここからではもう庭園の様子は見えない。気にならないと言えば嘘になるけれど──。




 ふと自分をにやにや見つめる目に気づいてアデレードは顔を強張らせた。


「な、なんですか」

「アディちゃん、ほんと可愛いよね。あいつが離したがらないのわかる」

「は?」

「なんかこう、構いたくなるっていうか? どんな反応するかいちいち見たくなるっていうか……。アディちゃんに話しかけるの、おれ的にひと粒で二度美味しいんだよね」


 ファーライルは椅子ごと身体を寄せてきた。にこやかに口の端を持ち上げて頬杖をつく。


「ウィルもさあ、子どもの頃はめちゃくちゃ可愛かったんだぜ」

「……ウィルトールが、ですか?」

「素直でおれの言うこと何でも聞いて、いっつもにこにこしててさ。アンたちも賛同してくれると思うけど」

「……まあ間違ってはないか」

「いい子だよね。弟ができる前のウィルは、私はよく知らないけれど」


 アネッサが頷き、隣ではディートが唇に薄く笑みを浮かべてカップに口をつけた。

 ファーライルは「ここだけの話、」と前のめりにアデレードを見つめた。


「とっておきの面白い話があるんだよ。あいつの誕生日の話。……聞きたい?」

「えっ、き……」


 聞きたい。そう言いかけたところで肩にぽんと重みが降ってきた。乗せられたのは手指の長い綺麗な手。視界を遮るような形で割りこんできたのは淡いクリーム色の長衣。視線を上に滑らせていくと、そこに大好きな横顔があった。


「ウィルトール!」


 いつの間に入ってきたのだろう。ぽかんと見上げるアデレードを藍色の瞳は優しく見下ろし、それから兄に向き直った。


「兄さんに伝言。ドレーゲル卿が話がしたいって」

「ええ? ……ミアンナ嬢やベラニー嬢からのご指名じゃなくて?」

「従兄弟のドゥローゲ子爵オルドワーズだね。残念ながら」

「オルドワーズか……。堅苦しくって苦手なんだよなあ。いちいち突っかかってくるしさ。フリッツの方がまだ話しやすいけどあっちはちょっと頼りない」

「堅苦しいのはジールで慣れてるだろ。あんたはすぐ態度に出るんだから気をつけなよ」

「大丈夫だって。っていうかお兄ちゃんは優しいじゃん」


 ファーライルは不満顔をアネッサに向け、げんなりと席を立った。嫌そうな割にはちゃんと行くんだな、なんてこっそり感心していると扉が閉まる直前「またねー」と手を振ってきた。アデレードは小さく会釈を返す。


「俺たちも行こう。アン、ありがとう」

「えっ、あ、うん。アネッサさんお邪魔しました」


 アネッサとディートのふたりにお礼を言い、アデレードは彼に手を引かれ部屋を後にした。





 * *





 薄暗くなった廊下を、先ほど通ってきた道とは反対の方へウィルトールは進んでいく。角を曲がった先の階段を降りかけたところで「ねえ」と声をかけた。


「どこ行くの」

「どこがいいかな。まだ早いからどこかで時間潰そうか」

「そういえば宵の鐘が鳴る頃にって書いてあったのに」


 昼間届いた手紙を脳内に呼び出した。今日のはウィルトールの直筆で、迎えに行くまでアネッサの部屋で待っていてほしいという内容だった。昨日と同じ時刻が書いてあったことに一抹の不安を覚え、おとなしく〝暁の間〟に直行したのだけれど。

 踊り場でウィルトールが振り返った。アデレードが二段ほど高い位置にいるためにちょうど見上げられる形になる。なぜ彼がむっと渋い顔をしているのかわからず、アデレードはきょとんと瞬いた。


「ずるいと思わないか?」

「なにが」

「兄さんもセイルも好きなように過ごしてる。不公平だろう。俺だって好きにしたいのに」

「それは……そうね」


 ふらりと現れたファーライルにしろ、おそらく今日もどこかに逃げているであろうセイルも、立場的に何かしら役割を与えられているはずだ。なのにふたりとも守る気がなく、好き勝手に行動しているとなればウィルトールが不満を覚えるのも当然のことだと思う。


「いいんじゃないかしら。ウィルトールがいつも頑張ってるの、わたし知ってるわ。だから少しくらい羽目を外したって、」

「アディは賛成してくれる?」

「ええ」

「じゃあ、」


 ぐいと手を引かれた。残りの段差をまろぶように駆け降りたアデレードを彼の腕が抱きとめた。耳元にウィルトールの顔が寄る。


「独り占めしていい? アディ、ファル兄さんとばっかり楽しそうで妬けるから」

「……え?」


 顔を上げるとすぐそばに薄明の空があった。近い。頬が熱を帯びていく。


「さっき窓のところにいただろう。叫んだと思ったら見えなくなった。アンとディートがいるからとんでもないことにはならないはずだと思ったけど」

「──気づいてたの!?」

「気づかないと思ってたの? あれだけ大声で叫べばいやでも気づくし、兄さんもわざわざ俺に手を振ってくるし」

「え、ええええ」


 一気に全身が熱くなった。まさか見られていたなんて。恥ずかしくて隠れるか逃げるかしたいのに、背中に回された彼の腕がそれを阻む。


「あ、あんなの楽しいわけないじゃない! 後ろから声をかけられて驚いただけよ。それに……それを言うならウィルトールだって!」

「なに?」

「綺麗な女の人がいっぱいいたわ。楽しそうに喋ってた」

「楽しそう……俺が?」


 アデレードはツンと顎を上げた。さっきの光景を思い出すだけでやっぱりむかむかしてくるのだ。だからなるべく顔を背けて、こんなに怒っているのよと態度で示す。今の状態でできる精一杯の反抗だ。




 やがてくすくすと笑い声が降ってきた。え、と振り向いたアデレードは次いで眉を顰めた。想定していた反応と違う。


「ウィルトール?」


 なぜ笑っているのと目で訴える。けれどウィルトールは「なんでもない」の一点張り。それどころか今度は彼の方が顔を背けてしまい、アデレードの頭の中はあっという間に疑問符だらけになった。そうすると胸に湧いてきたのは新たな怒りで。


「もう! ウィルトールってば!」


 ぽすっと彼の胸を叩いた。

 ウィルトールは腕を解くとまっすぐ向き直った。笑いの残る瞳がアデレードを捉える。


「じゃああらためて。アディにお願いしていいかな」

「知らない!」

「今夜、一緒にいてほしいんだ。宵の鐘が鳴るまでお喋りして、そのあとワルツを踊ろう」

「……え、それって。あの」


 目を瞬かせた。ふと指先の冷えに気づいて、そろりと胸の前で組み合わせる。

 ウィルトールが笑みを深くする。あらたまってアデレードの手を取るとうやうやしく唇を落とした。そうして口付けたままじっと少女を見つめる。


「『月映えの湖にて、麗しき姫に捧ぐ誓い』」

「……誓いの、ワルツ……?」

「そうとも言うかな」


 耳朶を撫でた彼の言葉に心が震えた。急に息も震え出して、空いた方の手で胸元をきゅっと押さえる。瞬きをした途端、ぽろりと雫がこぼれた。


「アディ?」

「あ、れ……」


 ひとつこぼれると後はもう止まらなかった。指で拭ったり押さえたり、いっそ息を止めてみたりもするけれど涙が止まる気配はない。焦りだけが募っていく。


「ごめん、もしかして泣くほど嫌だった」

「ちがっ……ちがうの! あの、ワルツ……、踊りたかったの。一緒に」

「……本当に?」


 顔を見られるのが恥ずかしくて俯き気味にこくんと頷いた。そんな抵抗も虚しくアデレードはおとがいを持ち上げられ、視線を絡め取られた。


「覚えておいて。俺が大切に想う子はひとりしかいないから」

「……ウィルトール、」


 囁くように名前を呼ぶと藍の瞳は柔らかく綻んだ。彼の前髪が額をくすぐる。やさしい眼差しが迫って、アデレードはそっと目を閉じた。





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