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 * *





 夜の始まりを告げる鐘が遠くに鳴り響いていた。それすらも楽の一部となって、ひとつの曲を紡いでいく。

 衆目を集めるひと組の男女──その男性の方をアデレードは食い入るように見つめていた。癖のないさらさらした茶色の髪とここからでもわかる藍色の瞳はつい先ほども目にした組み合わせである。一瞬、同一人物かと思ったが。


「わたくしまだ諦めてなくてよ」

「まあ。ジルヴェンドさまから申し込まれたら、あなたちゃんと踊れて?」

「そうね……。見つめ合うのに忙しいかもしれないわ」

「あなたたちファーライルさまに微笑まれたことないの? あの素敵さがわからないなんて」


 密やかな囁きとあちらこちらで上がる羨望の溜息が耳朶を打った。

 ウィルトールは嘘をつく人ではない。わかってはいてもこうして事実を突きつけられると彼は正しかったのだと再確認する。なにより長男ジルヴェンドの纏う空気は三男ウィルトールの持つそれと近しい気がした。先に会っていたのが彼であれば何の違和感も覚えなかったと思うのに。そうすれば次男ファーライルにも失礼な言葉を並べなくて済んだかもしれない。


「誓いのワルツだわ……」


 アデレードの呟きに隣でシェアラが頷いた。幾つもの音が重なりあう優美な円舞曲にうっとりと耳を澄ませる。

 〝誓いのワルツ〟とはいわゆる俗称だ。祝福された恋人たちのための楽曲であり、こういう場では決まって演奏されるためアデレードなどはそう呼ぶことの方が多かった。正式名称はもっと長くて覚えにくい。




 曲が終わりを告げた。本日の主役はここで退場するようだ。次の演奏に合わせて他のペアが続々と集まってくる中、仲睦まじく寄り添って会釈をするふたりは人混みに消えた。


「アデルは今、お付き合いしてる人いるの?」

「えっ」


 不意打ちの問いに頰がぽっと熱を帯びた。アデレードが押し黙ると、シェアラはあっと謝罪の語を口にした。苦笑いを浮かべた彼女はそっと広場を指した。


「誓いのワルツだもん、いたら一緒に踊るよね」

「……誘ってくれたらなぁと思う人は、いるんだけど……」


 両手を胸元に引き寄せた。ポーチを抱きしめる陰でこっそり青玉に触れれば、不安な気持ちがほどけて吸いこまれていく心持ちがする。

 だってウィルトールの持ち物を身につけているという事実がもう幸せで嬉しいのだ。彼に守られているようでもあり、「俺のもの」と主張されているようでもあり。意識が向くたび口許が緩んでしまうのはもはや仕方がない。

 シェアラの視線は広場の方へ投げられた。


「安心した。アデル急に引っ越しちゃったでしょ。あのときちゃんと話聞けなかったけど、告白は多分ダメだったんだろうなと思ってたから」

「え、今なんて……」

「ねえ、ローディ来た!」


 きょとんと隣を仰ぎ見る。話の内容を問う前にシェアラの関心は次に移り、アデレードは得心がいかないまま彼女の指差す先へと視線を向けた。

 茜色の髪を高く結い上げた女性が出てきた。暗めの赤いドレスは光の当たり具合で真紅に輝く。髪や胸元にきらきらと光を纏い堂々たる姿で中央へ歩いてくる彼女は他の令嬢方と明らかに一線を画していた。

 そのローディアの隣にある人影にアデレードは目を見開いた。


「えっ……」


 お日様の光を集めて束ねたような滑らかな髪。どんなにたくさんの人がいたって見失うことはないその色。馴染みのある背格好も〝あかがねの薔薇姫〟に手を差し出す仕草も、彼が何者たるかを示している。


「どこ行くのアデル?」


 背後の声に答える余裕はなかった。ふたりの姿がもっと良く見えるところへ、少しでも近くへと観衆を掻きわけていく。




 本日二度目のワルツを弦楽器が高らかに歌い出した。

 はあ、と肩で大きく息をつき、アデレードは再び広場に顔を向けた。ふたりとの距離はさっきよりも近い。優雅にステップを踏む人々の中で一際目を引く茜色の髪がふわりと宙を舞い、真紅のドレスが広がる。それを追いかけ翻るのは濃紺の長衣。背に流れる蜂蜜色の髪と、裾に施された銀糸の刺繍が薄明かりを弾く。


「アデル、走るの速いよ」


 隣に並んだシェアラは一息つくと、広がる光景に目を和ませた。


「ほんとよかった。ローディずっと待ってたんだもん。お披露目会がクラレットここであるってわかったときの喜びようったらなかったよ。ちゃんとした話はこれからみたいだけどアデルはどう思う? ローディがフォルトレストに行くのかな」

「ねえ、ローディアさんってウィルトールのこと……」

「ん?」

「ウィルトールを……、あの、本当に……?」


 震える唇ではそう言うのが精一杯だった。小首を傾げていたシェアラは不思議そうに頷いた。


「もう公認じゃない? だって誘拐されて、助けにきてくれたら誰だって好きになるよ」

「誘拐!? ローディアさんが、ゆう──」

「アデル、声が大きい」


 しっと人差し指を立てたシェアラにアデレードは慌てて口を覆う。

 どちらからともなく人の輪から外れた。シェアラはあらためて向き直ると声を潜めた。


「未遂だからね。ウィルトールさまのおかげで大事おおごとにならずに済んだんだから」

「……そうなの? そんな話、ウィルトールからは一言も、」

「知らなかった?」


 こくんと頷く。

 これまで思い出話として上がってきたのはウィルトールがシアールトに移ってきた頃のことがほとんどだ。クラレットから馬車で少し行った先にある自然いっぱいの村シアールト。まだ幼かったアデレードが全力で彼を困らせていただろう時期のこと。

 幼児期の朧げな記憶と様々な思いこみが、ウィルトールのもたらす真実によって往々に補完されてきた。言い換えればその頃の思い出の方が双方の記憶にギャップがあり、話に花が咲いた。


「無理ないかもね、アデルは引っ越しのバタバタもあっただろうし」

「七年前にそんなことがあったなんて……」

「なな? ……違う違う、六年前。アデルが告白するって言ってた前後だよ確か」

「……告白?」


 胸がざわりと騒いだ。腕組みをするシェアラは「っていうかさ」と苦笑を漏らした。


「さっきから思ってたけどいつまでも呼び捨てはまずいと思うよ。いくら幼馴染って言ってもこれからは妻帯者になるわけだし。ローディだっていい気はしないんじゃない」

「待ってシェアラ、告白って? 何の話をしてるの」

「それこっちの台詞!」


 アデレードが詰め寄ると彼女は憤慨したように両腕を腰にやった。


「フラれたんでしょ? 複雑なのはわかるけど、潔くローディとウィルトールさまを祝福しなくちゃ」





 シェアラとは他に何を話しただろう。顔色の悪さを指摘された気がしたが会話は途中から不明瞭でよくわからない。

 だけどもうどうでもいいのだ。今は約束を守ることだけを考えればいい。

 心臓の音が耳元で激しく騒ぎ立てていた。陽の落ちた森はおどろおどろしく、ともすれば梢が作り出す闇に吸いこまれそうな錯覚に陥る。それでも所々に射す星明かりを頼りにアデレードは駆けた。

 この暗い道はどこまで続くのか。さっきはすぐ抜けたと思ったけれど──。

 何枚もの羽根を束ねたような感触が頬を掠めた。それが低い位置から伸びた若い枝だったとは後から思い至ったことだ。斜め後ろから髪を引っ張られ、アデレードは思わず足を止めた。


「痛っ……あっ」


 ──止めたつもりだった。重心をかけた足がずるりと滑り、尻餅をつく。地面についた手の平が濡れた草の感触を伝えたときにはもう身体の下に地面はなかった。再度衝撃が襲い、あとは斜面を滑り落ちていく。

 意識が暗転する直前、眩い光が弾けた気がした。





 * *





 ひと組の男女が寄り添い佇んでいる。どちらもアデレードのよく知る人だけれど、自然と引き寄せられるのは蜂蜜色の髪を持つ男性の方だった。闇に射しこむ一筋の光をきらきら弾く滑らかな髪。

 彼が持つ青藍の双眸は今は別の女性に注がれていた。アデレードと同じ赤い髪を持ち、アデレードよりも綺麗で大人っぽい女性ローディアに。


 ──今度こそ早とちりではない。アデレードの知らないところで縁談の話が進められている。誓いのワルツが何よりの証拠。


 彼女はギルマルク家の一人娘。片やウィルトールはウィンザール家の三男だ。家柄や本人の素行には何の問題もなく、それどころか過去に娘を救ったヒーローでもあるとなればギルマルク伯が反対する余地はどこにもない。


『誰だって好きになるよ。誘拐されて、助けにきてくれたら』

『フラれたんでしょ?』


 友人の声が耳に蘇った。一般論としては当然のことだとアデレードも思う。けれどもうひとつの言葉はとても賛同できるものではなかった。告白なんてした覚えがない。謂れもないのに身を引けと言われても困る。シェアラが嘘を言うとは思えず、かといって彼女が正しいとも思いたくはない。

 アデレードの想いはウィルトールに知られているのだろうか。だとすればなぜそれを黙っているのか。

 選択肢はふたつしかないはずだ。そのどちらも選ばない理由は一体なんだろう。縁談が明らかになれば事情を察するだろうと期待している?

 アデレードははっと息を呑んだ。ファーライルと対峙したときその場凌ぎの嘘ででも恋人と呼ぶことはしなかった。あれが彼の答えではないのか。


 名を呼ばれた気がして顔を上げるといつの間にかふたりが目の前にいた。ウィルトールの手が親しげにローディアの肩に回され、その唇はゆるやかな弧を描く。


『見せたいものがあるんだ』


 ローディアがそっと隣を見上げた。青年を見つめるその瞳が嬉しそうに綻ぶ──。




 自分の悲鳴で飛び起きた。胸が激しく騒ぎ、全身に酷い脂汗をかいている。アデレードは膝に顔を埋めて鼓動が落ち着くのを待った。


 ──最近の夢見の悪さには泣きたくなる。


 冷たい夜風が肌を撫でていった。身体のあちこちが痛くて重い。出血している感覚はないけれど打ち身はかなりあるのかもしれない。自らを抱きしめるように両腕を撫でると赤い毛束が指先に落ちた。編みこんでいた髪も解けてしまったらしい。


「やだ……」


 のろのろとドレスを見下ろせば繊細な織りのレースはほつれて破れ、生地はどろどろに汚れていた。擦ったり叩いたりするとまだら模様はかえって酷くなる。

 鼻の奥がつんとした。ペンダントを握った拳に水滴が落ちた。ぽつりぽつりと雫は後からこぼれ落ちていく。


 幾ら縁談を受ける気はないと突っぱねても本人に決定権がなければどうにもならないのだ。あんなに嫌がっていたエレムやセイルだって、時間とともに心変わりしていった。だからウィルトールもきっとそうなる。優しい人だからこそ。

 喉の奥がぐうっと締まる感覚に背を丸める。

 少女の手の中に仄かな温かみが生じたのはそんなときだった。揺れる視界の下端に青玉と四つ葉の革細工が映りこんだ。見た目になんの変化もないその飾りが、冷えた指先をじんわり温めている。


「ウィルトール……」


 目許を拭い、アデレードはもう一度ペンダントを握りこんだ。


 ──やっぱりちゃんと会って話がしたかった。彼はきっとアデレードの不安を笑いとばしてくれる。そう信じていたい。




 満天の星の下、傾斜の緩やかな箇所を求めて目を凝らす。

 三方を急斜面に囲まれたそこは岸辺をごっそりえぐり取ったような地形だった。子どもが数人走り回って遊べそうな広さがあり、岸壁は足元から中ほどまではすり鉢状だがそこから上はまるっきり崖になっていた。上端まではアデレードの背丈の倍以上ある。

 開けた一方には暗い湖の風景が覗いていた。耳に届く音の感じからすると水辺は思ったより近そうだ。

 一角に小さな光を見つけた。アデレードの腰より低い高さに、暗赤色の光がふたつある──。


「えっ……」


 心臓が跳ねた。全身の毛が逆立ち、踏み出しかけた足はそのまま固まった。

 何の動物だろう。いやあれは動物なのか。オバケの類いだったらどうすれば、でも今まで見たこともないのにそんなものに遭うかしら──。

 長い長い一瞬だった。実際は瞬きをするほどの僅かな間だったかもしれない。アデレードが様々な憶測に圧倒されているうちに、赤い光はそっと距離を詰めてきた。あたかも氷の上を滑るように、アデレードの目の前に。

 ひっ、と息を呑んだアデレードは、そのそばから眉を顰めることになった。

 豊かな黒髪を背に流した女の子だ。年の頃は四つか五つ、裾の長い衣に身を包み、唇を真一文字に引き結んでじっとアデレードを見つめている。闇の中で恐ろしげに見えた瞳はどちらかというと茶色に近い。


「……ひとり? あなた、どうしたの……?」


 きょろきょろと辺りを見回すも他に人の気配はない。とは言えこの年頃の子どもがひとりで歩き回るのは考えにくい。同じということか。


 少女がおもむろに両腕を持ち上げた。アデレードに向かって伸ばされた両手、その仕草がに思わずアデレードの口許が綻びる。

 少女の脇の下に手を差しこんだ。

 その瞬間、轟音と閃光が闇をつんざいた。


「きゃあ!」


 まるで指先に雷が落ちたような衝撃だった。

 火傷はない。代わりに聴力がなくなり視界には光の残像が残った。両手で耳を押さえたり離したりしてみるが感覚は戻らない。

 だがそれよりも。数歩よろめいただけのアデレードに対し、横に伏せた小さな身体はぴくりとも動かなかった。


「あ──大丈夫!? どこか怪我は、」

「アディ!」


 一歩を踏み出したところで足が止まった。膜が張ったような耳でも即座に反応できたのは、特別な声だったから。瞬時に振り返ったアデレードをその動きごと、は腕の中に閉じ込めた。


「何してる!」

「ウィルトール!? あ、ま、迷って……」

「あれは人じゃないよ、アデレード。近づいてはいけない」


 視界の外から涼やかな声が響いた。ウィルトールの後ろから姿を現したのは黒髪の佳人だ。


「ディートさん!」

「寄り道は感心しないな。ウィルのおかげで迷わずに済んだけれど」


 白魚の指がアデレードの胸元を指した。つられるように一瞥し、アデレードは背後を振り仰ぐ。どういうことだと目で訴えると彼は僅かに口角を上げた。


「言っただろう、ディートが作ったって」

「手作りだと迷わないの?」

「特別だよ。ディートは〝える人〟なんだ。そのペンダントも魔術道具というより──」


 会話はそこで断ち切られた。鋭い、猫の鳴き声のような音が闇を裂き、ふたりは弾かれたように視線を戻した。

 音の出所はディートの手の先にあった。女の子が、親猫に運ばれる子猫のように首の後ろを摘まみ上げられていた。もがき暴れる様から嫌がっているのは見て取れる。その声にしてももはや人より猫のようだけど。


 ──さすがにその抱き方はない。


 抗議の声を上げようと息を吸い込んだアデレードは、次の瞬間目を見張った。ディートの手にあるのは女の子ではなかった。見る間にどんどん萎み細くなっていく黒い。暗がりの中にありながらそれは何故か星屑を纏うかのように薄ら輝いている。太いロープほどにまで縮まるとすっかり大人しくなった。

 アデレードに回された腕に力が籠もった。耳元に気配が近寄る。


「精霊の一種だって。人にはあまり好意的じゃない部類の」

「せ……、ええ!?」


 何度瞬きをしてみても暗くてよくわからない。もっと近づいてみたい。けれどそれ以上近寄ることは彼が許さなかった。

 ディートが口の端を持ち上げた。


「私はこの子と少し話をしていくから、ウィルたちは先に上がっているといい。後から帰るとアンに伝えて」





 ディートの姿が見えなくなってからもアデレードは呆然と立ち竦んでいた。子どもの頃は一目でいいから精霊を見てみたいと思ったものだけれど。


「……思ってたのと全然違うわ……」

「アディ、」

「ねえ、あれ本当に精霊なの? ディートさん、精霊と話すことなんてできるのかしら」


 アデレードはおずおずと向き直る。少女の全身をくまなく見回したウィルトールはその両肩に手を添えた。


「怪我は」

「あっ……これ貸してくれてありがとう。やっぱり借りててよかった。おかげで、」

「何もない?」


 ペンダントを握ったままこっくりと頷く。視力と聴力はほぼ戻ったので嘘ではない。いろんなところがしくしくと痛むがそれだけだ。

 だが口の端だけで形作っていた笑みは、彼に顔を覗きこまれてしまうと引きつった。鋭い光の宿る瞳からは逃れられず、ついにアデレードは白旗を上げた。


「……打ち身だけ」

「どこに」

「背中と腰……と、足もちょっと。でも大したことないのはほんとよ」

「アディは聞かないと教えてくれないな」


 ふうと呆れ気味に吐き出された溜息を耳が拾った。反射的に身を固くしたときにはもう藍の双眸は視界から消え去っていた。あとに広がっていたのは満天の星。それから数秒遅れて青年の両腕が背に回されていることに気づいた。


「う……、ウィルトール……!?」

「ごめん、やっぱり送っていくべきだった」


 喉の奥から絞り出したような声が、頭のすぐそばで聞こえた。途端に現実が戻ってくる。翻る濃紺の長衣と、ふわりと舞う茜色の。


「──待って、離して!」


 胸の前に無理矢理腕を捩じ込んだ。ウィルトールとの間に隙間を作り、力いっぱい押しやると彼のいましめは呆気なく解けた。向けられた訝しげな眼差しをアデレードは真正面から受け止め、息を吸いこむ。


「ウィルトール、ローディアさんと縁談するの?」

「え?」

「ローディアさんを助けたって本当? だからワルツを踊ったの? 誓いの──」


 青年の顔色が変わった。アデレードにはそれで充分だった。自らを抱きしめるように両腕を交差させる。


「本当なの……。シェアラが言ってたこと全部」

「……前にも言っただろう。縁談はしない」

「どうにもならないことはあるもの! エレムも、セイルだって」

「聞いてアディ──」

「ウィルトールはどこまで知ってるの!? わたし、何を信じればいいの……!?」


 伸びてきた手から逃れるように数歩下がった。込み上げてくるものを必死で堪えながら一歩、また一歩と後ずさる。


「祝福しなきゃって言われたの。でもそんなのできない。知らないんだもの。知らないことばっかり……!」


 ウィルトールは押し黙っていた。まっすぐ見つめてくる眼差しは今まで見たことのない深い海の底の色をしていた。何を思っているのかわからない、そう考えてアデレードの口角はぎこちなく上がる。ウィルトールが何を思い何を考えているのか、当たったことなんてほとんどない。

 先に動いたのはアデレードだ。首の後ろに両手を持ち上げる。結ばれた鎖の留め具を外そうとするがなかなかうまくいかない。


「これ、アディのだろう?」


 静かな声が耳を打った。彼が差し出してきたのは白いリボン。先程までアデレードの髪を彩っていたものだ。きっと酷い髪型になっているのだろう。ぼんやり思うそれすらもはや他人事のようだ。

 彼の手が上向いたまま上下した。早く受け取れというメッセージをそこに受け取ったアデレードは仕方なく足を踏み出した。間合いはできるだけ保ち、目一杯に腕を伸ばして。

 指がリボンに触れる直前、その手はウィルトールに捕らえられた。


「戻ろう。話は上に上がってから──」

「やっ、離して……!」

「アディ、」


 力任せにもがいてみるが逃れることは適わない。一気に引っ張られ、気づけば彼の腕の中に収まっていた。聞いてと囁かれるとアデレードはいよいよ動けなくなった。


「──全部話す。だから、上がろう」

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