3

§§


 僕は、白い闇の中にいた。

 その闇は、粘着質な泥のように身体に纏わりついて、どんなにもがいても抜け出すことが出来なくて、ずぶずぶと、何処までも深く僕は沈んでいく。

 それはとても不愉快なはずで、息が詰まって悲鳴を上げたくなるような事なのに、だけれど僕の心は何も感じない。

 【NEVER】。

 イブキ・リュウガ。

 僕の本当の父親が、僕の身体に注入したナノマシン。それが僕の心を白色の闇に塗り潰してしまったから。

 いまの僕は、虚ろで満たされた空白だった。

 世界中で起きていることが、【NEVER】を媒介に、僕の歌声に支配された【錆】を通じて、リアルタイムで頭の中に流れ込んでくる。

 世界が、赤く染まっていた。

 イーシュケン。

 大昔のすごいものを掘り出して栄えていたあの街は、いまは【錆】の海のなか、その海底に沈んでいる。

 いやな思い出が沢山あったはずのゴーゼス地方。

 【錆の砂漠】。

 【大都】。

 そこでは押し寄せる【大海嘯】から、恐慌を起こした人々が、悲壮な顔付で避難していた。避難しようとして、沸き上がった【アオサビ】に喉笛を噛み千切られて、その鋭い爪に刺し貫かれて、みんな、みんな死んでいく。

 【アームド・ベルト】にミリューさんがいた。

 真剣な顔つきで、真摯な表情で、ミリューさんは歌っていた。

 【錆の森】でもオオババ様が詠っている。

 【錆】の津波。【大海嘯】を押し返そうと、必死で全力で――



 ――



『――――』


 何も感じない。

 ほんの少し感じても、脳みそが【感情】と言う電位差を発しても、瞬く間に【NEVER】がフォーマットしてしまう。

 だから、心がなくなったみたいに何も考えられない。

 姉さんが僕の前に現れても、それは同じだった。

 姉さんが歌っている。

 褐色の肌の女の人と一緒に、たぶん、僕を助けようとしてくれている。

 でも、むだなんだよ?

 そんなの、ちっとも僕にはひびいてこない。

 むだだって。

 やめてよ。


 ――


 気が付いた時には、僕は姉さんたちを消し去っていた。みえる範囲、感じられるどこにも姉さんたちはもういなかった。

 白い闇が命じるまま、僕は姉さんを消してしまった。

 酷く大事なものが、心を守っていた最後の何かが、剥がれ落ちるように消えて行くのが分かった。

 【城】が融ける。

 【錆】と混じる。

 【卵】が産まれ。

 【オーキッド・エピネス】は【魔竜ドラゴン】となっていた。

 リュウガ様を抱き上げる僕の脳内で、【錆】による世界の中継は今も続いていた。

 ウェイスターの村に、【クロサビ】と【大海嘯】が迫っていた。

 カーゴ・レェンゾさんが、山の上に踏みまって、その顔を真っ赤にして何かを叫んでいる。村の人たちが逃げるために、その命をかけている。


『――――』


 ウェイスター。

 そこで僕と姉さんは、と出会ったんだったっけ……。

 ……は、ずっとこんな気持ちだったんだろうか。こんな辛いことを辛いと思えない、何処にもたどり着けないような、無窮の深淵の中に放り出されてしまったような心地を、味わい続けてきたのだろうか。1000年もの長い時間、たった独りで。

 そのは、いまどこにいるのだろう?

 眼の前で、黄金の騎士が、その全ての輝きを黒色に呑み込まれた。

 どうして?

 僕のしっぽが、吹き飛ばしたから。

 黄金――黒色になった騎士の鎧が、砕け散る。

 現れたのは、漆黒。

 黒い髪に、黒曜石の瞳。十字教の牧師服に似た漆黒の裾の長い服を着た、無表情な、だけれどどこか、優しい顔つきをした男の人。

 リュウガ様が命令する。僕は従順に口を開いて、破滅の火を噴きだそうとして。


「……××××」


 ズタボロの、黒い男の人が、何かを言った。

 片方だけになった黒曜石の優しい眼差しが、僕へと注がれる。

 その右手が、ゆっくりと僕へと伸ばされて。


「俺は、君たちを」

 


 ――今度こそ守護まもる。



 確かに、そう言って。



 リュウガ様の命令のまま、僕は焔を吐いた。

 黒いの姿が消える刹那、その手が、僕の頬に触れたような気がして――


『――?』


 涙が、一筋零れ落ちる。

 止まらない。

 あとからあとから零れ落ちる。

 その男の人。

 黒い彼。

 彼は。


『クロウ、さああああああああああああああああああああああああああああああんっっっ!!!!』



 僕は、我に返った。



 何を、何を、何を――僕は今まで、いったい何をやっていたんだ!?

 何をした?

 何をしでかした?

 世界を呑み込んで。

 姉さんを消し去って。



 クロウさんを殺した――?





 声にならない絶叫をあげる。

 眼前に広がる光景は無慈悲な現実を僕に突きつけた。

 大地が総て焼き尽くされていた。

 焼き尽くされ融解したそれは溶岩となって今もぐつぐつと煮立っている。とてもじゃないけれど命が残っている場所には視えない。


『あ、ああああああああああ』


 気が狂いそうになる。

 罪悪感に押し潰される。

 この地獄を作ったのは僕だ――


「――これはこれは」


 僕の手の中で、純白が嗤った。


「正気を取り戻すとは、これは予想外の出来事だ。実に相応しい。世界の終末、それを君にも見せてあげよう。ともに眺め、ともに笑おうではないか。滑稽なる彼らの、その最後の悪足掻きを。そうは思わないかね」



――愛しい我が娘マイ・フェア・レディ―



『フザケルなアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 脳みそが怒りに煮え立ち、イブキ・リュウガを、僕は力任せに握り殺そうとする!

 こいつさえ、こいつさえいなければ!

 殺す!

 殺す!

 ころす!

 ギリギリと締め上げて――だけれど純白は、意にも介さない。

 ただその手を、タクトを振るように振り上げるだけ。

 それだけで、


『――ぁ――』


 僕の何もかもが、掌握される。


「素晴らしい。我が子よ、確かに人の――アルファ・ウェーブスの可能性を見せてもらった。ますますこの世界が欲しくなった」

『い』

「ん?」


 いったい、あんたは何をしたいんだ。

 こんなにも、みんな不幸にして。

 支配するって言ったって、こんなことしちゃ、みんな死に絶えてしまうのに。


「それでいい」


 純白は微笑む。


「人を呑み込み、世界を呑み込み、この星の命すべてを呑み込んで、総て一度虚無ゼロに戻して――そして私は、新たな種を蒔くのだ」


 種?


「そう、【錆】――【HOPE】――【希望】の名を冠するナノマシン。それで世界を覆えば、如何なるものも自在に創ることができる。あらゆる命を内包した、ただ私に忠実な、私だけの世界。【神】たる私の手によって運行される、狂い一つなき世界――」


 イブキ・リョウガは、

 狂った最悪の狂人は、

 悦楽の表情でこう言った。



「私を頭脳とし、この惑星を肉体とする集団知性群体――それが、私の望む世界の在り様だ」



§§



『――目を、醒ましなさい』



 聴こえたのは優しい声。懐かしい声。

 同時に、何かざらざらとした、湿気た生暖かいものが、何度も頬を撫でる。


「――ん……ぅん」


 それが刺激になって、私は目を開ける。


「……おまえ」


 眼の前一杯にシルヴィーの顔があった。


「よかった、おまえは無事だったのね」


 茫っと、その頬を優しく撫でて「っ」全身の痛みに悲鳴を上げる。

 そして、その痛みがようやく私を現実に引き戻した。


「エピネスは!?」


 跳ね起き、周囲の様子を伺う。

 絶句する。

 先程まで【城】があったはずの場所は曠野と化していた。

 何一つない荒れ果てた岩石地帯。

 その向う側は真っ赤に燃えていた。

 荒天の空の下、世界がドロドロに溶けていた。

 ヴァイローの姿はない。


「――――!?」


 言葉を失う私に畳をかけるように、それは飛来する。

 舞い降りしは破壊の権化。

 純白の【魔竜】。

 吹き飛ばされないように必死に耐える私は、その姿を見て思わず声を上げた。


「エピネス!」


 【魔竜】の左胸、そこに妹がいた。


『姉さん!』


 あの子もまた叫ぶ。その表情は苦悶に満ちていた。


「予想外が続くものだ……まさか君が、オーキッド・アイネス、君が生き延びていようとは」


 上空から降ってくる呆れ混じりの笑い声。

 それはイブキ・リュウガの声。

 その男は、【魔竜】の頭上に立ち、私を見降して、言った。


「だが、役目を終えた舞台女優は速やかに退場を願いたい。エピネス」


 白い魔手が踊る。

 妹が苦痛に悶える。


『嫌だ! お前なんかに、従うもんか!』

「それは無駄というものだ。さあ、君の愛する姉を、その手で殺すがいい。君が愛した、あの黒衣の騎士を殺したように」

『あああああああああああああああああああああああああああ!!!』


 妹の抵抗もむなしく【魔竜】のあぎとが開かれていく。

 その口腔に凶悪な焔が灯り、そして。

 そして――



§§



 そして【歌】が聴こえた。


『え?』


 それは、直接僕の心の中に流れ込んでくる歌――振動――【NEVER】が媒介するそれは。


「なんだ?」


 純白が、不思議そうに声をあげる。

 ドラゴンのコントロールが、わずかに緩んだ。


『歌っている?』


 世界中で。

 誰かが。

 誰もが。


 ミリューさん。

 オオババ様。

 レェンゾさん。


 ううん、それだけじゃない、もっとたくさんの人々が。

 男も、女も、子供も、大人も、【浄歌士】だとか、そうじゃないとか関係なく、生けとし生けるもの誰もが歌って――!



§§



「――間に合った、ようだな」


 掠れてはいるものの、力強いハスキーボイス。

 私は、その声に振りかえった。


「ヴァイロー!」


 褐色の肌の彼女、イスカリオテのヴァイローが、苦痛に顔をしかめながらもそこに立っていた。


「イスカリオテの使命は一つではない。イブキ・マナの最後の歌を、世々に伝える役目もあった。その【楽譜】を仲間たちが、世界中に届けたのだ」

「仲間って」


 だけどあなたの一族は皆殺しに。

 そう問うと、彼女は片目を瞑り、苦しい下から茶目っ気のあるウインクをして見せた。


「言っただろう――、と。歌を伝えるために、世界中に!」


 彼女は、叫ぶ。



§§



「歌え! オーキッド・エピネス! オーキッド・アイネス! 汝らの魂に、その楽譜は刻まれている! 心のままに【祈望きぼう】を歌え!」

『――だけど!』


 だけど、もう彼はいない。

 僕が殺したから、もういない。

 それなのに、【祈望】なんて――


「ら、らら、ら」


 戦場に響く歌声、清らかなその音色。それは、僕の良く知っている、大切な人の歌声。

 姉さんの歌。


『姉さん?』

「――――」


 姉さんは、歌う。

 歌を紡ぐ。

 どうして? 彼が死んだって、知らないから?

 ――違う。そうじゃない。

 そうじゃないよ、オーキッド・エピネス。

 僕はこの長い旅の中で、ずっとそれを見続けて来たじゃないか。

 姉さんがあの人に託している想いは。

 その瞳で見つめる想いは。



 ――【信頼】と、いうんだっ!



「ふん、最期の会話は済んだかね?」


 イブキ・リュウガが不快そうに呟く。そして【魔竜】を操り、姉さんたちを踏み潰そうとする。

 そんなこと、させるわけにはいかなかった。

 だから、僕も。

 僕も、もう一度だけ――歌う!



§§



く、死ぬがよい」


 イブキ・リョウガの号令一下、【魔竜】の巨大な足が吾らに迫る。

 踏み潰されれば死ぬ。

 そんなことは分かり切っている。

 それでもアイネスは歌うことを止めず、そしてその妹君も――オーキッド・エピネスも歌声をあげる。


「無駄だと言っている!」


 ナノマシンへの振動干渉が【魔竜】の制御を乱すが、それを強引に押さえつけリョウガは吠え、ドラゴンの足が落ちて



 ――



「……ふっ」


 吾は笑う。これ以上もなく強く笑う。不敵に笑う。

 もっとも肝要であるは諦めない事。

 生命とは、いついかなる時もそうでなくてはならない。



「そうであろう――!!」



『破ァアアアアアアアッ!!!』


 疾風/迅雷/破邪顕正!


 馳せ参じた漆黒の騎士が、【魔竜】の質量を押し返した。


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