2

§§


「――――」


 立ち尽くす。

 世界は、視える限り一面の総てが【アカサビ】に沈んでいた。

 人類生存限界圏、発掘科学都市イーシュケンは、過去の遺産と、その6000もの住民共々、何もかもを【錆】に呑み込まれ、あとかたも残さずこの世から消え失せた。


「――――」


 エピネス。私のかわいい妹。

 クロウ。私の大切な人。

 そのどちらもが、その場からいなくなっていた。

 妹は鋼の鳥に連れ去られ、私の守護者は、凶弾の前に失墜し【錆】の中に沈んだ。


「~~~~ッ」


 声にならない声をあげて、顔を両手で覆い、私はその場に崩れ落ちる。

 こんなことはありえてはいけないのに、突き付けられた現実が苛烈を極めて受け入れられない。

 揺れることのなかった心は、【空虚】に充たされていたはずの心は、気づけばこんなにも感傷的で脆弱になっていた。

 ああ。

 嗚呼……。


「――やはり、イーシュケンを潰しに来たか」


 聞き覚えのない声が、何処からか響いてきた。


「【城】の完成のために旧文明の遺産を搾り尽くすだけ搾り取って、用済みとなれば、対策を立てられる前に圧倒的武力で殲滅する。ふん! 清々しいほどの外道だな、その結果も」


 何よりもその手段が。

 その声の主は――低いが、女性のもののようだった――そんな風に独白した。

 私は、ゆっくりと顔をあげる。

 私のすぐ側に、何か大きなものを背負った女性がいた。

 褐色の肌に、琥珀色アンバーの眸。髪の色は、目が醒めるような若草色。私よりもずっと長身の、一目で鍛え上げていることが分かる山猫リンクスのようなしなやかで強靭な肉体を持つその女性は、背負っていたものを私の前にゆっくりと横たえた。


なれの母親だ、悼んでやれ」

「……?」


 言葉の意味が理解できない。本当に分からない。何故ならそれは、ただの【錆】の塊にしか見えなくて。


「イブキ・リュウガはイブキ・マナの肉体からクローンを生成し、それを利用してイブキの一族を人工的に創り出した。イブキ・マナのクローン自体は、完全なアルファ・ウェーブスを発声できないが、代わりに【錆】を活性化・誘引する力がある。奴らにしてみれば、一度こうなったものは同類なのだろう。或いは助けに来ているのかもしれん。【錆】に意志があると言っても、汝らには信じないのだろうが、われらにとっては慣れ親しんだ事実だ。だから、悼んでやれ」

「あの……」


 言葉の意味が分からない。

 その女性が早口であることと、いまだに脳が状況に適応できていないこともあるけれど、何よりその言葉が支離滅裂で私には理解できなかった。

 それが表情に出ていたのか、彼女は憐憫の眼差しを私に向け、


「汝と汝の妹の母親、イオのリマナは1000年以上前に死んだ人間の複製だ。そしてこの錆びた塊も、オリジナル・マナのコピーに過ぎない。汝の母親の、双子の妹のようなものなのだ」


 だから悼んでやれと、彼女はそう繰り返した。


「…………」


 理解には、時間がかかった。

 多くの事を受け入れるのに、とても時間を必要とした。

 やがて、言葉の意味がしみ込んできて、


「……母様」


 ぼろぼろと、私の両の瞳から涙が零れ落ちる。


「母様ッ」


 私は、その朽ちた遺体に縋りつき、泣いた。

 褐色の肌の女性は、私が泣きやむまでずっと、黙してそこに佇んでいた。



◎◎



「【辺境人マージナル】イスカリオテのヴァイロー。それが吾の名前だ」


 精悍な眼差しの彼女――ヴァイローはそう名乗った。


「遥かな昔、今日の様な日が来ることを予見したマナ・レプリカの一人によって生み出された吾らは、歴史の裏側で絶えず暗躍してきたイブキ・リュウガの凶行を防ぐため準備を続けてきた。吾は、その為に鍛え上げられた血族最後の戦士だ」

「最後? それは、どういうことでしょうか?」


 そう尋ねると、ヴァイローは固く目を閉じ、呻くような声を絞り出した。


「血族はすべて、リュウガによって鏖殺おうさつされた。吾はすべてを託され、雪辱の為今日まで生き延びてきた。他に生き延びた仲間は世界に散った。ゆえに、最後の戦士だ」

「……妹は、何故連れ去られたの?」

「連れ去ったのはリュウガの手の者――元を糺せば吾の一族が奴に放った刺客が傀儡となったものだ。そして汝の妹は奴が望む【浄歌士】の完成形であるが故に狙われたのだ」


 【浄歌士】の完成形?


「【隷属歌士】と呼ばれている。【錆】と同調し【クロサビ】さえも強制的に従える歌声を持つ者のことだ。【玉座】を介せば、総ての【錆】にまでその力は及ぶだろう。汝の妹は、それを目指して設計されてきた最終形なのだ」

「エピネスに、そんな力が」


 驚きはした。

 吃驚はしたけれど、腑に落ちるものもあった。

 これまであの子の身に起こってきた沢山の災難を鑑みれば、寧ろその結論に至らない方がどうかしていたから。

 災難。

 そう、それ以外にどんな言葉が相応しいのだろう。

 あの子の人生は、艱難辛苦の連続だ。


「私が、もっと理解してあげれば」

「変わらなかったであろうな、汝がどれほど優れた【浄歌士】であろうとも、それはひとの領分を外れている」

「……妹は、今どこに」

「それを訊いてどうする?」


 言うまでもないことだ。


「助けに行きます」

「無理だ」


 ヴァイローは、一言で斬り捨てた。

 そして厳しい表情で忠告してくる。


「汝の妹はいま、落日の島国の中枢――そこに構築された【キャッスル】に囚われている。落日の島国に至るためには【境界線】を超え【錆の森】を抜け、更に【海】を渡る必要がある。すべてを分解し、【アオサビ】の群れまで跋扈する【ステリレ】……ヒナギ・クロウもいない今、汝ひとりで抜けられるのか?」

「…………」


 クロウはいない。

 その事実が私を打ち据える。心が砕けそうになるほど怖い。

 ……だけれど、その問いかけを無意味だと私は感じた。

 何の意味もない。

 何故なら私はオーキッド・アイネス。

 傍流モグリの【浄歌士】なれど、【鎮守の巫女アービトレイター】に迫るほど世界を揺らす歌唄い。

 何よりも私は、


「あの子の家族、姉なのだから」


 こんな私だから、あの子も彼も、好いていてくれたのだから。


「だから、私はあの子を――エピネスを救いたい。見捨てない」

「――――」


 決意を込めた眼差しで、真っ直ぐに彼女を見つめ決然と言い放つ私を、ヴァイローは目を細めて眺めていた。

 揺らめく琥珀色の瞳には、強く瞬く光を見るのと同じ色が灯っていた。


「――よかろう」


 暫くの黙考の末、彼女は頷く。


「ならばこの吾、マージナル・ヴァイローが、汝の水先案内人を務めよう」


 その端正な顔に、不遜なほど勝気な笑みを浮かべて、彼女はそう言ってくれた。


「…………」


 私は、右手を髪へと伸ばす。触れたのは青藍の髪飾り。私は、その髪飾りに誓う。

 東方を睨むように見つめ、不吉なほど赤い夕焼けに染まる空へと決意を投げた。

 待っていなさい、エピネス。



「私が必ず、迎えに行くからッ」



◎◎



 そこからは、殆どヴァイローの独壇場と言って差し支えなかった。

 彼女がどこからか調達してきた馬は駿馬で、夜を迎える頃にはもう【ザ・ライン】を超えることが出来た。

 馬……エピネスの可愛がっていたシルヴィーは、あの【人工海嘯】の時に姿を見失ってしまっていた。ずっと頼りにしてきた愛馬。以前の私ならなにも思わなかったかもしれないけれど、いまの私は心が揺れやすい。シルヴィーを思うだけで、胸は激しく痛んだ。

 その痛みの間にも、ヴァイローはすべてを滞りなく成就させた。まさに彼女は水先案内人だった。

 真夜中に突入した【錆の森】で、彼女がやってみせたのは上位の【浄歌士】である私でも驚愕を隠せないだった。


音叉刀おんさとう。或いは共鳴剣レゾナンス。吾らイスカリオテの一族に代々伝わるいにしえの宝剣だ。アルファ・ウェーブスと共鳴し、その力を増すと伝えられている」


 そう言いながら、馬と共に用意していた荷物から、彼女は自身の身の丈ほどもある一振りの大剣――その柄の部分は音叉に良く似た形状だった――を取り出すと、それを地面に突き立て【浄歌】を始めた。

 変化は劇的だった。

 【錆の森】の中から、一頭の巨大な【アオサビ】が姿を現したのだ。

 狼狽する私を尻目に、彼女は剣を引き抜くと、浄歌を続けながら猫科動物の様な俊敏な動きで瞬時に【アオサビ】へと接近、跳躍しその背中に音叉の大剣を突き刺したのだ。

 目をみはったのは、そこからの【アオサビ】の挙動だった。

 刺された瞬間こそ恐ろしい叫びを上げたものの、浄歌が強くなるとすぐに叫ぶのをやめ、一度身震いした時、それはもう、私の知る【アオサビ】ではなかった。

 ささくれ立った全身の【錆】が変化し、蒼い三つ首の四足獣――お伽噺の世界でしか聞いたことのないケルベロスと化していた。そしてそれは、完全にヴァイローの制御下にあった。


「汝の妹ほどではないが、イスカリオテの一族もまた【錆】の扱いに長け、永い時間をかけその技を磨き続けてきた。さあ、乗るがいい。明後日の昼までには海へ至るだろう」


 その通りになった。

 【錆の森】の中は不思議な事ばかりだった。

 【ロクショウ】が淡く光ることを、私は知っていたけれど、その色に違いがあるなんて思わなかった。森の奥に行くほど、その色は鮮烈になっていった。幾つもの【アオサビ】の群れと出くわした。それでも獣たちは襲ってこなかった。戯れに近づいてくるものさえいた。【アカサビ】を食べる固体もいた。世界に三体しかいない【クロサビ】のうち一体の姿もちらりと見た。静止した【クロサビ】の頭の上に、鳥が巣をつくっているのを見て私は絶句した。【錆】について、私はどれだけ無知であったかを思い知った。思い知り、そして学んだ。ヴァイローの得意とする技を時間が許す限り学んだ。時には問い詰めるような真似をして、彼女に辟易とされた。短い時間の間に、私は多くの事を知った。クロウの事も、ヴァイローから聞いた。


「ヒナギ・クロウは、汝が【中核】になることを望んではいなかったはずだ。それは、落日の島国がリュウガによって支配された危険な地であるが故。そして【中核】と為ればただでは済まぬが故に。汝には確かにその技量と資格があるが、あの優しい男にそれは出来まい」


 だけれど彼は、イーシュケンまで私たちに同行してくれた。そう言えば彼女は苦笑し「そういう男だ」と一言だけ言った。


「千年以上の時間、不変である存在。不変でありながらその感情は擦り切れ、いまは心の機微が解らない朴念仁と化している。言いかえれば、あの男は既に限界だった。とっくの昔に限度を超えていた。ただの男だったのだから。吾が初めて会った時から、それは変らぬ。イスカリオテがリュウガから離反し、それでも生き延びられたのも、あの男が必死に戦った結果だろう。そして、そうでありながら弱い男だった。世界を救わねばならないという脅迫的な使命感と、誰も傷つけたくないないという二律背反アンチノミーの中で、あれは常に揺れ動いていたのだ」

「クロウは」

「あの男の旅は、言うなれば逃避だった。逃れられぬ過去から、一歩でも遠ざかろうと続けていた贖罪の道だ。だが、あの男は真には逃げ出さなかった。そしてついに、汝と言う奇跡を見出した。汝には力がある。イブキ・マナの再来となる可能性。この旅は、その可能性に懸けているものだ。汝の妹を救えるかどうか、それは汝次第だと胸に刻んでおくがよい」

「…………」


 彼女の言葉はどれも重々しく私に響いた。でも、その重さは私が背負うべきものだった。だから、必死に食らいついて。

 そして、明後日。


「これが――【海】」


 私は初めて、海を見た。

 青かった。

 鮮烈なほど、蒼海は青だった。

 【錆】になど、一片たりとも汚染されておらず、クロウの昔語りのように汚猥色の黒でもなかった。


「ここからはを使う」


 彼女が指し示したもの。それは地下へと続くトンネルだった。


「これが唯一、未だ落日の島国へと続く道だ。太古の昔に掘られたものだが、選択肢は他にない」

「選択肢がないのなら、それを選ぶだけよ」


 覚悟とともに頷き、地下へと。

 そこからさらに一昼夜、地下だから時間の経過が良く解らなかったけれど、恐らくはその程度の時間をかけ、私達を乗せたケルベロスは、遂に目的地へと到達した。

 落日の島国――大東亜帝国――かつてニホンと呼ばれた国に。


◎◎


 【錆の砂漠】より醜く禍々しい、黒ずんだ【アカサビ】の大地に、それは場違いな異常さを持って存在していた。

 大陸のどんな大きな都市よりも巨大な白亜の【城】。

 すべてが純白の素材だけで形作られた、ユークリッド幾何学を逸脱したような異様な建造物。

 そこが、私の最愛の妹が囚われている場所だった。

 そして――



「よくぞ参られた、麗しき我が子マイ・フェア・レディ―たちよ」



 純白の髪、赫いまなこ

 憎たらしいほどの笑みを浮かべた長身の男。私たちの――父親。全ての元凶、イブキ・リュウガが、私達を出迎えた。


「エピネスは、何処にいるの」


 凄み、問い詰める私を、その男はせせら笑う。愉快千番とばかりに嘲笑い、芝居がかった様子で答えてみせる。


「姫君は魔王の城、その最上階に幽閉されているもの――勇ましき勇者よ、助けたければ行きたまえ」


 ――だが。

 男は言った、笑みを深淵の如く深くして。


「ゆめゆめ忘れたもうな勇猛果敢な淑女たち、ここは我が城、我が手中――行くのならば急ぎたまえ。何故ならば――」


 男が右手をゆっくりと上げる。

 同時に、【城】全体から、その大音声の【歌声】は響き渡った。



「世界の再構築が、いまより始まるのだから」



 

 一面、いいえそれ以上、本当に世界のすべてが。

 【海嘯】?

 違う、これは。


「まずは第一楽章【大海嘯アーグル】の開幕だ」


 【錆】!【錆】!【錆】!

 視界の総てから【錆】が湧き立つ。

 【アカサビ】が弾け増殖し【城】よりも高い津波となって跳梁する。

 【アオサビ】が何処からともなく現れ集い、無限の軍勢となって侵攻する。

 【クロサビ】が、その三体すべてが【城】に集い咆哮する。

 赤、青、黒。世界がその三色に塗り潰されていく。それは、まさに地獄のような光景。

 ――【大海嘯】。

 呑み込まれる世界は終末を呈する。蒼穹すらもが、暗雲に包まれ烈風が吹き荒れ稲光が轟く。


「――――」


 それでも、私は怯まない。何故なら【城】から響くその【歌声】は、私の大切なあの子のものだったから。


「――――」


 その覚悟が、ヴァイローにもきっと伝わって。

 ケルベロスが走り出す。

 イブキ・リュウガの横を通り過ぎる。

 白色は何もしない。

 私は告げた。


「負けないわ、絶対に取り戻す」

「――――」


 純白は愉快そうな笑みをたたえ。


「突っ込むぞ!」


 ヴァイローの鬨の声と共に、私達は【錆】の軍勢へと吶喊とっかんする!

 負けない。

 絶対に負けない。

 私は妹を取り戻す。

 願う私のその想いはきっと何よりも強固で。

 だけれど、立ちはだかる【錆】の軍勢は強大だった。

 触れれば分解される【アカサビ】の飛沫を、ケルベロスを操るヴァイローは巧みに避け、襲いかかる【アオサビ】を次々に斬りつけ弾き飛ばすけれど、それは決定打を欠き牽制にしかならない。ケルベロスを制御化に置きながら、響く【隷属歌】に抗って見せる彼女の技量は卓越の一言でも物量が違い過ぎる。【アオサビ】の数は減るどころか増え続け、何時しか周囲は【アカサビ】の波に包囲される。

 そうして、進退窮まる私たちの頭上が陰る。

 三体の【クロサビ】が、全く同じ呼吸で拳を振り上げていた。


「くっ!」


 ヴァイローが【浄歌】を最大まで高め、それでも恐怖に眼を固くつむる。全長五十メートルを超える巨人、暴力の化身、【クロサビ】の一撃は、必ず私達を葬り去る。

 三つの拳が振り上げられ――振り下ろされる。


「――――」


 私は、それでも目を閉じはしなかった。


「――――」


 諦めはなく、怯懦はなく。


「――――」


 ただだけがあった。



『――

――」



 轟音を立て、地面が火山の噴火の様に砕け散る中、【クロサビ】の暴威から私達を守り切ってみせる者がいた。

 嘶く銀馬――シルヴィーを駆り、黒に蝕まれし黄金の鎧を纏う騎士。


 


「――!」


 昂ぶる私の声の先で、彼は剣を構えて叫んだ。


『征けアイネス! 此処は俺が――ヒナギ・クロウが引き受けた!』


 黒金の騎士――私たちの守護者が、万感の思いを背に受け其処に居た。




第七章、終

第八章へ続く

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