第七章 滅び RUIN
1
――再生は破滅によってのみ生じる。
……だが多くの場合、その再生とは次の破滅への序曲でしかない。
G・T・グレムス 西暦2042年 死都再生
§§
『――ルー♯ア イ*イア――』
その音は、どこか懐かしい音だった。
遠くから響いてくる、いまにも掠れて消えてしまいそうで、つぎはぎで、寄せ集めな音。
だけど、夕焼けの草原のような、陽だまりの中にいるような、雨の日暖炉を前にして
僕はそんな音色の中で、微睡みから目を覚ました。
「う、うーん……」
クラクラと、間違ってお酒を呑んでしまった時のような明瞭としない頭を抱えて、僕はどうにか半身を起こす。ずぶずぶと沈むふかふかのベッドに若干の未練を覚えつつ考える。
「えっと、僕は……」
確か、クロウさん達とイーシュケンの街を訪ねて――
――【アオサビ】と
――【クロサビ】が
「ッ」
思い出す。そうだ、僕は、あの左目に刀傷の男に捕まって。
僕はベッドから飛び降り――ふらついて――それでも周囲を慌てて見渡す。
そこは窓のない白い部屋だった。
真っ白な、いったいどんな素材で作ったのかも解らない無機質な白さの壁と、天上と、床で出来た部屋。
それ以外にあるのは天蓋付きのこれもまた真っ白なベッドだけで。
「誰も、いない?」
僕以外の誰も、その部屋にはいなかった。
無意識に握り締めていた拳をほどきながら、僕はとにかく自分の身体を検分する。
何処かを怪我しているという事はなかった。ただ、もともと着ていた服の代わりにやっぱり真っ白な服を着せられていた。
「なんなんだよ、これ」
呆然と立ち尽くしていると、どこからかなにかが聴こえてきた。
あの【音色】だった。
「……壁が?」
それにまるで連動するかのようにして、壁の一部が開いていった。さっきまで継ぎ目なんてない一枚続きの壁だったはずのそこがぽっかりと開いて、その先には――ここまで来ると悪趣味な――白い廊下が続いていた。
「…………」
【音色】は、まるで僕を誘うかのように廊下の先から聞こえてくる。
僕は覚悟を決めて、一歩を踏み出した。
◎◎
『――*ュート♯リ* *ールア――』
言葉としては少しも理解出来ないつぎはぎにしか聞こえない、だけれど不快な気分にはどうしてだかならないその不思議な歌声に導かれて、長い廊下を歩き切った末に僕が辿り着いたのは、十字教の大聖堂のような場所だった。
至る所に荘厳な意匠が施されたステンドグラスが飾られていたり、パイプオルガン(だと思う)の管が霞むぐらい高い天井に向かって伸びていたり、奥に行くほど段差的に土台が高くなっている。一つ違うところを上げるとすれば、大聖堂ではその土台の最奥に鎮座しているはずの十字架がなくって、代わりにそこに、酷く装飾過多な椅子が置かれているという事だった。
近づいてよく見る。
椅子。
椅子というよりもそれは、まるで御伽噺に出てくる玉座の様な――
「――どうだろうか。気に入ってもらえたかね?」
その声は、唐突に響いた。
ハッと振り返ると、いまの今まで誰もいなかったはずのそこに、純白の影が立っていた。
強く襟が立った白いロングコートを羽織り、その下に着ている幾つもの勲章や紐で彩られた硬派なイメージの服も白。靴も白なら手にも白い手袋を付けている。全体として高貴な気配を纏う人物。
だけれど、そんなものよりも僕をひきつけたものがあった。
恐怖にも近い驚きを与えるものがあった。
それは、髪の色と瞳の色。
50代ぐらいの美丈夫に見えるその影――その男性の髪は僕と同じ白の髪だった。その瞳は僕と同じ血のような赤色だった。
その彼が、あるかなしかの笑みを湛えながら、人形が流暢な演技でもするように僕へと言葉を投げる。
「この【城】は君のために形成したものだ。ありきたりな、然して貴重な材料を使ったわけでもないが……その労力と研究の成果には賞賛を是非とも贈って欲しい」
「こ」
「うん?」
「ここは」
どこなんですか。
僕は言い知れない怯えのようなものをその人から感じつつ尋ねた。
「かつて
その男は答え、僕へと向けて一歩踏み出す。
僕は怯え、一歩下がる。
それを見て、彼は笑みを深くする。
「いまの君たちに
「落日の、島国」
クロウさんの故郷にして、世界で初めて【錆】が生じた場所。
「嘘だ」
僕は咄嗟に否定していた。
「落日の島国は世界で一番【錆】の被害が酷い場所だって聴いてます! こんなきれいな建物、作れるわけがない」
そう、例え作れたとしても、片っ端からすぐに【錆】に呑み込まれてしまうはずで。
「その疑問への解は、ひどく単純だ」
また一歩、僕へと迫る彼。僕は逃げるように一歩下がる。その白い男の笑みが気持ち悪い。生理的な、怖気を覚える。
男は意にも介さず、言う。
「考えるまでもない。この【城】を形作る物質は即ち、君達が云う【錆】なのだから」
【錆】?
この建物が?
そんなことって。
「ありえないと思うかね? だが、【ロクショウ】を君は知っているはずだ。【錆】――環境改変型ナノマシン【HOPE】は、ある条件さえ満たせばその姿を自在に変える。言ったはずだよ、ありきたりな材料だと」
「条件って」
彼が進み、僕が退く。
だけれど彼は、まるで意に介さない。僕の言葉だけ追って、それに応える。
「【浄歌】――正しくは【アルファ・ウェーブス】による指向性介入現象。私はその解読に長い時間をかけてきた。その副産物のうちの一つが彼だ」
言って、彼は半身をずらす。
彼の向う側に、見知った姿があった。
あの男がいた。
僕を拉致したあいつ――左目に刀傷のある男!
「お、おまえ!」
クロウさんを撃ったその男に、僕は激しい憎しみを覚えた。
こいつさえ、こいつさえいなければ。そんな思いが胸中を席巻する。
だけど僕のそんな思いなど知ったことではないといった風に、その傷の男は白い彼へと言った。
「我らが主、御用向きはなんでしょうか」
巌のように堅い声――じゃなかった。無機質な、抑揚のない、それは声ではなくて音だった。
「……怯えているのかね?」
明らかに異常な――だって、傷の男の顔には表情すらなくって――あいつから視線を切り、白色の彼は僕を見る。僕の怯えを見て取って、子供をあやすような表情を浮かべる。
「案ずることはない。これのもとは、私を殺しに来た暗殺者だったが――戯れにその脳内に【HOPE】の断片を埋め込んだ。結果、私の従順な操り人形となった。この城の者の多くはそうだ。そうはしない協力者もいるにはいたが……何故だか皆逃げ出してしまった」
まるで恥ずかしい過去を吐露するように、明らかに場違いなハニカミを浮かべながら白い彼はとんでもないことを語る。
何を言ってるのか半分も理解できなかったけれど、それが恐ろしいことだと僕には直感的に分かった。
身体が震える。歯がカチカチと鳴る。
「怯えているのかね?」
彼は再度、今度は弄うような調子でそう僕に尋ねて、
「では、貴公は死ね」
酷くあっさりと、そう言った。
「
傷の男は。
淡々とそう言って。
自らの頭にクロウさんを撃ったあの銃を突き付け、
「え?」
――引き金を、引いた。
パン。
乾いた音ともに、真っ赤な花が男の頭に咲いた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
僕は、悲鳴を上げる。狼狽も露わに足をもつれさせ、尻餅をついてその場に倒れる。
事態は、僕の理解を超越していた。訳が分からなかった。
傷の男だったものの身体がゆっくりと傾斜していき、ドサリと音を立てて真っ白な床に倒れた。
「うむ……? レディーには少しばかり、刺激が強すぎたようだ」
白い彼が苦笑しながら指を鳴らす。
『――*ーリ♯ *ロ†ア――』
それに促されたようにして、あの【音色】が、また何処からか響き始めた。
すると、白い床が波打つように蠢き――まるで本当に【錆】のように――あっと言う間に傷の男を呑み込んでしまった。
そして、すべてが元に戻った。
消えてなくなる。
血の跡も、何もそこには残っていなかった。
「あ、ああ、あ――」
舌がもつれる。
恐怖と、言葉にできないような混沌とした感情に。
『――セ†レ♯シス セロ†*ー――』
【音色】――違う【歌】は続く。
変化が始まる。
白い彼が、天上へと向けて手を伸ばす。
天井が変形し、そこから、内部が碧い液体で満たされた、硝子のように透き通った巨大な丸い【檻】が降りて、顕れる。
その内部には、人型の何かがいた。
煌めくような、春に染まったような眩い長髪。ふるりと震えるのは長い睫。柳葉の眉。桜色の口唇。そして、嗚呼、そして僅かに開いた目蓋から覗く瞳の色は僕の良く見知った紫水晶のそれで。
裸身の至る所を【錆】に覆われた女性。
意識の無いように見える彼女の口元から、あの【歌】が零れ出していた。
「これの名はイブキ・マナ・レプリカ――我が娘の17代目のレプリカ」
白髪
「ようこそオーキッド・エピネス君、この星を支配するための我らが【城】へ。自己紹介がまだだったね。私の名は、イブキ・リュウガ。この世界をここまで捻じ曲げた大罪人にして――」
聴いてはいけないと思った。
その続く言葉を聴いたら、僕はもうどうしようもなくなってしまうと。
それは悪魔の言葉だから。
だけれど彼は悪魔だったから。
何のためらいもなく、すべてを
「――君の本当の父親だ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!!」
絶叫し、僕は禁歌を唄った。
二度と唄わないと誓ったその旋律を、恐怖と嫌悪と何よりも憎悪にまかせて叫んだ。
頭の中ですべてが繋がった。だから僕は歌わなくちゃいけなかった。
【城】が地震に遭ったように激震する。
大聖堂の白塗りの壁をぶち破り、暗黒色の巨大な腕が侵入してくる。
【クロサビ】。
この世界の最大の暴力の化身。
その巨腕が、碧い檻を中見ごと捻り潰す。――血の花が咲く。
いいんだ、それでいいんだ。
殺して、殺してよ。
すべてが取り返しがつかなくなる前に、
「そいつを殺せ【クロサビ】!!」
僕の切なる殺意の叫びは。
「やれやれ――反抗期の娘を持つと、いつの世も親とは苦労するものだ」
その純白の前に屈服する。
「ひっ!?」
白い男が指を鳴らすのと同時に、【城】の床から人影が生じる。それは【錆】に塗れたイブキ・マナ・レプリカ。今殺したはずの女性が、無表情に、そこに立つ。彼女が唄う。ナノマシンが反応し、玉座から、シュルシュルと音を立てて触手のようなものが無数に生える。
「や、いやぁっ」
そのすべてが僕へと殺到し、抵抗する間もなく全身を拘束する。
万力のような強い力で頭が締め付けられて、何かが首筋に突き刺さる。
「~~~~~!!?」
流れ込む。汚濁した、劣悪な、醜悪な、邪悪な、自分じゃない他人の意識が僕の中に流れ込み、蹂躙し、冒涜し、犯し、侵して――そして心が錆び付く。
「あ、あぁあ、ぁあああ」
僕の口から無理矢理に紡ぎだされるその音が、【クロサビ】の動きを止めた。
「――遂に、この日が、訪れた」
明滅する意識。
錆色に塗り潰される頭の中に、白い言葉がグワングワンと反響する。
「イブキ・マナ――その稀代の
白色が、驚喜に歓声をあげる。
狂気の声をあげる。
「まさかマナのレプリカの一体――君の母親の事だが、そして私の遺伝子と【HOPE】をもってしても君の肉体を形成するまで七年の月日必要であったのは想定外だったが――
白色は、イブキ・リュウガは、僕の父、姉さんの父、イブキの一族と【錆】を生んだもの――世界の敵は、うっとりとそれを口にした。
「物語の幕よ、いざ上がれ! 道化よ、それこそが終りの始まりと知るがよい。いにしえの神の御業のように、我が手が世界を――治めるのだ!!」
僕の意識は、純白の闇に蝕まれ消える。
最後に想ったのは、大好きな姉さんの安否と。
「く、ろう、さん……」
大好きになった、黒色の彼の事だった。
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