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§§


 僕たちは【錆の森】を後にして、姉さんの少しいた【浄歌士】の仕事を消化するため、一路南下を図っていた。行き先はゴーゼス地方。割と因縁のある土地だった。


「あそこは、【クロサビ】の住処が近いから、少し敬遠気味だけれど。流石にそろそろ行かないと拙いでしょう。住民の方々が春の準備も出来ないで困っているはずです」


 姉さんはそう云う風に言っていた。まあ種蒔きとか、耕作とか、本当に春はやる事が多いから、地面が【錆】のままじゃ話にならない。食糧事情が死活問題。依頼はきちんと遂行するべきだった。何せ姉さん、モグリだから。


「お前、何か最近私に風当たりが強くない?」

「え? 僕いつも通りだよ?」

「……そう。私の勘違いかしら」

「勘違いだよ、姉さん」

「……おかしいわね」


 なんだか姉さんは首を傾げていたけれど、兎も角僕たちはかなりの強行軍でゴーゼスに向かった。それは【錆の森】への予定に無い訪問があったからなのだけれど。

 その原因だったクロウさんは、

「…………」

 最近普段より一層口数を減らして僕たちについてきていた。護衛の仕事はしてくれているのだけれど、何か、すごく必死に考えているような、そんな表情と雰囲気で。いつも、ずっと、そんな感じで。


「…………?」


 あれ?

 そう言えば、なんだか僕、気が付いたらクロウさんのことばっかり見ている気が……。

 よく分からない。

 兎角、南へ。



◎◎



 ゴーゼス地方には、かつてシンギスという街があったんだ。流石に大都やアームド・ベルトと比べると、比べること自体間違いなんだけど、それでも大きな、そして豊かな街で、多くの人がささやかに、だけど確かに生きていたんだ。

 【錆】との共存って云うのは無理だし、例えの表現としても間違っているけれど、だけどシンギスの人たちは、少なくともそうしようとしていた。

 【錆】に敬意を払って、【錆】を畏れて。排斥するんじゃ無くって、【浄歌士】が荒ぶる【錆】を鎮めると云う考え方。ゴーゼス地方の【浄歌士】はそう云う意味で特有だった。【ステリレ】のイブキ様達とは違ってそう云う思考に則って【錆】と関わっていた。ゴーゼスのアーシア。あんまり僕と変わらないぐらいの歳の少女だった彼女も、そう云う【浄歌士】の一人だった。

 アーシア。

 シンギスの街を護ろうとして、【アカサビ】の侵食と、【アオサビ】の暴威に死んでしまった、あの少女も。


「――――」


 だから、今僕が立っているそこは、嫌が応にも彼女が死んでしまったシンギスの街を思い起こさずにはいられなかった。

 街が沈んでいた、【アカサビ】に。

 住居だったものが、破壊されて、褐色に染まって。

 畑だった場所は、【錆】が跋扈ばっこするだけの荒地と化して。

 そして、生きていたものは皆、狂獣に引き裂かれていた。


「――ぅ」


 内腑を曝して――牙が――爪が引き裂いた――骨が覗く――濁った瞳――覆う褐色――ああそして、【錆】の臭いが――【錆】の――血臭。それは血の臭い……


「――ぅぅ!」


 僕は思わず、その場に座り込んだ。

 酷い吐き気がする。

 なんだろう、あの人型は。人の形をしていない人型は。千切れて捻じれて、砕けて裂けて、ああ、ああ、ああ!


「エピネス……」


 誰かの声が聞こえた。

 僕は確認もせずにその人に縋りつく。顔を埋めて、イヤイヤと頭を振る。


「クロウ、お願い。暫くそうさせてあげて」

「……ああ」


 誰かの会話。

 僕の耳には、入ってもこなかった。



§§



 妹の具合は心配ではあったけれど、兎も角今はクロウに預けて、私は惨状を検証していた。

 ゴーゼス地方、イミテの街。シンギスに次ぐ規模だった街。本来なら私が【浄歌】を行うべきだった場所。そこは今、【錆】の暴威に沈んでいた。


「…………」


 検分する。


「【錆】は、それほど厚くない。色も明るい褐色。だから、これが【侵食】したのは、そう過去のことではない」


 つまり、数日前に、この悲劇は起きたことになる。


「【アオサビ】が出たのでしょうね」


 無残な様を晒す遺体を見てそう思う。きっと、相当規模の【アオサビ】が発生して、幾人もを、引き裂いて。


「避難できたものは、いたのかしら」


 いなかったのかもしれない。私はそう思った。


「仮に、仮にだけれど、もし」


 私がそのとき、ここにいたのなら、もしかすれば。


「もしかすれば、救えたかもしれない……なんて、傲慢も、いいところね」


 きっと、何もできなかっただろうに。

 ぎゅっと、私は胸元を握る。

 自覚していた。

 自分の【浄歌士】としての力が、衰え始めている事を。

 当然といえば当然。自嘲する気も起きない必然。

 【浄歌士】は世界に対してだけ心を揺り動かす。あの陽気なミリューにしても、そうやって【浄歌士】として存在している。彼女の振る舞いは、演技でしかない。【空虚ウロ】。そう呼ばれる状態こそが、【浄歌士】の本質だった。だんだんと無感情に近づき、最終的には【浄歌】を歌うとき意外は、何も感じない存在へとなる。歌だけが存在証明、歌だけが存在理由。そう言った存在に、【浄歌士】は至る。それは、力が強ければ強いほど、そうなのだから。


「オオババ様は、とても演技が巧い」


 まるでクロウだけがそうであるようにあの方は語ったけれど、感情を無くしている事を周囲に悟られないようにできなければ、イブキの頭首の座を追われながら、未だアービトレイターでいることなど不可能だから。強き【浄歌】を唄うことなど、不可能だから。


「…………」


 そして、私自身、そういう側面が強い。

 私の過去にあった、穢れ。あれこそが私を【空虚】に近づけ、他の誰よりも強い【浄歌士】としての能力を裏付けていた。他の誰にも真似出来ない大規模で長期の【浄歌】。私を支えてきた力。


「……だけど」


 今それは、確実に弱体化を始めている。

 理由は、明白だった。

 縋るものを見つけたから。

 支えてくれる人を見つけたから。

 世界以外に、心を揺らす存在と出逢ったから。


「クロウ」


 切なく、その名を口の端に載せる。

 今私の力を奪うもの。

 思う。

 これでいいのかと。

 誰も救えなくなるこれで、自分のように苦しむものを救えなくなっても、それで私は、オーキッド・アイネスとして胸を張っていられるのかと。

 答えは、虚しいほど、簡単に返って来た。


「構わない」


 私は、誰も救えなくても、それでも、あの漆黒に、側にいて欲しい。

 穢れた過去を、そそいでくれた彼に。

 私を護ってくれる彼に。

 欲しいのは、安寧だった。

 私は、もう、悲劇なんて欲しくはないのだから。


「……クロウ」


 もう一度呼んで、私は妹の元へと向かう。

 全てが終われば、自分でも幸せに成ってもいいのだと、そんな身勝手なことを思いながら。

 クロウの言う世界を救うことなどできなくとも――いいえ、でも残る力が尽きるまでは、自分ではなくて、誰かのために。

 そう、心に誓い。

 幻想だと知って。

 私は、【空虚】が侵行していることだけは、知っていたのだから。

 結局私は【浄歌士】でしかないのだと。

 識っていたから。



§§



「クロウ、次の街に行きましょう」


 アイネスがそう言い出したのは、イミテの街だった場所を出て暫くしてのことだった。酷く消沈し、遂には泣き疲れて眠ってしまったエピネスの代わりに手綱を取っていた俺は、その少々の意外さに思わず幌を振り向いた。


「アイネス?」

「時間が無いのよ」


 小声で、彼女がそう言った。エピネスを慮ってのそれかと思ったが、瞳の色が、違うと告げていた。アメジストの瞳が、揺れていた。


「どうした?」


 問うて見る。


「…………」


 アイネスは沈鬱に視線を下げた。そして、幾らか唐突にこう聞き返してきた。


「クロウ……あなたが言う、世界を救うには、どうすればいいの?」

「なに?」

「世界を救うには、どうすればいいのかと、私は尋ねたのよ」

「…………」

「あるのでしょう、世界を救う方法が?」

「……いや」


 俺は、躊躇った。果たしてそれを、彼女に伝えていいものなのか。

 俺は、確かに世界の救済を望んでいる。自身で滅ぼしてしまった世界を、救う事を夢想している。それに縋って、1000年以上の歳月を生きてきた。

 そして、今目の前に存在する彼女は、世界を救う事ができる存在だ。それは、恐らく間違いない。俺自身が知っている。俺の中に巣食う【EVER】が知っている。彼女の歌声、【浄歌】、原初の揺らぎ。

 俺は、だからこそ彼女の側にいて。

 そして、それゆえに今、その方法を告げる事を躊躇った。

 ……なにを。

 一体俺は何を躊躇うのか。

 世界と、一人の女性。天秤にかければ、どちらを優先すべきかなど、自明ではないか。

 この先の人の未来全てと、一人の女性。秤にかけるまでもなく、優先すべきがどちらかなど、明らかではないか。

 では、俺は何を。


「クロウ」


 強い声。

 俺は。


「君が【中核クイーン】となり【浄歌】すればいい」


 俺は、言ってしまった。



§§



 ステリレを発つ時、私達はオオババ様から忠告を受けた。

 それは、身の安全を徹底すること。

 ここ数年、私はちっとも知らなかったのだけれど、歌唄いが消息を絶つという事件が、幾つか起きていたらしい。

 いえ、正確にはこの数年の話ではなくて、イブキの血族がステリレの拡大を防ぐために境界線の内側に住まうようになってから、それはずっと起きていたことなのだという。

 巡回に出た浄歌士が帰らないという事が、イブキの長い歴史の中で度々あった。きっとその多くは事故や錆の被害で命を落としたと云う事なのだろうし、或いは浄歌士の定めを捨てて、ひとりの女として生き、幸せを得た者が帰らなかったという陳腐な理由なのかもしれない。

 でも、そう言ったことを勘案して取り除いてみても、不可思議に姿を消した者たちがいるのだという。

 オオババ様は、それが人為的なものではないかと疑っていた。

 あの日。

 妹と私を襲った謎の集団。

 彼らの目的は依然として不明だけれど、もしもこの事に関係しているとするなら、私達が安全だとは思えなかった。

 クロウと云う最高の護衛者がいても、彼もまた全能ではない。

 もし、万が一と云う事もある。

 だから気をつけろと、オオババ様は仰ったのだ。

 浄歌士は神聖不可侵。それでも、そんな常識が通用しない相手がいることを、他の誰よりも私はよく知っている。

 私は、きっと守りたかったのだ。

 守って、変えたかったのだ。

 妹が笑っていられる世界。

 あの子が幸福でいられる世界。

 私自身が幸福であるよりも、それは遂げられるべき切望であるから。だからせめて、妹には陽のあたる場所で、微笑んでいてほしかった。

 そう思ったから、私はクロウに問うていたのだ。

 最早長くは維持することが出来ない【浄歌士】のチカラの総てを費やしても、世界を変えるために。

 ――世界を、救う方法を。

 そして、それに対する答えは


「君が【中核クイーン】となり【浄歌】すればいい」


 苦渋と共に押し出される、そんな言葉だった。


「【錆】――【暴走型HOPE】は、外部からの制御を全く受け付けない。浄歌によってのみ正常化させることができるが、それは一部についてでしかない。言うまでもなく【錆】は世界中に遍在している。そしてそれぞれが綿密なネットワークでつながり情報を絶えず共有し、人間の細胞の様に個々の役割を持って、同時に独立し存在している。代表的なのが【アオサビ】だ。あれは一種の防衛プログラムのようなものだが、それも結局は末端の、幾らでも代替が利き、何時でも切り離せる要素でしかない。【ロクショウ】の様な有機的な振る舞いをするものも、意志を持たない集合的群体――狂った最適化によって生み出されたプログラム上の一器官にすぎない。それらは連続してはいるが、明確な階級が存在し、どれほど【アカサビ】を筆頭にする末端の【錆】を浄歌したところで、それが全体に波及することはない。当初想定されていたアルファ・ウェーブスによる制御――浄歌が全体に及ばないのはこれが理由だ」


 だから、より上位の命令プロトコルを実行するしかない。

 ヒナギ・クロウは、能面のような表情でそう言った。


「現在【錆】のもっとも発達したものは恐らく【クロサビ】。他の【錆】の優先順位を無視し、あれは自らの望む場所へ存在できる。存在し、【錆】の極相として触れたものすべてを分解する。しかし、その【クロサビ】であっても器官の一つでしかない。人間でいうところの指や手のようなもので、脳髄そのものではない。もとより【HOPE】には指向性が存在しない。だから俺達は、【HOPE】の設計段階で人間の【脳】に該当する、指向性を誘導可能な、最上位の命令プロトコル――それを発令するためのインタフェース【玉座】を用意した」

「ええ、私にも分かる。そこに座るはずの存在、それがイブキ・マナ――【中核クイーン】だったのね」


 彼は頷いた。

 奇妙な照り返しをする黒曜石の瞳を、だけれど何かに曇らせて。


「それは祈りだった。切なる願いだった。崩壊に向かう世界を、それでも救いたいと願う無垢なる思いだった。マナの歌声は、だから【HOPE】を制御し得た。だが……マナはもういない。あの日、あの過日、その存在は失われてしまった。彼女と【HOPE】を繋ぐ【玉座】もまた」


 それでもと彼は言った。

 だからこそと、彼は言った。


「もし、マナと同一かそれ以上のアルファ・ウェーブスを奏でられるひとがいるのなら、世界を救える可能性はある。王座は失われたが、それは空位になっただけだ」


 【中核】――その根源への道は、喪われてはいない。


「大東亜帝国帝都統京とうきょう――落日の島国の中枢に、【王座】は未だあるはずだ。例え暴走していても、【錆】がそれを蝕むことはありえない。だから、俺は」


 だから、この青年は。

 この千年以上もの時を独り、ずっとこの星を旅してきたのだ。

 存在するかどうかも分からないイブキ・マナの後継を探し求め、肉体に巣食うナノマシンに感情を蝕まれ、擦り切れボロボロになりながら、それでも今日まで。

 そして。


「そうして俺は、君を見つけた」


 私と、出逢った。


「この旅の中で確信した。アイネス、君の歌声はマナと同じものだ。だからきっと、君が祈りを込めて【王座】で歌ってくれるのなら、この世界を、救うことができるのだと思う」

「…………」


 彼の言葉は真摯なものだった。

 それが正しいのだと、彼自身が理解しているものだった。

 だというのに、彼の表情は、その柔らかなはずのそれは、また厳しい色を覗かせていた。


「ねぇ、クロウ」


 私は、問うた。


「では、どうしてあなたは私を、すぐにその【王座】へと連れて行こうとしなかったの?」


 その問いに対する答えは、


「…………」


 雄弁すぎる、沈黙だった。


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