第六章 切望の涯 UPHEAVAL

1

 ――切なる祈りは何かしらの奇蹟を励起れいきする。

 ……だが忘れてはならない。奇蹟とはあらゆる善き事だけは無く、時に最悪の偶然すらも内包する概念である事を。

               G・T・グレムス 西暦2033年 奇蹟の暴落



§§



 何か危惧きぐのようなものがあったのか。

 そう問われればきっと、俺にはそれがあったのだ。

 慢性的に俺を苛む世界との不和の、その揺らぎを確かに感じていたのだ。一〇〇〇年間、それ以上、感じ続けていたさざ波が、大きくうねる瞬間を確かに感じ取っていたはずなのだ。

 だが俺は、それを確信として捉えることはできなかった。

 もし、確信が持てていたのならば、あのような悲劇を、繰り返さずには済んだはずなのに。

 故に、全ての罪は、この一身にあった。

 奪われた全ての命の払い切れぬ対価は、それでも俺が払うべきだった。

 絶望に苛まれながら、そう、思う。



§§



「――空を行く風 求め伸ばす手

 夢追いの歌 羊飼いの夢

 見えるなら/聞こえるならば

 なお手を伸ばし/耳を澄ませ

 追い求める

 無垢なる夢を

 無限の空に

 駆ける翼を

 灯火に、掲げる両手

 かがり火を、燈す瞳

 火の粉散って、明日を思う

 未来へと続く、終りのない歌を――」



 私は歌う。いつものように。いつも通りに。ただ一片、漆黒を想って。



§§



 僕は歌わない、もう二度と。人が死ぬところなんて、見たくないから。



§§



 アイネスの【浄歌士】の旅の道中、俺はエピネスにわれて旧世界や【錆】について幾つかのことを語っていた。


「遥かに昔のことだが、自動車というものがあった。これは、馬が無くても走る鋼鉄の馬車のようなものだ」

「え? 何でそれ動くんですか?」

「動力は主に燃焼機関だったな。文明の後期には電気単体で動くものも多くあった圧縮空気で動くものも実用化間近だったはずだ。」

「電気……って言うとあの、冬とかにバチッとなる」

「静電誘導には違いないが。あれは静電気。俺が言っているのはエンジンの回転によって生み出される、或いはバッテリーに貯蓄されるものだ」

「えんじん? ばってりー?」


 首を傾げる少女に、俺はこの時代の知識で答える。


「ウスケニルークには少数だが、確かまだあったはずだ。無論その殆んどがイーシュケンの発掘品ではあるが。ようは電気を生み出す装置のようなものだ。大部分はガソリンの燃焼作用による爆発的エネルギーを車輪を回すために使っていたが、後期の自動車は車輪を回すための動力に電気を使っていた」

「がそりん……」

「燃料……油だな」

「ランプを燈すようなものですか?」

「それの只管に良く燃えるものだ」

「へー」

「飛行機や宇宙船も燃料によって空を飛んだ」

「なんです、それ?」

「巨大な機械の固まりだ。人が乗り、鳥のように空を飛ぶ」

「人が乗れるんですか? 空を飛べる? 幾らなんでも嘘でしょう?」

「嘘ではない。鳥よりも速く飛ぶものもあった。宇宙船は、星の世界にすらいける」

「へー」

「信じていないな?」

「想像もつきませんから。あ、どうぞ。先、続けてください」


 あっけらかんと言い放ち、愛想笑いのようなものを浮かべる少女。思うところがないでもなかったが、俺は素直に続きを口にすることにした。


「……そう言ったものや自動車などは、工場と同じで真っ先に【錆】に飲み込まれた。動かせるものは【錆】に飲み込まれる心配はあまりなかったのだが、燃料が切れればどうしようもあるまい。すぐに腐食し、次に【錆】に飲み込まれ、分解される」

「工場……みんなで織物をする場所ですか?」

「そういう意味ももちろんあるが、巨大な機械が幾つも置かれ、産業を支えた場所だ」

「機械は、どんなものですか?」

「君が知るあらゆる機械のどれよりも高度で巨大なものだ。人の手が一切必要なく先ほど言った自動車や君の言った衣服が何百何千と作られていた。空を行く乗り物や宇宙を行く舟も同じくだ」

「すごい!」

「そういったものの多くは、コンピューターというもので制御されていた」

「また分からない言葉を使って、僕は現代の人間ですよ?」

「仕方がない。今の時代で現せる言葉がないのだから。コンピュターというのは設定した仕事を入力に対して出力し、人以上の速度で演算など行い実行してくれる機械だ」

「……意味が分かりません」

「簡単に言えば優秀な天才の人間が作業員に指示を出しているとする。その指示を出す者がコンピュターだ。もちろん機能はそれ単体に留まらずその他様々、万能の天才と言ったところだが」

「むー。分かるような分からないような……?」

「実物を見らないと分からないものもある。落ち込む必要はない。君はよく俺の話しについてきているほうだ。そもそも信じない人間すらいる」

「まあ、そうでしょうね」


 エピネスは頷く。

 信じない人間が多いという事実が、彼女にとっては共感できる部分だったからだろう。似たような感覚を、覚えたことは俺自身あった。

 話を続ける。


「高山地帯や水が多くある場所が【錆】に覆われていない理由もある程度考察する事が出来る」

「話しが急に飛びましたね?」

「聞きたくないか?」

「いえ、寧ろ、是非とも聞いておきたいですけれど」

「ならば言おう。あれは既に、浄化が終わっている可能性が高い」

「【浄歌】?」

「いや、浄化だ。本来の【HOPE】の役割。幾ら暴走しているとは言え一〇〇〇年以上、世界に蔓延していたのであれば、その役割を果たしている場所があっても不思議ではない。水や高山は真っ先に汚染の影響がでる部分だ。一方は溶媒として、もう一方はそれが降る場所として」

「ああ、それは分かります。雨とか雪ですね?」

「そうだ。高山には形状は兎も角水が一度は集まる。ならばその際に汚染物質はそこに停滞するだろう」

「なるほど」

「それを裏付けるものとして放射線による被害が今の世界ではあまり見受けられないことがある」

「放射線。えっと待ってください思い出します。クロウさんのお話によると確か、目に見えない人体への悪影響を与える物質、ですか?」

「正確にはそこから放射されるα線などだが、その解釈で構わない」

「その放射線の被害が見えないことがどう関わってくるんですか?」

「ああ。【HOPE】はその特性として選択性を持っている。より人体や世界環境に悪影響を与えやすいものから安定化、固定化、その他諸々を始める。放射線や水、高山地帯に沈着する汚染物質――内分泌撹乱物質や重金属はその類だ」

「あ、ああ。分かりましたよ。つまり放射線が見受けられないなら当然他のものも浄化されつつあると」

「流石に聡明だな」

「い、や、聡明だなんて……褒めても何もでませんよ……?」

「期待していない」

「……ああ、さいですか」


 溜息のような言葉を吐き出し、疲れたような表情を浮かべるエピネス。その表情の理由については皆目見当もつかない。なので、会話を続けるしかなかった。


「……話を戻す。確かに今の世界でも、出生率は低い。寿命もそう長くない。病も蔓延している。住む場所は狭く、いつ人類が滅んでもおかしくは無い。俺の生きていた時代と比べてもそれほど改善されたようには見えない。だが、確実によくなっている部分もある。外気に触れていても君の皮膚は爛れない。皮膚病にもならない、気管支も焼けない。それだけで大気が浄化されていることは分かる。真っ先といえば真っ先に大気は浄化されるからだ。一〇〇〇年前よりも人口が激減し寿命は短くなっているが、それは世代交代が早まっている、新陳代謝とでもいうべき環境への適応性が上がっているとも言い換える事が出来る」

「な、なるほど」

「それは直結、人類という種が生き延びるために万策を尽くしているということであり、言うまでも無くあらゆる生物に適応される考えであろう。そういったことからも逆算して、暴走を続けている【HOPE】も、完全に役割を放棄したわけではないと知れる。もちろん、【海嘯】、【大海嘯】と言った明らかにバグった暴走もあるが、あれもいまのところ人類を迅速に滅ぼすものではない。自己増殖も続けているが、流石に世界全てを覆うことは出来ない、というよりもしないはずだ。あれは恒常的とは言え生命の営みを考慮している。適応性もかなり高いはずだ。植物に近い働きをしている【ロクショウ】など適応性を見せ付ける最たる例だとは思うが……どうだろうな、世界は滅びないのか。暴走しているのだから確証はない。現に多くの生物があれに飲み込まれ命を失っている。世界は終末の如き様相を呈している。大地もまた、そうだ」


 そこまで語ったところで、少女が、唐突にそれを口にした。


「海は」

「?」

「海は、どうなんでしょうか?」

「海、か」

「はい」

「海は、そうだな。水ではある。だから汚染の具合は高い。陸地に降る水が一定の浄化を受けている以上、海の水もそうだと考えることは出来るが、全てが全てそうだとは言い切れない。一〇〇〇年以上掛かっている。だから何処かしらに浄化槽のように海流を濾し取っている場所があるのかもしれない。あるとすれば世界中だろう」

「クロウさんは、世界中を回っているんですよね?」

「そうだ。だが流石に南西大陸と俺の母国には戻った事がない。南西大陸は未だ死の大地であり、母国――落日の島国たる大東亜帝国は【HOPE】による浸食が最も烈しい地域だ。ある程度、西海道せいかいどう辺りは被害が少ないが、それもたいした違いは無い。そもそもどちらも、移動手段がない。俺が逃げ出したあの頃なら兎角、な」

「海を、見たことはありますか?」

「海?」

「はい。海です」

「……ある」

「綺麗な、青色でしたか?」


 少女は期待に満ちた眼差しで俺を見詰めた。

 だが。


「期待には添えないようだ。残念ながら、違う。俺の知る海は、汚猥色おわいしょくの黒だ」

「……そう、ですか」

「…………」


 エピネスは、どこか落ち込んだように俯いてしまった。


「…………」


 思う。

 如何にかしてやりたいと。

 分不相応に、そう思う。

 己の咎と罪を思えば、何をとち狂ってという思いも当然ある。だが、だが。


「エピネス」

「はい……」

「……俺は」

「はい」

「俺は、幸福になるべき者はそうなるべきであると、心の底より、そう思っている」

「…………」


 そうだ。この少女は、恐らく幸福になるべき少女なのだ。

 決して悲しい顔が似合うわけではないのだ。似合ってはいけないのだ。


「エピネス」


 この少女も、咎を背負っている。

 俺はそれを告白されている。

 だが、仮令たとえ咎を背負おうとも、俺とは、違う。世界をこうまでしてしまった俺とは、根本的に違う。

 だから、幸福になる資格はある。俺は、そう思う。


「いつか、海を見に行こう」

「――!」

「きっと、青い海原が、広がっているはずだ」

「――はい!」


 少女は、元気良く頷いた。


「いつか、!」

「…………」


 俺は、間違いを正すことはしなかった。




 ――それを、今になって後悔している。


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