3

§§



「では、当然、話してくれるのでしょう?」


 クロウが何者なのか、私たちに。


「……必要ならば、求められるのならば、俺は、全てを話そう」

「そう」


 私は頷く。その意志だけで、私には十分で。それでも真実と向き合わなければならない私は、今は私の護衛である男の、その過去を知らなければならなかった。

 【浄歌士】とは世界の真理と向き合うもの。折り合いをつけるもの。

 ならばオーキッド・アイネスは、ヒナギ・クロウの本質を知らなくてはならなかった。

 ただ、その黒の瞳を見詰めれば、その奥に宿る夜が、深い深い悲哀の色が、私に躊躇を齎して。それでも私は――


「なら、あなたの過去を――」


 ――教えなさい。そう言葉に変えようとして――


「――え?」


 抱き締められて。


 ヒュン!

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!

 ドス!


 連続する風切りの音と鈍い音。


「ぐっ、かはっ」


 彼は、吐血した。



§§



「っ――伏せろ!」

「――っ! はい!」


 僕は訳の分からないままにヒナギさんの言葉に従った! な、なに今の!? 赤、赤い色、血が血、血血血血――血!


「落ち着きなさい!」


 姉さんの凛とした声。だけど今、その声が向いていたのは僕じゃなくって――


「クロウ!?」


 そうだヒナギさんは!?

 ヒュン!

 ドン!

 何かの音、そして荷台に、それは突き刺さった。


「――矢!?」


 そう、それは間違いなく、ボーガンの矢であって。

 ヒュン、ヒュンヒュンヒュン!

 だからつまり、連続するこの音は、風切音!?


「え、えっと」


 無数の矢が――

 ドス、ドスドスドス!

 突き刺さる! 何処に!? 荷台じゃない! 音が違う! これは、確か、肉を抉る刃の――


「クロウ――!!?」


 悲鳴、姉さんの悲鳴! そんな、姉さんが悲鳴なんて!?



「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!!」」」」



 そして、鬨の声が上がった。



§§



「――――ッ!?」


 私は抱き締められたままだった。抱き締められたまま、ただそれを見ているしかなかった。その背の全てを、針山のように貫かれる黒い彼の姿を。血反吐を吐く彼が、叫ぶ。


「っ――伏せろ!」


 妹はそれに応えた。だけれど叫んだ瞬間、彼の体からは力が一気に失われ――


「落ち着きなさい!」


 私は自身に向けて叫んだ。そう、乱れてはいけない。【浄歌士】が心揺らすのは、世界に対してだけで。

 違う。

 そんな理由では。

 私が心を乱したのは。

 そんなお為ごかしではなく。


「む、むぅう」


 小さく、彼が呻いた。

 生きている!


「クロウ!?」


 叫ぶ。安否を知りたくて。クロウ。クロウ。クロウ!

 ヒュンと、風を切る音がする。

 ドンと、何かを貫く音がする。

 そうしてやってくる。

 幾重にも重なる連声のような輪唱のような、無数の風切りの音が。

 ヒュン、ヒュンヒュンヒュン!

 高速で飛翔するそれ。矢が。

 とん。


「え、?」


 突き飛ばされる。誰に。それは、ヒナギ・クロウに。彼は、これ以上ないほどに厳しい表情を浮かべ。

 瞬間。

 ドス、ドスドスドス!


「――――」


 突き刺さった。針山では足りない。もっとずっと多く、幾本もの矢が、彼の背中に、突き刺さり――


「クロウ――!!?」


 私は悲鳴を上げた。悲鳴を、上げた。私の存在と同義のはずの喉のことも気にかけず、痛めるとも知らず、それでも私は、心の底からの悲鳴を上げた。

 そうして、その幾つもの大音声は響いた。



「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!!」」」」



 戦の初めを告げる鬨の声のようなそれは――【略奪者プレデター】たちの声だった。



§§



「ひっ!」


 僕は悲鳴を恐怖で噛み殺した。いつの間にか暮れた日の中、暗闇のような世界から走り出してくる幾つもの人影。いや、あれは本当に人影? 獣のように雄叫びを上げて、闇の中でも分かるほどに目を血走らせぎらつかせたあんなものが、本当に人間? 違う――あれは、人の尊厳を捨てたものだ。

 【略奪者】。

 旧文明崩壊後、その混沌の中、最も安易な道をとった人々の成れの果て。自ら土地を切り拓くでも無く、何かを育むでも無く! 誰かの何かを奪い去り、それを持って生きようとする、もっとも浅ましく卑劣な生き方を選んだ人間! 違う! 嫌だ! 僕はそれを人だなんて認めない! そんな生き方は、人の生き方だとは僕は認めなんかしない!

 そんなモノが、今僕たちに向かって押し寄せてきている!

 恐怖があった。

 だけど。

 怒りも、またあった。

 僕は理解していた。姉さんが上げた悲鳴の意味を。

 僕はその人には何も思ってなんかいなかった。

 好意など欠片も無く。

 寧ろ怪しい人だと、僕や姉さんに対する優しさなど全部虚構だと、そう考えていた。

 だけど。

 今は。

 違う!


 姉さんを庇ってくれたと言うのなら、


 そんな人が、被害にあって、今また僕たちもその命が危険に晒されていて!

 何て、理不尽!

 何たる不条理!

 怒りがあった。

 恐怖もあった。

 だけれど怒りは、恐怖よりも強く。何よりも、こんなものじゃない地獄を経験していた僕は、僕は立ち上がり――



「――――」



 そして――僕は見た。

 雄叫びを上げ続けていた獣性の徒が、声を失うしかなかったその光景を。餓えに支配されていた彼らが、恐怖するより他なかったその光景を。



「――――」



 立っていた。立って、いた。

 その人は、立っていた。

 ヒナギ・クロウが。

 その全身を針のむしろに変えようとも、そこに立ちはだかっていた。

 まるで、守るかのように。

 僕たちを守るかのように。

 致死傷。致命傷。死に至る傷。全部がそれのはずで、そのはずなのに、彼は立って。



 ――絶望に祈り切望の舞踏を今踊れ



 擦れるような音が、俯き、何かを、呟くように、唄った。

 聴こえた、確かに、その歌声が。

 僕の側からは彼の背しか見えなかった。たくさんの矢が突き刺さるその背中。だけれど、姉さんからはきっと見えていた。死んでいても不思議じゃない傷を負っているヒナギさんが、それでも今超常を為すその理由が。僕には分からないそれが姉さんには見えていたはずだ。

 だって、だってその表情は――



 ――偏に魂を尊び高く生命に賛歌を唱え



 唄が続いた。唄、詩が。背を向けたヒナギさんから放たれるそれは――



 ――王は傅き賢者は書を捨て道化は勤めて勇者は歌う



 更なる超常を引き起こす。

 ミチリミチリと、離れた僕まで届くように、その変化は現れる。何かが、引き千切れる音。それはなにか? 例えば何か? 例えば――返しのついたやじりが、肉を引き千切り抜ける音――



 ――聞けよ悪魔よ惑えよ霊よ



 吹き出る。それは噴出した。一斉に。彼の体を貫いていた全ての矢が!



 ――ここは同胞最果ての地



 カラカラと矢が地面にぶつかる音が連続する。

 またたき。彼は、粒子を纏った。青の清廉な粒子。それは、まるで色が違うだけで【錆】が【浄歌】するときに見せる残滓のような――



 ――祈りの届く、最果ての空



 そして彼は顔を上げる。俯いていたそれを、獣の如き為れの果てへと向けて真っ直ぐに。その右手が腰に伸び、把に懸かり、抜刀。

 まっすぐに切っ先が突出され円を描く。


『【侵蝕】』


 青の粒子が黄金に――そして黒い鋼へと変貌する。

 ヒナギさんの全身が、あの時と同じ騎士の鎧に置換されていた。


『――ね』


 でなければ。



『斬る』



「「「「ッッ!?」」」


 その声は凍りつくほどに冷たく。

 尋常ではない殺意を伴い。

 凄まじい動揺が、略奪者達の間に走り、そして、そして。


「「「「――――――!!」」」


 ヒトデナシたちは逃げ出した。後ろを見ることも無く足を縺れさせながら、ほうほうの体で、全力で、ヒトデナシたちは逃げていき――そして、すぐに見えなくなった。

 まるで野生の動物が、上位の捕食者に出会って逃げ出すように、それは本能に従事した行動に見えた。


「――――」


 僕はそれを、ただ呆然と見ていた。

 何かが起こっていることは分かっても、何が起こっているのかは分からなかった。

 ただ、呆然と。

 ただ、唖然と。

 成り行きを眺め続けることしか僕に出来ることは無く。

 僕がようやく、まともな思考を取り戻すのは、ドサリと言う音と、小さな悲鳴が聞こえて、鎧が解けた漆黒の誰かが、跪いた姿勢のまま崩れ落ちていく様を見終えてから、それから、ようやくのことだった。


「ヒナギさんっ!?」


 ようやく。

 僕はその名を呼んだ。



§§



 目を醒ました彼の枕元で言う。


「殿方に優しく抱き締められたのは、父様以外では初めてでした」


 彼は。


「……済まない」


 複雑な表情で、そう、謝った。



§§



 ……事の顛末、どうしてああなったのか、それを酷く端的に言うと、僕たちが迂闊過ぎた、そう云うことになるらしい。

 あの略奪者達が僕たちを襲った理由は、倒れてしまったヒナギさんを馬車に乗せ、アームド・ベルトを利用する全ての村落都市の有志で結成されている辺境警備隊に被害を届け出て、そのあとすぐに判明した。偶然、別件で僕たちを襲った略奪者の一つが捕まえられてその際に判明したのだ。

 理由は、こう云うものだった。

 僕たちはあのバラック村で大盤振る舞いをしすぎたのだ。僕たちは幾ら【浄歌士】の一行だからと云ってあれほどに装飾品や衣服食糧の類を買い込むべきではなかったのだ。村に潜んでいた略奪者たちは僕たちを【浄歌士】一行だとは知らず――もし知っていればこんなことにはならなかったはずだ――ただ金銭を多量に所有している旅人だと思い込み、ことに及んだらしい。

 勘違いと云えば勘違い。僕たちの財布にはそれほどのゆとりなんてなかった。だけれど殺されかけたんだ。堪ったものじゃない。

 だけど。

 今は。

 それすらもどうでも良かった。

 完全な夜の闇の中で、なお浮き立つその漆黒の男性は、悲しそうな表情をしながら、僕たちと向き合っていた。


「あなたは何者?」


 容赦なく、姉さんの詰問が飛ぶ。でも、姉さん、今姉さんがしているその表情は。口元を固く結ぶその表情は。


「ヒナギ・クロウ。それ以上でも、それ以下でもない」


 ただ淡々と、ヒナギさんは答える。だけれどヒナギさん、あなたが浮かべているその悲しい色は。


「全部、話して」

「……アイネスの、望むままに」

「…………」


 そうして僕たちは、ヒナギ・クロウと、世界を廻る、その悲しい物語を、知ることとなった。


 この【錆】ついた世界が産まれた、その物語を。



第二章、終

第三章へ続く

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