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◎◎



 ウェイスター村から西へ12日ほど。僕たちはアームド・ベルトのもっとも外れの地帯を北上中、その村に立ち寄った。仕事を探して、と言うよりも【浄歌】の予約のある地域を巡っている途中だった。

 姉さんはモグリだけれど売れっ子なので、かなり広い地域をカヴァーして回っている。北は人類の要する最大の【大都】ウスケニルークから東は旧文明の最後の叡知が眠るとか言う発掘研究都市イーシュケンまで、いろんな意味で普通の【浄歌士】は寄り付かないようなところも、姉さんの仕事の範囲なのだ。

 流石に全域全てが【錆】に覆われた【錆の大陸】とか言われる海の向こうの南西大陸や水没を繰り返しているらしいイーシュケン以降のこの大陸の東の端、そして落日の島国なんかには行かないけれど、【クロサビ】の存在するゴーゼス地方にも数か月前には行っている(【クロサビ】とニアミスして馬車を壊されたり酷い目にった)。姉さんは何処に行っても多忙で、多くのときは疲労困憊なので、実はこうやってゆっくりできることは稀なのだった。

 ゆっくり。

 そうゆっくり。

 僕たち一行は、アームド・ベルトのぎりぎり中域と言えなくもない外れにある移動性バラックの村落を訪れていた。名前は、たぶんない。


「相変わらず活気があるわね」


 幌から顔を覗かせた姉さんが感心したようにそう言った。まあその通りだろうと僕も頷く。

 アームド・ベルトは、【大都】やそのほかの規模が比較的に大きい町や、村落での自衛のための武装の通商を行っている南北東西を結ぶ一大パイプラインだ。この帯状の地域には大陸中の商人が集まってくる。武装路アームドなんて名前がついているけれど、そこを行き来する兵士や傭兵、旅人、そしてもちろん商人たちの生活の場でもある。当然食料や生活必需品、或いは生活も厳しい今の時代でも娯楽なんかも求められて。で、そう云う所にこのご時世のがめつい商人たちが食いつかないわけも無く、武器だけじゃない大商業地帯として確立をしてしまった、らしい。

 僕は寡聞にして知らないけれど、姉さんによれば施設もあるらしい。何がのか、僕は知らないけれど。


 閑話休題。


 今僕たちのいる村落もそう云うもの。商業施設の寄り集まったマーケットみたいなところだ。

 だから、活気があって当然。

 ないわけがない。

 活気のない商人の群れなんて集団行動の出来ない小魚みたいなものだ。


「……お前の例えは相変わらず分かりにくいわね……スイミーなんて、旧文明の絵本の話、【浄歌士】以外の誰に伝わりますか……兎も角、幾つか物色をしなければ。補給無しでは少し、頼り無いから」


 言って姉さんは幌に引っ込む。馬車の横を歩いていたヒナギさんが慣れた様子で馬車の後方に回る。僕は少し速度を緩めた。

 ちょっとして、


「えい」


 そんならしくもない掛け声と、


「む」


 困ったような声が響いてきて。


「じゃあ、姉さん、ヒナギさん。僕はシルヴィーを預けたら合流するから」


 僕は後方に嘆息の言葉を投げて、特に確認もせず返事も待たずにシルヴィーの手綱を繰った。



◎◎



「――あ、いたいた」


 シルヴィーと馬車を信用できそうな業者さんに預けて、姉さん達を探して村の中を歩いていると、割とあっさり二人は見つかった。一つのバラックの商店の前で店の店主と思わしい恰幅かっぷくのいい男性を尻目に、二人で何か会話をしていた。姉さんの春が輝くような髪の色と、長身でおまけに漆黒のヒナギさんの組み合わせは遠目からにも異質で注目を引いていた。現に二人の周りには遠巻きに囲みができていて奇異な視線が向いている。僕はその囲みを割って近づいていく。


「姉さん、待った? 無駄な買い物してない?」


 冗談交じりにそんな言葉を投げると、姉さんは不機嫌そうな顔つきで振り返った。


「ディスライク。お前は失礼なことを言うのね? 私が一体いつ、なんどき、そのようなことをしたと言うの? クロウ、証明してあげなさい」

「…………」


 姉さんの命令にヒナギさんは両手を軽く上げて見せた。何かがぎっしりと入った袋包みを持って。


「ねーえーさーんー!」

「何かしら。私は必要なものを経費で落としただけです。クロウだって止めなかったし」

「【浄歌士】には絶対に必要だと、アイネスが」

「お黙りなさいカラスくん」

「俺自身も、よく似合うと感じた」

「いいえ、黙らなくともいいわ。今のは忘れなさい。そう、そうよ。分かっているでしょうお前だって。私の職業はこういったものもまた必要なのよ」


 いや、それは分かるけど……似合うってことは、服とか宝飾品とかを買って……あー、食費が。


「何を絶望的な顔色を。安心しなさい。私とて無計画な買い物はしないわ。最低限必要なものを買っただけよ。【クロサビ】に蝕まれた分の補給をね」

「……うん」


 分かってる。


「それで姉さん、買い物はそれで終わり?」

「いいえ。食品がまだ……いえ、その前に一つ」

「……? なに?」


 姉さんまだ何か買うの?


「いえ、私ではなく」

「……??」


 姉さんは何故か、困ったような顔をした。そのまま隣りのヒナギさんに視線を移す。


「クロウ、本当に?」

「ああ」

「後で嘘だった、ひっかかてやがるの、あっはっは! ……というのは無しでしょうね? それはとってもディスライクよ?」

「俺は、そこまで性格が悪く受け取られているのか?」

「いえ、いいえ」

「……良く似合うと、俺はそう言った。そこに嘘も偽りもない。だから、構わない」

「クロウ」

「……? ??」


 全く意味不明のやり取りを二人は暫く続けた後、姉さんは、


「……ありがとう」


 なにやらとても珍しい言葉を吐いた。

 それを聞いてクロウさんが頷き、懐から大陸通貨の1ソルト金貨を取り出した。そしてそれを無言で待っていた店主に差し出すと、代わりに何かの小さな包みを受け取った。「まいどあり」店主らしき人物の抑揚のおかしな声が響く。お釣りは、ないらしい。僕はまずそれに驚いた。ソルト金貨は一枚あれば子馬が一頭買えるのだ。つまりヒナギさんはそんな高価な代物を購入したと云うことであり、そして僕は、もう一度驚く。本当に、心底、驚愕する。

 ヒナギさんは包みを解いた。包みの中には何か、僕の手の平ぐらいの長さのものが入っていて。それを、彼は。


「アイネス」


 名を呼んで、姉さんの春色の髪に。


「……クロウ」


 それは青藍せいらんの色に黄金で精緻せいちな桜の細工のされた小さな髪飾りで。それが明るい姉さんの髪に治められる。彼はさらりと姉さんの髪を撫でて、そして姉さんと二人、一時その瞳の光りを交わらせ――ぷいっと、姉さんが顔を背けた。背けて、顔まで伏せる。そのまま暫くそっぽを向いたままで、やがて姉さんは顔を戻した。そして、鉄面皮の表情でこう言ったのだ。


「異性から贈り物を貰うのはこれが初めてだったけれど――ライク。悪いものじゃ、ないのね?」

「……そうか」


 ヒナギさんは頷き、少し笑ったようだった。僕はそれを、やっぱり驚きと一緒に見ていた。



◎◎



 姉さんはよほど気に入ったらしい。何をかと言えば例のブツを。バラックの窓を通り過ぎるとき、幾本も並ぶ刀剣を、宝飾品を眺めるとき、そして今のように、食事の際に飲み物の注がれた杯を受け取るとき、その全ては、姉さん自身を写す部分へと吸い寄せられていた。


「…………」


 見る角度を変えたり頭を動かしてみたり、髪を梳き直したり、本当に様々に、気にしていて。


「…………」


 僕はそれを、なんとなく仏頂面で眺めていた。


「二人とも、待たせた。ご注文の品だ」


 数枚の皿を持ったヒナギさんが屋台から戻ってくる。僕たちのいている仮設のテーブルに皿を置く。そのまま腰掛けた。姉さんは一度ヒナギさんの方を向いてから、それから皿の方へと視線を移す。


「容姿で揉めなかったかしら?」

「少々あった。だが大事無い。望みどおりのものを購入してきた」

「そう、そのようね。スープもちゃんとあるわ」


 姉さんは皿を掴んだ。そのまま自前のスプーンを――今の時代色々と病気が怖いので食器を持参することは当たり前なのだけれど、そのときの姉さんは――鏡のようにしてまた一瞬そこに自分を写して、姉さんは皿に突き入れてスープを掬った。そのまま飲む。


「ライク。出汁が効いているわ……何のスープ?」

「ああ。リナベスト――すぐそこの大河で獲れたニジマスのスープらしい。俺も初めて食べるが……美味いな」


 リナベスト川。それはアームド・ベルトに沿って流れる――実際はこの帯状の地帯こそがその河を挟む――巨大な大河である。この大河があるからこそ、アームド・ベルトは【錆の森】の影響を受けることもなく、また【アカサビ】に完全に飲み込まれることも無く、物流の基点、輸送路として働いている。居付いて住み込んでしまう人も多い。


「こっちの皿は、何? 私は干し肉ではない肉類を頼んだはずだけれど?」


 姉さんが指差したのはやたらと分厚い白身と、鮮やか過ぎる赤色をした肉(?)だった。


「ん、ああ」


 ヒナギさんは頷く。


河鯨カワクジラの肉らしい」

「――――」


 姉さんがぽかーんとした。たぶん僕も似たような顔をしていた。


「昔は確か、河海豚カワイルカと呼ばれる稀少な動物だったと俺は記憶しているが、そうだな、時代が変わればか。店主殿は塩漬け、と言っていた。これもまた、俺も初めて食べるが……これはなかなか」


 ひょいぱく、ひょいぱく。

 自失している僕らの横で、彼は塩漬けらしい河鯨の肉をぱくぱくと食べていた。

 やがて姉さんが耐えかねたように言った。


「……クロウ、他に肉はなかったのですか? もう今更干し肉でも構いませんが」

「ありはしなかった。が、俺が別口で保存している鹿肉の燻製でよければ、ある」

「それを寄越しなさい。その鯨はあなたが食べて結構。鹿肉は私と、お前もそれでいい? この子でいただくわ」

「……構いはしないが」


 不思議そうな顔でヒナギさんは肩袋ショルダーバッグから包みを取り出して僕たちに差し出した。姉さんがそれを受け取る。鹿肉。その肉なら、好き嫌いはそれほどじゃない。


「さて、最後だが。首尾よく手に入った。少量だが葉物のサラダだ。俺の分は気にせずに召し上がって欲しい」

「……ダメよDISLIKE、クロウ。あなたはいつだって顔色が悪いのだから、時には野菜を食べなさい」

「姉さん、この前は逆の事を言ってヒナギさんの野菜を全部食べていたよね?」

私の家族バカもこう言っているわ。この子の事は考えずに好きなだけお食べなさい。私の分が余っていればそれで構わないわ」

「ひ、ひどい! 僕もいります! いりますからねヒナギさん!」

「いや、それほど焦らなくとも理解しているが……」


 それは一つの、愛情表現なのだろう? と、ヒナギさんは呟くようにそう言った。僕は全力で否定する。


「違います。こんな洒落にならない食生活直撃の愛情表現などありません。悪い冗談です。悪ふざけです。姉さんは欲望に忠実すぎるんで――」

「そう。お前はスープもパンも野菜もいらないのね。ああそうそう、鹿肉もきっとお前は受け付けないわ。クロウ、鯨を食べさせてあげなさい」

「うわちょっと姉さんひどすぎ流石にそれはダメだってごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 僕は泣きそうになりながら何とか自分の食事を死守するしかなかった。

 ……ヒナギさんが取り持ってくれて、どうにか姉さんの機嫌は良くなった。



◎◎



「姉さん、この辺りを取り仕切ってる【イブキの一族ソース・オブ・イブキ】って、誰に当たるの?」


 昼食後の穏やかな時間。シルヴィーのところまで戻った僕たちは、買ってきた濃いめのチャイ・ティーを飲みながら、雑談のような情勢確認のような、よく分からない話に花を咲かせていた。


「そうね」


 姉さんは幌から乗り出して来て答える。服装が変わっていた。見覚えがない。どうやら本日購入のお召し物らしい。


「この辺りは中興の祖【オミノのアーレティア】が最も速く辿りつた場所のはずですから、彼女の系譜がそうということになるのでしょう。私とは血が遠くで繋がっている以上の由縁はありませんが」

「……時々思うけれど姉さん。姉さんってどの血筋なの?」

「言っていませんでしたか?」

「うん。聞いてない」

「あら、そう」


 姉さんは首を傾げた。おかしいなと云う表情をする。ひょっとしたら僕が聞き逃しているのかも知れない。良くない良くない。後で死ぬ目を見てしまう。


「……まあ、いいでしょう」


 姉さんはどこかで折り合いをつけたらしく、小さく頷いて話を戻す。


「私はもう何度も言っているけれど亜流傍流外れも逸れ、完全モグリの【浄歌士】ですから、伝承の語るイブキの初源【不明ネームレス】と呼ばれる不可思議な存在とは、もう他人ぐらいの血の隔たりが在るのでしょう。殆んど私は、【浄歌士】ということ以外はイブキと関わりのない人間ですから。ですが一応、私の母方――【イオ】の遠縁に分家の分家【シズク】という家があるそうです。イブキの家が細々とでも確かに世界へと広がっていることから考えれば私に繋がる可能性があっても不思議ではありませんが、その血族の血の濃さに由来する【浄歌士】発現率から見れば、私が【浄歌士】であることは他ならない奇蹟でしょう」


 まあ、奇蹟と言う言葉は、個人的にはそれほど好みではないのですが。流暢に語った後、そう言って姉さんは息をついた。疲れたわけじゃないだろうけれど、なんだか憂鬱な顔をしていた。


「……奇蹟、か」


 ポツリ、誰かが囁いた。


「ヒナギさん?」

「いや、なにもない」

「?」


 御者台に寄りかかるようにして姉さんと僕の会話を聞いていたヒナギさんは、何故か難しい表情を浮かべていた。



◎◎



「クロウの話を聞きたいわね」


 急ぐ旅ではないのだけれど、どうも一日あの村でゆっくりしすぎたらしい僕たちは、村に泊まるでも無くアームド・ベルトを北上していた。夕暮れが近くて、だいぶ日が翳ってきていた。そんな中、風を当たりに幌からできて御者台の僕の隣に座っていた姉さんは、前を向いたまま唐突にそう言った。


「ねえクロウ、あなたの話を聞かせなさい」


 隣りを走っているクロウさんを見ることすら無く、その代わりなのか髪留めに手を伸ばしながら、姉さんはそんな命令みたいなものを投げた。


「…………」


 受け取ったヒナギさんは、


「何の、話をすればいい?」


 ほんの少し眉根を寄せて、困ったような顔でそう言った。


「……速度を緩めなさい」

「本気で聞くつもりなんだ」


 こんな怪しい人の話。

 僕は責めるような視線を姉さんに向けて、姉さんの星のような瞳にそんな意志を挫かれる。だって、姉さんの瞳は、たぶん初めて、そう云うものを求めていて。


「私が聞きたいのよ」

「…………」


 その言葉に、僕が文句を返せるわけも無く。僕は馬車の速度を落とすようにシルヴィーに指示を出す。すぐにペースが落ちて、伴ってヒナギさんも移動速度にも余裕が出る。

 そこで初めて、姉さんはヒナギさんを見た。


「クロウ。正直に言いなさい。あなたは、どうして、私たちに同行しているの?」

「…………」


 ヒナギさんが立ち止まる。僕も、馬車を止める。姉さんは、


「クロウ」


 名を呼んで、両手を差し出す。


「…………」


 立ち止まっていたヒナギさんが歩き出し、姉さんの前に立って、恭しく、手を伸ばす。姉さんはその細くも強靭である腕に身を任せて、そして馬車を降りた。


「…………」


 とん、と音を立てて【錆】の混じる地面に姉さんの足が着く。ヒナギさんは手を放し、姉さんも手をもどす。そのまま姉さんはヒナギさんを、ヒナギさんは姉さんを、無言で見詰める。星のような瞳と、黒曜石の瞳。輝く星と、夜の光。見詰め合って、先に口を開いたのは――ヒナギさんだった。



「世界を――救ってもらいたい」



 夕暮れの迫る黄昏たそがれの世界で、その漆黒はしかと言い放った。


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