三. 再見
あれからどのくらいの時間が経っただろうか。一年しか経っていないような気もするし、十年が過ぎた気もする。遠い噂では、あの魔法使いはその後不老長寿の力を得たらしい。あの魔法は本物だったのか、と俺は少し驚いたが、それ以上の感情は起こらなかった。
あの後から俺は人攫いの依頼は受けていない、と思う。記憶を思い返してみても、そのような記憶が無かったから、恐らくしていないだろう。
最近は記憶が曖昧だ。昨日のことを思い出そうとしても、薄ぼんやりと靄がかかったようになっていてはっきりとしない。心も、空洞が出来てしまったようになっている。旨いものを食べても少しも感動しないし、小金を得た友人と話をしても、まったく妬みの情が湧いてこない。
俺は影の精霊に心を喰われ過ぎてしまったらしい。俺の中に巣食う精霊は少しずつ、少しずつ俺の大切なものを奪っていった。奴は俺の心に大穴を空け、ごろんと寝転がってしまったのだ。
だが、これも致し方無いことだ。心の代わりに精霊の力を手に入れることを、俺は望んだのだから。
しかしそれに伴ってなのかは分からないが、あの一件以来、人、特に子供への情は更に増した。見知らぬ子供でも、路傍で飢えていれば飯を恵んだ。持っている金のほとんどを子供たちへ愛情を注ぐことにつぎ込んだ。友人や周りの人間たちは次第に俺から距離を取るようになっていき、終いには一人になったが然程苦ではなかった。俺は子供に恵みを与えることが生きがいになっていった。
ある時、ふとあの人魚のことを思い出した。俺が攫い、そして元の場所に帰したあの人魚は今どうしているだろうか。
一度気になってしまうと、どうにも居ても立ってもいられなかった。あの人魚に会いに行こう、と俺は決心した。
出来るならば大きくなったあの子が俺に微笑み掛けて欲しいと思った。いや、やはり遠くから元気な姿を一目見るだけでいい、それだけでいい。夢想は止めどなく溢れた。
俺は荷支度も碌にせずに西の浜辺へと向かった。ひたすら歩き続け西の浜辺に着くと、以前と同じように人魚たちが憩っていた。
影に隠れながら、俺は半ば食い気味にあの時の人魚を探した。あれからかなりの時間が過ぎ、更に浜辺には何十人も人魚がいたが不思議とあの人魚を見つけられる気がした。
しばらく探していると、少し離れたところから怒声が聞こえてきた。
「ちょっと!ここに来ないでよ〈魔物憑き〉!」
七、八歳くらいの少女が、二回り位も年が上の人魚に怒鳴られているようだ。
「でも、ここでお魚を獲らないと…。今日のご飯が…。」
「うるさいわねあんたは。あんたが近くにいると気持ち悪くって仕方がないんだよ、この〈魔物憑き〉!」
女が怒鳴ると、少女は女をキッと睨み付けた、ように見えた。
「おお怖い。そうやってあたしも消してしまうのかい?あんたの親や私の息子にしたみたいに。」
「私は何もしてないって言ってるでしょ。…お母さんたちは潮に流されただけ。…すぐに帰ってくる。」
「そう言って何年経ってると思ってるんだ。お前が消したんだよ。お前の親も、私の息子も。お前が魔物に攫われていた時に貰った力で。」
「そんなものないって!」
「黙れ〈魔物憑き〉!とっとと消えろ!」
罵っている人魚が怒鳴ると、少女は両目に涙を溜めながらその場から離れていった。
吐き気がした。なんと醜いのか。会話から察するにあの少女は独り身らしいが、あんな幼い少女にあの女はどうして情を掛けられないのか。息子がどうとか言っていたが、何か関係があるのだろうか。それにしても大人が少女を罵倒するというのは非常に不愉快だった。西の浜辺の人魚は高潔だと聞いていたが、あれは全くの嘘だったのだろうか。いや、高潔であるがこそなのか。
あの罵声を浴びせる人魚には勿論のこと、俺は周りの人魚がこのやり取りに全く見向きもしなかったことにも大きな不快感を覚えた。周りは止めるべきなのではないか。あの少女はここの人魚全てから嫌われているのだろうか。
込み上がる吐き気を無理やり押し込めると、次第に怒りが湧いてきた。義憤とでも言おうか。彼女をこのような環境に置いている全てが許せなかった。
もう他の事は考えられなかった。俺が、彼女を救わなければ。
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