二. 人魚狩り
俺は影使いの中でも情が深い方だ。同業の連中とはよく連絡を取っているし、仲間の危機にはすぐ駆けつける。他の四属性使いとの交流会にも欠かさず毎回参加しているし、光使いの連中ともうまくやっている。まあ、奴らのことはあまり好きにはなれないが。
俺たち影使いのような輩は五種類いる。火、土、水、光、そして影だ。それぞれ自然の精霊たちの力を借りている。影使いは、影の精霊を躰に宿す。そして精霊の力を借りて、術を使う。文字通り影に潜み、相手に気取られずに事をなす。
しかし、力の代償というのも中々に大きい。影の精霊は心、感情を喰らう。俺たちは精霊の力を使わせてもらう代わりに、楽しさだとか悲しみだとかを感じる心を少しづつ喰わせてやっている。これも共生の一つなのだろう。
だから、と言ったら可笑しいかもしれないが、俺は人との繋がりを大切にする。心が喰われても、残された心で少しでも人の温もりを感じていたくて。
さざ波の音が微かに聞こえてきた。もう海が近いのだろう。俺は高台に登り、念の為影に隠れて辺りを見回した。
視界の遠くに清らかな浜辺が見えた。白く光る砂が風に吹かれて波模様を描き、水面は陽光を反射してキラキラと瞬いている。仕事ではなく、休暇で訪れていたならばさぞ心浮き立っていただろう。目を凝らすと、浜や波間に赤や青といった色とりどりの鱗を持った人魚たちがぽつぽつと見える。日光浴でもしているのだろうか。
さっそく俺は影の中から獲物を物色した。捕獲するとなると、屈強そうな奴は論外だ。捕らえるだけでも手間が掛かる。捕まえやすさ、運びやすさを考えると、子供、出来れば赤ん坊が良い。その方が何かとしがらみも少ないだろう。
俺は浜辺にいる人魚たちを一人ずつ見回し、赤ん坊を探した。
いた。浜から突き出した岩に寄りかかっている母親に抱かれ、すやすやと眠っている。まだ産まれて間もないのか、髪の毛が生え揃っていないように見える。あいつが良いだろう。
獲物が決まると、俺は夜が更けるまで待った。彼らは浜辺から少し歩いたところにある入り江を寝床にしているらしかった。
人魚たちが寝静まった後、俺はいつものように影に身を沈めて入り江に近づき、例の赤ん坊のそばに寄った。すやすやと気持よく眠っているようだ。
そこからは一瞬でことを行った。寝ている赤ん坊の両目に影の力で覆いを付けた後、影に引きずり込む。そして素早くその場から離れる。影使いからしてみれば朝飯前だ。影の中で赤ん坊が喚いていたような気がするが、まあ良い。どうせ影の中から外へは音は漏れない。
その後は帰るだけだった。来た道を十日かけて戻る。
俺は自分の影に赤ん坊を沈めたまま歩いていたのだが、赤ん坊は延々と泣き喚いていた。影の中は結構快適なのだが、どうも赤ん坊は気に入らなかったらしい。ずっと泣き続けるので、しばらく経ってやっと腹が減ったのだろうかと思い至った。そこで俺は途中に寄った村で山羊の乳を貰い、清潔な布に染み込ませて赤ん坊に吸わせた。俺の腕の中に収まり、目に覆いをされながらも赤ん坊は元気に乳を吸った。しばらくすると腹が膨れたのかぐっすりと眠った。これを十余日何回も何十回も繰り返した。最初は煩わしかったが、途中からは愛着が湧くようになってしまった。
老魔法使いのところに着く頃にはもう我が子のように感じていた。受け渡すのを想像すると若干心が痛んだが、俺は人攫いなのである。そして仕事は仕事だ。俺は受けた仕事は完遂する。
「ああ、お前さんか。いや、もうよい。」
研究所に入り老魔法使いに依頼の完遂を告げると、彼はこちらへほとんど関心を向けずに口を開いた。
「いい?いいってどういうことだ?」
「いやな、実は先に頼んでおった者がひょっこり人魚を連れて戻ってきたのじゃ。じゃから、お前さんの連れてきた人魚はもうよい。」
「いや、いいと言われたって…。どうするんだ、この人魚。」
俺は自分の影を指差して言った。
「捨て置くなり売り払うなり、お前さんの好きにするが良い。心配せずともちゃんと元の報酬は払ってやる。」
「そうか。報酬が貰えるんなら…いいんだが。」
「そういうわけじゃ。分かったならもう出て行ってくれ。」
老魔法使いはずっしりと重い握り拳程の麻袋を俺に押し付け、建物から追い出した。
途方に暮れてしまった。赤ん坊をあの魔法使いに渡したくないと思ってはいたのだが、いざ現実になると戸惑ってしまう。もう赤ん坊を捨てたり売ってしまうことは考えられなかったし、ならば自分で育てる、となっても乳を飲ませることやその他簡単なことしか出来ない。
俺はしばらくその場で考えた。考えたのち、やはり元に戻すのが一番だろうと考えた。
俺はまた十日かけて西の浜辺に向かった。人魚たちのいる浜辺へ。
浜辺付近に着いて夜になるまで待ち、彼らが寝静まったのを確認してから寝床に近づいた。
赤ん坊も影の中で眠っているのを確かめてから、そっと覆いを外して赤ん坊がもと居た場所へ優しく置いた。誰にも気づかれなかったし、赤ん坊も家族の元へ戻っているとは夢にも思っていないだろう。
翌朝の、家族や仲間が赤ん坊を囲む姿を想像すると自然と口の端が上がった。
これでいいんだ、と俺は思う。俺は何か大事なものを失ったようにも、得たようにも感じた。
もう人攫いの仕事は辞めよう、と思った。
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