(7)

 『私の率直な意見です。こういう深い話をするとき、メールって不便ですね。丁寧に状況を書いていますが、それでもまだ真意をつかみきれないところがあります。だから、今回の返事は私の理解したところ、想像するところによりますことを予めご了承ください。まず、とても一方的な見方、ものの捉え方だという印象を強く持ちました。それと同時に、とてもカズ自身が彼女の関係の変化に動揺して、前向きな方向に転じたいという強い気持ちも伺えます。』

 『それはきっと、あなたが相手のことを強く思う、好きであるからこそ陥りがちな解釈とも言えます。お互い気持ちをうち明け会った同士でも、必ずしも互いを尊重試合、全く同じスタンスでの関係を保つことは、おそらくありえないものだと思います。恋愛関係だからこそ、相手のことが好きだからこそ、相手にはいつまでも自分の好きな形であってほしいという一種エゴイスティックな欲求もはらむものなのです。むしろ、こういう感情は起こって当たり前だし、この自分のエゴとの葛藤が恋愛を辛くさせている要因とも思います。』

 『恋愛感情は独裁欲のようなものとリンクするところがあるのかもしれません。そして、前回のメールの内容に戻りますが、外的な要因、環境の変化が影響しているというのは事実かもしれません。が、ある意味そこに責任を押しつけてばかりではありませんか。前回のメールで一番気になったのは、カズ自身の信条や言動について一切記述がなかったことです。あなた自身一切変わらず彼女との交際を続けていると言えますか。そして、そんな変化に対して積極的に相手へのアプローチを試みましたか。』

 『特にそういうことが書かれていなかったので、私の方でそう判断しました。お互いどんなスタンス・距離感でつき合っているかは図りかねますが、カズはとても受け身で「なりゆきのまま」みたいに、自然の流れに任せっきりにしてはいませんか。それは一見寛容的な大らかな態度なのかもしれませんが、それは大きな間違いで、時と場合によっては単なる逃げの手段にしかないのです。もしかしたら、少々強引でも意志を押し通さなければならない場面が時には必要なのかも。』

 『彼女との関係が希薄になっていると感じている割には、自然に自分の意図するようないい方向に向かわないかと切望しているのでは。それが、最初に述べた恋愛と独裁欲求の関係に当たるのです。私の指摘が的を得ているのかどうかは分かりませんが、何かしら心に引っかかる節があるのなら、一度整理して相手の子と話す機会を作っては、できるだけ早く。私の意見は以上です。いろいろとお説教臭くなってしまってごめんなさい、それでは。 ヒカル』

 「恋愛は独裁欲求…」

 「自然にいい方向に向かうように…」

そんな言葉を胸の中で反芻する。言われてみればそんな風にも思える、いや、実際そうだったんじゃないかと指摘されてつくづく感じる。

 会う回数が減ったってのは、確かにお互いが多忙になったという事実はあるけど、僕は真理子が仕事に追われているから誘ったりするのは遠慮しようと考えていた。そんな変な気を遣ったりするから、だんだんと疎遠になって躊躇するようになる。その雰囲気が真理子にも伝われば、きっと彼女の方にだってお互いの間に壁を感じさせてしまっていたに違いない。結局は、僕が蒔いた種のような気がする。

 「昔ほど楽しくない」と思っていたけど、真理子のとげとげしくなった発言や態度を自分は大らかに受け止めていただろうか。そして、自分も楽しくさせようとする努力や心遣いをしただろうか。それがたまたま、会社に就職したからというタイミングをうまく利用して自分なりに勝手に納得していた。すべては自分をごまかすための言い訳、そして受け身、受け身、受け身…。

 そんなことをグラスを傾けながら考えていた。常連客ではあるけど、さすがに2日連続で来たことは今まではない。店に入り僕の顔を見るなり「今日もかい」とマスターは意外そうな顔をして言ったものだ。時間はもうすぐ7時。

 「どうしたの急に」

真理子は疲れているのか突然の呼び出しに不服なのか、そんなそっけない態度で僕の隣に座った。昼休み前、僕は真理子のところに電話をかけた。留守電になるかと思いきや、意外なことに繋がり真理子が出た。

 「何?まだ仕事中なんだけど」

と小声で冷たく言い放った。僕は今晩会えるか、もしくは今日じゃなくても近いうちに会えないかと彼女を誘った。少々の沈黙の後、「今晩でいいわよ」と了承してもらえた。声色はそんなに乗り気というわけでもなさそうだったが、取りあえず了承してくれたことに僕は安心した。「何で」と繰り返し問いかける真理子に、「その時に」と言ってごまかした。電話南下よりも、直接会って話がしたかった。そうじゃなければ、きちんと伝わらないような気がしてならなかった。

 「マスター、マルガリータね」

と今日はメニューも見ずに昨晩と同じパターンで注文した。カウンターにグラスが置かれ、ひょいと手に取りながら「で?」と訪ねた。

 「うん…」

と、僕も真理子に習ってカクテルを口に注ぎ込んでごまかした。合うなりこんな話を切り出すのはどうだろうと、いささか躊躇してしまう。わずかな沈黙でも、真理子の機嫌がだんだん損なわれていくような気がする。それはそうだろう、突然呼び出されてこちらがなかなか本題を切り出さないのだから。

 「あのな、今日来てもらったのは他でもない、オレたちのことなんだ」

 「はあ…」

真理子は気の抜けた返事を返した。

 「なんかさ、ここ半年ばかりさ、オレたちどうもギクシャクしているように感じてならないんだ」

 「ギクシャク…?」

僕も真理子もお互いを見ていない。二人とも手にしたグラスを揺らしながら、中で揺らめく氷をじっと見つめながら話している。

 「いや、ギクシャクって言っても別に関係が破綻しているとかじゃなくて、何て言うのか、すれ違いを感じることが多くなったような気がするんだ、最近」

 「すれ違い…」

 「今は別に具体的にどうこうってことはないんだけど、なんかこのままほっといてすれ違っていたり考えていることなんかが平行線をたどっているままじゃ、いつか本当に破綻しちまうような気がするんだ、オレたち」

 「…」

 「そうなったのはさ、オレ、学生から社会人に変わって環境が変わって、それに適応するために忙しくなったじゃん、それは事実だとは思うんだけど。でもさ、そんなことばっかり気を取られて変な気を遣うようになったらさ、なんとなく関係が離れたように感じられて差」

 「そっっけなくなったよね、和樹」

 「うん。会っていても、なんだか昔とは違うようで差、なんか楽しくなくて。また昔みたいに心の底から楽しくなればいいと思って入るんだけど、自然ななりゆきにばっかり任せているからさ、どうも何にも変化がないとだんだんとそっっけなくなってさ、それは悪いと思っている。真理子には、ずっとオレが気に入る姿であってほしいってエゴもあったし。それに…」

 「恋愛は独裁欲求が絡むもんね」

真理子は急にこちらを見やり、そんなことをふっと言った。今までの不服そうな顔色はすっと消え、どことなく勝ち誇っているような笑みすら浮かべている。それはきっと、この言葉に対する僕の反応、同様を見てのことだろう。 「はあ…」

今度は僕が気の抜けたような返事をした。

 「どっかで聞いたことがない、この言葉。あ、読んだことないって聞いた方が正しいかな」

僕の動揺は更に大きくなった。

 「おまえ…」

 「メ・エ・ル」

と口調も明るくリズムを刻みながらささやいた。

 「おまえ、あれはおまえの友達だっったのか…」

 「なんでそんな回りくどい想像をするのよ」

確かにそうだ。もっとストレートな手段があるし、別に難しいことではない。ただ、僕の気持ちが動揺してすぐには受け止めきれないのだ。真理子は真っ直ぐに僕の顔を見ながら

 「ヒカルって、あたしよ」

と、何の躊躇もなくそう言った。僕はぽかんとしてしまい、目の前にいる真理子と、どこの誰かも知らないはずだったヒカルの虚像が頭の中で混乱してなかなか整理がつけられなかった。

 「おまえ、メールなんか使えたっけ?」

こんなことを聞くのがやっとだった。

 「まあね、登録も操作も簡単だしね」

 「なんでこんな真似を」

僕は少々語気を荒げて言った。

 「…ごめんなさい。決して和樹を騙したりからかうつもりなんか全然ないの、それだけは信じて」

 「じゃあ…」

今までの笑みがすっと消え、真顔で、そしてどことなく悲しげな表情で続けた。

 「きっと、あたしも和樹と同じように不安だったんだと思う、あたしたちのことに。確かに多忙に任せて流されるままの生活を送っていたし、疲れていて何となく優しくできなかったりしていた。あたしにもそういう引け目みたいなものを自覚しているつもりだったから、会ったり遊んだり食事したりする機会も減っちゃって、なんか和樹の態度もそっけなくて、昔に比べて冷たいなって思うようになったの。そしたら、なんかあたしのこと嫌いになっちゃったのかなって思うようにもなっちゃって」

 「…」

 「そしたらね、すごく不安に鳴っちゃって。本当なら、こうして向かい合って話したりするのが筋の通ったやり方だと思うんだけど、なんか怖くてね。ほら、あたしたち本当に出会ってすぐつき合うようになったじゃない。だから、ほとんどお互いの考えていることとかどういう性格なのかってのは全然知らなくて、本当に出会ったときのフィーリングみたいなものから始まったじゃない。実際、つき合いながら知っていくって感じで」

 「うん」

 「だから、こういう話に持ち込んだとき、どういう反応するのかってのが分からないから不安だったのよ。…それに」

 「それに?」

 「…それに、真正面から嫌いになったって言われるのがとっても怖かったし…。でね、あたし和樹がいろんな人とメール交換しているの思い出して」

 「知ってたのか、それ…」

 「まあね。前からよく誰かにメール打っているの見てたし、それにちょっとだけ肩越しに見たことあるんだから「おはよう」だけのメッセージ。あんな挨拶だけなんてメル友以外の何者でもないじゃない。友達にわざわざおはようの挨拶だけのメール出すなんて変だし」

 「そっか」

 「それで思いついちゃったのよ、あなたのアドレス形態と一緒だって知っていたし。メールで別の人になりすまして、そこそこうまくいったら聞いてみようって。「彼女とかいるの?」ってね。でも、一か八かって賭けみたいなものだったけどね。そしたら、うまい具合に親しくなって、昨日みたいにあたしの聞きたい話が出てきたってわけ。もちろん、こんなに早く都合よくいくなんて思ってなかったからね。私も恋愛に関してはあんまり自信ないけど、それはお互い様みたいね」

真理子は再び一口飲み、僕は頭をかいた。

 「こんな姑息なことをして本当にごめんなさいね。他にもいろんな方法はあったと思うんだけど…。そういうつもりじゃなかったんだけど、結果としては騙していたことになるもんね。もし怒ったり傷ついたりしていたら本当にごめんなさいね…。でも、正直昨日のメール見てすごく嬉しかったのよ。あたしだけじゃなくて、和樹も、お互い同じことで悩んでいたんだって分かって。だから、これやってよかったって思ったのも本音よ」

そこまで話すと、真理子はハンドバッグからタバコを取り出し一本口にくわえた。真理子は喫煙者だ。彼女曰く、学生時代酒と一緒に覚えてしまった悪い癖だとか。僕はタバコだけは全くやらないので、これが僕たちの大きな違いのひとつである。

 僕は怒っちゃいない、傷ついてもいない。むしろ、真理子の話を聞いていてとても嬉しくなった。今まで心を痛めていたのが僕だけだと思っていたけど、それはとんでもない思いこみで、真理子も僕たちの関係が変わりつつあることに悩んでいたことが分かったからだ。だが、結局はこれもすれ違いの一種なのだろう。お互い同じ悩みを抱えていながら、直接会ってもお互い気づきもしなかった。真理子の思いつきがなかったら、きっといまだに僕たちは同じ悩みを抱きながら分かり合えることもなくずっとすれ違っていただろう。そう思うととても馬鹿らしく、同時にぞっとする感がある。

 「きっとね」

とタバコを灰皿でもみ消しながら真理子が続けた。

 「以心伝心とか目と目で通じ合うなんてことは、単なるきれい事って言うか、空想の世界みたいにあり得ないことだと思うんだ」

 「うん」

 「だからさ、気になる人、大切に思う人なら、よけいに口から言葉を出して自分の胸にため込んでいること、頭の中でぐるぐると考えていることを言わないとだめなんだよね、きっと。好きなんだからとか、恋人同士だからなんて思いこんでいたら、何かの弾みで頭で思っている好きとか恋人のイメージとは違うことを相手が起こしたら、そこから亀裂が入っちゃうんだよね、何も言わなかったら。そこで、ちゃんと口に出して言わないと「いけないんだよね」

 「うん、そうかも…、いやそうだよね」

真理子はふふんと笑った。

 「で、それでなんなの?」

 「はあ!?」

 「さっき何か言いかけたでしょ。私がメールの相手だって言う前にさ」

 「ああ」

と僕は記憶の断片を探り出した。

 「いいよ、今更。もう言う必要はないよ」

 「ほらぁ!」

真理子は声高に突っぱねた

 「今言ったばかりじゃん、何でも言い合わなきゃだめだって」

 「ああ、そっか…」

 「で、何?」

 「多分な、オレ昨日の真理子からのメールを見てからいろんなこと考えたんだ。そしたらさ、オレって以外と嫉妬深い人間なのかもって思ったんだ」

 「嫉妬深い?」

 「うん。ほら、会社勤めしてからすれ違いを感じるって言ったじゃん。それに、真理子だってオレの態度が冷たくなったとも言ったよね」

 「うん」

 「今までさ、真理子はすぐオレの近くにいたような気がしてたんだ。気兼ねなく話せて、気兼ねなく会ったりしてさ。でも、社会人になってから、話すことはほとんど職場のことばかりで、正直オレうんざりしていた。そしたらさ、こんな風に真理子が変わったのはきっとあの会社に入社したせいだって思って差」

真理子はアハハと笑った

 「ばっかみたい」

 「馬鹿みたいだけど、実際そんな風に感じたんだぜ。もし、まだずっと学生のままだったら同じように楽しくいられたはずなのにってさ。もしかしたら、オレは中小企業、真理子は一流企業にいるって劣等感を感じていたのかも知れない、真理子が自分のところの仕事の話をするたびにさ」

 「ばっかみたい」

今度は笑ってはいなかった。真理子は僕から目を背け、俯きながら言った。

 「ホントに和樹って、嫉妬だらけの焼き餅焼きなんだから」

真理子は顔を上げ笑みを浮かべながら越えたからかにいい、僕の方をポンとたたいた。好きだからこそ、そんなどうでもいい対象にでも嫉妬の気持ちを抱いてしまうのだ。それはきっと、どんなものにも大切に思うものは自分のそばに、そして自分に思いを寄せてほしいと願う独裁欲求、エゴイズムそのものなのかもしれない。

 僕らは店を出た。昨晩と同じく夜気が冷たい。僕は隣にいる真理子をちらと見て、そういえばいつからだろうか、僕らはお互い手すら繋がなくなってしまったんだなと思い出した。

 僕は少々照れながらも、真理子の右手を握った。真理子が一歩僕の方に寄り添うように近づいてきた。(完)

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バーチャル・リレーション 松江塚利樹 @t_matsuezuka

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