お掃除

 「キャッ!」

 ドサドサっと数冊の本が、サイドボードから陽子の足元に落下した。漫画に教科書、文庫本に雑誌と、無造作に積み重ねられたあらゆる種類の本の山は、多すぎる量と忙しく動き回る陽子が起こす振動によってバランスを失い無残にも崩れ落ちた。やれやれと本を拾い集め、まずは本棚の整理に取り掛かることにした。

 本の整理をすると言っても、本棚のスペースには限りがある。しかも具合の悪いことに、もうすでに本棚の許容量を超える量の本がある、CDに関しても同じなのだが…。

 そこで問題になるのは「何を捨てるか」である。たくさんある書籍の中から、丹念に吟味して「これはもういいかな」とか「これは取っておく…」などと、なかなか決断できない。陽子にとって「本を捨てる」というのは、おそらく国会で憲法を改正しようかしまいかと議論するくらい悩むことなのである。取りあえずの打開策としては、「取りあえず取っておこう」と思った雑誌のバックナンバーや文庫本をダンボールにつめ、下の押入れなどにしまい込んでおくことであるが、そろそろそれもやばくなってきた。

 数日前の恋人と過ごしたイブの夜の楽しいものとは正反対に、今は服やらぬいぐるみやらアクセサリーやらが散在している狭いマイルームにいる。これらを何とかしなくちゃと思うたびに「はぁ」とため息が出てしまうのである。

 陽子はきれい好きな女の子である、物を片付けたりするのはあまりいやとは思わない。しかし、陽子の2つの短所が重なって、こういう大掃除はなかなかはかどらないのである。それは、まずむやみやたらに物を買い集めてしまう癖がある。高校生になってアルバイトをするようになって、ある程度収入が得られるようになってから、生まれつきのショッピング好きもあって、どんどん部屋の中に貯めてしまうようになってしまったのである。もうひとつは、あきっぽいのである。特にこういう場合、棚やら何やらからいろいろな物を引っ張り出していくうちに、懐かしい品・お気に入りの品・無くしたと思っていた品などが見つかると、ついつい手を止めてそれに見入ってしまう。録画したビデオテープなんか見つけてしまったときには、もうその時点でおしまいである。これだから長続きしないし、なかなかはかどらない。

 だけど今日は違う。心を鬼にして手際よく本を分け、はみ出した本の処分方法は取りあえず後回しにして、次は服だとばかりにクローゼットの前に立った。

 壁に直接取り付けてあるクローゼットで、奥行きがあってなかなかのものである。左右の観音開きの扉を開けると、きれいに掛けられた余所行き用のスーツやらパステルカラーののワンピースやら、来年の成人式のために祖父母から買ってもらった桜色の晴れ着に混じって、丸まったTシャツやら脱ぎ捨てたままのスカートやジーンズがクローゼットの床面に転がっている。取りあえず何があるのかと物色してみることにした。よくもまあ、古着屋とかユニクロが安くていい物を提供しているとはいえ、こんなにも買い込んだのかと1着1着触れるたびにしみじみと思う。

 たくさんの衣類を書き分けている陽子の手がふいに止まった。

 「うわぁ」

まだあったんだ、そうだよね捨てるはずないものねとばかり、奥から引きずり出したのは中学校のときの制服である。陽子は私立中学校に通っていたのだが、この征服のデザインが気に入っていて、入学するときなんかはこの征服に袖が通せることに心躍るような嬉しさがこみ上げてきたものだった。ちょっと防腐剤くさかったが、ビニールカバーをかけてあったので、塵ひとつついていないし、しわもない。おそらく高校に入る前にクリーニングしてもらったのであろう。

 じっと眺めているうちに、ふつふつと「着てみたい」という欲求が芽生えてきた。別段ノスタルジックに中学生時代を懐かしんでいるわけでもない、ただ久々に見つけた衣服を身に着けてみたい、ただそれだけのものであった。部屋に鍵をかけ、着ているセーターとジーパンを脱ぎ捨て、ちょっとドキドキしながらスカートに足を入れる。胸のあたりがちょっときつかったが、切れないこともない。そろそろと自分の姿を姿見で映してみる。何年ぶりだろう、この姿になるのは。顔つきや体つきはだんだんと大人の女性に近づきつつあるのに、そのアンバランスな格好になんだか照れ笑いを浮かべてしまう、ちょっと不思議な自分。「もう子どもじゃないんだな」とちょっと誇らしくもあり、ちょっと寂しくもあり。

 何気なく上着のポケットに手を入れる。何の気なしにとった行動であるが、指先に硬く小さなものが触れた。何だろうとゴソゴソ探って引っ張り出し、ゆっくりと手を広げてみると、それは少し表面が禿げかかった金色の第2ボタンだった。陽子ははっと息を飲んだ。錆付いた重たい扉が急に開け放たれたような、ほろ苦い感情が胸いっぱいに広がる。いつもらったんだろう、憧れの先輩からか、それともひそかに思いを寄せていたクラスメイトか、それとも…。金のボタンはそれ以上、何も陽子には教えてはくれなかった。でも、なんだか嬉しい、思わず笑みがこぼれるような。もうあの頃には戻れない、そして戻れないあの頃の自分を、この征服は全て知っている。卒業して、もうすっかり会わなくなってしまった人も多い、みんなはどんな気持ちで、そしてどんな人になっているのかな。陽子は、しばらくの間、鏡に映る自分と金色のボタンを見つめつづけていた。

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松江塚利樹掌編集 松江塚利樹 @t_matsuezuka

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