第6話 古城の探索

 屍織姫との面談の結果は、芳しいものではなかった。

 情報が足りない。桐月は自分に都合の良い情報しか提示していないかしれない。鵜呑みにするのは危険だ。かと言って、美耶子さんも信用できない。

 2人ともまだ帰ってこない。俺は、姫との面談を早々に切り上げ、思い切って屋敷の探索を始めた。

 日本のウサギ小屋とは違い、当然部屋数は多い。だが、調べるべき場所は限られている。


 かつての主、荒造伯父の書斎と寝室。

 どちらも鍵が掛けられていたが、鍵束は使用人室らしき部屋で簡単に見つかった。てっきり桐月が持ち歩いている物かと思っていたが、美耶子さんが留まっている以上、未だ主人面は許されていないという事か。――それとも、ここには見られて困るようなものが無いというだけの事なのかもしれないが。


 書斎の扉を開けると、いきなり蜘蛛の巣の歓迎を受けた。

 主人が居なくなってまだ日は浅いのに、まるで掃除が行き届いていない。桐月たちが使用人を追い払ってしまったせいだ。

 蜘蛛の巣を払いつつ探してみても、期待していたような物は見当たらなかった。


 考えるまでもなく当たり前だ。伯父が係わっている会社は、彼一人がいなくなっただけで運営が成り立たなくなる訳ではない。そこから産み出される富を得る権利を持つ者がすげ変わろうとしているだけ。桐月が口にした魔法めいた技術の秘密は、それぞれの企業か、伯父名義の銀行の貸金庫にでも収められているのだろう。


 ましてや、伯父自身が遺産を受け継いでからの、魔導書めいた手記の類などが、都合良く存在しようはずもなく。――俺だって、小学生時代、夏休みの絵日記でさえ満足に続ける事が出来なかったんだからな。

 マホガニー製の書き机の、鍵の掛かっていない引き出しには、レストランやブティックの明細や、知人からの時候の挨拶、冠婚葬祭の報せの手紙程度しか見当たらない。


 簡単な英文を、四苦八苦しながら読み下している俺を横目に、手持ち無沙汰な体で本棚を眺めていた江間絵が、卓上に伏せられた写真立てを手に取っていた。

 いつ頃撮られた物だろう。日に焼け、少し色あせたそれは、ドレスで盛装した屍織姫のものだった。


「……大事に思ってたんだね」


「当たり前だろう?」


 俺の返答に幼なじみは大げさな溜め息で応えて見せた。……呆れられる意味が解らないが。

 思うような成果を得られないが、桐月たちがいつ戻るか分からない。早々に切り上げ、寝室へ移る。


 扉を開けて絶句した。

 部屋中にびっしりと蜘蛛の巣が張り巡らされている。

 その上で、名前も知らない、見たこともない種類の蜘蛛達が蠢いている。

 古いB級ホラーでなら目にする光景だが、こんな餌の少ない室内で、僅かな期間でここまで巣が張り巡らされるのは考えられない。

 脚が多い生き物は平気なはずの江間絵だが、さすがに口元を押さえて固まっている。

 居間の暖炉から火掻き棒を拝借してくると、俺は蜘蛛の巣をかき分けて室内に踏み込んだ。


 どれだけ注意しても、手や顔に粘着質の糸がべたりと張り付き、不快な事この上ない。

 広い部屋の中央。一際多く糸が掛けられ、巨大な繭のように見えるのは、恐らく寝台か。

 嫌な予感は、違う事無くそこに結実した。


 ――兄さんの葬儀は執り行っていないわ。弁護士を通して法的な死を確定させている最中――


「来るな! 下がってろ」


 部屋に足を踏み入れかけた幼なじみに警告する。

 どうりで桐月のような男が幅を利かせる訳だ。正攻法ではどうにもならない。これは金とコネを駆使し、力づくで処理するしかない。

 蜘蛛の巣をかき分け、びっしりたかった仔蜘蛛を払い除けて、俺が目にした服を着たままのミイラ状の遺体は、まず間違いなく荒造伯父の物であろうから。


 気分を悪くした江間絵は自室で休んでいる。

 無理もない。本物の屍体でさえ目にした事が無いのに、その初めてがあんな異様な物では。

 これで江間絵が帰国を決意してくれれば、それでも不幸中の幸いではあるのだろうけど。


 俺自身、ここらが潮時なのかもしれない。

 まとまらないまま部屋を出ると、酒瓶を手に階段に座り込む酔漢が目に入った。

 いつのまに帰っていたのか。嫌な奴に出くわした。

 だが、逃げると思われるのも癪だ。俺は踵を返し去りたい衝動を抑え、桐月に歩み寄った。


「よう」


 酒瓶を上げ、おどけた調子で声を掛ける従兄弟に、俺は単刀直入に話しかける。


「伯父さんの遺体を見た」


 腹芸は無しだ。情報量でも交渉力でも、今の俺ではこの男にはまるで歯が立たない。


「……そうか。金を握らせて医者に適当な診断書を作らせて、埋めるなり焼くなりしてやっても良いんだがな。俺の相続が確定するまで、まだ別の使い道があるかも知れねぇしな」


 驚きも咎めもしない。俺たちが何を知ってもどうにも出来ない事を解り切ってるって体だ。


「何があったんだ? 伯父さんはいったいどうしてあんな事に?」


 ウィスキーを呷った桐月は、さも満足げに鼻で笑って見せた。昨晩の喧嘩腰から一転した俺の態度に、優位を確信したのだろう。口元を甲で拭い酒瓶を置くと、だらしなく着崩していたシャツを脱ぎ捨て背を向けた。


「昔の話だ。ガキのころ、俺はこの城で、熊ほどもある蜘蛛が人を喰らってるのを見たことがある」


 はだけていた胸元から、何か彫り物を入れているらしいのは伺えていたが、あらわになった桐月の背中には意匠化された蜘蛛が刻まれ、その身を抱くように、胸にまで脚を伸ばしている。


「そんなばかげた話、信じて貰えるはずもねぇ。だが、目の奥に焼きついて、怖くて怖くてな。15の時に、その恐怖を乗り越えるため、戒めとしてこの身に刻んだ」


 ネイティブアメリカンのトーテムのような物か。俺を脅す意図もあるだろうが、過去を語ってみせた従兄弟のあり方を、ほんの少しだけ理解できた気がする。


「そんな化け物が、この城に……」


 お前も呪いで囚われた姫君を見た後だろうがよ。桐月はそう嗤ってみせた。


「俺が一思いに荒事で話を付けない理由が解ったろ? 屍織と遺産を手にするには、約束事を守る必要があるってこった」


 そして前の主人である荒造伯父は、その禁忌に触れてしまったか。

 桐月たちの留守中に、姫を無理矢理連れ出すような真似をしていたら、俺もどうなっていた事か。その事に思い当たり、冷や汗が滲む。


「なんなら、屍織はおまえや美耶子にくれてやっても良い。確かに上玉だが、何度も抱けば何れ飽きも来る。金があれば新しい女は幾らでも抱ける――」


 酔いが回ったか、萎縮した俺を見て気を良くしたのか。桐月の舌は滑らかに廻る。


「まあそれも、屍織の不死の秘密を解き明かしてからの事だがな。糸の製法より、よっぽど大きな金になる」


 織機の一族もその前の主も。代替わりし誰一人不死の存在でないという事は、それに触れようとする事も禁忌ではないのか。そんな考えが頭を過ぎったが、饒舌になった桐月にわざわざ教えてやる義理も無い。


「で、お前はもう屍織の味見は済ませたか?」


「!? 誰がッ!!」


「だろうな。童貞臭い騎士気取りのお前にゃ、少しばかり荷が重いか」


 げらげらと下品に嗤う桐月。


「ん? それとも何か、あのお目付け役か? 俺は今気分が良い。そうだな……明日もう半日好きにさせてやる。連れが邪魔なら、俺が相手しといてやんよ」


「江間絵は関係ないだろ! 絶対に手を出すな!!」


 切れかけた俺に、何故だかきょとんとした表情を見せた桐月は、数瞬後弾けるように哄笑した。


「ヒャハッ!! 勘違いすんな、誰があんなションベン臭いガキに勃つかよ! 金握らせて、観光でもさせてやるってこった!」


 お前程度にはお似合いだろうがなと、文字通り腹を抱えて笑う無頼漢。だが、ある意味幼なじみの身の安全を保障され、俺が少しだけ安堵したのも事実だった。――幼なじみ本人は喜ばないかもしれないが。


「アイルランドくんだりまで来た記念だ。お前じゃ一生手の届かない上玉で筆卸させてやんよ。今まで何千人にも仕込まれてるうえ、毎朝身体はまっさらになるんだからな。膜まで戻ってるのは面倒だが、お前みたいのはそっちの方が嬉しいだろ?」


 この男を、ほんの少しでも理解できた様な気になった事を、心から後悔した。

 だが、姫を抱く話はともかく、金を貰って日本に還る事を、ほんの一瞬でも真剣に検討した自分に気付いた事の方が、俺の心に小さく黒々とした染みを残した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る