第13話

2011年4月3日、午後10時頃。


アルバイト先のジャズ喫茶から帰宅途中の女性が、水色の作業服を着た男数人に乱暴されるという事件が起きた。


犯人は捕まっておらず、被害者の女性はあまりのショックに精神に支障をきたし、精神病院に入院した。





磯崎里奈 21歳。



華の本名である。



僕の部屋に突然現れた華という女性は、実在しなかったというわけだ。



華、もとい里奈の葬式に出て、里奈の両親の話を聞いた僕は、まるで悪い夢を見ているような気分だった。


あの華と過ごした時間が現実で、今、この現実が夢であってほしいという願望かもしれない。



里奈はある日突然、病院から抜け出し、行方不明になった。



両親が躍起になって捜している間、僕の部屋で虚構のひとときを過ごしていたということだ。



僕の愛した華は実在しなかった。だから里奈が死んでしまっても、僕にはピンとこなかった。


なぜなら華は元々いなかったんだから。



愛する者の死は、すぐには実感できない。



しばらくは、華が現れる前のように淡々とした日々を過ごした。





しかし、ゆっくりと、夜の闇が部屋に忍びこんでくるように、僕の胸をしっかりと哀しみが蝕んだ。



ちょうどそんな時、佳菜子が家にやってきた。




「ぶどう食べない?」






佳奈子はスーパーの袋から騒々しくぶどうのパックを取り出し、




水道の水を激しくだして、騒々しくデラウェアという小粒のぶどうを洗った。




その騒々しさが、なぜか僕の心を和ませる。






なんでもよかった。変化がほしかった。






「大丈夫?優くん。なんだか大変だったわね。」






いつもふざけた佳奈子が真面目な顔をして話している。








僕は、母親の前の子どものように、張り詰めた感情を吐露した。




「何が一番つらいって・・・・華・・じゃなくて里奈が僕にずっと嘘をついていたことなんだ。




華じゃなくてもよかったんだ。里奈のままでもよかったんだ。」





失った哀しみは勿論だが、騙されていたという哀しみのほうが、僕の胸を占める割合いが大きかった。






佳奈子は、黙ってぶどうをひとつ口にいれ、ごくりと飲み込んだ。






「華さんは、実在したのよ。」






「えっ?どういう意味?」






「里奈さんは、多重人格っていうの?ほら、外国の小説にあったじゃない。いろんな人格をもつ人の話・・。




今は解離性なんとかっていうらしいんだけど、ショックな出来事から逃避するために別の人格をつくるの。




だから、里奈さんの中には確かに華さんがいたのよ。」






佳奈子がぶどうの皮を吐き出す。






「優くんに嘘をついていたわけじゃないの。華さんは、確かに優くんと共に生きていたのよ。」




乱暴されたショックから、華という大正時代の世間知らずのお嬢様をつくりだした里奈。






佳奈子のいう通り、華でいるときの里奈は嘘をついている風には見えなかった。








心でむつぼれあった糸が、ほぐれていくのがわかった。






「そうだね・・。ありがとう。」






僕がそういうと、佳奈子は満面の笑みで






「なんでもまっすぐ素直に受け取る優くんが好きよ。だけど、一歩ひいてゆっくり考えることも大切よ!」






と言った。






確かにそうだ。




姉のことにしろ華のことにしろ、そのとき目の前に突き付けられた事実のみに心を動かされてきた。






物事にはいろんな側面がある。




その中でも自分にとって一番楽な見方を見つけてやっていくのが、最善かもしれない。






駅まで佳奈子を送る道すがら、少し肌寒い風に気がついた。






「もう秋ね。紅葉狩りにでもいっちゃう?」






佳奈子が言った。






「そうだな・・。久しぶりによく遠足で行ったあの山にでもいこうか。」






僕が答えると、佳奈子はすごく嬉しそうに






「過去の私が喜んでるわ!」






と言った。






「なんだよそれ??」








「ふふ。ぶっちゃけると、タイムカプセルからでてきた昔の私からの手紙にね・・」






「なんだよ??」






「優くんとデートしていますか?って書いてあったのよ~!私って可愛いでしょ?」






「デート??そんなつもりじゃないけど。」




僕が笑うと、佳奈子は




「ひどいな~~!」




と僕の背中を叩いてきた。




その手が暖かくて、また僕はほっとする。










甘くかぐわしいお香の煙の中で見たような日々は、もう白い煙の向こうで見えないけれど、






時折フッと切ない日々の香りが鼻をかすめる。






病弱だった姉に、現実ではないけど確かに存在した華。


二人の女性に僕は大切なことを教えてもらった。






そして今、目の前で笑う佳奈子も、何も見えない霧の中にいた僕に光を当てて行く先をおしえてくれた。






姉は幼かった僕を静かに見守る夕日のようで、




優しく暖かい日々を共に過ごした華は、朝日のようだった。






そして現在、佳奈子は僕を明るく照らす真昼の太陽で、






ひらつからいてう女史が、昔そう言ったように




「原始、女性は太陽であった」




に加え






「現代、女性は太陽である」




と、高らかに僕はこう言いたい。






そして、華。




確かに、共に過ごしたあの日々を思い返してこう思う。






現代、彼女は僕の太陽であった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

現代、彼女は僕の太陽であった すばる @subarudream

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ