第12話




僕の部屋のドアは開かれたままだった。



いつもと違う様子に、みつばちのように騒ぐ胸を抱え、僕は部屋に入った。




「華……?」




部屋の中には、水色の作業服を着た男がいた。



どうやら、僕がさっき購入した水槽の配送にきたみたいで、傍に水槽やポンプやらが置かれていた。



しかし、何かが普通じゃなく奇妙だった。




なぜなら作業服の男は、上半身がずぶ濡れで、その体には所々ガラスが刺さっていた。



華はといえば、初めてこの家にやって来たときの着物姿で、散乱したガラスと床にできた水たまりの向こうで震えていた。



「華…?どうした?」




ぐにゅり。



華の方に一歩進んだ僕の足の裏に、いやな感触がはしった。





ゆっくり足裏をあげて見てみると、それは僕たちの金魚だった。



「突然、その女が金魚鉢をぶつけてきたんだ。」



まだ若い男は、服についたガラスのかけらをとりながら、そう言った。



「華…なんでこんなこと…」



頭を抱え込んだ華の細い手をとろうとすると



「いや~~!!」


僕の手を狂ったように振り払う華。



あの湿った海辺の誕生日のように、そこにいたのは、いつもの柔軟な華ではなかった。



「華…大丈夫だ。僕だよ。この人は金魚の新しい家を持ってきてくれただけだ。なにもしないよ。」




僕がそう言うと、



「優さん…」



乱れた髪の間から、一瞬、いつもの華の潤んだ優しい瞳がしっとりと光った。



細い腕が守りから開かれた。




僕は、両腕を伸ばした助けを求める子どものような華を、引き寄せ抱きしめた。



イチゴのように甘酸っぱい香りが鼻腔に広がる。



思い切り強く抱きしめたかったが、気持ちに任せそうしてしまうと、華は壊れてしまいそうだった。



そのとき、






「優さん、助けて。」



耳元で、華が囁いた。



「えっ?」



不思議に思った僕が、華の顔を見ようとしたその時、作業服の男が、隠しきれないいらだちを語調に込めて言った。



「あの、怪我したんすけど、どうしてくれるんですか?」



「あっ、すまない…」



僕が謝罪しようと、抱きしめた華に回した手を離すと、



「いや~っ!」



華は突然立ち上がり、僕を突き飛ばし、水たまりに落ちていた金魚鉢の欠片を掴んで、作業服の男に突き刺した。




「つっ!なにすんだ!このあまっ!」





男が華に反撃にでようとしたので、僕は思わず男を拳で殴り倒した。




華は恐怖におののいた表情で、一度、僕を見ると、裸足のままつむじ風のように部屋から走り去った。




「華…。」



ここでやっと僕は、この異常な出来事に疑問を持ち始めた。



なぜ、華は、作業服の男に金魚鉢をぶつけたのか?



なぜ、華は、作業服の男に、ガラスを突き刺したのか?




なぜ、華は、「助けて。」と言ったのか?




そしてなぜ、華は、ここから逃げた?



わけがわからない頭で、とりあえず華のあとを追ったが、遅過ぎたのか、もう何処にも華の姿も香りも気配もなかった。


まるで最初から居なかったかのように。



数時間は家の周りや、2人でよく散歩した川べりを、ただ黙々と歩いていた。



華を探すというより、ひたすら歩くことによって、ごちゃごちゃになった頭を整理していたのかもしれない。




気がつくともう辺りは暗くなっていて、川べりをかなり下流まで歩いてきたようだった。




街灯少ない暗い川べりの前方に、明るいライトが煌々とついている所があった。



人だかりもある。



まるで、縁日の出店のようだ。



明かりに群がる虫みたいに、吸い寄せられるように近付いてみると、犬の散歩の途中らしき人に、ランニング中とみられる人、それに、警官もいた。



大きなライトは川の隅の流れのよどんだ水面を照らし、皆一様にそこをを指差し、口々に何か言っている。



なんだろう?



そういう時に人が持つ当たり前の好奇心で


ライトの照らす先を見てみると、真っ赤な尾びれの金魚が浮いていた。



いや、金魚じゃない。



それは、真っ赤な帯を、浮かんだ水面に流している、うつ伏せ状態の華であった。

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