第11話


「配送、お願いします。」


100cmの水槽に、水槽内を装飾するもの、掃除が楽になるホースなどを選んだら、とてもじゃないけど徒歩で持ち帰れる状態でなくなってしまった。


ここのホームセンターは無料で配送してくれるので、大物を買うときなんかによく利用している。


配送の手配をしてもらってから、僕は、少しばかり購入した水槽が大き過ぎたんじゃないかと思い始めた。


だけど、あの金魚が新しい環境に慣れれば、また金魚を増やせばいいさ。金魚が増えた方が華も喜ぶにきまってる。


すぐにそう思い直し、たくさんの金魚が泳ぐ様を想像し満足した。


切り替えの早さを習得したのはいつのことだろう。

きっと、前向きに先のことしかみない華のおかげだ。


思ったより早く買い物を済ませ、時間を持て余した僕は、なぜだか突然思い立って実家に帰ってみることにした。


普通車に乗り込み、特急が停車しない5駅先の町に向かう。

電車は空いていて、僕の乗った車両にはぽつぽつと3人が座っているだけだった。

長いシートを独り占めした僕は、向かいの窓から見える景色を楽しむことにした。

細長い窓に流れる景色は、まるで映画のフィルムのようだ。

普通電車の心地よい揺れに身を任せていると、徐々に見慣れた建物や看板が増え、生まれ育った町に入っていく。

少しずつ時を逆行しているかのような気分になる。

扉が開くと、香ばしく、懐かしい空気が車内に一気に入り込む。

思い切り深呼吸して肺に吸い込み、

ひと気のない駅に降り立った。


夕日に染まる住宅街の歩道を歩いていると、小さい頃に戻ったようだ。


しかし、あの頃、広く感じた車道が、こんなにも狭く感じるのは、それだけ自分の体が大きくなったということで


その成長に唖然とする。

大きくなったら、なんでもできると思っていた。


辛いものも平気で食べれるし、凶暴な犬だっていとも簡単に手なずけることができる。

親孝行し、姉のことも苦い思い出ではなく、懐かしい美しい思い出として家族で話すことができる

そう思っていたが、変わったのは体の大きさだけのようだった。

建売り一戸建ての生まれ育った家に着いた。

思った通り、家には誰も居なかった。

鍵の隠し場所が、植木鉢の下から変わっていなかったので、難なくはいることができた。

2年振りに入る実家は、鍵の隠し場所だけでなく、全てのものやそこにある空気すらも変わっていない気がした。

夕日が眩しい外とは対象的に、住人を待つ薄暗い室内は、少し不気味なほどだ。

僕は、黙って二階に続く階段を上り、自分の部屋の前を通り過ぎ、突き当たりにある姉の部屋だった部屋に入った。


しかし、そこは、今でも姉の部屋だった。


きちんと糊がかけられ、ベッドサイドのテーブルに置かれた鏡には、塵ひとつついてやしない。


姉はよくこの鏡で自分の顔を見ていた。


鏡の中の自分だけが、日々の退屈なベッド上でのたった1人の友達だったのかもしれない。



鏡を手にとってみると、見慣れた僕の顔が、こちらを不安気な顔で覗きこんだ。


僕は、小さい頃は母親似だったが、成長するにつれ父親にそっくりになってきた。

今、鏡の中にいる存在もそうだ。父親似だった姉にそっくりだ。


「姉ちゃん…。」


思わず呟いたその時、


優ちゃん…」



僕を呼ぶ声がした。


一瞬血の気のひいた僕が、恐る恐る声のしたほうを見ると、そこに居たのは…佳菜子だった。


「うちの窓から優くんが帰ってきたのが見えたの。下で何度も呼んだんだけど、返事がないからあがってきちゃった。


舌をだす癖のある佳菜子が短い舌をだす。



「ちょっと時間ができたから寄ってみたんだ。」




「それなら連絡ちょうだいよね!全く水臭いんだから!」



「家にいると思わなかったからさ。」



「私は優くんと違って恋人が居ないから、家にいることが多いのよ!」




と言うと佳菜子は部屋をぐるりと見回し



「この部屋も変わらないわね…そうだ!ついでだからタイムカプセルを開けてみない?」



と言った。



帰ることのない主を待つ部屋を後にした僕と佳菜子は、母の家庭菜園である庭に出た。


「もう随分掘り返されてあるからないかもしれないよ。」



顔の辺りを狙う蚊を手で追い払いながら言うと、



「おばさまに、タイムカプセルがでてきたら教えてくださいって頼んであるから大丈夫よ。まだ出てきてないわ!」



七部丈のシャツをまくりながら佳菜子が言った。




「でも、どこにあるかも覚えてないだろ?」




「しっかり者の岩田佳菜子ちゃんは、きちんと目印をつけてあるから大丈夫ですよ!」



「へえ…。」



佳菜子の抜け目のなさには本当に感心する。



姉の葬式でも、仲良くしていた姉が亡くなったことで自分が号泣することがわかっていた佳菜子は、

普通のハンカチではなく、スポーツタオルを用意していたのである。



庭の片隅の物置の中からシャベルを取り出し僕に渡す佳菜子は、指揮官気取りで



「あの茄子の近くに目印があるはずだから探してきてくれ。」



と言った。



昔よくやった宝探しゲームを思い出して少しワクワクした。



パート勤めの主婦が片手間にしている家庭菜園にしては、立派な実をつけた茄子を横目に、隣との垣根の辺りを、目をこらしよく見ていると、その目印はすぐに見つかった。



「あったよ!」


僕は笑いながら、指揮官である佳菜子に伝えた。


そこには、背中に大きく「タイムカプセル」と書かれた、陶器でできたカエルの置物が座っていた。




「あったわ~~!!」




と、カエルを手に喜ぶ佳菜子に、少女時代を垣間見た僕は、少しだけ佳菜子を愛おしく思った。




何も変わらないのは、この家と、僕だけじゃない。


滑稽な表情をしたカエルの置物の下をシャベルで掘り起こすと、甘い土の香りと共に、僕と佳菜子が埋めたお菓子の缶がでてきた。



その缶は、佳菜子の父親が仕事で行った北欧で買ってきたクッキーの缶で、外国らしい色合い鮮やかな装飾が施されていた。


クッキーの缶を小脇に抱えてやってきた佳菜子のことは、今でもよく覚えている。


興奮に頬を真っ赤にし、息せききって我が家にはいってきた佳菜子は、すごく嬉しそうに、少し誇らしげに





「これね、スウェーデンのクッキーなんだよ!」



と言って、その缶を開けた。


中には薄く茶色いクッキーが綺麗に並んでいて、佳菜子はそのクッキーを一枚一枚手に取り、姉と僕に配った。



初めて手にした外国のクッキーに、期待で口中を潤わせ、ゆっくりと口に含んでみると……


何とも言えない期待はずれの味が、口いっぱいに広がった。


姉と佳菜子も複雑そうな顔をしている。


そのクッキーは、生姜となにか香辛料が効いた、日本の子どもには、およそ受け入れられないであろう味であった。



「これ…まずい…」




僕が最初の第一声を発すると、佳菜子が



「まずくないもん!舶来なんだから!」



と、明らかに無理をして食べていた。




それからは誰も何も話そうとはせず、



沈黙の中、佳菜子がクッキーを咀嚼する音だけが、部屋の中を漂っていた。



かくして期待の詰まった舶来のクッキーの缶は、失望で一杯になったわけであった。


その缶を、あえてタイムカプセルの缶に選んだ佳菜子の気持ちはよくわかる。



今度こそ、素敵な思い出の詰まった未来の期待の缶にしたかったわけだ。


「これ、まずかったよね。」


缶に被さった土を払いながら佳菜子が言った。


「やっと正直になったか!」


僕は笑いながら言った。



「あの頃の私は、体は小さいながらも、大きなプライドの塊だったのよ。」



「まさに言い得て妙だな。」



「腹が立つけど図星だから黙っておく。」


「ははは。」


なんだか可笑しくてまた僕は笑った。


タイムカプセルを掘り起こしただけで、まるで昔の仲が良かった頃の僕たちに戻ったようだった。


これも日常のささやかな魔法なのかもしれない。


飛び交う蚊の襲来を避け、タイムカプセルは、リビングに移動して、開けることにした。


あの時、しっかり閉めたはずの缶は、いとも簡単に開けることができた。


生姜とスパイス味のクッキーの香りとともに、中から出てきたのは、幼いころの僕たちだった。


大切にしていた恐竜のフィギュアに、僕の作文が載せられた学年だより。


大切にしてくれた祖父からもらった昔の硬貨。


懐かしさと、不思議な新鮮さで胸が一杯になった僕は、


「懐かしいなぁ!」


と、佳菜子の方を見た。



佳菜子は、お菓子のおまけだかについていたプラスチックのアクセサリーを腕にジャラジャラつけて、


手紙らしきものを読んでいた。


「過去の自分からの手紙?」


と聞くと


「そうよ…私ってほんと変わらない…」



「そうよ…私ってほんと変わらない…」



少し涙ぐみながら佳菜子が言った。



「なんで泣くんだよ~。」



と言いながら、僕は缶の中をもう一度探った。


すると、佳菜子が友達とやりとりしたであろう手紙類のあいだに、何か、異質なものが挟まっていた。



「なんだこれ?」




手紙類の間からでてきたのは、銀色の冷たいピンセットだった。



光るピンセットを見て、一瞬であの時に引っ張り戻された。



それは、姉が、カモメに突き刺していたピンセットだったのだ。



「やだ、なにそれ?」



黙ってピンセットを手にした僕に佳菜子が言った。




「ピンセットだよ。」



「そんなこと見ればわかるわよ。そのピンセットの 先に ついてある虫みたいなのはなに?」



佳菜子に言われてよくよく見てみると、ピンセットの先に、何やらミミズの干からびたようなのがついていた。



その虫には見覚えがあった。



カモメがまだ生きていた頃、姉と何度も何度も繰り返し読んだ金魚の飼育法の、病気のページに載っていた奴だ。



「イカリムシだよ。」



イカリムシは、金魚の体にイカリのような頭部を突き刺し寄生し、そのまま放っておくと、その金魚は死んでしまう。




だから、イカリムシを発見したら取り除かなければならない。



「優ちゃん、死骸を置いておくほど虫が好きだったのね~。」



佳菜子が感心したように言ったが、それは違った。



僕は虫が大嫌いだ。




気持ち悪いからこそ、飼育本の中のイカリムシの写真に衝撃を受けて、

よく覚えていたのだ。




「姉ちゃんだよ。」



「えっ??美奈子さんがなんで?タイムカプセルを埋める時は確か病院だったでしょ?」



「夜中に埋めたんだ。ずぶ濡れになって。」



姉は、亡くなる数日前に、庭でドロドロになっていたと母が話していた。



この、イカリムシのついたピンセットを、いつか僕たちが開けるであろうこのクッキーの缶にいれて埋め直し、そして風邪をこじらせて死んだ。



つまり、姉は、カモメを殺しちゃいなかった。



カモメに寄生したイカリムシに気がついた姉の話を聞かず、遊びにでた僕のかわりに、イカリムシを取ろうとしてくれていたのだ。


しかし、動くカモメについているイカリムシを取り除くのは簡単なことではなく、上手くできなかったのだろう。




結果的にカモメを助けることはできなかったけれど、姉が殺したわけじゃなかった。



そしてその事実を、

カモメが死んでからろくに口をきくことなかった僕に伝える為に、わざわざ僕たちのタイムカプセルに、苦労して、ピンセットとイカリムシをいれたのだ。



「姉ちゃん…ごめん…」



目から涙の溢れた僕を見ても、佳菜子は何も言わなかった。



突然会話のなくなった姉弟に、佳菜子なりに何かがあったんだと気がついていたんだろう。



そして、今それが昇華したことにも気がついたのだ。




突然、姉の面影をもつ華の顔が思い浮かんだ。



華に話さなくては…全部僕の誤解だったということ。



「ごめん!ちょっと帰るわ。またゆっくり会おう!」




そう言い残して、僕は家を出た。



ほんの数時間前に来た道を戻る。



時がまた、正確な早さで進んで行く。



未来も過去もない車内。今、ここだけ、ここにあるピンセットという真実を麻のパンツのポケットに忍ばせ、僕は、なぜか、姉のことではなく、華のことを考えていた。



すると、電車の外に流れる見慣れた町の小さな川、そのキラキラ光る水面で、パシャんと何かがはねた。





きっとそれは、鯉かボラだろうけど、僕にはそれが真っ赤な金魚に見えたんだ。



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