ヌガーとともに去りぬ(5)
センはエレベーターホールで下のボタンを押したが、エレベーターはなかなかやってこなかった。
「あれー」
センはボタンを連打した。
「おやめください。エレベーターは只今使えません」
上についているスピーカーから、エレベーターAIが慇懃な口ぶりで話しかけてきた。
「え、どうして使えないの?」
「機材の運搬にすべてのボックスを使っております。申し訳ありませんが、階段をお使いください。翼、もしくはそれに類するものをお持ちの方は窓をお使いください」
「機材? ひとつくらいこちらに回してくれないの?」
「たいへん重要な機材ですので」
と、AIは丁寧だが付け入る隙のない口ぶりでそう言った。たいていのエレベーターは人懐こい性格であるので、このような口調は珍しかった。エレベーターがこういう性格になった原因についてはエレベーター族心理学として研究が行われており、他のAI、例えばドアAIやオーブンAI、布団乾燥機AIなどとの比較、や階段から始まるエレベーターの歴史などたくさんの論文が発表されているが、詳細についてはエレベーター族心理学学会のサイトを見てほしい。今会員登録すると半期ごとにレポートを郵送してもらえる他、エレベーター缶バッジとエレベーター3Dホログラム栞の特典までついてくる。
しかしながら、センはエレベーター心理よりも楽に下に降りる方法のほうに関心があった。階段はあまり使う気にはなれなかった。仕方なくあたりでうろうろしながらエレベーターが使えるようになるのを待った。
待った。待った。待った。
かなり待った。
結局エレベーターが使えるようになったのは、それから数時間ほど経ってからだった。センはひどく空腹を感じていて、エレベーターから降りてまっすぐカフェテリアに向かった。
ランチタイムを外していることもあり、カフェテリアは空いていた。センはサンドイッチとコーヒー、それにサラダとスープを取った。レジに向かおうとして、そこに見知った人影がいるのに気づいた。
それが誰かを見定めた瞬間に、センはくるりと踵を返したのだったが、コンマ一秒遅かった。
「おや、お久しぶりですね」
「……お久しぶりです、エリアマネージャー」
センはやむなく、本当にやむなくエリアマネージャーと同じテーブルについた。エリアマネージャーのトレイの上には山ほどの菓子が乗っている。センはたくさん料理を取ってしまったことを後悔した。クッキー一枚くらいにしておけば、口に放り込んですぐに席を立てたのだが。
「エリアマネージャーはどうしてここにいらっしゃるんですか?」
センは可能な限り速くサラダを口に詰め込み咀嚼しながら、なるべく当たり障りの無い質問を選んだ。
「プロジェクトが一つありましてね。まあ……そう気乗りのするものでは無いのですが、大きいものですので」
「なるほど、そうなんですか」
相槌をうちながら、センはごくごくとスープを飲み干した。カフェテリアで供されるスープが常にぬるいのには普段から不満を感じていたが、今日ばかりはありがたかった。
「ええ。まああなたには関係ない話ですけどね」
「なるほど」
と、センはサンドイッチをコーヒーで流し込む。
「……ん? あなた……」
「え?」
エリアマネージャーはそう言って、センをじっと見つめた。
「……いや、気のせいですか」
「え? え、なんですか?」
「いえ、私の気のせいです。忘れてください」
「それで『わかりました、三秒待ってください、はい忘れました』ってなると思いますか?」
「でもあなたは地球人じゃないですか、そのくらいすぐ忘れるでしょう?」
「ですから、私は地球人ではないんですって」
「遺伝子的にはそうでしょう」
そう言うと、エリアマネージャーはトレイを持ち上げ、口の中に菓子を流し込んだ。菓子達は重力にそって落下し、スムーズにエリアマネージャーの体内に納められていった。「では、お先に失礼します。すいませんが、私は忙しいのでね」
サンドイッチの最後の一片を手にしたセンを残し、エリアマネージャーはカフェテリアを去っていった。センはやるかたない感情を、サンドイッチを強く噛みちぎることで消費した。
それから一週間センはTY-ROUを探し回ったが、TY-ROUはどこにもいなかった。社内グループウェアの掲示板に探しロボットのチラシ画像(普段使わない文書作成ソフトを頑張って使って作ったものだ)をアップしたり、会うロボット会うロボットに聞いたりもしたが、TY-ROUの情報はちらとも出てこなかった。
探し疲れたセンは、薄暗い第四書類室の中で、椅子にもたれてぼうっと天井を眺めていた。退職届はもう書き上げてある。あとは日付を入れてカードキーと名刺と社章と一緒に提出すればいいだけなのだ。もうTY-ROUのことは忘れてしまおうかと思ったが、しかしここまで探しておいて途中でやめるのも癪だった。
がたり、とドアの開く音がした。センが顔だけそちらに向けると、一台のシュレッダーロボットがそろそろと中に入ってくるところだった。
「あれ、どうしたの。刃が欠けた?」
「セン。そうじゃないんだけど……」
「ん?」
シュレッダーロボットはおずおずとセンの横にやってきた。
「セン、あのさ。TY-ROUのことなんだけど」
「え? 見つかった?」
「えーと、見つかってはないんだけど……」
「ちがう? じゃあ何?」
シュレッダーロボットは少しの間無言でライトをちかちかさせた。「言いにくいんだけど。あのね、TY-ROUはもういないんだよ」
「ええっ?」
センは音を立てて姿勢を正した。「何があったの? いつ? どこで?」
「あのね。センがいなかったときの話なんだけど」
「いなかった時って、一週間くらい前の話?」
「ちがうよ、もっと前。半年くらいかな。センがいない間、この社屋が爆弾で攻撃されたことがあって。ほらあいつ、僕たちみたいにプロペラ機能がついてなかったから。避けきれなかったんだよ」
「ん? ん? んんん?」
センは額に手をやった。TY-ROUがもういない、という衝撃と、その後に続いた自分の記憶と整合性が取れない話がごちゃごちゃと混ざってうまく思考できなかった。
「ちょっと待って……たちの悪い冗談というわけじゃないの?」
「ちがうよ! 僕だって言うのに勇気がいったんだよ。人間って弱いからショックうけちゃうんじゃないかと思ってさ」
「え、じゃあ……」
センが言葉を続けようとした時、ひどく大きな衝撃音がした。そしてびりびりと部屋中が震え、戸棚が倒れ紙や埃が舞い、コーヒーがこぼれた。
「そう、あいつがいなくなっちゃったのもちょうどこんな感じの日だったよ」
情感たっぷりに言うシュレッダーロボットを抱え、センはいっさんに第四書類室を飛び出した。後ろで、第四書類室の天井が崩れる音がした。
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