ヌガーとともに去りぬ(4)
「じゃあ、退職時には届けを出して、カードキーと名刺を返せばいいんですね」
センは人事部に電話で退職手続きについて問い合わせていた。話はきわめてなめらかに進み、必要事項と諸注意を項目立ててきちんと聞き出すことができていた。こんなことはめったにない。
「そう。あ、あと、社章は絶対に忘れないように。うちの社章はきわめて精巧かつきわめて堅牢にできているからね。超新星爆発でも壊れないというもっぱらの評判だよ」
「え、そうなんですか」
「開発部がわざわざ超新星爆発しそうな星のそばに行ってテストしたらしいよ」
「すごい。でも社章にそんな堅牢さが必要なんですかね」
「まあこれはロマンの問題だからね。ところでどうして退職時に必要な手続きを聞くんだい。やっぱり退職の予定があるのかい?」
「いえ、これは単なる科学的な好奇心でして」
「なんだ、そうか」
「いずれにせよありがとうございました。よくわかりましたよ」
受話器を置き、センはもう一度退職届を眺めた。これに必要事項を書き、提出すれば晴れて自由の身である。どうしても頬がゆるんだ(退職後の収入源という問題については存在しないと仮定することにした)。
しかしながら、それまでにはいくつか片付けておかなければいけないことがあった。その中の一つがTY-ROUを探すことである。TY-ROUは他のシュレッダーロボットとは違い、かわいらしいところがある。探し当てて、自分がいなくなった後もきちんとやっていけるようにしてやらなければいけない。センは椅子から立ち上がり、第四書類室を出た。
地下階にはTY-ROUの姿は無かった。一階にも見当たらない。リフレッシュルームの中にもいなかったし、自動販売機と話してもいなかった。
(ううん……)
普段TY-ROUがよくいる場所はたいてい行ったが、それでも見当たらない。そうなると可能性が高いのは、開発部に違法な改造を施されているというものだった。危険なのであまり開発部のフロアには行きたくなかったが、さっと行ってさっと見てさっと帰ってくることにしようとセンは考えた。
エレベーターが開発部の階に着くと、足元には白い煙が充満していた。しかしとりあえず爆発などは起こっていなかったし、警報も鳴っていなかったので、センは安心してフロアに足を踏み入れた。
金属を削る音、液体を沸騰させる音、空間を捻じ曲げる音などが聞こえる中、センはあちらこちらを覗いた。しかしながらTY-ROUの姿はどこにも見えない。もしかするとすでに原形を留めぬほどに改造されてしまったのかもしれない、とセンはTY-ROUの運命を案じた。
すると、実験室の向こうにちょうどコノシメイがいるのが見えた。開発部の社員なら何か知っているかもしれないと、センはガラスを叩き、コノシメイに合図をした。
センに気づいたコノシメイは、やや訝しげな表情を浮かべてやってきた。
「こんにちは。ええっと、……どちらの方ですか?」
「え? いや、センですよ。第四書類室の」
センは驚いて声を上げた。
「あ、もしかして私をご存知ですか? すみません、昨日うちの新商品のレモングレープフルーツジュースを飲んだので、やや記憶が混濁していまして」
「なんで」
センは『どうしてレモングレープフルーツジュースで記憶が混濁するのか』という意味で聞いたのだが、コノシメイの捉え方は異なった。
「ああ、今開発部でストリーミング配信をしてましてね。その中で新商品のレビューをしていたんです。それで飲んだんですけどね」
「まだ貯金箱直ってないんですか」
「あれ、貯金箱のことも知ってるんですか? ああ、私が話したんですかね? そう、まだちょっと時間かかってまして。視聴者側にも変化があったほうがいいだろうと思って、いろいろプログラムを試してるんです。新商品のレビューの他に、ゲームのプレイの様子とかも。マーケティング部の人も協力してくれてますし。メロンスター社開発部チャンネルをどうぞよろしく」
「そうですか。……あ、いや、それを聞きに来たんじゃなくって。あの、TY-ROU見かけませんでした? 丸っこいかんじのシュレッダーロボットなんですが」
「丸いシュレッダーロボットですか。うーん……いや、ここのところ見た記憶はないですね。ははは、私の記憶は今頼れたものじゃないですけどね。少なくとも今日のところは見てないですよ」
楽しそうに笑うコノシメイに、センは何と言ってよいかわからなかった。
「……そうしたら、丸いシュレッダーロボットを見かけたら教えてください」
「ああいいですよ、第四書類室ですね」
「それじゃ……お邪魔しました」
コノシメイに背を向けてエレベーターに向かうセンに、コノシメイは後ろから声をかけた。
「センさん、今度一緒にランチでも行きましょう」
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