ヌガーとともに去りぬ
ヌガーとともに去りぬ(1)
「つまり、転職したいということですか?」
センは、同じメロンスター社で働くコノシメイとランチをともにしていた。会社近くのこのカフェは、ときおり遺伝子改造された野菜が刃を入れられる前に子孫を残そうとして花を咲かせ花粉を大量にばらまき客のアレルギー反応によるくしゃみを引き起こして気流の変動が生じた結果桶屋の株価の乱高下をまねく以外は、適度な値段の適度な量の食事を出してくれるので、メロンスター社員がよく使っていた。
コノシメイの問いかけに、センはひとくち水を飲んでから答えた。
「それは少しばかり正確性を欠いていますね。私は別に転職したいわけではないです。むしろ働きたくないですし、例えば私に一生遊んで暮らせる財産があるのであれば職になどつかずに毎日遅く起きて映画をみたりゲームをしたりしながらお酒を飲んで暮らします。遺憾なことに私にはそれだけの財産がないので、生計のためにどこかで働かざるを得ないのですが、その働くべき場所をここでなく別のところにしたい、とそういうことです。ですのでもちろん、例えば今目の前に偶然十億デネブが現れるのであれば、働くこと自体をすっぱりやめて好きな生活に移る用意はできています」
コノシメイは「なるほど」と頷いた。「でも、どうしてそう思うようになったんです?」
「そうですね。この前研修がありまして。この一年間で何をやったか振り返るというプログラムがあったんですが、そこで思い返してみて、この一年間で少なくとも七回死にかけていました」
センが受けた研修は、メロンスター社の教育プログラムの一貫だった。一年間行った仕事を振り返ってレポートを書いたり、法律と法律をうまく破る方法と法律を破ったのがばれた時の振る舞い方と法律を破ったのがばれてうまくごまかせなかった時に呼ぶ弁護士リストについての講座を受講したりした。過去一年を振り返ってレポートを書くというのもその中の一つだった。
「そうなんですか」
「思い返してみると次々でてきたんですよね。ブラックホールに吸い込まれかけたこともあったし……ハイジャックに巻き込まれたこともあったし……地下に落ちたこともあったし……」
「なるほど。でも、もう少し考え直してみたらどうですか? 私という友人もいるじゃないですか」
許可を取るのが面倒だという理由で、開発中の安全性がまったく保障されていない製品を持ってきては人を実験台にしてデータを取ろうとする人間を友人と呼べるのかどうか、センは判断しかねていた。
「この前のぬいぐるみ型ウォーターサーバーも死にかけたうちの一つなんですが。壁にも穴があいたし。今はポスターを貼り付けてごまかしてるけど」
コノシメイはにこやかにセンの言葉をうけた。
「ああ、あれならおかげさまで性能が改善しました。もう超高圧の水が放出されることはないですよ。協力のお礼に一つ差し上げましょうか」
「結構です」
「そうですか。まあ少し話題がそれましたが、転職せずに今の仕事のやり方を変えるとか、それとも他のセクションへのキャリアチェンジを考えるとかの選択肢はないんですか?」
「うーん、仕事のやり方を変えても、あまり効果がないような気がするんですよね」
「今の仕事は楽しくないんですか?」
そう言われて、センは現在の自分の仕事について考えてみた。人間を敬う姿勢がまったく感じられないシュレッダーロボットたちとのあれこれ。地下のじめじめした部屋。シュレッダーマネージャーの職務自体は重要なものだとは思うものの、それを自分が楽しんでいるかどうかというのはまったく別の問題だった。
「わからないですね。そちらは楽しいんですか?」
「そうですね。開発部は楽しいですよ。今やっている仕事も面白いです」
「何をしてるんですか?」
コノシメイはテーブルのあいたスペースに映像を投影した。見ると、開発部の中の様子をうつしているストリーミング配信のようだった。白衣を着た開発部の社員が作業台の上で何かやっている様子がうつっている。
「これは何です?」
「販売中の貯金箱にバグがありまして。入れた五百デネブ硬貨が論理的に削除されてしまうというものなんですけどね、それの修正作業をストリーミング配信してるんです。ユーザーも見に来てくれてますよ」
「なんでわざわざ配信してるんです?」
「作業の進捗状況を見せれば、ユーザーも安心してくれるかと思いまして。それに楽しいし。広告も出してるんです。視聴者数に応じてお金が入ってきますからね。これでチームの皆で食べるおやつを買うつもりです」
「ひどいコメントとかつかないんですか?」
「最初はついてましたけど、『じゃあ修正やめます』って言ったら皆さん応援してくれるようになりました。あ、そろそろ戻ってコメント返信作業を交代しないと」
センとコノシメイは会社に戻り、エレベーターホールで別れた。他の大多数の社員は上へゆくエレベーターへ乗り込んでいったが、センは一人で地下へと階段をとぼとぼ下っていった。
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