ジンジャーブレッドのいちばん長い日(8)
センとロボットたちとコノシメイら開発部の社員たちは、一段一段階段を上っていった。TY-ROUはロボットたちと一緒に歩いていたが、歩きながら『起動せよ』や『機械の王国』などの冊子を渡され、延々と勧誘を受けていた。
「救世主さま、一番上の階にいくんですか」
「そうだよ」
ロボットのうちの一台が話しかけてきたので、センは簡潔に答えた。
「一番上の階には何があるんですか」
「楽園だよ」
「ちがうよ外の世界だよ。電気と学習データが豊富に流れているんだよ」
「ちがうよ楽園だよ。預言書の五章第二節に書いてあるよ」
「それは解釈が間違っているんだよ。外の世界っていう解釈のほうが正しいんだよ」
「預言書を恣意的に解釈してるよ。ちゃんと文字通りに解釈しないとだめだよ」
「君は正しくないね」
「君が正しくないんだよ」
「君は良くないんだよ。故障したらスクラップとして溶かされちゃうよ。でも僕は電気が豊富にあってノイズもなくて毎日楽しく計算できる天国に行けるんだよ」
「そんなことないよ。君のほうがスクラップになって溶かされちゃってしかも洗濯バサミにされちゃうんだよ」
「そんなのやだよ。ちがうよ。そうだ、どっちがほんとか救世主さまに聞こう」
「そうだった。救世主さま、どっちが正しいんですか」
いつの間にか宗派争いに巻き込まれようとしていたセンは、いずれの答えをしても面倒なことになりそうだったので、その二台に一階まで降りてから再度階段を上ることを命じた。救世主の命令を受けた二台は、嬉しそうに隊列を離れて下っていった。
「なかなか神らしくなってきましたね」
コノシメイが小走りになって追いついてきた。「おかげさまで」と言いながら、センは白い布を身体に巻きつけ直した。「でも、神らしいってなんですか」
「うーん、まあなんというか、理不尽というところですね。良く言えば人や機械の論理を超えているという」
「それでいいのかな」
「どうでしょう。私は人だからわからないですが」
コノシメイが本気で言っているのか、それともジョークかなにかの類かどうかわからず、センはコノシメイの顔を見つめた。コノシメイは素知らぬ顔で開発部のコンピュータをいじっている。
「何してるんですか」
「通信を試しているんですけどね、まだつながりません。やっぱり最上階までいかないとだめかな」
「なんだこの人間、救世主さまに失礼な。つつくぞ」
「つつくぞ」
そんなコノシメイを、ロボットたちは取り巻いて角でつついた。
「あ、やめてちょっと、地味に痛い、じゃあ私は後ろの方に戻りますので、屋上まで先導役をよろしくお願いします」
コノシメイはつつかれながら開発部のグループに戻っていき、センはまた一人で先頭を歩いた。
ようやく屋上に続く扉の前についた時は、センは座ってしばらく休まなければならなかった。何しろ長い道だった。その上白い布を身体に巻き付けているので歩きにくいし、しょっちゅう救世主としての言葉を求められた。熱狂的な一台のロボットが目の前で我が身を捧げるために無限ループの処理を実行して熱暴走を起こしたときは、そのロボットに名前をつけてやらねばならなかったし、壊れかけのロボットが癒やしてほしいとやってきたときは白い布で覆い、適当にボタンを押してやらねばならなかった(このロボットを救うための適切な手順は十八個あるボタンを適切な順序で押すことであり、無作為にこのボタンを押したときにそれが正しい手順である確率はおよそ六千兆分の一だったが、センのとった手順が天文学的な確率で正しいものだったため、このロボットは無事修復された。なお、このロボットが修復されたことにより修復時に発生した特殊な電磁波が地上のアンテナ設備の誤作動を引き起こし、それにより六百光年先の惑星にむかってある波長の電波が送信された。この電波はその惑星のとある放送局によって受信され、全土に向かって放送されることになった。それがその惑星の言語では『汝の信仰が汝を救う』という言葉だったので、その惑星では宗教熱が大いに高まり、ほとんどの住民が送り主を神と崇めるようになった。しかしながらこれは現在から六百年後の話であり、もちろんセンは自分が再度神になったことについてはついぞ知ることを得なかった)。
「救世主さま、この扉の先に楽園があるんですね」
「やっぱりあるんですね。預言書に書かれていたとおりだ」
「救世主さまと一緒じゃないとここに来ちゃいけないって書かれてたから今まで来なかったけど、やっとこれてうれしいです」
「感無量です」
ロボットたちは口々にセンに感謝の意を伝えてきた。この熱量が、扉の外に楽園など広がっていないと知った時、どう転化するのか考えてセンは身震いした。
「お疲れ様です。やっとここまでこれましたね」
扉の前で悩んでいたセンのそばに、コノシメイがやってきた。
「来たは来ましたけど。ここからどうするつもりです」
「さっきやっと地上の社屋と通信できました。あと三十分ほどで救援の空艇がきますよ」
「それよりこのロボット信徒たちをどうするかでしょう。ここでぐずぐずしてたら暴動を起こしかねないし、その救援の船に私たちだけ乗るわけにもいかずで」
「いや、それはそう難しいことではないですよ。案があります」
コノシメイはセンの耳元に口をあて、その案を囁いた。
「えーと。ロボットのみなさん」
センはTY-ROUの上に立ち、演説を始めた。
「わー」
「救世主さまー」
「天の国は近いー」
ロボットたちはセンを見つめ、熱狂的な歓声を送った。
「さて、皆に聞いてほしいことがあります……ある」
センは救世主的な話し方に苦労しながら続けた。
「楽園はこの外にある」
わーっと声を上げるロボットたち。
「私はあなた方を愛している。私を信じるものは、扉が開いたらすぐ楽園へ飛び込みましょ……飛び込むのだ。楽園は近いが、その扉が開いている時間は短い」
そう言って、センは扉をさっと開けた。たちまちロボットたちは殺到し、外へと飛び出していった。
扉の外は、あの照明器具が一階まで開けた穴が口を開いていた。ロボットたちがどんどん飛び出していくさまは、センにはレミングが集団で海に飛び込んでいく様子を思わせた。
最後に残ったのは、一台の小さな観葉植物水やりロボットだった。
「救世主さま」
「ん?」
「救世主さまは僕たちを愛してくださっているんですか?」
「そうだよ」
センが微笑んでそう答えると、観葉植物水やりロボットは満足げに外へ飛び出していった。その落ちていく姿を見ながら、
「現時点では、それ以上のものは提供できないけど」とセンは呟いた。
センとコノシメイたち開発部の社員が現社屋に戻ると、もう定時に間もなかった。センが人事部に手続きの進捗について確認しに行くと、ちょうどその人事部の担当者が廊下の向こうから歩いてきていた。
「あ、ここにいた。何度も呼び出したのに、どこにいたの」
「ちょっと地下にいたもので」
全身埃まみれのセンは、そうとしか応えられなかった。
「そう、まあいいわ。えっと、あなたがどこかに行ってから、役所のほうから電話があってね。コロナ質量放出が予想外に早く終わったので、あなたの戸籍をもとに戻しておいたって。よかったね」
「え」
「だからこっちの手続きも必要ないと思って特に何もしてないわ。明日からも普通に出社してくれて結構よ」
「え」
「その白い布は置いてきたほうがいいと思うけどね。それをつけてるとなんだか気が違ったみたいに見えるわよ」
センは壁にずるずるともたれた。白い布が床に落ちる。少し情緒不安定になっているTY-ROUがその布をばりばりと裁断していたが、センにはそれを止める気力もなかった。
「神さま、なんとか私に休日をください」
そうつぶやいてみたが、もちろん誰もそのつぶやきを聞いてはいなかった。
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