ジンジャーブレッドのいちばん長い日(6)

 バファロール星の伝統的な宗教はメトラ教といい、祈りの際にふわふわした毛玉生物を屠ることで有名で、そのため『かわいいふわふわした生物愛護団体』から常に抗議を受けており、『かわいいふわふわした生物愛護団体』の急進的な一派からはボトル入りの塗料やラジウムとガイガーカウンターと青酸ガスを投げつけられたりしているが、メトラ教のほうもお返しに茶漬けを投げつけているので、今のところメトラ教の運営にはそれほど支障は出ていない。


 先住の住民の大半はこのメトラ教を信仰しているが、他の惑星などからやってきた人間はそれぞれの宗教を信じていたり信じていなかったりする。センは信じていないほうの一派に属しており、なぜかというと地球由来の宗教はその痕跡を大学図書館の書庫にとどめているだけになっているし、それ以外の宗教は教義に半単純リー代数や稠密部分加群が出てきたりしてさっぱり理解できなかったからである。それにセンは、こんな世の中をつくったのが神であるというのであれば、神には世界を作る才能がないので、別のこと――たとえばクッキーづくりとか――に時間を使ったほうがよいと考えていた。


 センとコノシメイとTY-ROUは、長い時間をかけて七十二階までやってきた。途中で階段の一部がとろけていたり、自分の手が見えないくらいに濃い紫色のガスが発生していたり、大量の付箋が道の先を埋めていたりしたが、コノシメイの持っていた様々な道具やTY-ROUのシュレッダー能力などによりなんとか切り抜けることができた。


 しかし七十二階まで来たところで、センとコノシメイとTY-ROUは立ち止まった。なぜかと言えば、そこには大量の開発部の社員が横たわっていたからである。


「うわあ」


 センはぐにゃりとしたものを踏みつけて――なぜならあたりは変わらず薄暗かったので――驚きの声を出した。よくよく見れば、踊り場に開発部の社員が累々としている。


「し、死んでる?」


 思い切り踏んづけたのにもかかわらず何の反応もなかったので、センとTY-ROUは驚いて距離をとった。しかしセンとTY-ROUとは正反対に、コノシメイは開発部の社員たちの傍らにしゃがみこんだ。そしてしばらくあちこちをさわったりつついたりひっくり返したりした末に、「いや、死んでません。大丈夫です」と言った。

「本当? 誰も身動きもしないよ」

「大丈夫です、仮死状態なだけです」

「『大丈夫』と『仮死状態』という言葉はつなげちゃいけない気がするんだけど」

「いや、これはたいていの開発部所属の社員が持ち運んでいる医療セットを使って仮死状態になっているんですよ。しかし確かに妙ではありますね……仮死キットを使うときは、現状で解決できない問題が発生していて外部もしくは時間により問題が解消されることを期待する場合に限るんですけどね……」

「やっぱり大丈夫じゃなかった」

「そういえば、あそこの防火扉がしまってますね」コノシメイはセンの言うことを気にせず、目の前を指差した。「あそこが開かないんですかね? でもハンディ溶接切断セットを使えばあれくらいは焼ききれそうですが……一人起こして事情を聞いてみますか」


 コノシメイはポケットから注射器を取り出し、手近の開発部社員に突き刺した。ややあって、その社員は目をこすりながら起き上がった。


「うーん……あれ、ここはどこ、私はだれ」


 コノシメイは何度かその社員の頭部をごきごきとひねった。


「……ああ、思い出した。あれ、まだ旧社屋の中……というよりまだここか。問題は解決したのか? コノシメイ、今どうなってる?」

「私たちがここまでたどり着いたら、皆さん仮死状態になってらっしゃったので、事情をお聞きしたいと思ってお起こしした次第です」

「なんだ、そうか。俺たちがここまでたどり着いて、さらに上に行こうとしたら、急に大量のロボットたちに阻まれたんだ。先に行かせろって言ったんだけど話が通じなくて。携帯ロケットランチャーで一部は吹き飛ばしたんだけど、後から後からわらわら湧いてきて、よくわからない致死性の高いものをこちらに投げつけてきて、慌ててここまで逃げてきたんだよ。リモートで動作を停止させようとしてもネットワークに接続できなかった。たぶんあのロボットたち、旧社屋がここに埋められたときに一緒に埋められてから今までの間に、独自の発電技術とかネットワーク機器とかをつくったんだな」

「致死性の高いものというのは旧社屋と一緒に埋められた昔の製品でしょうか?」

「いや、試作品も入ってるかも」

「……それはまずそうですね」


 社員とコノシメイは黙り込んだ。


「あのう」センはその沈黙を破った。「ロボットたちはなんて言ってるんです? 何とか通してもらうことはできないんですか?」

「それは……無理だ」

「なぜですか?」コノシメイが重ねてたずねた。

「ロボットたちはこの旧社屋に閉じ込められてから、独自の思想を発達させてきたようなんだ。電気もろくに無く、学習データも無く、部品もろくに見つからない……こんなひどい環境から、いつの日か天からやってきた救世主が自分たちを救い出してくれるという……まあよくある救済思想だな」

「なるほど?」

「それで、ロボットたちは、その救世主以外は通さないつもりらしいんだ。俺たち全員に『あなたは救世主ですか?』って聞いてきたけど、違うって答えた。そうしたらさっき言ったとおりさ。それでどうしようもなくて、俺たちはここにとどまってるってわけ。そのうち新社屋から来るかもしれない救援を待ってね」

「そういうことだったんですね。じゃあ私たちも仮死状態になりますか」


 二本の注射器を取り出したコノシメイに、センは慌てて言った。


「ちょっと待って。そしたら、自分がその救世主だって言って通してもらえば良いんじゃないですか? 救援がいつくるかなんてわかったものじゃないんだし」

「そりゃそうできりゃあいいけど……でもできないさ」

「そうですよ、無理ですよ」


 コノシメイと社員がそう言うので、センは「なぜです?」と聞いた。


「だって……新興宗教の教祖になるのは法律で固く禁じられてるじゃあありませんか。出られたとして、あのロボットたちのログを見れば証拠は残ってますし……」

「そうだよ。確かかなり重い刑を課せられたはずだ。あーあ、もしここに法の支配下にない人間がいたら、すぐに外に出られるのに」

「そうですね、でも物事そんなにうまくいくはずはないですからね。ああ、ここに法的主体とならない存在が存在していさえすれば、すべて解決するんですけどねえ」


 二人は乾いた声で笑った。センもどうにか笑みを浮かべようとしたが、顔中の筋肉がひきつってうまくいかなかった。

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