ジンジャーブレッドのいちばん長い日(4)
「時間は大丈夫か?」
「ええ、開始まであと三分あります」
「あそこの窓からよく見えそうだ」
十数名の社員が、センには目もくれずに窓際へ集まってきた。皆白衣を身に着けていて、開発部の社員だとわかった。センはやや不安を感じたが、しかし普段は自分たちのフロアに閉じこもっている彼らがなぜここへ来たのかに興味を覚え、彼らの視線の先を追った。
開発部の社員たちが熱心に眺めているのは、窓の外の一風景だった。センも同じ方向を見た。とくに変わりない、ふつうの光景に見えた。
「よし、始まるぞ!」
社員の一人がそう叫んだ。すると、徐々に外が暗くなっていった。風もだんだん強くなり、窓ガラスがびりびりとし、不吉の予感がいや増してきている。
「どうしたんですか」
TY-ROUが言い、センも近くの社員に尋ねてみた。
「新しい照明器具の実験ですよ。今までの照明とは全く違う、革新的な製品です」
「へえ」
「従来の照明器具は、壁か床か天井かに設置する必要がありました。でも、今回テストしているこの照明は、空中に浮かべることができるんです。室内でも屋外でも使えて便利ですよ」
「ふーん、私もひとつほしいな。電気代はどのくらいかかるんですか?」
「いや、かからないですよ。エネルギー源は内蔵されているんです」
「へえー」
「恒星と同じ仕組みなんです」
「ん?」センはちょっとした引っかかりを感じた。
「実験室ではうまくいったので、今から屋外でのテストです。外でもちゃんと浮いて、明るくなるかどうかね」
開発部の社員がそう言った時、ぴかりと閃光が走った。それが収まると、眼下に光球が浮いているのが見えた。
「おー」
開発部社員一同が嬉しそうなどよめきを上げた。
「あれがそうですか?」
「ええ、うまくいってますよ」
「何だか嵐みたいに窓がびりびりしてるけど」
「ええ、そうなんです。エネルギーの制御の関係でどうしても周囲に影響が出ちゃって」
という言葉が出るか早いか、リフレッシュルームの窓がすべて砕け散った。「わわわわ」とTY-ROUが急いで窓際、というより元窓際を離れた。
「これはなんとかならないんですかね。これだとうちの部屋の内外の区別がつきにくくなっちゃう」
「今後の課題ですね」
と、開発部の社員はのんきに言った。他の社員もデータをとりながらわいわいと喋っている。
「うーん、やはりこの距離でも相当の振動が発生するなあ」
「制御部品が点灯後八秒で九十パーセント剥離してます」
「そろそろ点灯が終了します」
光球は徐々にその光を弱めていった。そしてだんだん地表に近づいていく。
光球は地面についた。実験プログラムはそれで終了らしく、開発部の社員たちの間にくつろいだ空気が広がる。エレベーターに戻ろうとする者もいた。
しかし、センはまだ光球を見つめていた。なぜなら、光球は地面についたというのに、それでもなお遠ざかっていくように見えたからだ。
「何だろー」
センの頭の上によじ登っているTY-ROUが言った。光球の周辺のアスファルトが波打ち、まるで作りたてのアイシングのように柔らかく流れ出している。
ぐらりとした。四杯目のアルコールとよく似た感覚だった。何も飲んでいないはずなのにと思ったら、足元をころころとペンが転がり、窓の外へと身を投げていった。
「おわわわ」
センは椅子につかまろうとした。しかし椅子もずるずると床を動き、また外へと落ちていった。
「どうした、どうなってる」
「社屋が……傾いてる」
「外の……照明が……地面に沈んで……」
光球はもう蟻の頭ほどにしか見えなくなっていた。傾きはどんどんひどくなり、『週刊鉱物』もソファーもコーヒーメーカーもビジネス書も開発部の社員もどんどん落下していった。
「うわああ」
センはブラインドにつかまった。先ほど話していた開発部の社員も一緒につかまった。ブラインドはすぐに伸び切り、ぶちりと音を立てて切れた。センとTY-ROUは、素直に重力に従いまっすぐに落下していった。
メロンスター社バファロール支店の社屋は、六十年前は別の場所に建っていた。別といっても現在のすぐそばなのだが、そこから移転したのにはいくつかわけがあった。古くて使われていない部屋に色々使われていないものがたまりそれらが時折ハゲドン温度にまで発熱すること、社員数が床面積に比して多くなりすぎたために一つのデスクの奪い合いでしょっちゅう決闘に発展すること、それにロボットたちが古い建物に飽き飽きしていてしょっちゅう独自に現代的なペントハウスをつくろうとしていたことである。
五十二回目のペントハウスの取り壊しのあと、とうとう新社屋の建造が決定された。しかし、旧社屋をどのように処分するかが問題になった。バファロール星に存在するありとあらゆる廃棄物処理業者に問い合わせたが、メロンスター社旧社屋が該当する危険レベルの廃棄物を処理できる業者は存在しなかった。しかし旧社屋が建っている土地は駐車場をつくる予定になっていたため、この古い建物はどこかにやってしまう必要があった。
結局メロンスター社が取った手段は、旧社屋の下の土壌を瞬間的に別の場所へ移転させ、空いた穴に旧社屋を埋め、上を覆ってしまうというものだった。このやり方はある程度の期間、つまり工事開始から現在に至るまでの間はうまくいっていた。
そして現在、地面を溶かして旧社屋にいきつき、それをも溶かしてどんどん地下へと潜っていった照明器具があけた穴は、新社屋を傾け周りの車を飲み込み、開発部の社員とセンとTY-ROUを吸い込んでいた。
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