ジンジャーブレッドのいちばん長い日

ジンジャーブレッドのいちばん長い日(1)

 給与明細と住民票の写し、一年以内に取得した健康診断書ならびに遺伝子検査結果表、全身を写した証明写真を三枚、それに乱数表を一枚入れた鞄を抱え、センは市役所にやってきていた。


 市役所については、センは他のバファロール星の住人の大多数と同意見だった。つまりは可能な限りにおいて関わりを持ちたくないし、市役所から何かの書類がやってきたらそれを土に還るまで放置しておきたいというものだった。何しろ市役所が用いる言葉は日常用語と近似性が低いし、構成論理が独特なためにその意味するところが誰にも伝わらない。それでもすべての手続きをミスなくやり遂げなければ、どんな不都合が起こるかわかったものではない。この前センが市役所から届いた一通の往復はがきを適当に書いて返送したときは、すんでのところで自宅の壁に人生に役立つ十の格言を彫られるところだった。


 それでも今日、センが有給をとってまで市役所にやってきたのは、ひとえに金のためだった。先週、センが受け取った給与明細を確認していると、見慣れない項目が増えていた。「非住民税」という項目で、それによってセンの給料からは四千デネブが引かれていた。


「これはどういう意味なんですか?」


 と、センは経理に第四書類室の電話から問い合わせた。足元ではシュレッダーロボットたちが給与明細にらんらんとした目を向けている。絶対に裁断させないように、センは明細を机の上で伸ばし重しを置いた。


「それは、バファロール星に住民登録していない被雇用者に対して課される税だね。一年と六ヶ月前の給与月額に対して加算されるので、このタイミングで発生したんだよ」


 と電話の向こうの経理の社員が言った。

「私は住民登録してるはずなんですが。この前も地域のお祭りに出て焼きそば焼きましたよ、ボランティアで。ほんとは寝てたかったのに。こんなことする非住民がいますか?」

「といっても、市のほうからそれが来てるから、こちらとしてはどうしようもないんだよ。それなら市のほうに問い合わせてみてよ」

「そうしますよ」とセンは受話器を置き、今度は市役所のサイトにアクセスした。


「よくある質問」をひたすら巡回し、小一時間経ったところでやっと「税に関するお問合わせ」カテゴリの中の「バファロール星の住人の方で非住民税が加算されていた場合」を見つけた。いさんでそのページに飛ぶと、「お近くの市役所にお越し下さい」との一文が書かれていた。


 「この回答が参考になりましたか?」で「ならなかった」を送信することを十三回繰り返した後、センは椅子にもたれてため息をついた。「センー、机の上の紙を見せてよ。何もしないからさ。はしっこだけでいいから」というシュレッダーロボットたちの言葉も聞こえないふりをした。


 必要な書類を揃えるのに一週間かかり、センが市役所に来ることができたのは給与明細を受け取ってから一週間後だった。しかし戦いの本番はこれからだと、センはずかずかと力を込めてカウンターに進んでいった。


 手続きは順調に進んでいった。というのはつまり、予想された障害が予想されたとおりに発生するという意味で順調だった。書類を九割がた書き終えたところで記入ミスがわかり一から書き直すこと三回、順番待ちをしていて抜かされること四回、やっと窓口にたどり着いたところで間違った窓口に並んでいたと判明すること二回、コーヒーを買いに行っている間に順番を飛ばされること一回、コーヒーと一緒にクッキーだのジンジャーブレッドだのを押し売りされること五回。センは朝一番に市役所に来ていたのだが、ようやく窓口にたどり着いたときには、もう午後三時を過ぎていた。


「はい、次の人」

「えーと、私はこの星の住人なんですが、非住民税が給料から引かれていたんです」


 パイプ椅子に座り、センはメガネを掛けたガクルックス人の、見るからに杓子定規な窓口の担当員に申請書を提出した。


「はい。じゃあ住民票の写しと給与明細を見せてください」

「はい」

「なるほど。じゃあ今調べますね。えーと、セン・ペル……はいはい。じゃあ、遺伝子検査表は持ってる? 健康診断書でもいいですけど」

「はい」

「はい、遺伝子に変更は無しと。えー、じゃあ、書き換え手続きをしますから、証明写真を出してください。U9サイズのもの三枚ね」

「はい」

「はい、じゃあ鍵のペアを変更するから、乱数表をください」

「どうぞ」

「はい、じゃあこれで手続きしますから、少し待ってくださいね」


 すべての書類をノーミスで提出しきり、センは心の中でガッツポーズをした。強大な敵を倒した、今夜は祝杯をあげようと思った。


 そうしたセンの内心とはまったく正反対に、何かの操作をしていたガクルックス人は、あるところでぴたりと動きを止めた。そしてその表情がみるみる凍りついていった。


 センは少しばかり待った。適当と思われる時間を待った。適当と思われる時間を二倍しただけ待った。そしてそれにさらに無礼でないと思われる時間を待った。


 ガクルックス人はキーをあちこち押していた。クリックをひたすら繰り返した。ぺちぺちとモニターを叩いていた。どれも、センが間違って押してはいけないボタンを押してしまったときの動きによく似ていた。


「えーと、どうしたんですか?」


 センが問いかけたのと同時に、ガクルックス人は立ち上がった。そして書類を手に持って、オフィスの裏へと行ってしまった。後にはセンだけが残された。

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