失われたライムタルトを求めて(6)

 一ヶ月がたった。ライムタルトはまだ完成しない。そもそものライムとは何かという問題すら解決していない状態だ。


 税務署とメロンスター社の戦争は、メロンスター社の圧倒的な勝利に終わった。終戦協定で、賠償金のかわりとして今までと今後二百年間の免税措置を勝ち取ったのだ。税務署は長年の税収不足により装備の更新が遅れていて、商品開発時に偶然できたなんだか致死性が高そうな物をここぞとばかり投入してくるメロンスター社に対して圧倒された(メロンスター社の開発部は、致死性の高そうなものを作ることにかけては定評がある。彼らが作ろうとしているのは例えば色付きの輪ゴムだったり星形の製氷機だったりするのだが、七十パーセントの確率で致死性の高そうなものが出来上がるのだ。それらは三十パーセントは破棄され、五十パーセントは保管され、二十パーセントは一か八かで市場に出される。今回投入されたのはこの五十パーセントのうちの二ピコパーセントであるが、ひとつの星系のありとあらゆる生命体を絶滅させるのには十分な量である)。


 それにまたセンにとって不幸なことに、エリアマネージャーは戦死どころか傷のひとつも負わずに帰還していた。


 ここ一ヶ月間でセンのつくった料理の数は、それまでの人生でつくった料理の総数を軽く上回っていた。今日まで、センは出社するとすぐ社内キッチンへ向かい、卵を泡立てたりオーブンをあたためたりした。何を作ればいいのか検討がつかない以上、とりあえず色々作ってみるしかない。そこでセンは泡立てた卵に小麦粉と砂糖をさっくり加えて焼き上げたり、揚げた魚を甘酢につけたり、シロップにつけたイチゴを冷やし固めたり、米をきのこと混ぜて炊いたり、甘く煮たあずきにもちを加えたりしていた。できたものは保存庫へどんどんしまっていったので、今や保存庫はぱんぱんになっている。突如として世界が滅亡しても三ヶ月くらいなら食いつないでいけそうだった。


 ひたすら料理にかまけている間、ふとシュレッダーロボットのことが心配になったので、途中で一度第四書類室へ顔を出してみたが、彼らは彼らでうまくやっているようだった。厚紙に色鉛筆で色をつけ、円形に切り抜いて壁に留め、くるくる回すタイプの当番表をつくり、刃の替え当番まで決めていた。その上センの机を隅の暗くてじめじめしたところへ動かしていたので、自分たちのセンは若干もの悲しい気分になった。ただ、自分のデスクのことも気がかりではあったが、それより命のほうが優先度が高かった。一旦デスクのことは置いておくことにして、センはひたすら料理に没頭した。しかし頭の片隅では、こうやって無差別に料理を作っても、無量大数分の一から無量大数分の百ほどにしか助かる確率は上昇していないとわかっていた。それでも作るのをやめられなかったのは、着々と近づいてくるデッドラインからなるべく目をそむけておきたかったからだった。


 そして、とうとうその日が来た。


『明日十時三十四分にそちらへ向かいます。状況を整理しておくこと』とエリアマネージャーから来たメールを読むと、センはすぐさま倉庫へ向かい、ニトログリセリンコーヒーを準備した(ニトログリセリンコーヒーは前回の事故後さすがに処分される予定だったのだが、埋め立て予定地の周辺住民による大規模な反対運動が展開されたため、やむなく社内倉庫に保管されていた)。


 当日の朝、センは会社に向かいながら、社屋に隕石が突入していることを祈った。しかし祈りは聞き届けられた様子はなく、センはむなしく重い足をひきずり社内キッチンへ向かった。

 十時三十四分ぴったりに、エリアマネージャーはやってきた。


「さて、どうですか? 私としては成果が上がっていることを期待しています。社のためと、そしてあなたのために」


 センは保存庫から出したありたけの料理をならべ、ニトログリセリンコーヒーを入れた。

 エリアマネージャーは、まず端の菓子からとりかかった。小さめのりんごに串をさして飴をからめたものだった。


「これは違いますね。ライムタルトではないですね」

「はあ……コーヒーはいかがですか?」

「いえ、結構です」

「コーヒーおいしいですよ」

「私は紅茶党です」

「そうですか。飲みたくなったらいつでもおっしゃってください。ところでエリアマネージャー、一つお伺いしたい事があるのですが」

「何でしょう」

「エリアマネージャーはライムタルトを食べた事があるのですか?」

「ありませんよ。あればあなたにこの仕事を命じたりはしません」


 何を馬鹿言っているのだ、というような目つきでエリアマネージャーはセンを見た。


「それでは、これがライムタルトではないとなぜわかるのですか?」

「わかるからです。地球人にはわからないかもしれませんが」


 そう言われてしまうと、センにはもはや反論の余地がなかった。


「それでは次は……いや、これも、ライムタルトではありませんね」


 ずらずらと並べられた料理たちは、そのすべてがライムタルトであるとの認定を受けられなかった。センが内心かなりの自信を持っていた、クリームを冷凍庫で冷やし固めたものもだめだった。それに、エリアマネージャーはコーヒーを所望しなかった。


「さて」


 料理の最後の一皿が味見された後の、エリアマネージャーのその一言で、センは自分の運命を悟った。短い人生だった。


「悲しいことですが、これにサインをしなくてはいけないようですね」


 さして悲しそうでもない口調で、エリアマネージャーは一枚の紙を取り出した。ちらりと見えたその紙には、「異動命令書」と書かれている。センは自分の身体がぷるぷる震えだすのを感じた。社内キッチンの空気はひんやりと冷え切っている。


「センー、センー」


 その空気を破ったものがあった。センとエリアマネージャーが同時に声の方向を見ると、そこには一台のシュレッダーロボットがいた。


「セン、この新入りが様子がおかしいんだ。どうしたらいいのかな。マニュアルにもこんな現象載ってないんだよね。たぶん僕たちには責任はないと思うんだけど」


 社内キッチンへ入ってきたシュレッダーロボット(この前センの机を片隅に動かしていたやつだった)はそう言って、持っていたTY-ROUを床に置いた。たしかに様子がおかしい。TY-ROUは細かく振動しながら耳障りな破壊音を立てていた。その震えぐあいは、今のセンの膝の震えぐあいと同じだった。


「おや? おかしいですね。これはわが社のシュレッダーロボットですよね。こんな動作はしないはずですが」


 エリアマネージャーはそばにあった紙ナプキンを一枚とり、TY-ROUに投入した。TY-ROUはそれを飲み込もうとしたが、震えが急に大きくなった。


「うわわわわわ」


 シュレッダーロボットの悲鳴とともに、急に風が強く吹き荒れた。窓ガラスが割れ、紙ナプキンや皿やフォークが宙を舞う。ニトログリセリンコーヒーがまき散らされ、小規模な爆発が繰り返される。


「ちょっと、これはブラックホールが発生しかけているのではないですか!?」

「え、ええと」

「僕たちのせいじゃないですよ! こいつのメンテナンスをほっといたのはセンだから!」


 みしりと床のタイルがはがれ、TY-ROUへ吸い込まれていく。空間がゆがむ。立っているのもやっとだった。このままではTY-ROUはブラックホールと化し、キッチンどころか社屋ごと飲み込んでしまう。これは新入社員研修の際に見た『二度とやってはいけない事故記録』の中にあったのと同じケースだ。社屋が飲み込まれても構いはしないが、自分の映像が後世に残るのは――しかもこんな不名誉なケースで――何としても阻止すべきだった。


 センはかたわらのシュレッダーロボットを見た。机にしがみついて必死になって飲み込まれまいとしている。そのそばにはTY-ROUのマニュアルがあった。センは必死になって身体を運び、そのマニュアルを手に取った。


「こんな状況のマニュアルなんて、載っていませんよ」


 吸い込まれ続けている食べ物をかたはしから捕まえようとしているエリアマネージャーがそう言ったが、センは構わずマニュアルを開いた。


「一、二、三、四、五……」

 

 そしてマニュアルのページ数を数えようとした。


 マニュアルは急にその重みを増した。重みに耐えきれずセンはマニュアルを床に落とした。マニュアルは電話帳サイズから百科事典サイズ、宇宙統一言語辞書サイズ、シュマイ教経典サイズとページ数を増し続け、そして急に光線を発した。その光に目がくらんだセンはふらつき、転んで頭を打ち意識を失った。


 センが目を覚ますと――そう長い間気を失っていたわけでもなかったが――そばにはTY-ROUが転がっていた。あたりに裁断された紙が散らばっていたが、それ以外は異常なかった。床も一部タイルがはがれ、窓ガラスはことごとく割れ、柱が飴細工のごとくねじ曲がっているが、それらを別にすればいつもの通りの光景だった。  寝たまま見上げると、そこにはエリアマネージャーがいた。ガラス皿に乗った一切れの菓子をフォークでつついている。その菓子は円を八等分にした形をしていて、きつね色の台の上にうすい黄色のクリームが乗っていた。周りは緑色をした皮をもつ果物のようなものでデコレーションされている。センが作った菓子ではない。


 エリアマネージャーはその菓子にフォークを入れ、一口大に切ったそれを口に入れた。エリアマネージャーの顔にゆっくりと笑みが浮かぶ。センは自分のそばに落ちていた異動命令書を見つけ、寝たままそれをこっそりTY-ROUに投入した。


 ブラックホールによってゆがんだ時空が現在とは別の時点、たとえば過去につながるというのはよく見られる現象である。前回メロンスター社で起こったブラックホール事故のときは、その跡地に小学三年生向けの歴史教科書が落ちていた。それは推定六百年後の歴史教科書で、メロンスター社はこの一冊の本から投資や開発の大きなヒントを得た(メロンスター社上層部には、タイムパラドクスについて深く考えるような人間はいなかった)。メロンスター社の成長曲線が一気に急カーブを描いたのもこれ以降である。


 TY-ROUが亜ブラックホールと化したとき、おそらく時空が過去の地球に接続されたのだろう。その直後に論理に負けたマニュアルがブラックホールを巻き込んで消滅し、後には過去の地球から吸い出された一個の菓子だけが残った。残った緑の菓子は、それが実質的に何なのかはともかく、解析され再現され、ライムタルトとして銀河じゅうで一斉発売された。エリアマネージャーがライムタルトだと断言するそれをライムタルトでないと否定できる人間など社内には存在しなかったし、また今回はそれで正しかった。


 ライムタルトの売れ行きはなかなか好調で、エリアマネージャーのご機嫌もよろしい。この前もゲリラ戦を挑んできた過激派税務署職員を嬉々として全滅させていた。

 センはまた第四書類室に戻った。シュレッダーロボットたちの自主性は向上の一途をたどっている。センの仕事といえばTY-ROUのメンテナンスくらいになっていた。しかし事故の再発をふせぐためにとTY-ROUの書類投入口にはガムテープが貼られているため、センが行うことはほとんどない。毎日一回の乾拭きくらいのものである。


 また暇を得たセンは、資料室から本を借りてきてデスクに向かい読みふけるようになった(デスクを元の場所に戻すことはあきらめた。毎日元の場所に移動させても、翌朝になるとまた隅に動かされているし、だれがやったか詰問してもだれも口を割らないのだ)。資料室から借りてきた雑誌の中で、新製品開発の裏側を取材した記事があった。何気なく読み進めると、それはあのライムタルトが題材に取り上げられていた。センはすぐさま雑誌を閉じ、TY-ROUのガムテープをはがしてこなごなにくだかせた。センが生涯を通じてつくった、もしくはつくらされた料理の数は膨大な量に上っていたが、何があろうとも決してライムタルトには手を出すことはしなかった。

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