アイスを離さないで (3)
ロッカールームでTシャツとハーフパンツに着替え、フロアに向かうとそこには種々の運動器具が備え付けられていた。
センは一通りをためしてみた。しかしその三分の二はセンには存在しない筋肉を鍛えるものだったので、最終的には壁際にずらりと並べられているランニングマシンに落ち着いた。
走るのは久しぶりだった。息が上がり、脈動が速くなるのが感じられる。けして不快な感覚ではなかった。
センがもくもくと走っていると、となりのマシンに他の利用者がやってきた。標準的なバファロール人で、肩からタオルを下げている。その利用客はしばらくランニングマシンの設定ボタンをいじっていたが、ふいにセンのほうを向いた。
「すいません、速度の設定というのはどうやってやるんでしょう」
「えっと、そこの、緑色の、ボタンを押してから、青いボタンを、押すんです」
息を切らしながら、センはやり方を教えた。
「ああ、なるほど。ありがとうございます」
隣の客はセンが教えた通りのやり方で設定をして、ランニングマシンを使い始めた。センよりだいぶ速いペースに設定したようだ。センは対抗心をおぼえ、自分のマシンのペースもより速くした。おかげで、しばらくするとセンの息は上がりきってしまった。マシンから降りて、フロアの隅にあった休憩スペースで息を整えていると、さっき話しかけてきた客が目の前に座った。
「やあ、さっきはありがとうございました」
「え、いえ」
センはタオルで顔をふきながら答えた。
「このジムは初めてで、勝手がわからなくて。あなたはここはよく来るんですか」
「いや、私も初めてですよ」
「そうなんですか、ここはなかなか設備が充実してますね」
その利用客はイエル・キャージェプと名乗った。ジムに来てそこで話し相手ができるなんて、まるでヘルシーでアクティブな社会人のようだと思い、センは嬉しくなった。
「僕は近くに会社があって、ここに通えれば便利だと思ってきたんですよ」
「へえ、それはいいですね。今日は仕事帰りですか?」
「そうなんです。僕はシミュレーションモデラーをしてるんですが、一週間ほど続いた仕事がやっと片付いたんで、リフレッシュをかねて」
「シミュレーションモデラーってなんです?」
「えーと、いろいろなシミュレーションを行うときのモデリングをするんです。そのモデルを元にコンピュータが計算を行うわけですね。今回は世界を一つシミュレーションしました」
「世界?」
「ええ。なかなか納期が厳しくて、一週間で全部を済ませないといけなかったんです。まず天と地をつくりました。そのままだと地の形がなくって虚しいので、次に光をあらせました。で、光を昼として闇を夜としました。これで一日目が終わりです」
「はあ」
「二日目は大空をつくりました。三日目は水を一箇所に集めるようにして陸と海を分けました。そこまでで一旦顧客に見せたんですが、そうしたら陸が寂しいっていう注文で、仕方ないので青草と種をもつ草と果樹を陸に生やしたんです」
「光の光源はどこからとってるんですか」
「ああ、そうなんです。恒星を作ろうかと思ったんですが、それだと少し計算量が多くなってしまうので、まあそこは時間で区切って光が自動的に満ちるようにしました。あと適当に空に星だのなんだのをちらばせました。それで四日目ですね」
「生物はなくていいんですか」
「ああ、それは五日目にやりました。生き物を入れるととたんに計算量が膨大になるんですよね。しかもシミュレーション中の生物が自己増殖するように組んだので、もう指数関数的になってしまって。コンピュータのファンが動きっぱなしでしたよ」
「どうして目的を自己増殖にしたんです? 『怠け』とかにしたら大人しくしてそうなのに」
「そうしたほうが結果がおもしろいんですよ。五日目に入れたのは空と海の生き物で、六日目には陸上の生き物を入れました。犬とか猫とか」
「ヒトは入れました?」
「それは入れてないですね」
「入れればよかったのに」
「もう計算資源が足りなかったので」
「土のちりから作るとか」
「成分が違うんでそういうわけにもいかないですよ。でも、それで一通りおわったので、七日目の今日は早めに仕事を切り上げてこうやってジムに来たわけです。センさんは何の仕事をされてるんですか?」
「えーと。そうですね、ロボットの管理がメインですね」
「なるほど、システム管理者なんですね。それは大変でしょう」
「えーと。まあ、そうですね。でもそれほどでも」
嘘はついていない、とセンは自分で自分に言い訳をした。シュレッダーマネージャーという仕事が人に与える印象についてはよく知っていたので、ヘルシーでアクティブな社会人としては、もう少しよいイメージの職を名乗りたかったのだ。幸い、イエルはそれ以上には突っ込んでこなかった。
「じゃあまた」
イエルと別れ、シャワールームでシャワーを浴びながら、センはジムもなかなか悪くないと考えていた。
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