シュー生地の耐えられない軽さ(4)
ハイジャックが発生してから小一時間たったころ、センは洗濯乾燥機の中で頭を抱えていた。洗濯乾燥機の中にあるくず取りが、電話の着信音をりんりんと鳴らしているのだ。
これをどうすればよいのか。今までのセンの人生の中で、こういうとき――常識的に起き得ないことが起きたとき――はたいてい、ろくなことになったためしがないのだ。だが、それを無視して振る舞ったとしても、やっぱりろくなことになったためしがない。センはとうとう観念してそのくず取りを取った。
「遅かったですね」
くず取りの向こうから聞こえてきたのは、忘れもしないエリアマネージャーの声だった。
「はあ、なぜくず取りが電話の役割をしているのかわからなかったもので」
「ああ、その洗濯乾燥機はうちの製品なんですよ。開発時に洗濯乾燥機と電話機の設計図が混ざってしまったのです」
「それで大丈夫なんですか?」
「今のところ死者は出ていませんよ」エリアマネージャーは事も無げに言った。「それより、今そちらの船がハイジャックされているらしいですね?」
「情報が早いですね」
言いながら、センはわずかに心が明るくなるのを覚えた。確かにエリアマネージャーは人道的ではないし、社員の命より営業利益を優先させているが、少なくともハイジャック犯よりは自社の社員の方を大事にしているだろうと考えたのだ。
「先ほど社へそのハイジャック犯から要求が届きましてね」
「え。要求?」
「ええ。ハイジャック犯は『公平・中立な徴税委員会』という、過激派税務署員が分派して作った組織のものです。我が社は税務署との戦後協定にもとづき、二百年間の免税を受けているのですが、なんとそれを破棄するとともに今までの滞納分――これは奴らの言い方ですがね――を支払うことを要求してきたのです」
「……なるほど」
「人質を盾にした、まったく卑劣な犯行と言わざるを得ません。我が社はテロには絶対に屈しません」
「えーと、それは結構なのですが……人質のほうはどうなさるおつもりですか? 特に社員は」
「それは心配ありません。先ほど宇宙警察へ通報しておきました」
「そうですか。ただ、人質になっているというのはちょっと心細いものでして。社のほうで独自に何か対策を打つという予定は無いのでしょうか?」
「今のところありませんね。費用回収もできなそうですし」と、エリアマネージャーは言った。「ちなみに電話をかけたのは、ひとつあなたにアドバイスをするためです」
「アドバイス?」
「ええ。税務署員どもは、基本的に杓子定規でマニュアル主義です。うまく隙をついて脱出するのがコツですね。それに出張中の怪我や死亡については、保険をかけているのでご安心を。それでは、どうぞがんばってください」
ぷつりと通話が切られ、あとにはつーつーという音が残った。センはがしゃりと音を立て、くず取りを元の場所へ戻した。
白いシーツと黒いタートルネック、それに赤と白のしましまの靴下で全身を覆い、センは客席につながる扉をゆっくりあけた。シーツやタートルネックや靴下は全部乾燥機に入っていた誰かのもので、センとしては迷彩服のかわりのつもりだった。もしハイジャック犯に見つかっても、じっと動かずにいれば物干しから外れた洗濯物のふりでやり過ごせるのではないかと思ったのだ。
客席はまばらに人が座っていたが、皆椅子にじっとしている。ロクソン星の子供ですら大人しくしているのだ。ハイジャック犯が銃を見せつけ恐怖で押さえつけているのだろう、とセンは考えた。
しかしまもなく、どうも雰囲気が違うことがわかってきた。銃を持ったハイジャック犯が視界の中に見当たらないし、それに客たちは恐怖で縛られているようにも見えない。それどころか、まるで五次元ゲートボールの試合を観戦しているかのように、前に身を乗り出している(ちなみに五次元ゲートボールは銀河じゅうでかなりの人気を誇るスポーツで、観戦チケットはいつもオークションで高騰している。ただ生で試合を見ると三十二%の確率で五次元空間に巻き込まれるため、試合会場のそばには病院と保険会社と葬儀会場を併設することが義務付けられている)。
「我々が要求するのは、適正な納税それだけである。しかしそれだけのことを、やつらは、メロンスター社の奴らは、ただの一度も履行したことがない! こんなことが許されるだろうか! 善良な一般市民はつましい暮らしの中でも納税と確定申告を欠かすことはないのに、暴利をむさぼる企業がこのような蛮行に及ぶにあたっては、もはや超法規的な手段も取らざるを得ない段階である!」
いつもはシートベルトの付け方(足が八本以上ある種族のお客様は、座席の下の固定用添え木をお使いください)だの、緊急時の脱出方法(おさない、かけない、猫を毒ガス発生装置と一緒に箱に閉じ込めない、の『おかね』を守ってください)だのを流しているモニター画面に、ハイジャック犯の演説が映し出されていた。ハイジャック犯は目出し帽をかぶり銃を手にしているが、人質をしばりつけたりはしていない。そして奇妙なことには、ハイジャック犯の演説が一区切りつくたび、乗客たちが拍手をしたり歓声をあげたりするのだった。
「税は社会を運営するために必要不可欠なものである。その社会によって成り立っている企業が税を納めないのは、天に唾するも同じだ! しかもその利益のほとんどは、健全とはとうてい言えない手法によって築いたものなのだから!」
「そうだ、そのとおりだ!」
「いいぞ! もっとやれ!」
「俺の前の家、メロンスター社で建てたら三日後に崩れたんだ。訴えたら、こちらが建築士に精神的なダメージを負わせたとかいって、潰れた家と莫大な慰謝料まで抱え込むはめになっちまった。あいつらは悪魔だ」
「私のとこも似たようなものよ。買ったパンの中にネジが入っていたから交換を頼んだら、交換申請書、異物混入証明書、購入時精神状態診断書、だのなんだの台車に一杯になるくらいの書類を渡されて書けって言われて。ろくなもんじゃないわ」
「そうだ、やつらには制裁が必要だ!」
「協力するぞ、勇敢なハイジャック犯たち!」
乗客のボルテージは怖いくらいに高まっていった。
「ありがとう、乗客の皆さん。先ほども伝えたとおり、我々はあなた達に危害を加えるつもりはまったくありません。ご安心ください。何か必要なものがあれば、遠慮なくおっしゃってください。要求が通れば、我々はすみやかに退去します」
「わかったー、存分にやれー!」
わーっと拍手が上がった。周りに合わせるため、センもシーツの中でぱちぱちと手を鳴らした。
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