シュー生地の耐えられない軽さ(3)
売店で買ったチョコバーをかじりながら、センは洗濯乾燥機の中にいた。誰かの洗濯物がごうんごうんと音を立てて乾かされている。あたたかさと洗剤と柔軟剤のにおいが満ちているランドリールームは、一点の曇りもなく平和だった。窓の外にはちらちらと星がみえる。時間的にはそろそろワープに入るころだろう。センがそう考えていると、ちょうどアナウンスが流れてきた。
「お客様にお知らせします。当船はまもなく亜空間飛行に入ります。席をお立ちの方は……あ、何! やめて! ちょっと!」
声とともに、すさまじい爆音が響いた。センは洗濯乾燥機の蓋を開け、表に頭だけ出した。何が起こったというのだろうか。
「あー、あー、マイクテスト、マイクテスト。本日は晴天なり、晴天なり。……よし。乗員乗客全員に告ぐ。当船は我々『公平・中立な徴税委員会』が制圧した。抵抗をやめ大人しくせよ。そうでない場合命の保障はしない」
雑音とともに銃声が響く。センはあわてて洗濯乾燥機にひきこもって扉をしめた。
ハイジャックだ。まさか自分がハイジャックに遭遇するとは。聞いたところによるとハイジャックに遭遇する確率はアルゴル宝くじの一等が当たるのと同じ確率だそうだが、それなら宝くじのほうが起こってほしかった。なぜわざわざ起こってほしくないほうがチョイスされるのか、センはこの世の不公平について想いをはせた(アルゴル宝くじとは年に一回銀河じゅうで発売される宝くじで、一枚一デネブで購入できる。一等賞金は前後賞合わせて七兆五千三百万デネブで、これを個人口座に一度に入金すると桁あふれをおこして口座残高がマイナス三十八億七千五百万十二デネブになるため、一時期宝くじに当選した人間はより不幸になるという統計データが生成され、この統計データを使い、金に執着しないことこそが幸せになる秘訣であるという本や宗教が大量発生した。ただしそういう本や宗教を作った人間は九十九パーセントの確率でその教えを実践していなかったため、あちこちで訴訟が起こされ、結果として訴訟書類フォーマットの印刷を専門としているカペラの印刷工場が七兆五千三百万デネブの営業利益増を達成することができた)。
「えー、当船はこれより進路を変える。抵抗は……」
ここでガチャンバタンと物音。そしてそれに続いて銃声と悲鳴が聞こえた。しばらくしてから、アナウンスが再開された。
「このように抵抗は無意味である。自分の席につき、身動きはするな」
センは洗濯乾燥機の中で震え上がり、なるべく動かないようにした。ややあって、宇宙船がゆっくりと方向を変えてゆくのが感じられた。
センは膝を抱えながら、この事態を打開する方法はないかと考えた。相手はおそらく複数で武器を持っており、この船を制圧している。対してこちらは一人、持っているものは左前と右後の車輪が壊れているスーツケースと食べかけのチョコバーだけ。三秒考えて、センは抵抗は無意味だと結論づけた。あと自分にできるのは、政府でもなんでもいいからなるべく早くハイジャック犯たちのいうことを受け入れてもらい、可及的速やかにこちらを開放してくれることを祈ることだけである。ファーストクラスには社会的地位が高そうな乗客もいたことだし、そう望みのないことでもないだろう、とセンは考えた。
だが、この時点でセンの知らないことではあったが、ハイジャック犯の要求先は、そういう人道的な配慮を行うような組織ではなかった。
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