シュー生地の耐えられない軽さ(2)

 エコノミーシートの乗客が、こぼしたオレンジジュースで汚したシャツを洗おうと、ランドリールームへやって来た。洗濯乾燥機のふたをあけると、そこには人間が入っていた。


「おっと、これは失礼しました」

「いえいえ。すいません、ここは私の席なので。隣の洗濯乾燥機を使ってもらえますか」

「そうします。ところで、どうして洗濯乾燥機を席にしているのですか?」と乗客はたずねた。

「私もなぜだかわからないんですけどね。手配したのが会社なので」とセンは言い、洗濯乾燥機から片足ずつ出た。


 宇宙は広大なので、ちょっと近くの星に行こうとしても、通常の手段ではたいていの生命体は目的地へたどり着く前に死ぬ。まれに死なない生命体もいるが、辿り着く前にたいていあまりの退屈さに気が狂っているか悟っているかするので、辿り着いたときには出発前に持っていた目的を達せられない状態になっていることがほとんどである。


 現在ではたいていの宇宙船は亜空間飛行、平たく言えばワープの機能を持っている。そのためどんなに遠く離れた星の間でも一瞬にして飛び越えることができる。だがこの亜空間飛行にはひとつ欠点がある。亜空間に飛び込むとき、周りの物質も一緒に亜空間へ引きずり込んでしまうところだ。以前、デネブ星系の小惑星アラルグラのすぐ近くでワープを試みた船があったが、そのとき小惑星はその三分の二が亜空間へごっそりと持って行かれ、残された三分の一はちょうどドーナツの形となった。そのためアラルグラにはカカ・ドーナツ、ドーナツオブギャラクシー、ミルキーシュガードーナツなどのドーナツ会社からオファーが殺到し、アラルグラには最盛期には実に二十七万三千八百六社のドーナツ関連企業が本社を置いた。これによりそれまで大した産業のなかったアラルグラは一気にドーナツラッシュを迎え、アラルグラの住人は前代未聞の好景気に沸き立った。が、それもつかの間、各社のドーナツの過剰生産による赤字化が発生し、生産と人事の整理、会社更生法の申請というプロセスが続き、結局アラルグラは荒れ果てて見捨てられた星となってしまった。治安もひどく、赤の信号機に車を停めると街の不良たちがうようよと寄ってきて、運転手にチョコがけのドーナツを売りつけようとするありさまである。


 このような悲劇がもたらされるので、宇宙船はまず通常の速度である程度星から離れ、安全な距離を保った上でワープに入ることが義務付けられている。それには少し時間がかかるため、例えばセンが乗っている船は到着まで約一と半日を要する。そして通常飛行の間であれば電話は通じるので、センはのそのそと船の中央へ設けられている電話室へ向かった。


 電話室へ向かうには、他の客席の間を通り抜ける必要がある。ちょうどエコノミーの席で、フライトアテンダントが食事を配っているのが見えた。洗濯乾燥機のところにも来るだろうか、そう思いながらセンは歩いていた。そのため注意が散漫になったのかもしれない。前から来た別の乗客とぶつかった。


「おっと」

「あ、すみません。大丈夫ですか」


 ぶつかったのは、きっちりとスーツを着込んだヒト型の乗客だった。お役所風の、四角張ったメガネときっちり分けられた髪型をしている。


「いや大丈夫、すみません」

「そうですか、それはよかった。移動中はなるべく席についていたほうがいいですよ、揺れるかもしれないですし」

「電話が終わったらそうしますよ。ご忠告どうも」


 乗客は通路の脇に入り、センが通れるように道を開けた。変だな、と思った。すごく常識的だ。そういえばさっき洗濯乾燥機の蓋を開けた奴もそうだった。この宇宙が無作法で非常識で人道に反しているのには慣れたつもりだったので、たまにこういう対応をする相手にあうとどうも調子が崩れる。


 昔はセンも、人道とか平等とかその手のものを信じていた。学校ではそういうものについてかなりの時間を割いていたし、それらについて書かれた本もたくさんあった。幼いセンは素直な性質だったので、教わるがままにそれらの思想を吸収した。


 それがどこから崩れてきたのか、今のセンにはもうわからなかった。不平等の起源とか社会の契約がどうこうという本もどこかにやってしまって、宇宙の無作法さに対して抵抗する気を失っている。


 センはちょっぴりバランスを崩したまま電話室に入り、メロンスター社の総務部の番号を押した。


「はい、メロンスター社総務部です。ただいま電話が大変込み合っております、申し訳ございませんが後ほどおかけ直しください」と明らかに口で言っているのがわかったので、センは構わず話し続けた。

「社員番号R-30-12309番、セン・ペルです。手配してもらったチケットのことで確認がありまして連絡しました」

「はいはい、わかりましたよ。ちょっとお待ち……はい、セン・ペルね。えーと、今日発のンシルス行きのチケットのことでいいの?」

「そうです。えっと、今その船に乗っているんですが、席が洗濯機なんですよ。なんでですか?」

「あれ、おかしいな。そんなはずはないよ」

「ああ、やっぱり間違いですか」

「うん、ドラム式の洗濯乾燥機のはずだよ。乾きのこしが少ないタイプ。それ多分船側が案内間違ってるから、一度係員に……」

「いや、そうではなくて。あの、席は洗濯乾燥機になっているんですが」

「じゃあ間違ってないよ。問題は解決したね」

「いやしてないです。あのですね、私はヒト型の人間でして、あまり洗濯乾燥機の中で暮らすのには向いてないんですよ」

「そうかな」

「そうなんです」

「そうでもないかもよ。試してみたことはないんでしょ?」

「そりゃないですが、しかし」

「じゃあ試してみなよ。案外いけるかもよ」

「いや、ですから……というか、そもそもなんで洗濯乾燥機なんですか」

「えーとね。まあ我々総務部は経費の削減を大事にしてるんだよね。で、星間移動のチケットってけっこうな額になるわけ。いろいろ工夫したんだけど、エコノミーでもまだまだ高いんだよね。で、法務に相談したら、『移動する人間の人格を無視して、服と荷物の付属物っていう扱いにしたら貨物扱いになるから運賃も安くなりますよ』って言われたんだ。いい案だよね」

「えーと、つまり、私は今貨物扱いで搭乗してるっていうことですか?」

「そうそう。ああ、もし事故になっても保険が物損だけ対象になるから、気をつけてなるべく事故にあわないようにしてね」

「それは私が気をつけてなんとかなる問題でしょうか?」

「どうだろう。なるかも。たぶんね。あ、他から電話かかってきたから切るね」


 ぶちりと電話が切られ、センは受話器をつくづくと眺めた。

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