因果は追いかける

 車を出してもらう前に、ミリヤは店内の化粧室を借りた。一人になると、先ほどサイゴと交わした会話を思い出して、考え込んでしまう。……思えば、なぜゾンビはこうも迫害されてきたのだろう? 親しかった人間が、よみがえりをきっかけに別人のように変わってしまう。それは確かに悲劇だ。

 けれど、見知らぬ人間まで、ゾンビであるというだけで石を投げる。その態度は、怪物に対するそれにも近い。実際に接してみれば、ゾンビは間違いなく生きた人間だと分かるのに。生物である以上、人は死を、それを連想または想起させる物事を忌み嫌う。ゾンビに対するバイアスは強固だ。

 あるコミュニティで、誰かが理不尽の標的にされる。一度「こいつは攻撃しても良い」というレッテルが確定してしまうと、それを覆すのは困難だ。それが、学級内のような小さいコミュニティだけならいざ知らず。市町村といった地域、はては国家という社会その物がレッテルを承認し、揮われる理不尽は際限なく増大していく。

 ほとんどの国家で、法がゾンビを守るためのものではなく、公共の場への出入りを禁じ、ありとあらゆる社会保障や就労を制限し、犯罪に走れば苛烈に罰する、強大な枷として存在するように。

(そういう人たちのためにインゴルヌカがあって……でも、お父さんは、ここですら生きてちゃいけない、なんて)

 ミリヤは溜め息を一つ吐き、二つ目を飲み込み、洗面台の鏡を見つめた。映し出された己の、何とも頼りなさげな顔に言い聞かせる。しっかりしなさい、最後までお父さんの味方でいられるのは、あなただけなのよ、いつまでも捨て犬みたいな顔してちゃ駄目、と。サイゴは自分たちを助けてくれるだろう。だが仕事の範囲内でだ、生涯頼って良い訳がない。これは、自分と父の人生だ。

(大丈夫よ、ドクターだって何十年も生きてきたんだもの。私たちだって、同じように出来ないはずないわ)

 化粧室から出てくると、黒服の男がミリヤの前に立ちはだかった。もちろん、サイゴではない。筋骨隆々、厳つい顔にサングラスをかけて、いかにも怪しい。

「失礼。ミリヤ・ハーネラさんですか」

「そうですけど。どちら様……」

 ミリヤはみぞおちに拳を受け、言葉を止めた。

 崩れ落ち、男の腕に受け止められる。黒服の男は少女の体を引っ張り上げ、腕を絡めると、彼女が自分に寄りかかっているように見せかけた。他人に見られても、連れの気分が悪くなったと言い訳できなくもない。男は慌てず急がず、その体勢で出口を目指して歩き出した。サングラスの視界端、何者かの影が入る。

「すいませ~ん、連れの者ですが、彼女が何か?」

 サイゴはどこからともなく、漂ってきたクラゲのような動きで、にこやかに行く手を遮った。黒服の男は一瞬ひるんだが、無言で拳をくり出す。サイゴは手首を掴むと、それを支点に男を投げ飛ばした。同時にミリヤの体を引き寄せて確保。空のハンガーラックを壊しながら、男はしたたかに背中を打ち付けて呻いた。

 その無防備な顎へ、マグナムリボルバーを突きつける。以前、依頼料代わりにもらったマニューリンMR73。化粧室前は店からも駐車場からも死角なのが幸いだ。

「乱暴はやめましょう。ミリヤさんに何かご用で?」

 男は答えない。サイゴは銃をしまうと、相手の手首を引っ張った。立たせるためではない、そのまま腕を捻り、肘を極めると男の体が跳ねた。サイゴは目ざとく、黒服の襟にある物を見つける。

「これ、社員章ですよね。ハイパーボリアの。駄目じゃないですか、こういうの付けたまま、こんなことしちゃ」

「うるせ……」更に肘を極められ、呻きが半ば悲鳴に変わる。

「あ、すみませんね。モータルの方にこういうことするの、久しぶりなんで加減しづらいんですよ」サイゴは手首を掴んだ時、男の手にゾンビの刺青が無いのを確認していた。つまり、この男は便利な痛み消しが出来ない。

「ハイパーボリアの誰かの命令でしょう? 人質にでもするつもりだったんですか。彼女、囮になりそうですものね」

「囮……それもある」

 男の唇は苦痛に震え、だらだらと脂汗を流していた。意外と強情を張る。

「それも? 囮ではなく、彼女自身にも何か?」

 無言。

 アームロック。

 呻きが完全な悲鳴に変わる。

「カルペア……09と、ミリヤ・ハーネラ、……、両方、出来れば欲しい、と」

「誰がそれを言ったんですか。僕、そろそろ折ってしまいたいんですけど、もう一本あるし構いませんね?」

「……ロトボア博士だ! カルペアが分かるなら知ってるだろう!」

「うーん、なるほど」サイゴはそのまま男の腕を折った。答えたら折らない、なんて約束はしていない。黒服が悶絶する。

 サイゴは床に座らせたまま、気絶しているミリヤを見た。もう少し聞いておきたいが(まだ腕一本と足二本残っている)、人目が集まっても困るし、ミリヤが起きるかもしれない。ここまでにしておいた方が無難だろう。

 男を絞め落とし、サイゴは懐からスマートフォンと財布を拝借した。財布の中、免許証その他で男の身分を確認し、金には手を付けず返す。

 サイゴはミリヤを抱えて車に戻り、UAZ霊柩バンを走らせた。スタンドに寄って軽食を買っていると、携帯が鳴る……着信はマキールからだった。

『ハロー、ワールド。景気はどうだい、サイゴ』

「大荒れってとこかな。悪いニュースと良いニュースがあるなら、良い方から頼む」

 マキール・ビューケット、この霊安課所属の友人は仕事熱心だ。サイゴはずっとフィティアンの正体を黙っているが、今はそこにハーネラ親子の件が加わる。

『特別良いも悪いも無いんだが、知っておいた方がお前も得するんじゃないかと思ってな。ミンチメイカーは知ってるだろ?』

「知らない訳ないだろ、この間もニュースやっていた」

『殺人課がやっと犯人の目星を付けたんだ。そいつが、ハーネラ嬢を狙ったベムリ・リンドなんだよ』

「なんだって?」思わず目を見開く。

『捜査上の機密って訳じゃないから、もう少ししたらニュースで出回るだろうけどな。そのうち警察が、お嬢さんに話を訊きに来るかもしれない』

 胸中でサイゴは舌打ちした。マキールや霊安課と部署は違うとはいえ、今は出来るだけ警察と顔を合わせたくない。

「悪いが、ハーネラ家は今空けているんだ。昨日、ベムリが彼女の家にまで押しかけたから、ホテルに避難する所だ」

『なるほど、それで大荒れか。彼女無事か?』

「そりゃもちろん」

 それからサイゴは、益体もない雑談をしばらく交わして通話を終えた。頭の中で推論が組み上がっていく。ベムリの目的が、彼にはおぼろげに分かりかけていた。


 車内で目を覚ましたミリヤは、助手席で、次にサイゴの胸を借りてしばらく泣いた。彼女は涙を感情のはけ口にするタイプらしいと把握したサイゴは、むしろ泣きじゃくる姿に安心を覚える。

 出来るだけ、今日のことが傷になって残らなければ良いと思いながら。やがてクリニックに着いた頃には、ミリヤはだいぶ落ち着いた様子を見せた。

「よう、遅かったな」

 貫頭衣姿で出迎えたニフリートは、なぜかばつの悪いような顔をしている。やましいことがあるような、何か言いたげな顔だ。帰ってきた二人がそれを問うよりも、ニフリートの疑問が早かった。

「ミリヤ、お前……なんかあったか?」

 か細い肩をびくりと震わせ、ミリヤはうつむいた。恐怖の記憶がよみがえったのだろう彼女に代わり、サイゴが事のあらましを説明する。

「ロトボアの糞爺が、ミリヤをどうしようってんだ!」

 ニフリートの激怒は、煮えたぎる油の中に、冷水を注いだようだった。水と油が反発し、爆ぜ、熱油をまき散らす。かろうじて、周囲の物に八つ当たりすることは控えていたが。

「おい、鎮伏屋! そいつ腕一本で済ませた挙げ句、放置してきたのか? 縛り上げて車に乗せてねえのかよ!」

「社員章付けたまま誘拐するような間抜けですよ」

 食ってかからんばかりのニフリートとは対象的に、サイゴはのんびりと返す。ミリヤは怒鳴り声のうるささに、両の耳を掌で塞いでいた。

「情報なんざ関係ねえ。いいか、俺はナメられることと、家族に手を出されることだけは許せねえんだ。そんな奴は、キリスト様だろうとぶっ殺してやる!」虎が吠えるような怒声。

「だと思いましたよ」とサイゴは肩をすくめた。だから連れてきたくなかったのだ。それにしても、娘を殺そうとしたベムリに対するそれとは、ずいぶん態度が違うな、とも思う。ベムリはミリヤを家族と見ていた、ニフリートも同じならば、さすがに身内には甘いということか。「ところでニフリートさん、服、着替えませんか。ミリヤさんがわざわざ選んでくれましたし、サイズも合うでしょう」

「わざわざ女の買い物に付き合って、ご苦労なこった」

 虎の吠え声が、唸り声程度には静かになった。

「奥さんとは行かれませんでした?」

「訂正する。恋人でも女房でも無い女の買い物に、よく付き合ったもんだ……話はまた後でな、鎮伏屋」

 紙袋を受け取ると、ニフリートは皮肉げに言って引き下がった。サイゴは結局昼食抜きなので、スタンドで買っておいたピーラッカ(スオミ風焼きピロシキ)をミリヤと二人、待合室で頂く。あんなことがあったためか、彼女はあまり食欲が無いようだったが。ミリヤは半ばで食事を打ち切り、余ったピーラッカを紙袋に戻すと、サイゴの腕にしがみついた。また、かすかに震え始めている。

「なんか……駄目ですね。ほとんど覚えてないのに、また、怖くなってきました」

「いえ、当然ですよ。連れて行かれていたら、何をされていたから分かりませんし」

 その言葉を受けて、ミリヤの震えがびくりと強まった。

「大丈夫、僕も自分の依頼人に手出しされちゃ、許せません。ベムリと、マインドと、ハイパーボリア。一つ一つ障害を叩き潰して行きましょう」

 ニフリートを最初の依頼通り葬るのか、当局に通報して処分してもらうのか、それともインゴルヌカから脱出するのか。または、それ以外の選択肢。ミリヤの依頼は昨夜から保留中だ。

「私、何もできないんです」ミリヤはぼそりと言った。「そんなんじゃ駄目だって分かってるんです。でも、また、何も出来なかった」

「さっきのことでしたら、もう仕方がないですよ」

 ミリヤはきつく、爪を立てるようにサイゴの腕を両手で握ると、力いっぱい首を振った。まばゆい金髪が、空中に虹のような残像を残す。

「でも、お父さんと生きていくなら、私、強くならなくちゃ!」

 腕と体を離し、ミリヤはサイゴの前に立つ。今にも泣きそうな顔、そこへさざ波のように移り変わっていく表情は、涙を堪えようとする決意だ。

 翡翠の瞳、複雑に明暗が絡む深い色のそれが、ひときわ強い輝きを放つ。

「だから、サイゴさん。私が強くなるまでは、守ってくれますか。私の依頼が達成されるまでの、間だけでも」

 保留期間の終了を告げる宣言を受け、サイゴは事務的な口調で答えた。

「ミリヤさん、改めて貴女の依頼とは何ですか」

「これからのこと、私はもう決めてます。父と一緒にインゴルヌカで暮らしたい。だから、助けて下さい」

「もちろんです」

 サイゴは一も二もなく応じて、太陽のように破顔した。

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