肉挽かれた友誼

 水色のタイル張り処置室には、無造作に凶悪な形の器具や、死体部品が吊るされ並べられていた。ホラー映画の楽屋にも似た、悪趣味な驚異の部屋ヴンダーカンマー

「マインドってのは、結構多いのか」

「そうさ。ボクらはあちこちに潜んでいる。ま、サイゴくんにはコミュニティの連絡会なんかがある、としか教えていないが」

 手術台の上、ニフリートの髪を採取したり、頭に針を打ち込んだりしながら、フィティアンは答えた。子供サイズの手術着に着替えている。丈が足りないので踏み台を使う代わりに、両脇をナースワイトに抱えさせての作業だ。

 周囲でも、複数のナースワイトたちがてきぱきと働いていた。天井近くでは、揮発する還死剤の蒸気が薄黒く溜まっている。

「互いに助け合って、生者に見つからないよう何とかやっているのさ。たまに厄介者が出たら始末したりしながらね」

 体を弄り回されるのは気味の悪さがあったが、鎮静作用の有る還死剤を与えられ、ニフリートは落ち着いていた。

「俺みたいな、隠れ方を知らない新人なんかを、か?」

「そうじゃない。キミは運良く……そうだな、本当に幸運だ。ボクのところへ来た。お嬢さんが間違って起こさなきゃ、キミはそのままサイゴくんに始末されていたんだから。ま、彼は色々と頼りになる男だ。娘さんが支払った依頼料分ぐらいは、コキ使ってやりなよ。サービス良いしね。キミがこの町で上手くやれるなら、その分ボクらの安全も保証されるし……」

 フィティアンはチェーンソーを動かす手を止め、マスクの下で物憂げな顔をした。

「ボクらとしては、新人のキミよりもミンチメイカーの方が、頭が痛くてね」

「殺人鬼が俺たちと何の関係が?」

 ニフリートはサイゴの事務所で夜を過ごす間、暇に飽かせて古新聞や古雑誌を眺めていた。少し読めば、ミンチメイカーが今話題の事件だとすぐ知れる。

 ……何より、被害者は皆ニフリートの幼馴染みだ。かつて養護施設グラナッティオメナで、生活を共にした友人たち。なぜ彼らばかりが狙われるのか、自分の身の上と何か関係があるのか、ニフリートとしても関心が無い訳ではない。

「ヤツがマインドだからだよ」

「なるほどね」

 ニフリートは台の上で肩をすくめて、両腕が外されているのを思い出した。検査のため、解体されている最中なのだ。

「しかも、既に自我の崩壊が始まっているような、哀れで独りぼっちの生ける屍さ。彼が身柄を拘束され、正体が分かったらまずい。もちろん、当局側は速やかに処分してしまうだろうが……ボクらは、既に何度か接触した。彼の口から、〝他にもマインドがいる〟なんてばれたら一大事だ」

 フィティアンは「やれやれ」と溜め息をついた。モータルやゾンビとまるで変わらない、巧妙な息づかいで。

「彼には何度も警告したんだ。目的は知らないがバカなことはやめろって。しかしさっきも言ったように、自我崩壊の影響か話が通じなくてね。だから始末することになった。もう何度か襲撃を繰り返しているが、中々強いんだ、コレが。取り逃がしている。本当に頭の痛い話さ……まあボクは非戦闘員だから、何もしちゃいないが」

「厄介ごとだらけだな」

 マインド同士の繋がりは、つまり相互監視網なのだ、とニフリートは理解した。情報を共有し助け合うと共に、社会を乱しマインドの存在を露見させかねない輩は、速やかに葬り秘密を守る。だが、自分には特に関係のない話だ。ミンチメイカーは気になるが、関わり合っている暇など無かった。

「なあ、それより、ベムリ・リンドって知らねえか。俺と同じマインドで、二年ぐらい先に市内に出たはずなんだが」

「聞いたことないね。そもそもボクらは元の名前はあまり使わんよ」

「ああ、そうだな……ピトフーイの地下闘技場で選手になっていた時は、ザフ・ボジルって名乗っていたらしいんだが」

「それも知らない。他は?」

「背は俺より頭一つと少し下、プラチナブロンドで真っ青な目、右目の下に黒い涙のタトゥーがある。ああ、それに、人工声帯を使ってんだ」

 フィティアンはしばらくチェーンソーを動かしたり、ニフリートの体にチューブを刺し込みながら考え込んだ。

「まずいな」

「なにがだ」

「涙のタトゥーに、人工声帯のマインド。そんなヤツは、一人しか知らんね。

 。ボクは顔は知らないが、聞いてる話と一致する」

 薬物の鎮静作用が吹き飛んだ。ニフリートは反射的に起き上がろうとしたが、五体は既にバラバラで、残った胴と首も手術台に固定されている。

 ミンチメイカーがベムリ当人なら、あいつは一体何をしているのか? 何の目的があって、かつての知人友人を殺し回っている? 体温を感じない、心臓が脈打たない体、それなのに胸が冷えるような恐怖が、ニフリートを突き刺した。

「それが間違いないなら、あいつは……本当に、もう駄目なのかよ」

 ベムリは親友を殺し、ワイトにされ、狂った末に、幼馴染みも友人もその子供たちも、無差別に殺戮するだけの化け物になったのかもしれない。

「さてね。話が通じない程度には駄目らしいが、ボクはあくまで伝聞で知っているだけだ。とりあえず連絡会に一度報告しないとならんね。……なんだ、そんな悲観した顔するんじゃない。気になるなら直接会って、話を聞いてみるんだね。生前から深い繋がりのあるキミになら、少しは正気にかえるかもしれないよ。ほれ、そんなに辛気くさい顔をしていると、乳輪を星形に改造するぞ。

 ……あっちょっと!? 噛むな! 指折れるーっ!!」


 待合室のテレビでは、インゴルヌカ市長のケイツニクスがどこそこの病院を訪問した、というニュースを流していた。長すぎて狼じみた犬歯、眼鏡に隠された三白眼は名高い人殺しかと思わせ、ニフリートに勝るとも劣らぬ筋骨隆々の体躯。「いっそ邪悪」とすら評される市長の強面に、訪ねられた小児病棟の患者たちは泣きそうな顔をしている。とても政治家には見えなかった。

「この市長さん、前の法皇様より怖い顔ですよね……」

「中身は紳士なんですよ。僕も選挙の時は一票入れました」

 全世界で、ゾンビに選挙権を認めているのはインゴルヌカ市だけだ。

「たぶん、今も子どもたちに怖がられて、内心傷ついてるんじゃないでしょうか」

 画面では、比較的年長で、ひきつりながら笑顔を作っている子供を、市長が抱き上げる構図を映していた。サイゴはソファを立ち上がる。

「検査は長くなるでしょう。今からしばらく買い物をして、昼食を取ったら良い頃合いですよ。一旦出ましょうか?」

「あ、それなら父の服を買いに行きたいです。今のは、お尻が破けちゃいそう」

「確かに」

 サイゴは苦笑した。そういえば、あの救急隊制服はどこから拾ってきたのやら。

 ナース・ネアゴリエに言づてを頼むと、サイゴは一度事務所へ戻って車を出した。ミリヤをUAZ霊柩バンの助手席に乗せ、走らせる。この車でショッピングも何だかなと思うが、他はウラルの霊柩バイクしかない。ミリヤはしばらく黙って景色を眺めていたが、やがてぽつりと言った。

「サイゴさん。もしインゴルヌカが無くなったら、あなたはどうしますか」

 数ヶ月の間に、ミリヤも理解していた。インゴルヌカにはワイトが関わっていない経済活動はほとんど無く、この町からワイトの存在を奪った時、後には何も残らない。この極寒の地で経済破綻して、市民の大半を占めるゾンビは行き場を失うだろう。……あるいは、それでもこの地に留まるかもしれないが。

「父のことがばれて、ネクロポリスや、ワイトや、ゾンビを目の仇にしている人たちが、これ幸いとこの町を潰したら?」

「さて。この世でインゴルヌカの次に、ゾンビが暮らしやすい場所なんて……刑務所の、ゾンビ隔離棟しか思いつきませんね」

 サイゴは少し、妹のことを思い出した。親は息子がゾンビになったことなど、娘に隠しているだろう。妹にとって、自分は幼い頃に死に別れた兄。あの子が思い出すことなど何も無い。思い出して欲しくもない……。

「どっち道、僕はどうなろうと故郷に帰るつもりはありません。一生をここで終えて、ワイトになりますよ」

喪失者ロスト登録されてるんですか!?」ミリヤは絶句した。

「エヴァを見てくださいよ。彼女、健気なんです。プログラミングの賜物とはいえ、僕のために戦って何度も壊れました。もうあの体は、半分以上が他人のパーツで出来ている。人間だったら七回死んでも足りないような、酷い怪我で……。

 だから、そんな真似をしておいて、自分は安穏と墓に入りたいなんて。そんなふざけた話はないでしょう?」

 一瞬、ミリヤは理解しがたい物を見るような眼差しを向けた。だが嫌悪という感じではない。その証拠に、ミリヤはただ純粋に、不思議そうな顔をして言った。

「でも、分かりません。どうして、インゴルヌカはそれを始めたんですか。ワイトを造るなんてことを。誰かを生き返らせたかったんですか?」

「生き返らせるのは、少し違いますね」

 手近な服飾店を思い浮かべながらサイゴは答えた。

「簡単に言えば、僕らゾンビは〝仲間が欲しかった〟んですよ」

「仲間? ワイトが?」

 言ってから、「確かにどっちもアンデッドかもしれませんけど」とミリヤは続ける。サイゴはええ、とうなずいて話し始めた。

「どうして〝この自分〟が生き返ったのか……、ゾンビなら一度はそう考えます。あるいは、なぜ死者の姿を盗んで生まれてきたのか。僕たちゾンビは、〝今、この自分〟が生きてる理由を必死で探しました。よみがえった自分と、よみがえらない死体の違いは、一体なんなのか、と。最初にワイトを造った学者はモータルでしたが、その後同じことを始めたのはゾンビです」

 車窓の向こうを、インゴルヌカの町並みが流れていく。北欧らしく落ち着いた白樺の並木道があったと思えば、数ブロック後には寒さを物ともしない猥雑な露店街、一つ角を曲がれば電子基板のように高層ビルが整列する大都会。統一性の無い看板や建物、多種多様な文化と宗教がちぐはぐにパッチワークされた景色が。

 生き返って口を利く死人と、起き上がらされ物言わぬ死体が行き交う、生も死もないこの都市をそのまま象徴するような眺めだった。

「神が人をよみがえらせるなら、人が人をよみがえらせたって良い。一度も死んだことのない人々に囲まれるよりは、動く死体に囲まれる方がマシ、そんな感じですよ」

「やっぱり、私には分かりません」

 そう言うミリヤの声は、「けれど、分かりたい」と無言の意志を響かせているようだった。未だ死んだことのないモータルの身で、死を経験した者の側へと。

「ワイトを造らなくても……ゾンビ同士や、ゾンビを受け容れるモータルと寄り添えあえれば良かったのに。私はそう考えてしまいます。ワイトが生まれたのは、もっと色んな理由があったんでしょうけれど。私がモータルだから、分からないのかもしれませんけれど。だから、その、ええと」

「お店、あそこで良いですか」

 サイゴは窓の外を指さし、会話を遮った。ミリヤは一も二もなくうなずく。

「ミリヤさんは、インゴルヌカの外でゾンビと会ったことはありますか?」

 駐車場に霊柩バンを入れながらサイゴは訊ねた。ミリヤは「いえ……一度も」と、小さく首を振る。車を停めて、サイゴはさもありなんと両の腕を組んだ。

 ゾンビを受け容れるモータル? そんなものをこの市の外で見ることなど、はたして自分は信じられるだろうか? サイゴは自問する。

 売り方さえ問わなければ、人間は何をどうしようと金になる。生きていようと、死んでいようと、それは変わらない。そういう世界にとって、ゾンビはうってつけの商品だ。インゴルヌカ外部の彼らは、搾取され、あるいは使い捨てられ、最底辺の生活を強いられて、一生そこから抜け出せない。サイゴもそうなる所だった。

 死は、人が善悪を判断する上で根源的基準となる。多くのモータルがゾンビを、ワイトを恐れるのは、その価値観を揺らがせるからだ。

 しかし、彼らは同じ恐怖を、他ならぬゾンビ自身が抱いているなど思いも寄らない。だから両者は争うのだ、望むと望まざると関わらずに……。

「でも私、ここに来て驚きました。ゾンビの人って思ってたより、ずっと普通で」

 サイゴの想いを知らぬげに、ミリヤは無邪気なほど明るく言った。

「もっとみんな顔色悪くて、むっつり黙ってて、怖い人たちなんだろうなって。あ、でもワイトは別ですよ。生理的に駄目です、近づくと、体の中がゾワゾワしちゃう」

「今は、それだけでも充分ですよ」サイゴはシートベルトを外しながら、ミリヤに微笑みかけた。「さっきの話とは矛盾しますが、意外と市民でもワイトを怖がったり、嫌がる人はゼロでもないんです」

 車を降り、サイゴは助手席側のドアを開ける。ミリヤは不思議そうな顔で降りながら、話を聞いた。

「市民は毎年、外部から新しくやって来ますしね。だから、お嬢さんが馴染めないのも無理はありませんよ。でも……インゴルヌカの外でゾンビに出会うことがあったら、優しくしてあげて下さい。いや、特別なことはしなくていいんです。ただ、普通に、当たり前のように接するだけで、きっとその人にはとても救いになりますから」

 そう語るサイゴの声は、そよ風のように静かで、穏やかだった。

「私、母にも同じこと言われました。インゴルヌカやワイトのことはあまり話したがらない人だったけれど、〝ゾンビは人の振りをした化け物なんかじゃない、私たちと同じ人間だ〟って。よく聞かされましたから。それでも、実際に会ってみるまで、怖いイメージはありましたけど。ここではみんな、ただ手に刺青があるだけの人たち」

 ミリヤは一瞬、サイゴの手元に目を向けた。今は両の手に革手袋をはめているが、そこにも刺青があることを彼女は知っている。

「あ~、ニフリートさんの件を考えると、お嬢さんはもうあまり市を出る機会がないかもしれませんね」

「そういえば、そうかもしれませんね」

 二人はそのまま、談笑しながらブティックの店内へ入っていく。だが、サイゴが笑っていられたのも最初だけだった。

「ね、サイゴさん。こっちのネイビーとこっちのインディゴ、どっちが父に似合うと思います?」

 今までにない溌剌はつらつさを放射しながら、ミリヤはニコニコと非常によく似たデザインのシャツを二枚掲げて見せた。サイゴは生ぬるい輪郭の笑顔で指摘する。

「すいませんがお嬢さん、僕にはその二つがほとんど同じに見えるんですけど」

「あら、こっちは襟の形と落ち着いたネイビーブルーが渋い感じだし、こっちは繊細なボタンの作りとインディゴブルーがシックな感じですよ?」

「……ご解説痛み入ります。あと、それ夏物ですよね?」

「冬物も選びますよ、もちろん。でも、今から素敵なシャツの一着ぐらい選びたいじゃないですか」目の輝きが狩人のそれだった。

「そーですね~、好きになさって下さ~い」

 ミリヤが「素敵だけれどこれどうしようかしら迷っちゃう」とキープした数十着の衣装を持たされながら、サイゴは白旗を揚げた。初め、彼女はニフリートに合うサイズ優先で考えていたようだが、案外と同サイズ帯に種類があることを知ると、徹底してコーディネイトに拘りだしてしまった。ついでに自分の服まで選び出したものだから、まったくの泥沼だ。喪服はもうやめるのだろうか?

「あの~ミリヤさん、そろそろ昼食にでもしませんか」

「やだ、もうそんな時間ですか? じゃあ、お父さんをあまり待たせちゃいけないし、お会計行きましょう」

 ようやく終了宣言が出ると、サイゴは心底安堵した。ミリヤがお買い上げした買い物袋五つをバンに積み込みつつ、二度と女性の買い物、特にブティックには付き合うまい、心に誓う。

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