三章:約82枚
幼き医者のフィティアン
十一月は、スオミで最も暗く辛い時期だ。古語では「死の月」とまで言われ、人々はロウソクを灯しながら、十二月の独立記念日と
この日も、夜が明けてなお通りは薄暗く、身を切るような寒風が吹き荒んでいた。家々の軒先では
「で、その医者ってのは信用出来るんだな?」
事務所を施錠するサイゴの背後、ニフリートはくぐもった声で言った。湯舟とシャワーで温めた体は、白い息を漏らすが間に合わせだ。後で冷えても誤魔化せるよう、口元をマフラーで覆ってる。
「ええ。僕がインゴルヌカに来た当初からの、長い付き合いです。この件に関しては最適の人ですよ」
サイゴが案内した医者は、事務所が建つ十字路を東に進んだ所だった。廃病院を改装した建物は古くさく、一見おどろおどろしい雰囲気だ。
掲げられた看板には『還死科』『死相整形科』の文字。診療時間にはやや早いが、あらかじめ連絡してあるので問題無い。サイゴと、エヴァネッセンス49と、ハーネラ父娘。生者二人と死者二体は、クリニックの門扉をくぐった。
一歩中に入ると、清潔なクリニックのロビーと、明るいスイーツショップ、そして動く死体が入り交じった奇妙な空間が一行を迎えた。
入って右手に受付、その前にソファとスツール。正面奥にはテレビと、三列しつらえられたソファの待合室。右手側は診察室や手洗いに続く廊下で、左手側が窓際だ。古びた外装からは想像も出来ない、ぴかぴかの院内。
だが、なぜか窓辺にはショーケースが設置され、医療ともワイトとも関係のないフェイクスイーツがディスプレイされていた。きらびやかなパフェやケーキ、クレープの蝋細工。よく見ると、室内の所々にも、菓子類をモチーフにした飾りがある。父子は還死科医院らしからぬ内装に、顔をしかめたり目を瞬かせたりした。
「いらっしゃいませ! 私たちは信頼性があるクリニック、モットーはきれい! 大切なあなたのパートナーお預かりしてきました。医療できるだけあなたに対策とあなたのワイト♪」
受付嬢を見るなり、ミリヤは小さく悲鳴を上げた。ピンクのナース服に身を包むのは、肌をツギハギにした女ワイトだ。会話プラグインの口上はぎこちない。
「予約の人、診察室の準備ができてきました。今しばらくお待ちください」
三分割された顔面は、頬や額や目の下にギザギザの縫い目が通り、そこを境に全て皮膚の色が違う。両目の色も異なり、頭髪は金と黒と白の三種類が生えてまだらだ。
「彼女はナース・ネアゴリエ。ここの受け付けをしているワイトです」
サイゴはこともなげに紹介して、受診手続きを済ませようとした。ミリヤはそのコートを引っ張り、震える声で訴える。
「あ、あの、はは肌が……言葉遣いも、ちょっと」
「パッチワークです。元々は人種差別撤廃キャンペーン用にデザインされましたからね。色んな皮膚を張り合わせて、〝肌や目の色で差別するなんてくだらない!〟というコンセプトの」
「絶対逆効果です! 地球上に存在しない肌色が混じってるじゃないですか!」
ミリヤは金切り声で語気を荒げた。サイゴは頬を掻きつつ、言葉を探す。
「まあその、キャンペーンが終わって払い下げられた後、あちこちでカスタムされましたから……」
「もう半年近くインゴルヌカにいるんだろ、いい加減慣れろ」
ニフリートは娘の肩を叩くと、すたすたと先へ進んだ。開院前ということもあって、待合室には誰もいない。ただ、隅に医療用台車が一台置かれていた。びっしりと蔦植物を生やした、人型の何かがその上に乗せられ、ベルトで固定されている。ぴくりとも動かないが、ミリヤは遠くからそれを見つけて、一歩も動けなくなった。ニフリートは気にせず、手近なソファに座る。
「……なんですか、あれ」
ミリヤは振り返って、サイゴに説明を求めた。目つきが険しい。
「誰かが持ち込んだワイトでしょうね。森林迷彩用に、植物を直に生やしているんですよ。スケアクロウモデルかな」
「酷い」
ミリヤの感想は率直だ。
「サイゴさん、ワイトは、この町は、気持ち悪いです」
「ごもっとも」
サイゴはうなずいた。ミリヤの反応を新鮮に感じる自分に、彼自身少し驚いている。インゴルヌカを出れば、ワイトは極力人目を避けて扱われるのだ。
自分がここに来た当初はどうだっただろう? 少なくとも、ミリヤほど嫌悪は示さなかったようにサイゴは記憶している。その違いは、自分がゾンビで、彼女がモータルだからだろうか。正直な所、サイゴは死体が好きだった。
「人が死んで、よみがえる。それはまだ、神さまのなさることです。仕方ありません。でも、ワイトは、私たち人間の仕業じゃないですか。いくら死んだ後のことは当人には分からなくたって、あんなおかしな姿に変えられて、ずっと動き続ける、なんて。私、ここに来てから、ワイトを見るたびビクビクしました。もしかしてそこに、父がいるんじゃないか。あんな恐ろしい姿になっているんじゃないかって」
「そうだな」
ニフリートは背もたれに大きく身を預け、天井を仰ぎ見た。そこには、シュークリームやマカロンのモビールが揺れている。室内はヴァニラの芳香さえ漂っていた。
「本当は、マインドは特別なモンじゃなくて、ただ自分の意志を伝えられるワイトってだけかもしれんぜ。鎮伏屋、あんたが働かせてるワイトの女。エヴァだったか? あいつも、実は心があるのかもしれねえよな。だとしたら、ワイトになるのはまさに地獄ってワケだ」
エヴァ49は、サイゴの半歩後ろに立っている。ニフリートを診てもらうついでに、彼女の戦傷を治してもらうつもりだった。サイゴも、今言われたようなことは何度となく想像したことがある。科学的には、エヴァ49の自我や記憶や人格は、どこにも残されていない。それでも、もしかしたらという疑念は時折首をもたげる……だが。
「ニフリートさん。あなたは昨夜、覚醒時の誤作動で暴走して、延々と市街を走り続けていました。その時のことを覚えていますか?」
サイゴに問われてマフラーの下、新人マインドは片眉をしかめ、首を振った。
「なら、そういうことです」
ミリヤは納得いかなさげに食い下がる。
「サイゴさん……サイゴさんは、あの四本腕さんをなぜ選んだんですか」
「〝便利〟だと思いましたから」サイゴはあくまで事実のみを告げた。余計な言い訳をしても仕方がない。「ワイトと戦わなくてはならない時、生身の人間一人で挑むのは自殺行為だ。だから、僕はどうしても一緒に戦ってくれるワイトが必要でした。エヴァには何度も助けられています」
「それを、あの人の家族にも言えますか? いますよね、生きていた時の両親や、兄弟や、友達や、恋人が。もし、その人たちが私みたいに、彼女を探そうとしていたら? 他のアンダーテイカーがやって来て、そのワイトは依頼人の元に送ると言ったら? 四本腕さんの家族に出会ったら、貴方は何て言いますか?」
答えたのはサイゴではなく、まだ幼い少年の声だった。
「家族がいるなら、きちんと同意を取り付けているさ」
涼やかな気障さと、歯が浮く甘ったるさの、アイスクリーム調スピーチ。フレーバーで言えばコットンキャンディにチョコミント、ロッキーロードのトリプルか。
「エヴァネッセンス49は、アンサタ社のクリーンな合法ワイトだ。
声の主は、ナースワイトの一団を従えて、奥の廊下から現れた。綺麗に切りそろえたボブカットの黒髪で、眼鏡の奥には猫のような金眼。
身長一二〇センチそこらで、ミリヤより頭二つ分は小さい。子供用のスーツにループタイを締めて、白衣を羽織り、首には聴診器をかけている。医師のような格好の少年はサイゴの姿を認め、軽く片手を挙げた。
「やあサイゴ、久しぶりだねえ。また死んだかい? それとも死にたいかい? ワイトになる時は是非ボクに任せなさい」
「おかげさまで、最近はとんと無いですね」サイゴは会釈して、ミリヤに向き直る。「ドクター・フィティアンです」
「……の、息子さんですか?」
怪訝な顔のミリヤに、フィティアンと紹介された少年は、ニコニコと答えた。ヴァニラのように白い指を一本立て、ちちちと振る。その手にはゾンビの刺青。
「いや正真正銘、本人。ボクがここの院長で、唯一の還死科医だ」
「え、だって……サイゴさんと、昔から知り合いだったって」
ミリヤは困惑して口元を覆った。疑わしげな視線を、サイゴとフィティアンへ交互に向ける。ニフリートはソファに腰かけたまま、考え込むように腕を組んでいた。
「どう見たって、十歳ぐらいにしか見えませんよ?」
「彼は十五年以上前からこの姿です」
言って、サイゴは「外見でずいぶん苦労されていて」とも付け加えた。フィティアンはあくまで朗らかだ。
「ゾンビ化した時の年齢で止まっているのさ。こう見えて立派に中年だよ。体を壊すから、アルコールは止められているがね」
「そうなんですかあ」
ミリヤは心底驚いたように目を丸くした。だが、ニフリートは胡散臭げに「ゾンビ?」と呟く。彼はフィティアンを無遠慮に指さした。
「俺にはそうは見えねえな。そこの鎮伏屋は、ミリヤと違って色が薄い。他のゾンビもそうだ、生きてる感じが足りねえ。だが、あんたに至っちゃモノクロだ。ああ、髪や目や服の色は分かる。だが、なんだ……色が無え」
フィティアンは幼い顔に、老獪な笑みを浮かべた。「色か。ボクもキミが同じように見えている」何かを見透かすような表情。
「分かるだろう?
キミとボクのフィラメントは、今も互いに共鳴している。キミが体の中に悪寒のような、静電気のようなざわめきを感じているなら、それだ」
「ワイトである先生やニフリートさんには、感覚的に区別が付くんでしょうね」
ミリヤはリレーされたピンポン球のように、その場の全員を交互に見やり、サイゴに視線を合わせて首振りをやめた。それを受けて彼は説明する。
「ワイトの目には、刺青を確認しなくとも、モータルとゾンビの区別が付くと言われています。例えば、インゴルヌカが世界各国へ派遣しているゾンビ回収船にも、モータルの密航者を発見するため、識別用ワイトが乗せられているんですよ。インゴルヌカは社会的に抹殺されたゾンビに、市民登録で身分を与えてくれますからね。だから時々、逃亡中の犯罪者や密航者が混ざるんです」
ミリヤは水を求める魚そっくりに、何度か口をぱくぱくさせて、やっと言葉を絞り出した。
「じゃ、じゃあサイゴさん。もしかしてこの人は」
「ゾンビうんぬんは、そういう設定です。実際、よみがえりが奇妙な後遺症を引き起こすことは、よく知られていますから、それで通じる。しかし、彼はマインドワイトですよ。だから僕はここに貴方がたを連れてきました。体を調べることもそうですが、これから正体を隠し、インゴルヌカで生きていく上で、先生の助けを借りられれば大変心強い」
「まったく、ずいぶん厄介ごとを持ち込んでくれるよ、キミは」
フィティアンは、肘鉄でサイゴの脇腹を小突いた。「ちなみに刺青も偽造だ、後で店を紹介しようか?」と、自分の手をひらひらと振る。
「ご迷惑とは思いますが、先生に打って付けの件だと思いましたんで。仲間を助けると思って、お願いしますよ」
ニフリートはソファを立ち上がり、少々苦労しながら身を屈め、フィティアンに詰め寄った。
「……いつからクリニックをやってる。本当は幾つだ? ずっと生きてる振りで、やり過ごしてんのか」
「ここで開業して、もう二十年近くになるかな。今は、だいたい七十くらいのはずだ。この体は永遠に十一歳のままだがね」
「七十?」疑問の声を上げたのはサイゴだ。「貴方、僕と出会った時は二十代って言ってたじゃないですか。それが正しければ、今は四十のはずだ」
「ははっ。どうせ体は変わらないんだから、ボクの年齢なんて気の持ちようさ。四十の時にはまだ二十代の気持ちだったし、今はやっと三十代の気持ちって感じだね」
言って、フィティアンは快活に笑った。その表情は、まったくあどけない少年その物。ミリヤは眩暈を覚えたように、ふらふらとソファへと座った。
「ま、それを言ったら俺も四十代って感じはしねえな。十三年寝ていたんだからよ」
「そういうことだ。年齢の話はどうでもいいだろう、これからが大変だぞ」
フィティアンはやれやれと首を振った。
「キミもわざわざ苦労を背負い込むことないだろうに。あのいけ好かない、ええとほら、霊安課の」
「マキールですか?」
「そうそう、ヤツに一報すればすぐ終わる話だったじゃないか。あれを敵に回すとしつこいし、妙に鼻が利くから面倒だぞ。もし知られることになっても、ボクの名前は出さんでくれよ?」
「いやあ、その時はボクが黙ってても、先生が関わったことは気づくんじゃないですか。向こうも知らない相手じゃないんですし」
フィティアンは噛みつかんばかりに、苦々しい顔になった。ナースワイトが一体、背後からフィティアンをあやすように抱きしめ、愛撫し始める。ミリヤは瞑目しており、それを見ることはなかった。
「ああ、嫌だ嫌だ。あいつにうちのクリニックを捜査されるような事態だけは避けたいねえ。そうなったらサイゴくん、ボクはキミを恨む」
「やだな~、とっくに一蓮托生なんだから、仲良くしましょうよ」
サイゴはのほほんと笑って、フィティアンの渋面を流した。マインドにとって、霊安課刑事は天敵と言うより他はない。それとはまた別に、この小さな医者は、マキールを一方的に嫌っている――昔、彼の祖父に殺されかけたんだとか。
「ええい、まあキミの頼みだ、任せてくれれば間違いない。ただ、料金はいつもの倍だよ? あ、払うのはそっちのお嬢ちゃんか」
「うちの遺産が結構あるので、なんとか……」
ミリヤはショックが抜けない顔で、額を押さえながら承諾した。
「よろしい! 今日はこれより後は休診だ。ああ、あと蜘蛛のお姉さんだね。治すのかい? 腕増やすかい? 今、豊胸セール中だがどうだね?」
エヴァネッセンス・フォーティーナインは、アンサタ社のブラックウィドウモデルだ。だからフィティアンは蜘蛛のお姉さん、と彼女を呼ぶ。
「エヴァは治療だけでお願いします」
「そうか豊胸はいらんか。前から思っていたがやはりキミは尻派……」
少年医者の目が怪しく光る。
「んなこたどうでもいいでしょうが」そこでサイゴはミリヤに向かって、「ほら、中身はおっさんなんですよ」と改めてアピールした。
「でも良い尻だよな、ワイトの姉ちゃん。ツンと切れ上がったラインがぐっと来る」
「お父さん?」
酷寒の夜に割れた氷のように、ミリヤの声が待合室に響いた。ニフリートは口を滑らせたことに気がついたが、時既に遅し。
「ねえ、お父さんはお母さんを愛して、結婚したのよね」
冥王星に吹く風の音は、きっと父に問うミリヤの声のようだったろう。
「神に誓ってその通りだ」
懺悔室で神父に告解するように、ニフリートは殊勝な態度になった。
「じゃあどうして、他の女の人のおしりがぐっと来る、なんて言うの? なんで?」
「……落ち着け、ミリヤ。男のサガだ。生理現象だ」
「……言いたくないけれど、死んでるのよね? 体温もないしご飯も食べられないし、眠ったり疲れたりしないのに、どうしてそこだけ生理現象なの?」
「人間の本能はな。理性を超えてだな。ああ、つまり、哲学だ」
「クオナ愛してるって言ったくせに!」
サイゴは微笑ましい気分でぽややんと笑った。
「若いっていいですねー」
「はっは。サイゴくん、そういう年寄り臭いことを言うと老けるぞ」
制するようなことを言いながら、フィティアンも朗らかな顔で(かなり一方的な)親子喧嘩を眺めている。鎮伏屋とマインドの少年医師は、二人してなごやかな空気をかもし出し始めた。だが、怒り狂うミリヤに胸ぐらを掴まれたニフリートは、異星じみて隔絶した修羅場の真っ只中だ。
彼女の気が済み、診察が始まったのは、それから数十分後のことだった。
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