二章:約71枚

あなたは死んだの、と少女は叫んだ

 この地方の雪は少なく、そして軽い。あまりに気温が低すぎるため凍るのが早く、一つの雪片に水分が集中しないからだ。路面に落ちても融けることはなく、吹けば飛ぶホコリのような物だった。

 それを蹴立てて、ニフリートの巨体は雪煙と共に通りを疾走する。伸びに伸びた髪は路面と水平にたなびき、少ない通行人を驚かせながら暴走し続けていた。

 誤作動したニフリートの体は、完璧なランニング姿勢を維持し、障害物があれば避け、還死剤が必要にならない限りは何日でもそうしているだろう。

――そのニフリートの前方、およそ一.二キロ先。

「……寒いし、お腹は減ったし」

 苛立たしげに、メザメ・ロトボアは2005年型の赤いコルベットに乗り込んでいた。化学式に遊ぶ研究者、この世で学問以外のことは、概ね軽蔑している女だ。

 彼女は超過勤務を終えて退社した直後、へとへとに疲れ切って、もう自宅で待つ飼い猫のことぐらいしかまともに考えられない。ここ数日、メザメはとても忙しかった。だから、まあ、この後に起きた出来事は、おおむね彼女の不注意が原因だ。

「きゃあ!」

 ワイトと自動車の正面衝突。互いが避ける暇もなく接触、二メートル超の巨体は仰向けに吹っ飛ばされ、不注意なメザメの車はくるくるとスピンして横転。たちまち周囲には人垣が出来た。頑丈な愛車の加護と、奇跡的な幸運に見舞われ、メザメは無傷。自力で車内から這い出すが、寒さと恐怖で震えが止まらない。

(まさか人を撥ねたの? 私)

 親切な通行人たちが彼女を口々に気遣ったが、メザメは半分も聞いていなかった。仕事が忙しいこんな時に、なんて失態だろう、と自分で自分を苦々しく思う。

 心ある市民の通報か、すぐさま救急車が到着した。救急隊員たちが苦労して、動かない巨漢を搬入する様を、メザメはぼんやりと眺める。

 彼女は、屍者然としたその顔に見覚えがある気がして戦慄した。バイク・グールズが三人到着したが、獲物がいないと見ると即座に退散、自警市民から石を投げられる。そんな騒ぎも、メザメには遠い世界のことのようだ。

「……?」

 救急車は逃げたグールズと逆方向に発進した。それを見送りながら、メザメはようやく記憶から拾い上げたその名を呟く。カルペア・ラツサスタヤ09を。


「こりゃまたボルシーなでかい獲物だな。これで当分、文句は言われねえだろ!」

 救急隊員――否、そうであるかのように偽装したグールズの男は、笑ってヘルメットを脱いだ。現場には、やがて本物の救急車が到着するだろうが、後の祭りだ。彼らは救急通報を盗聴し、効率良く事故現場に駆けつけては死者・負傷者をさらっていく偽救急車グループだったのである。

「しかし変なヤツだな。おつむの病院から逃げ出してきたか?」

 バインダーに獲物の外見的特徴を書き込みながら、一人が怪訝そうに言った。ストレッチャー上、ベルトで固定されたニフリートは手足の先がちぎれた拘束衣姿で、素足は融けた雪の跡で濡れている。

「十年ぐらい檻の中だったんじゃねえのか、でなきゃこんなに髪を放っておくヤツはいねえって」

「違いない」

 彼らは、瞼を見開いたままのニフリートを完全に死んだと思っていた。体は氷のように冷たく、呼吸も脈拍も無い。もしそんな物が確認出来たら、アジトに到着し次第、薬物を注射して殺している。

シトーなんだ!? 今こいつ、瞬きしなかったか?」

 バインダーを持っていたグールズが、驚いて声を出す。ひげ面の男が「ンな訳ないだろ」と言いかけて、口をつぐんだ。彼らの視線が集中する中、ゆっくりとニフリートの厚い胸板が上下し始めている。続けて二度、三度と深呼吸。それから、確かめるように「…ぁっ…あ、あー」と発声を繰り返し、

「おい」と、しゃべった。

「こいつ、生きてんじゃねえか!」

 狼狽するグールズを横目に、ニフリートは身を起こした。体を固定していたベルトは、濡れた紙のようにあっけなく引きちぎられる。

 何の準備も無くデタラメな高電圧で叩き起こされ、暴走したニフリートの体は、交通事故の衝撃で正常に動作を始めていた。しかも、ワイトと言うより、生きた人間のように。――そう、彼もマインドワイトなのだ!

「なんだてめぇら……こんな真似しやがって」

 車内には三人のグールズ。バインダーを持った男、ひげ面の男、大柄な男。それとは別に運転しているのがもう一人だから、計四人。ニフリートはここが救急車の中であることと、男たちの会話からその正体に気づいていた。

 いつから寝ていたのか思い出せないが、とりあえずこの連中は気にくわない。結論づけ、ニフリートは一番手近なひげ面に裏拳を叩き込んだ。鼻血で手が汚れる。

ノ・メ・ディガスウソだろ!? こいつ完全に死んでたじゃねえか!」

 バインダーの男はこちらを指さして喚く。ニフリートはその腹を蹴っ飛ばした。ストレッチャーを降り、少し離れた所に立つ大柄な男を殴り倒す。どいつもこいつも一発で沈んだ。だらしのない連中だと思いつつ、運転席の男を怒鳴る。

「止めろ!」

 運転手は小さく悲鳴を上げて急ブレーキ。ニフリートは床をしっかり踏みしめてバランスを取ると、車を止めた男の首筋をチョップし、失神させた。ざっと四人のグールズを品定めし、一番大柄な男の偽造制服を脱がしにかかる。もちろん、このふざけたボロ服から着替えるためだ。もっとも、奪った衣服も彼にはやはり窮屈だったのだが。おそらく、サイズが一つか二つは下だ。

 男の財布も一緒にちょろまかし、ニフリートは救急車から降りた。見上げると、夜空に見事なオーロラがかかっている。子供の頃、寒い寒いと嫌がるベムリを引き連れて、よく二人一緒に眺めたものだ。……ベムリ、兄弟同然の親友のはずだった。はずだった? その名を思い出すと、なぜか胸がじくじくと痛む。

「ったく……どこだ、ここは」

 疑問を振り切るように独り言をこぼし、ニフリートは歩き出した。さっきから自分の体がおかしい。オーロラが出ているのに、寒さを感じない。白い息すら出ない。それに、夜なのは確かなのだが景色が全体的に青白く、暗い感じがしなかった。

 そうした奇妙で不自然な点を別にすれば、後は驚くほど調子が良い。全身に力がみなぎっているようだ。

 道路標識を見つけて住所を把握する。少し遠いが、今夜中には徒歩でも自宅へ辿り着ける距離だった。娘のミリヤはまだ三歳だ、とっくに眠ってしまっただろう。家に帰って、クオナには遅くなったと謝って、娘の寝顔を見て寝よう。

 ニフリートは正体の分からない不安感を思考から閉め出し、〝自分の家〟に向かって歩き出した。

 もしかしたら自分は死んだのかもしれない。そして、ゾンビとなって起き上がったのだ。そう考えれば、あのグールズが狼狽していたのも頷ける。

 前生ぜんせいのニフリートとは少し違うかもしれないが、クオナは自分が惚れた女だ、そしてここはネクロポリスだ。きっと、以前と変わらず自分を受け容れてくれるだろう。ニフリートはそう信じることにした。

 そのクオナがもうこの世にいないことも、自分がゾンビですらないことも、彼は気づいていない。今は、まだ。


 霊柩バンで追いかけたものの、ニフリートもベムリも完全に見失い、ミリヤは家に帰された。十三年前、ハーネラ一家が引っ越して以来空き家になっていたそこを、再び借りて彼女は一人暮らしている。引っ越し荷物はろくに片付いていない。

 ミリヤ自身の荷物は驚くほど少なく、母の遺品ばかりが箱詰めのまま残っている。最低限のテーブルと椅子、テレビ、食器、まるで空き家のままごと遊びだ。 

『……またも痛ましい事件です。ミンチメイカーの被害者はこれで十九人を数え、新たな犠牲者の一人は、七歳の少年でした。この凶悪な殺人鬼は今も、インゴルヌカに潜んでいるのです』

 居間のテレビは、今週初めの事件について報じていた。夜中に見たくなくて、ミリヤはチャンネルを音楽番組に回す。アカペラコーナーをやっていた。

『……ドゥビドゥッドッドッビドゥビドゥドゥビー、アーシーンザイザレイン ♪ アーシーンザイザレイン♪……』

 シャワーを浴び、寝間着に着替えたミリヤは、ソファに腰掛けて息をついた。今日は大変な日だった、ようやく父を見つけて……けれど逃げられて。それでいて、自身は妙に落ち着いていることに、彼女は戸惑っていた。自分で自分の感情が判別出来ない、奇妙な感覚。今夜のことはまるで夢でも見ていたみたいに、現実感がない。

 ミリヤはふと、部屋の片隅へ目を向ける。そこには椅子に腰かけて編み物をしているワイト、エヴァネッセンス49がいた。

 その存在が、今日の出来事が現実だったと無言の内に主張している。脇の下に植え付けられた第三第四の腕はケープの中に隠され、異形感は無い。戦闘で負った傷はサイゴの応急処置を受け、やや痛々しいものがある。

 芬蘭土スオミは寒い国だ、冬の手慰みに編み物を趣味とする人は多い。このエヴァ49も、生前そうだったのか、仕事を与えられないまま活動状態に……つまり〝暇〟になると、編み物を始めるクセがある、とサイゴは言った。

 延々とマフラーを編みながら、それを完成させることは決して無く、足元に置かれた紙袋には長大な毛糸の塊が詰め込まれている。

 ワイトごとの個体差、生前のクセや習慣といった〝個性〟、それに基づいた行動。それがただのロボットではなく、かつて生きていた人間だと偲ばせるワイト特有の性質だ。サイゴはベムリ、あるいはニフリートの体が、ハーネラ邸を訪れることを懸念してエヴァ49を置いて行った。彼自身は外で車中泊をしながら見張っている。

「お父さん、車に撥ねられたりしてないかしら」

 サイゴが説明してくれた所によると、遺体が生前の行動を再現しようとするならば、いずれニフリートがこの家に帰って来る可能性もあるとのことだった。

 体が「帰宅する」という行動を反復させようとすれば、だが。けれどもし、サイゴが見つける前に、死体泥棒や、別のアンダーテイカーに父の体が回収されたりすれば? あるいはどこかにぶつかったり落ちたりして、動けなくなってしまったら?

 改めて、ミリヤは父を覚醒させたことを後悔した。後先考えないトンチンカンな行動に、自分が嫌になってくる。サイゴにも迷惑をかけたし、何より父の体を危険にさらしてしまった。サイゴがミリヤの判断を一切責めなかったのも、辛い。

 依頼人だから遠慮もあるのだろうが、それ以上に、サイゴ自身の性格としてそうなのだろう、と思わせられる。帰りの車中で、彼は言った。

「ベムリがマインドワイトだとすれば、ニフリートさんも同じマインドとして製造されたのかもしれません」

「どういうことですか?」

「ベムリがワイトとなれば、可能性が高い製造元はハイパーボリアでしょう。奴はニフリートさんがワイト化されたこと、それを行ったのがハイパーボリアだと知っていた。十三年前の写真を見ても、ベムリは老けていません。となると、奴が死亡し、ワイト化された時期はニフリートさんの死亡時期と重なるとも考えられます。親しい間柄の二人が近い時期に死に、共にワイト化され、片方はマインドワイト。……憶測に憶測を重ねるようですが、最悪のパターンとして考えておいた方が良いでしょう」

「ち、父が、マインドになっていたと、したら」つっかえ気味にミリヤは言う。「ベムリみたいに自分でしゃべって、考えるワイトってことですか……?」

 サイゴは否定しなかった。霊柩バンのハンドルを切りながら、「ええ」とうなずく。その横顔は、ミリヤが初めて見る険しさがある。

「マインドは、還死学アンザナトス黎明期のものですからね。その目的は死者の復活。そのため、初期のワイトは生前の人格を残します。ゾンビよりもよほど正確に。ただ……」

「ただ、何ですか?」言い淀んだサイゴに、ミリヤはじれったく促した。

「多くのマインドは時間と共に、記憶や自我が劣化する傾向にあります。ベムリを見たでしょう。奴が十三年前からワイトとして活動していたなら、あのふるまいは、マインド特有の自我崩壊が原因かもしれない。お嬢さん、貴女がマインドと化したニフリートさんと出会った時、それは悲惨な結果になるかもしれませんよ。僕としては、速やかに葬られることをお勧めします」

 サイゴの声音は労るように優しかったが、その奥に断固とした厳しさもあった。ミリヤはカレンデュラの一件、唐突に暴れ出したベムリの姿を思い出す。

「死者は生き返らない、一度失われた心は取り戻せない、無理やりに呼び戻された故人は、生前の姿を穢されたも同然でした。還死学は希望をちらつかせて、それを最悪の方法で潰したんです。だから世界は、同じ悲劇を繰り返させないために、還死学とネクロポリス自体を葬ろうとした。けれど、僕たちゾンビにはどうしても〝ここ〟が必要です。だからインゴルヌカは、マインドを封印するしかなかった。そこには手を出さないから、見逃してください、ってね。

 お嬢さん、ニフリートさんがマインドになっていたら、どうしますか。彼を生きた者と扱い、受け容れて匿いますか。僕はそれでも構いませんが、万が一バレたら、国際死体保護法違反で重犯罪者……一生、塀の中ですね」

「私は……」

 ミリヤは答えられなかった。短い間に色んなことが起こりすぎて、思考は現実に追いつこうと息を切らしている。父が生前の人格と記憶を持っているなら、会って、話をしてみたいとは思う。けれど、その後はどうなるのか。徐々に自我が崩壊し、動く屍と化して狂っていく姿を、間近で見ることになるのではないか。間違いなく、ただのワイトよりもタチが悪い。

「まあ、あくまで最悪の場合ですよ。ニフリートさんは、ただのワイトかもしれない。けれど、ミリヤさん。お父さんをどうするか、決めなくてはならないのは貴女です。ただのワイトなら、最初のご依頼通りに。マインドなら、貴女がそれ相応の判断を。どの場合でも、僕は最善を尽くさせていただきます」

「それが犯罪でも、ですか。サイゴさんは正義よりお金ですか」

 とっさに口を開いて、ミリヤは考え無しの発言を悔いた。だが、サイゴは気を悪くした風もない。

「正義にはあまり興味ありませんからね。ただ、僕にも道徳やルールはあります。言ってみれば美学、でしょうか」言ってから、サイゴは「いや、それは気取りすぎだな」と首を捻った。「お嬢さん。僕は人が人の死を受け止め、整理をつけて、それからの人生に踏み出していく、その手伝いがしたくてこの仕事をしているんです」

 そんなことが、重犯罪の危険を犯してでも大事だろうか?

 ミリヤは眉根を寄せ、胸中で首を傾げた。霊柩バンを運転するサイゴの横顔、その穏やかな表情に、困惑を覚える。

「もちろん、工場や企業から失踪した、勤労ワイトを捕まえるだけの仕事も多いですよ。でも、僕がこのアンダーテイカーを選んだ一番の理由はそれです。人が皆同時に生まれないように、人は皆バラバラに死ぬ、必ず遺される者がいる。大切な者を失って、自ら命を絶つ人間もいれば、新しい道連れを得て生きる人もいる。その道行きは、人の繋がりは、不思議なものです」

「……だから?」この人は何を言いたいのだろう。

「だから、お嬢さん。貴方がお父さんの死と存在を受け容れて、どういう形であれそれを自分の中で位置づけて、これからを生きるか。それが僕には一番の報酬なんですよ。葬儀屋ですからね、〝弔いこそ我が生きがい〟」

「……仰る意味が分かりません」

 思った以上に固い声が出て、ミリヤは口をつぐんだ。彼の言葉が、自分の深いところをかすめていったからだ。それをこれ以上触れられたくない。サイゴはきっと、自分の言葉がミリヤの何に届いたかなど、気づいてはいないだろう。彼が本当に求める報酬がそれならば、自分はそれを差し出すことが出来ないかもしれない。


 玄関の呼び鈴が鳴り、ミリヤは思考を中断する。今は二十三時手前だ、来客にしては遅すぎた。ミリヤはダイニングテーブルに出しっぱなしにしていたベレッタ・ナノを取る。安全装置を確認。ベムリが来ているなら、サイゴが対応してくれているだろう。ミリヤがエヴァ49に「ついてきて」と頼むと、彼女は既に編み物を中断して立ち上がっていた。ミリヤに向かってうなずく。

 エヴァ49は事前に、ある程度ミリヤの命令を聞き分けるよう言い含められている。二人して玄関前へ行き、ミリヤはインターフォン越しに、恐る恐る声をかけた。

「どちら様ですか?」

「クオナ、俺だ! 怒ってるよな? 遅くなってスマン、中に入れてくれ」

 ミリヤは手の中の銃を取り落とした。その鈍い音は向こうにも聞こえたはずだ。実際、「どうした?」と怪訝そうに訊ねてくる。

「うそ」

 ミリヤはそろそろと銃を拾い上げながら、それだけ言うのが精一杯だった。この町で母の名前を知っているのはサイゴぐらいだったが、声は明らかに彼ではない。まるで自分がこの家の住人であるような口調、これが父の声なのだろうか? ワイトはしゃべらない、会話能力を持たせたワイトも、事務的な内容がせいぜいだ。だが、マインドなら話は別だった。

「あなたは誰!? 私、クオナじゃない。母さんの名前よ、もう半年も前に死んだ」

 安置所で父の遺体と対面した時の、足元がおぼつかない気分が再びミリヤを浸す。本当の自分はソファで眠り込んでいて、これは夢の中なのでは? と。

「クオナ、お前のことは愛してるが、その冗談は笑えねえ」

 ミリヤは拾いかけた銃を放り出し、玄関を開け放った。夢でも幽霊でも、扉の向こうにいるのが父ならば、会ってみない理由がない。

 冷たい外気が、確定した現実が、ミリヤの顔と体に突き刺さった。オーロラの輝く夜空の下、大きな影が立っている。筋骨隆々として、山がそびえ立つような印象は、ミリヤの記憶におぼろげに刻みつけられた物とまるで変わっていない。三歳の子供から、自分もずいぶん大きくなったはずなのに。不意に、ミリヤの胸に穴が穿たれた。甘い痛みを伴いながら開き、こんこんと懐かしさを湧き立たせる深い穴が。

「あなた。お父さん」

 父が声を聞き間違えるほど、自分は母そっくりに育ったのか。そう思うと、ミリヤは嬉しいような、くすぐったいような気持ちを覚える。

「クオナ? 何か、お前……若くなってねえか?」

 父は、ニフリート・ハーネラは、不思議そうに顎を撫でた。しゃべりながらも、その口元に白い息は無い。ミリヤは違う。

「私はミリヤよ! あなたの娘の! あなたは十三年も前に死んで、ワイトになって売り飛ばされる所だったの!」

 胸に開いた穴が、彼女の感情を迸らせた。涙。目の前の父が亡霊なのか、ワイトなのか、とにかく生きてはいないことを分かっていてなお、喜ばしい気持ちがある。懐かしいという感情は、過去を取り戻したいという飢えに近いものだと、ミリヤは初めて実感した。決して取り戻せないがゆえの、甘ったるく深い飢餓だった。

 けれど、もし過去が取り戻せるとしたら? ミリヤはニフリートの胴体に抱きつくと、腹の辺りに顔を押しつけて泣いた。

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