オーロラは消えた、思い出も消えていた

 出番の無かったエヴァネッセンス49は、黙々と編み物を再開した。

 居間のテレビでは、七本腕のワイト七体で構成したダンスユニット・ヘプタパスレクイエムが、神秘的なテクノを踊っている。なぜか救急隊員の格好をしたニフリートは、落ち着かなさ気に頭を掻いた。

「……そこの姉ちゃんはなんだ。喪服なんか着て、顔を隠して。ルームメイトにしちゃ、生きてるようにゃ見えねえな」

「うん、ワイトよ。お父さんのこと、アンダーテイカーに探してもらうよう頼んだから。今日はちょっと危険かも、って置いて行ったの」

「そうか。……テレビ消してくれ」

 ミリヤはリモコンで電源を切る。改めて室内で見ると、父の体は大きく、分厚く、威圧感があった。頭の高さなど、天井すれすれだ。そんな巨体を、ニフリートは通された居間のソファに深々と沈めている。引越し時に置いていった家具の一つだ。

 その正面、テーブルの上には古ぼけたおもちゃのピアノが置かれていた。ニフリートが三歳の誕生日に、ミリヤへプレゼントした物だ。

「これ、サヴォンリンナに引っ越してから、ずっと使っていたのよ。触ると綺麗な音が出て、それが凄く嬉しかった」

 温かな珈琲を入れながら、ミリヤは泣き疲れた声で言う。頼りなく脳裏をよぎる、幼い日の記憶。今夜の出来事、これからのこと、あまりに多くのことが頭の中でメリーゴーランドになってぐるぐる回り、彼女は今にもパニックになりそうだ。

 けれど、それは帰ってきた父も同じであるように見えた。ハンマーで殴り倒された人みたい――ミリヤは他人事のように、そんな感想を抱く。

 ニフリートの膝にはアルバムブックがあった。親子三人で写っているスナップから、やがて彼の姿が消え、母とミリヤ、祖父母とミリヤの写真になり、年老いるクオナを追いかけて、ミリヤは若いクオナの姿に近づいて行く、その一連の歴史。

 妻と娘の人生から、夫であり父であるニフリートが置き去りにされて行った、その如実な記録だった。

「母さんはね、最後までお父さんのこと、愛してたと思う。死んじゃう前にも心配していたの、あの人がワイトにされているなんて嫌だ、って」

「クオナ。あいつの墓、サヴォンリンナか」

 ごめんね、とミリヤは首を振った。

「お母さん、お墓はないの。燃やして灰にして、海に撒いてって遺言で……漂っていれば、お父さんに会えるかもしれないからって言ってた」

 慰めるように言いながら、ミリヤはマグカップを差し出した。ニフリートは「そうか」とつぶやき、それを受け取る。

「そうか」ともう一度言って、珈琲に口をつけた。口の端をひん曲げる。

「……これ、何が入ってんだ」

「? ただのインスタントだけど……うん、賞味期限も別に問題無いよ」

 ミリヤは自分のマグカップをあおったが、特におかしな所はない。玄関先で冷やした体が温まる。ニフリートはやや乱暴に、サイドテーブルにマグカップを置いた。

「俺は死んでるんだろ、飲み食いする必要はねえはずだ。味覚だってマトモな訳が……」それから、少しばつが悪そうにミリヤを見て、「……お前が悪いんじゃない」と続ける。

 莫迦なことをした。父は気遣ってくれたが、ミリヤは恥ずかしくなって、慌ててマグカップを下げる。キッチンに二人分の珈琲を流すと、家の空気が少し居心地悪く感じられた。互いが互いに遠慮している、ひりつくようなよそよそしさだ。一歩間違えばどうなるか分からない、時限爆弾の上に座っているような心地。

 ミリヤはこの町で暮らした数ヶ月の間に、まさに人形という感じのワイトをたくさん見てきた。エヴァ49だってそうだ。けれど、この父は違う。受け答えに不自然さはなく、人間と話しているよう。けれど体は冷たく、確かめていないが脈拍も脳波も無いだろう。呼吸だって……。

(もしかしたら、私はただのワイトに、妄想で話しかけてるだけじゃないの?)

 それはおぞましい恐怖を呼び起こす想像だった。父がマインドワイトであって欲しい/あって欲しくないという二律背反が、彼女に己の正気を疑わせる。

「なんか、外が騒がしくねえか」

 ニフリートが眉をしかめるのと同時、エヴァ49が編み物を中断して立ち上がった。羽織っていた破れケープを脱ぎ捨て、上段二本の腕に銃を取る。そしてミリヤが呆気にとられている間に、道路沿いの窓へ頭から飛び込んで出て行った。間を置かず、銃声が聞こえてくる。ニフリートは窓に近づいて、外の様子をうかがった。

 彼が何か言おうとした時、被さるように呼び鈴が鳴った。

『こーんばーんはー♪ 夜分すいませぇーん』

 インターフォンから聞こえてきた声に、ミリヤは体を硬くする。機械が話しているような、不自然で人工的な音声。ベムリがここまで追ってきたのだ。


 その数分前――。

 サイゴは車中から、ニフリートらしき長髪の大男が、ミリヤと言葉を交わし、やがて招き入れられるのを見ていた。事情を知らない者が見れば、人間としか思えなかっただろう。しかも、どこで調達したのか拘束衣から着替えている。暴走状態から回復したのは良いとして、十中八九、ニフリートはマインドワイトだ。

「……マキールに黙っておいて良かった」

 サイゴは霊安課刑事の友人を思い出して溜め息をついた。彼とは長年、良好な交友関係を保っているが、仕事上の利害が対立すればその限りではない。この件を知ったらサイゴをボコボコにして手錠をかけた後、寒くて暗い留置場にぶち込むだろう。事が露見する前に、ミリヤがニフリートを葬る判断をしてくれるなら話は早いが。

(お嬢さんの反応だと、それも時間がかかるだろうな。その方が面白いけど)

 というのがサイゴの感想だった。三歳の時に死別したとはいえ、身内の情は断ちがたいだろう。ただのワイトでさえ、いざとなると最初の要求をひるがえして、そのままハウスワイトとして所持を望む依頼人はこれまで何人もいた。サイゴは臨機応変にそうした依頼にも応えてきたが、今回はどこまで対応しきれるか分からない。

「まあ、何とかなる。何とかなるさ」

 サイゴはこれからニフリートと対面し、今後の意志をミリヤに確認しなくてはならない。その際、彼女の意志を汲んで、自分が提案出来る最良の選択肢は何か……インスタントのソバ・ヌードルをすすりつつサイゴが考えていると、耳がバイクの爆音を捉えた。反射的に銃把を握ると、二人乗りのバイカーがこちらへ突っ込んでくる。

「さて、もう一息けっぱりがんばりますか……」

 日本語でつぶやき、サイゴは極寒の車外へ出た。

 盗んだIZh・ユンカーを運転するのはベムリ、その後ろに乗る男は、マンツリアン満州の民族的な帽子と衣装を身につけている。顔を隠す黄色い布、そこは呪術的に崩された狭慈シアツー/XIACIの朱文字。ワイトメーカーのロゴだ。

 ベムリはサイゴの前方、回り込むようにユンカーを停車させた。陽気に人工声帯で話しかける。その口元には、体に還死剤アンジーが流れてるとは思えない、白い息。衣服こそ先の戦闘のダメージを負ったままだが、どういう訳か傷は綺麗に癒えている。

『イヨーウ、鎮伏屋ァ! ニフリート帰ってきてんだろ? ン? ま、勝手に入って調べるケド……』

 ベムリが顎で命じると、マンツリアン衣装のワイトはバイクを降りた。おそらく戦闘用、キョンシーモデルだ。

「どこから持ってくるかなあ、そのワイト。しかも体の修理まで早い」

『アンタにゃ邪魔されたくない……家族水入らずで話してェんだ、ヒヒ……走吧いけ!』

 キョンシーワイトが跳ね来たり、ベムリは悠々とハーネラ邸前へ。キョンシーが打ち振るう右腕、広々とした袖口から鎖が伸び、サイゴの頭蓋へ向けて放たれた。鎖の先端には、速度の乗った分銅!

 サイゴは頭を反らして逃れ、「Come!」と叫んだ。それがコマンドワードであることを察して、キョンシーワイトが鎖を操作する。弧を描いて戻る鎖分銅、サイゴは凍て付く路面を転がって更に回避。路面を穿った分銅がキョンシーワイトの手元に戻ったその時、ハーネラ邸の窓が内側から割れ、喪服姿の女が飛び出した。

 リビングで待機していたエヴァ49だ。頭からの飛び込み姿勢を維持し、二本の腕に構えた銃を発砲、発砲。三本目の腕で三挺目の銃を準備、四本目の腕を地面につき、一回転して着地した。キョンシーは弾丸を鎖で叩き落として全弾回避。サイゴは体勢を立て直しながら、「エヴァ、Go!」と命令を下した。キョンシーワイトは高々と跳躍、背後の外灯に乗って距離を取る。ベムリは玄関チャイムを鳴らした。

『こーんばーんはー♪ 夜分すいませぇーん』

 外灯の頂上で、キョンシーワイトは両腕の鎖を回転させ始める。それを横目に、サイゴは霊柩バンの後部座席から武器を取り出していた。エヴァ49は走りながら、三挺拳銃を一斉射。豊かな紫の髪が硝煙に踊る。キョンシーは外灯を飛び降り、両の鎖をエヴァ49に放った。それは分銅で彼女を打ち砕くためではない。

 精密に操作された鎖は、それぞれ右半身/左半身と順に絡み付き、四本の腕をぐるりと束ねて動きを止めた。エヴァ49は強制的に、直立不動の姿勢を取らされる。倒すよりも止める、それがワイト戦の鉄則だ。キョンシーは正しくそれに則っていた。

 だが、それはサイゴも同じだ。対ワイトネットランチャー発射!

 キョンシーがエヴァ49を相手している間に、サイゴはその背後を取っていた。ワイトの筋力にも耐えうる強靱な網が、もがくキョンシーの動きも汲み取って、確実に絡み付き、締め上げ、動きを封じる。しまいには、立っていることも出来なくなり、キョンシーワイトはなすすべ無く倒れた。

「あ、よっこいしょ」

 サイゴは沈黙したキョンシーを担ぎ上げると、霊柩バンに常備してある捕獲用棺桶に放り込んだ。鎖分銅はエヴァ49を拘束した際に、キョンシー自ら手放している。サイゴが棺桶の蓋を閉めると、自動的に低活性冷却ガスが噴出され、内部に閉じ込められたワイトの活動を停滞させた。一丁上がりだ。

 玄関前で戦闘の推移を見守っていたベムリは、やれやれと首をすくめた。

『やっぱ中古じゃダメだなァ……マジ使えねェー』

「あんまり僕らを舐められると困るからね」

 サイゴはエヴァ49の鎖が、何とか独力で外せそうと判断すると、ベムリに向かって44.マグナムを構えた。殺人道化の背後で、玄関の扉が開く。

 そこに、写真で見た通りのニフリート・ハーネラが立っていた。ピチピチの救急隊員制服を着て、この寒さの中、やはり白い息が出ていない。

「よう、ベムリ。その酷い声、どうした」

 あまりに人間らしい話し方に、サイゴは唇を噛んだ。やはりマインドワイトだ。

『……ニフリート』

 ロボットが話しているような機械の声が、それだけは妙に人間らしく、震えていた。取り繕うように、ベムリは苦く微笑んでみせる。

『ちょっとな。まあ、これ。レイプされちまって』

 ニフリートは軽く目を剥いた。

「マジか」

『マジだ』

「でもまあ、その話は後だ」

 ニフリートは玄関扉をくぐり、ベムリに詰め寄った。サイゴは深く考えるのを後回しにして、とにかくベムリに照準を合わせる。

「ミリヤを殺そうとしたんだってな」

「そうよ! この人殺し!」

 ニフリートの背後でミリヤが怒鳴る。サイゴの位置からは、彼女の姿は見えない。

『オーロラ』ベムリは空を仰いだ。『消えちまったな』

 その無防備な胸ぐらを、ニフリートは掴んだ。ベムリは意に介さない。

『ガキの頃にさ、よく観に行ったよなァ、オーロラ。オレ寒いーって、イヤだーって、いつも言ってンのにさ。お前、人の気も知らねえで、ゾンビだから平気だろ! ってさァ。寒さ消して雪ン中出てたら、凍死するってのに……』

 ベムリの左頬、ニフリートの拳がめり込んだ。痛覚のないワイトのこと、ベムリの表情は涼しい物だ。ニフリートは押し殺した声で問い詰める。

「話せよ。何でミリヤを殺そうとした――何で俺を殺した」

 その言葉に、ベムリの顔が歪んだ。胸に穴を穿たれたように、悲痛な表情に。

「起きたばかりで、俺も混乱してんだがな。お前に撃たれたのは憶えている。いや、さっき思い出した、俺はお前に殺されたんだ」

『ひでえぜ、ニーちゃん』

 ベムリが笑った。どこが捨て鉢な感じがする、半ば泣き笑うような。

『憶えてンのはそこだけか? その、前は? なァンでそんなことになったよ?』

 言われて、胸ぐらを掴むニフリートの手が緩み、ばつの悪そうな顔になる。そして、「知るかよ」と吐き捨てた。

「俺が憶えてんのは、今言ったことだけだ。俺もお前も、毎日楽しくやっていた。ミリヤは三歳になったばかりで、クオナは来週の映画を楽しみにしていて、その前に、お前に撃たれた!」

『映画ァー?』ベムリは片眉を上げて訝しんだ。『ちょい待ち、映画なら、お前、行ったじゃねェか』

「はぁ?」何を言っとるんだコイツは、という顔のニフリート。

「話を逸らそうとしないで!」後ろからミリヤがわめく。

『それ、歓喜の魔王ってタイトルじゃなかったか。原作がなんか舞台演劇の』

 ニフリートはベムリを放すと、「おう、それだ」と手を打った。

 瞬間、ベムリは沸騰したように地団駄を踏む。

『観てンだよ! お前、ちゃんとクオナと映画行ったじゃねェーかっ! オレにミリィちゃん預けて! 一ヶ月も前だ、お前が映画行く前の週、お前が死んだ日の、一ヶ月前だ!』

「……記憶に無えぞ」

 ニフリートは眉根を寄せ、心底知りませんとばかりに首を捻った。ミリヤはようやく玄関を出ると、「しっかりして、お父さん」とニフリートの腕を取る。

 まるで生きた人間に対するような扱いだ――マインドワイトを拒否するそぶりがまったくない。ミリヤのそんな姿に、サイゴは今後についての覚悟を決めた。こうなったら、とことんまで付き合ってやる。

『じゃあ死ぬ前の一ヶ月が頭からぶっ飛ンでんだろ! この脳みそパープリンがッ! バーカバーカ!!』

 ベムリは拳を振り上げ、一層激しく地面を踏みならして怒鳴った。サイゴは思わず「子供か」と呟く。生前からこうなのか、自我崩壊の影響なのか、判じがたい所だ。

『ああもう! 肝心な、肝心な、肝心なトコ全部忘れてやがる! ブラットシニーろくでなし! 話にならねェ――よッお前ェ!』

 ベムリとニフリートの姿が、同時にかき消える。サイゴは経験と反射神経と動体視力を総動員して、ギリギリ反応した――背後! 街路樹が植えられた芝生が爆発し、抉られる瞬間を彼は見た。一瞬遅れて、木の幹に取り付いたベムリと、小クレーターの傍に立つニフリートの姿を認める。玄関から十メートル近い距離を、両者は一瞬で移動していた。

『ハ! ハ! ハ! ビックリしたかァー?』

「「……くそっ」」

 サイゴとニフリートは、同時に同じ悪態をついた。ベムリは小首を傾げて、足元のニフリートを見下ろす。

『な、ワイトの体なんだから、こんなモンさ……凄ェだろ。でも、その内慣れる。お前もちゃんと、使いこなせるッて……』

「てめぇも、ワイトか。そうなんだな? だから歳も取って無え!」

 ベムリがけたたましく笑う。甲高く耳障りな声。

『当ったりぃー♪ お前が死ンで、スグ後だったよ……まあ、起きたのは二年ぐらい、オレが先だったけどなァ。だから、十三年ぶりって感じしないンだよな……』

「二年前。その時にハイパーボリアから逃亡を?」

 ベムリはサイゴの問いかけを無視した。

『マーいいや……仕方ナイ、仕方ナイ。今日の所は帰るぜ、またスグ会いに来るケドよ……時間置いた方が、ちゃんと思い出すかもしれねェし』

 木の幹を蹴って、ベムリは高々と跳躍した。跳ねて二歩目でバイクにまたがり、走らせる。

「こら、待てッ!」

 サイゴは逃げるベムリに何発か撃ったが、高笑いを残して逃げられた。

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